脇田憲一著作リスト
No. 1
標題:ユニオンは「宗教」を超えられるか/副標題:生活者トータルユニオンの試み/No:
著者:脇田憲一/誌名:現代の理論
巻号:255/刊年:1988.11/頁:14〜25/標題関連:
No. 2
標題:社会運動としての労働運動を/副標題:北摂(トータル)ユニオンの目指すもの/No:
著者:脇田憲一 橋本康介 橋爪新太 道脇清 藤田理 泰山義雄/誌名:新地平
巻号:179/刊年:1989.11/頁:63〜73/標題関連:
No. 3
標題:社会・市民運動と結ぶ地域労働運動/副標題:/No:
著者:脇田憲一/誌名:社会主義と労働運動
巻号:16-2/刊年:1992.2/頁:16〜23/標題関連:
No. 4
標題:労組と生協の時代は終わった/副標題:九〇年代労働運動の新地平/No:
著者:脇田憲一/誌名:労働運動研究
巻号:288/刊年:1993.10/頁:22〜25/標題関連:
No. 5
標題:地域循環型共同社会に向けた大阪・北摂の実践/副標題:/No:
著者:脇田憲一/誌名:労働情報
巻号:420/刊年:1994.12.1/頁:2〜7/標題関連:
No. 6
標題:朝鮮戦争下の吹田・枚方事件/副標題:/No:
著者:脇田憲一/誌名:季刊飛礫
巻号:18/刊年:1998.3/頁:29〜34/標題関連:
No. 7
標題:「生産闘争」をめぐって(座談会)/副標題:/No:
著者:中野邦弘 高田鉱造 巣張秀夫 脇田憲一/誌名:大阪労働運動史研究
巻号:17/刊年:1986.8/頁:34〜47/標題関連:大特の生産闘争と首切り反対闘争勝利
No. 8
標題:生産点闘争の可能性と展望/副標題:/No:
著者:脇田憲一/誌名:労働運動研究
巻号:38/刊年:1972.12/頁:9〜15/標題関連:生産点闘争の諸問題
No. 9
標題:生産点闘争の諸問題(討論)/副標題:/No:下
著者:脇田憲一他/誌名:労働運動研究
巻号:39/刊年:1973.1/頁:31〜39/標題関連:
No. 10
標題:分裂でなく、統一の中で活動を(座談会)/副標題:/No:
著者:脇田憲一他/誌名:労働運動研究
巻号:215/刊年:1987.9/頁:6〜12/標題関連:
No. 11
標題:朝鮮戦争と吹田・枚方事件/副標題:戦後史の空白を埋める
著者:脇田憲一著/出版者:明石書店/出版月:2005.1/頁数:844p
No. 12
標題:地域から世界を考える/副標題:可能性をはらむ生活者運動
著者:脇田憲一著/出版者:明石書店/出版月:2005.1/頁数:844p
巻号:248/刊年:1993.7/頁:3/標題関連:
地域から世界を考える―可能性をはらむ生活者運動―
大阪 脇田憲一
「新時代」1993.7.15 第248号
一.私のたどりついた地域
私の戦後四十年の運動歴をふりかえると、その運動基盤が、職場、企業、産業別、地域と、十年を節目に変っている。
最後にたどりついたのが、地域というわけだが、この変遷は日本の経済、社会構造の変化と、労働運動、政治運動の流れとが見事に重なっている。
地域という場合、一般的には職域や都市の中心部に対する周辺とか、生産に対する生活領域の概念として限定的に捉えられているが、地域の持つ意味は、近代社会の矛盾の集積として第三世界と共通性をもっている。
私の運動遍歴は、ただ運動の現場主義として、闘いのエネルギーの噴出するところに身を置いてきただけのことであるが、たどりついた地域の国際性に気付いたのは来日したフィリッピン女性活動家との出会いがきっかけであった。
彼女は一地域のキリスト教系の消費者運動活動家に過ぎなかったが、彼女の話の何処を切り取っても民衆と環境と社会の現実が総合化され、それが感覚的に伝わってくるのである。
それは、部分化され、専門化した日本の労働組合や市民運動の活動家タイプとは本質的に異なる思想性が感じられ、私はこのような活動家を生み出す社会と運動に触れたい衝動にかられて、十数人の仲間とともに三年前フィリッピンのミンダナオ島を訪ねた。
私たちが、その地域のなかに見た現実と運動は、私たちの日本で捉える地域の概念を一変させた。収奪され、破壊され、捨てられた民衆と地域とが生存をかけて闘っていた。
それを近代先進社会の裏面として捉えたとき、地域は世界と地球の危機の縮図であり、その闘いなしに生きられぬ民衆の中に、活動家の思想と行動が育まれることを実感した。
二.自立を基本とする運動づくり
私が所属する北摂生活者(トータル)ユニオンは、五年前に既存の労働組合基盤からの自立を出発点として発足した。労組の支援を否定したわけではないが、衰退する労組の限界を知った私は、活動の重点を地域、生活領域に移した。
何故なら、地域には闘いが存在していた。総合的な生活者運動の地域センターを自立的に運営することからスタートした。
大阪の北摂地域というのは、大阪北部の七市三町、一部の農山林地域をかかえる人口一七〇万人の近郊都市である。経済・文化圏としては阪急沿線の宝塚線と京都線の地域に分かれるが、私たちは京都線沿いの吹田市、摂津市、茨木市、高槻市に地域センターをつくり、財政基盤を各センター維持会員の会費またはカンパの自立路線に置いた。
しかし、それは既にそれぞれの地域で人権、環境、教育、教育、障害者、在日外国人、女性問題などの市民活動メンバーと、パート・未組織労働者の労働相談や争議支援に取り組む労組活動家たちによる共同センターが機能していて、それを母体に地域ユニオンという合同労組機能を内包した運動体に組織したのが、生活者トタールユニオンというわけである。
この運動は、底辺の未組織労働者の労働相談、労働者の人権と雇用を守る闘いをベースに、企業、管理社会が排除したアウトサイダー市民の相互支援、助け合い組織として地味な活動を持続している。
三.地域生協が開いた運動地平
一方で私たちは、同時並行的に七年前から北攝・高槻生協という地域購買生協を始めていた。
農業地区で休眠していた地域生協を継承して、大量流通の中で切り捨てられた小規模生産者の農業掘り起こし運動を取り組み、有機栽培、無・省農薬の新鮮野菜、米作りを組合員、消費者の組織拡大に繁げた。七年間で約一〇〇軒の生産農家の組織化、三〇〇〇を越える消費者の配送組織と六店舗の販売網をつくることができた。
組織活動の結果として言えば、地域ユニオンの組合員は四都市の広域で一〇〇名足らず、生協購買組織でいえば、一都市で三〇〇〇名ということになるが、これを生活者トータル運動の組織として見るには無理がある。両者の組合員の意識化、様々の運動の重層化が進み、それが地域の新しい生活共同体として定着したとき、その運動の存在がおそらく構成員の意識を決定することになるだろう。
しかし、七年前に組織も運動も目に見えなかったものが、いま私たちの目の前に地域ユニオンも地域生協も厳然と存在する。すなわち購買生協関連で働く労働者が約六〇名、年間総売上高約十億円という主体的な物質的基盤が実現した自前の力は、さらに将来の展望を切り開く力として持続していくだろう。
私は、このように市民、労働者が主体的につくりだす生活者運動を、広義の労働運動として捉えたとき、既存の職域に限定された労働組合の機能では捉え切れない生活分野の市民、労働者像が組織化、運動化の対象として浮び上がってくるのを感じる。
最初の話に戻ると、この私たちの生活者運動にヒントをえたフィリッピンの女性活動家は、ミンダナオ島で小さな地域生協を始めた。そこには土地を奪われた農民、漁場を汚染された漁民、多国籍企業から首を切られた労働者、そして人権侵害と闘うインテリゲンチャが自立的なもうひとつの地域社会を作り出す運動を開始したのだ。
その中には、地域が世界と繁がり、生きた思想こそが国際連帯を生む事実を私は体験したのである。今日の社会運動、革命運動の閉塞状況は、自立した地域のもうひとつの社会作りから突破できるのではないか、そんなことを地域から考える今日この頃である。