焦点 世界文明の山が動く ブッシュの侵略戦争に協力しない  野村光司
特集 自民党・財界の「大連立」工作の挫折と野党連合の構築

強まる内外の圧カ−深まる福田政権のジレンマ―危機を激化させるアメリカの新世界軍事戦略への従属―  労働運動研究所 柴山健太郎
日本の積極的な平和外交が問われている―給油継続論議に抜け落ちているもの― ジャーナリスト 蜂谷 隆
ワーキングプア出現の背景と新ユニオン運動     労働運動研究所 大力 
自公新政権に対する野党連合をいかに築くか―社会、国家、政党、民主主義―   労働運動研究所 植村 邦
奇奇怪怪の原子力行政 浜岡・柏崎刈羽・六カ所・もんじゅ・東海村     東海村臨界事故を忘れない930の会 望月 彰

小泉・安倍政権にいたる現代政治史への序論―政治過程の分析ツールとしての「変異主義」と「受動的革命」―  「東京グラムシ会」会員 大竹政一
メルケル政権の2年間とドイツ政界の再編成の兆し―大連立政権下で精彩を欠く社民党の新綱領― 工学院大学 小野 一
好転する朝鮮半島情勢と韓国大統領選挙           朝鮮問題研究者 大畑龍次
「和解と共生」の政治家・政治家謝長廷氏を語る―台湾大統領選挙の与党・民進党候補のプロフィル―    兵庫県立大学 吉田勝次
中国労働運動の現状と到達点           兵庫県立大学大学院博士後期課程 王 珠恵
イタリア民主党の創立―波乱含みの政局の中の船出―   在ローマジャーナリスト 茜ケ久保徹郎
EUのジエンダ−平等政策の展開−昨日・今日・明日―2007年は「ローマ条約50周年・万人のための均等年」―  女性労働評論家 柴山恵美子放射能毒殺(ポロニウム−210)事件をめぐるジョレス・メドヴェージェフの洞察         抄訳・解説 札幌学院大学経済学部教員 佐々木洋

〈書評〉
評者 植村 邦 B・エーレンライク(曽田和子訳)『捨てられるホワイトカラー』東洋経済新報社刊 定価1800+税

夏季ガンバへのお礼
年末カンパと誌代・会費納入のお願い
編集後記


労働運動研究復刊第18号 2007.12

焦点
 世界文明の山は動く ブッシュの侵略戦争に協力しな


 人間は、その時の自然的・社会的環境に受動的に影響されながら、能動的に環境に関わり個別の民族、国家、世界の指導的文明を作る。かって東に中国・ソビエト文明があり西にメソポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマ、中欧、イギリスと文明の所在が移り20世紀はアメリカである。これが指導的なのは、異人種を迎え入れ、世界規模で人権、民主、法治の政治を進めたことにあり、今やグローバリズムの根拠地である。
 しかし人間の寿命のように文明にも寿命がある。寿命の必然を抱えながら偶然の契機で急速に衰退もする。2000年の米大統領選挙でフロリダの票に疑問があり再調査すれば殆どブッシュの敗北となったのに、時の最高裁はそれを押さえ、ブッシュを勝たせた。事実を明らかにしこれに法を適用する司法の使命が放棄されてネオコンと宗教右翼と石油資本とに支えられたブッシュ政権が誕生した。
 この頃中東で、同じく過激宗教と石油マネーのサウジ・アラビアを背景にビン・ラディンとアルカイダが生まれ9.11のテロとなった。ブッシュのアメリカはこれに犯罪者としてではなく、イスラム世界への十字軍気分を高揚させた。アフガンの場合はまだしもイラクの場合はアメリカに何の攻撃もないのに、先制攻撃論により核兵器開発を虚構し国連憲章に違反する侵略戦争を始めた。捕虜に対する拷問なども明らかになりアフガン・イラクの戦争は一体で解釈できブッシュの戦争は、アメリカが努力して築き上げた人権、民主、法治の価値を破壊する大義なき侵略戦争となった。急速に世界で敵を増やし、友を失い、世界での指導性を失った。

 同じ頃、日本に妖怪のごとき小泉政権が生まれた。「自民党をぶっ壊す、首相になれば靖国参拝だ」。「自民党」とは竹下派のこと、その牙城たる郵政と道路と農村の破壊に実績を挙げた。靖国参拝は憲法20条の政教分離と憲法前文の国際協調の精神に背く。その小泉に、ヒトラーに熱狂したドイツ人のように若者を中心に支持が集まり、集団主義日本では珍しい冷血・独裁政治となった。「俺の意見に同調せぬは抵抗勢力」と、一法律案の参議院の否決で数百名の衆議院議員の首を刎ね、好まぬ候補者には刺客を放ってこれを発した。憲法では行政権の頂点は内閣であり首相は内閣の決定を代表して執行する機関に過ぎない(63条、72条、73条)。この内閣の一機関の首相が、全国民の代表者で構成され国権の最高機関たる立法府議会の議員全員の命を恣意的に奪える権限などあるはずはない。衆議院で不信任を決せられたときのみ解散ができるのだ(67条)。この憲法法理を破壊したのはバカヤロー解散の吉田とこれに迎合した最高裁の「統治行為論」であった。その帰結に小泉がある。
 小泉は衰退のアメリカに密着し、その小泉に公明党が密着して、イラクに、インド洋に米軍の「兵站・輜重・工兵軍」を送った。
二重、三重の憲法違反である。人類共通に最大の犯罪は殺人である。国連憲章・日本国憲法に違反する戦争で既に10万人が殺した巨悪が進行している。ブッシュは国内でこけ、小泉・安倍政権も終わった。在来のアメリカ文明には協力してもブッシュの戦争への協力は、とにかく止めねばならない。(N)  



 編集後記             「大連立」騒動は大山鳴動してねずみ一匹の感で終息し、民主党は大阪市長選(1L18)の勝利で態勢の挽回に成功したように見える。その名に値する「大連立」構想ならば、それぞれの大政党がいかなる政治を、いかなる政策を実行しようとしているのか、広く国民の前に提示しつつ、開かれた形式で議論しなければならないはずであった。本号特集、蜂谷論文は「新テロ特措法」に関してこの見地から問題提起をしている。
○参院で民主党が絶対優位を占めた結果、政府が任命する高官のリスト(案)で28人中、3人が不同意とされた(11、14)。不同意が生じたのは1951年以来である。不同意の理由は「官僚の天下り」とされているが、これはいかにも形式的である。当人の経歴、実績を評価して判断されるべきである。従来、「審議会委員」などは政府の目がねにかなった「専門家」が任命されてきたが、各政党は、「専門性」なるものが国民の目からも評価されるように促すことが必要である。
○紙数の制限から久保田敏「思い出すことなど」は休載としました。(UM/07.l1,20)

    強まる内外の圧力―深まる福田政権のジレンマ

   −危機を激化させるアメリカの新世界軍事戦略への従属−

                 

                    労働運動研究所 柴山健太郎

 

 挫折した自民・財界の大連立工作

 

112日の自民・民主党首会談における福田首相の大連立提案は、政界を揺るがす激震になった。民主党役員会の強い拒否反応に小沢党首が辞意を表明し、民主党の政権交代に期待した国民の間に衝撃が走った。民主党の受けたダメージは大きく、分裂を恐れた民主党執行部は一転して小沢氏の慰留に動いた。小沢氏もこれを受けて117日の民主党両院議員懇談会で、混乱をまねいたことを謝罪して辞意を撤回し、「総選挙に政治生命をかける]ことを表明し了承された。

この一連の政治過程で改めて明らかになったことは、アメリカの「虎の威」を借りた自民党首脳の権謀術数のすさまじさである。今の自民党には、93年に結党後初めて下野した時のトラウマが骨の髄まで染み付いているようだ。あれ以来、自民党は権力維持だけが唯一の目的で、そのためにはいかなる術策も辞さない「仁義なき党」に変身した。94年には新生党の羽田政権を倒すために社会党左派の村山富市氏を首相に担いで「自社さ連立政権」を樹立し、98年の「金融国会」では小渕政権は民主党の政策を丸呑みして金融危機を切り抜けた。99年には不倶戴天の敵の小沢一郎氏に「ひれ伏して」まで小沢自由党との「自自連立政権」に動いた。さらに「景気対策」と称する公明党の1兆円の「地域振興券」発行の要求を丸呑みしてまで抱き込み「自自公連立政権」を発足させた。そうした彼らのこれまでの手口から見れば、今回の「大連立」などは簡単な仕掛けだったろう。

それにしても百戦錬磨の小沢代表までがマンマと乗せられた理由は、いったい何なのか。まず考えられるのは、民主党代表に就任する時に自ら「変わる」ことを宣言したはずの小沢代表に参院選の大勝後に再び驕りが生じ、党内における自らの政治力を過信した。さらに国連決議に基づく自衛隊の海外派遣のための恒久法の制定や民主党のマニフェスト実現には大連立の方が有利という誤った政治判断に基づいて独断専行したことである。彼の行動は「総選挙による政権獲得」という民主党の路線を踏みにじるもので、党内だけでなく野党、連合、広範な国民から「裏切り行為だ」という強い批判を浴びることになった。こうした予想外の強い拒否反応にあって、党は自分の選択に必ずついてくると確信して行動した小沢代表は動揺し、辞意を表明した2日後に、「恥をしのんで」党幹部の慰留を受け入れ謝罪し続投表明を行なうなど、「剛腕」といわれたこれまでの彼に見られないほど、激しい動揺を見せた。

だが何より小沢代表が決定的に見誤ったのは、世論の動向だった。政府・与党や財界首脳は「衆参ねじれ国会」を国家の危機のように騒ぎ立てた。だが国民は「衆参ねじれ国会」を大いに歓迎し、これによって厚生労働省の年金疑惑やC型肝炎患者に関する資料隠しや防衛省と軍需専門商社の買収工作や不正調達などこれまで隠蔽されてきた不正や腐敗が次々と暴かれることに喝采を送った。国民が望んでいるのは年金・福祉などの要求の実現だけではなく、自民党の長期政権が生んだ政・官・財界の癒着・腐敗構造の徹底的な改革である。自民党との大連立政権などができれば、こうした積年の利権構造と腐敗の改革は達成されるどころか、温存されいっそう悪化させることを国民はこれまでの経験と生活実感から痛感しているからである。最近の政治家、高級官僚、財界人のモラルの低下は、こうした自民党の長期政権の腐敗から来ることは誰の目にも明らかである。小沢代表が見誤ったのは、こうした歪んだ社会を徹底的に改革したいという国民の強い意志なのである。

民主党は、参院選後、小沢代表の強力な指導下での「法案の嵐作戦」で自民党を圧倒する勢いを見せていたが、今度の事件で一転してピンチに見舞われた。他方、福田政権は、テロ特措法の期限切れで海上自衛隊がインド洋から撤退しても新法制定の見通しも立たず、その他の法案も1件も国会を通過させることができず、完全な手詰まりに陥っていた。それがこの騒ぎで、一転して息を吹き返し、反転攻勢に移るチャンスを掴んだ。

民主党の混乱は、小沢党首の反省と連立否定、続投表明で収まったが、野党、連合や党員・支持者や一般国民の間での不信感の払拭には、今後いっそうの努力が要求されるだろう。だが民主党が小沢代表の独断専行の弊害を現実に経験し、党内の意見の対立を不十分ながら民主的な話し合いを通じて克服し、小沢代表に独断専行を反省させ戦列に復帰させたことは、若い政党である民主党の成長にとって大きな意義を持つものと考える。

今度の事件は、民主党に大きなダメージを与えたが、政府・与党に対する国民の不満が依然として根強い現状では、民主党にどんな弱点があって今後の活動で再び盛り返すことは十分に可能である。

他方、自民党にとっては、全く予想外の展開になったといえる。この大連立の仕掛け人の渡辺恒雄氏(読売新聞本社代表取締役会長)はこの構想に「成功率は300%」と満々たる自信を持っていたらしいが、見事に挫折した。逆に言えば、これは、世論の大きな勝利だった。だが福田首相にとって、この「大連立」構想はいわば「最後の切り札」だった。この切り札を早々と切ってしまい、しかも挫折したことは、今後政府・自民党にはボデイ・ブローのようにきいてくるだろう。特に今回の大連立騒ぎが公明党・創価学会に与えた衝撃は大きかった。これは公明党・創価学会幹部を仰天させ、自民党にいっそう擦り寄らせる効果を挙げたが、その一方で政府・自民党首脳に対する疑心暗鬼を生じさせ、不信感が増大した。それが総選挙での自公協力に悪影響を与え、選挙結果に重大な結果を招くおそれが強まった。

それでなくても、安倍首相の憲政史上例を見ない政権投げ出し後に発足した福田政権は、当初からぬぐい難いジレンマを抱えているのである。

発足直後、朝日新聞は「リアリズムの復権」(924日『朝日新聞』)という記事を掲げ福田新政権を次のように論評した。

「安倍首相は、市場の力を重く見た小泉政権の新自由主義路線と、その反動として国家の威信を強めようとした己の新保守主義路線との股裂きにあった。福田氏の政治姿勢には、小泉政権が市場主義という名の価値観をとことん追求したようなぎらぎらしたところはない。・・・その福田氏のジレンマはしかし深刻だ。小泉氏が壊そうとした伝統的な自民党の残滓と、小泉時代が生みつつあった自民党新世代の萌芽。構造改革の見直しと推進。こうした矛盾する勢力を身内に抱えているということだ。そして、より有権者に近いといえる都道府県票を麻生氏とほぼ二分した(筆者注:自民党党首選)、という厳しい結果を胸元に突きつけられての船出である。・・・・福田政権は、危機管理的な選挙管理内閣の性格を帯びざるを得ない。」

 

民主党の「法案の嵐作戦」

 

 その意味で、参院戦後、民主党が福田政権を早期解散総選挙に追い込むためにとった野党の団結と民主党の「法案の嵐作戦」の路線は、正しい選択だったといえる。

民主党は、参院選挙において「国民の生活が第一」というスローガンを掲げて改選議席32議席をほぼ倍増する60議席に躍進し、逆に自民党は改選議席64議席を37議席に、公明党は12議席を9議席に減らす惨敗を喫した。その結果、「衆参ねじれ国会」が出現したが、それを象徴的に示したのが参院本会議における民主党代表・小沢一郎氏の首相指名だった。これまでも衆参両院で首相指名が異なり、自民党党首が参院で首相指名を受けられなかった例に小渕恵三、海部俊樹の両首相がある。だが従来と全く異なるのは参院で民主党という巨大野党が出現して野党が過半数を制し、参院の議長を始め大半の委員会の主要ポストを握り、法案成立の主導権を握ったことであった。

福田政権は、「衆参ねじれ国会」の下で、発足当初から「クリンチ(抱きつき)作戦」をとり、与野党協議路線の誘いをかけたが、民主党はこの手には乗らなかった。それどころか、福田新政権の「福祉切り下げ」見直しによる「構造改革」の継承路線との対決姿勢をいっそう鮮明にし、早期の解散総選挙に追い込む方針を打ち出した。この方針によって参院選直後に、打ち出されたのが「法案の嵐作戦」であり、参院選マニフェスト(政権公約)に掲げた政策の法案化を急ピッチで推進された。

民主党はまず、臨時国会の開会早々、「年金保険料流用禁止法案」(年金保険料の給付以外の使用を禁止する法案)、及び「被災者生活再建法改正案」(被災者の住宅再建費にも支援金を支給する法案)を参院に提出した。さらに続けて「障害者自立支援法改正案」(障害者のサービス利用者の1割負担を凍結する法案)、「肝炎対策緊急措置法案」(ウイルス性肝炎患者の医療費補助を行なう法案)、「政治資金改正法改正案」(公開を前提に1円以上の領収書提出を規定する法案)、「農業者個別所得補償法案」(農産物の市場価格と生産費の差額を補償する法案)、「子ども手当て創設法案」(中学卒業まで1人月26000円を支給する法案)、「イラク特措法廃止法案」(自衛隊のイラク派遣を直ちに終了させる法案)、「独立行政法人・特殊法人見直し法案」(3年以内に原則廃止か民営化)、「年金制度改革法案」(制度を一元化し基礎年金を全額税方式)などを提出、ないし提出準備を急いでいる(第1表)。

民主党の藤井裕久税制調査会長は、1010日、朝日新聞のインタビューで、年明けの通常国会にこれまで提出した諸法案の財源確保の道を示す「財源捻出関連法案」と「税制改正関連法案」を提出すると語った。藤井氏によると、「財源捻出法案」では歳出削減や予算配分組み換えの具体策を示し、子ども手当て創設や農業個別補償など、党の公約実現に必要な財源を153000億円と算出し、その財源確保を目指すと述べた。この方針では地方自治体へのひも付き個別補助金の一括交付金化、特殊法人・独立行政法人や特別会計の廃止などを想定し、党の「ムダづかい一掃本部」で具体化を進める。税制では、所得税や証券税制の改正を含む「税制改革大綱」を本年12月までにまとめ、道路特定財源を「自民党族議員の利益誘導手段」として一般財源化を打ち出す方針で、来年3月に期限が切れる揮発油税(ガソリン税)の暫定税率を、ゼロ税率まで見直す「リセット法案」を検討し、予算関連法案をめぐる来春の攻防に備えるという(第2表)。

 

生活法案で防戦に追われる政府与党

 

かくして福田政権は、臨時国会における民主党の波状攻勢に防戦する一方、年金、医療、介護、C 型肝炎訴訟対策、被爆者認定の見直し、被災者生活支援、米価対策などさまざまな分野で噴出し始めた国民の不満への対応に追われ、同時に政府・与党内部の消費税引上げをめぐる対立や不満に対処するという、これまでにない難局に直面することになった。

特に参院選後の政治情勢で特徴的なことは、与野党の対決機運が大衆運動の高まりを生み出したことである。沖縄戦「集団自決」における日本軍の強制を削除した教科書検定に抗議する沖縄11万人集会、原爆症認定制度改善を求める被爆者の運動、薬害肝炎訴訟の和解を求める原告団の動き、水俣病救済策を求める被害者団体の運動、労働者派遣法改正を求める連合、全労連、野党4党の統一行動の動き、1011日の連合大会における結成大会以来の方針の大転換(連合の活動の中心を大企業、公務員などの正社員労組中心の利益団体からパート、契約、派遣労働者などあらゆる形態の労働者と連帯する福祉型労働運動母体への転換、非正規労働者の支援・連携の強化、組織化に最優先で取り組み、「非正規労働センター」を設置し、労働条件の引き上げを図る方針を打ち出したことなども注目さるべき動きといえよう。

政府・与党にとって、特に厄介なのは民主党の「法案の嵐作戦」に対する対応だった。民主党は10月第4週までに上記の「年金保険料流用禁止法案」など6法案を参院に提出し、今国会中にさらに11法案を相次いで参院に提出する方針をたてて実施に入った。これに対し自民党も、態勢を立て直して対抗戦略を練って民主党に応戦し始めた。

自民党の対抗戦略は、民主党提案の法案をA~Dに4分類し、Aは「全面的に受け入れ、与野党統一法案にする」、B「野党案に部分修正を求めた上で賛成する」、継続審議、廃案などの方法で選別して対処するというものである。

10月末現在の臨時国会における主要法案の審議の進行状況を示したのが、第1表である。

最低賃金改正案については、民主党は1031日の衆院厚生労働委員会で対案の趣旨説明をしたが、「一日も早く成立する状況をつくるために」政府案の修正を与党側に働きかけている。成立優先のために民主党が政府案にほぼ近い線まで歩み寄れば与党も受け入れ、117日にも衆院を通過し、会期内に成立する可能性も出てきた。

その他の法案の中で、民主党が最も重視するのは「年金保険料流用禁止法案」と「障害者自立支援法案」である。「年金保険料流用禁止法案」はすでに925日に参院で審議に入っている。だが「障害者自立支援法案」の方は、928日に参院に提出されているが、いまだに審議に入っていない。今のところ「年金保険料流用禁止法案」の参院における通過時機が残りの法案の行方を左右することになるので、民主党もこの法案の早期通過に全力を挙げている。「政治資金改正法改正案」については、民主党は当初、与党との事前協議にはいっさい応じない姿勢だったが、中途から態度を変え、与党と事前協議を行なう方針になり、1031日に与野党協議を111日から開始することを決めた。だが与野党間には領収書の公開基準などで大きな溝があり、民主党は週明けまでに合意ができなければ独自法案を参院に提出する方針を決めた。また「被災者生活再建支援法改正案」も、民主が参院、与党が衆院にそれぞれ法案を提出しているが、住宅本体への債権支援を認める点では一致しており、対立点は支援額の上限や過去の再建への適用問題だけなので、審議入り後に与野党の法案の一本化を模索する動きが強まっている。

 

 対テロ法案では強行突破に転換

 

臨時国会で最初に福田政権が直面した最重要の政治課題は、111日で期限切れになるテロ特措法の延長問題だった。民主党を始め野党の強硬な反対で、政府は1017日、現行のテロ特措法を大幅に削減した「補給支援法案」の提出を閣議決定した。この「補給支援特措法案」では、従来のテロ特措法が「基本計画」で記述していた自衛隊の派遣規模、部隊構成、護衛艦の隻数などの「装備」「活動地域の指定」などは削られ、「実施計画」に移された。しかも重大なのは上記の「実施計画」を含め、「自衛隊」の活動をチェックすべき国会承認条項が削除され、「シビリアン・コントロール」が排除されていることである。

小沢代表は、この「補給支援特措法案」に対しても、テロ特措法と同様、「アフガニスタンでのテロ掃討作戦は、ブッシュ大統領が国連のお墨付きを得ずに始めた米国の戦争である」、「海上自衛隊の給油支援は米国の自衛権発動を支援するもので、たとえ国連決議で形式を整えたとしても憲法違反だ」として、反対の態度を変えていない。

さらに政府・与党にとって頭の痛いのは、法案審議の始まった矢先に給油問題の資料隠し疑惑が暴露されたことである。特に問題になったのは、20033月のイラク戦争勃発当時の福田官房長官や石破防衛庁長官が「海上自衛隊の給油活動が米海軍のイラク攻撃に転用された」という疑惑を否定するために、米空母キティフオーク等への給油量を実際には80万ガロンだったの20万ガロンと意図的に過小に報告したのではないかということである。しかもこの問題の発覚が、民間の市民団体の「ピースデポ」が米国政府の公文書に基づき事実を暴露したことにあった。これが衆院予算委員会で取り上げられて、初めて石破防衛相が「80万ガロン」と再修正した。だがこれを裏付ける海上自衛隊の航海日誌の情報公開を求められると、防衛省はそれらの航海日誌が「規定に反して誤って破棄された」と発表した。そのために、野党から「明白な証拠隠滅であり、シビリアン・コントロールの根幹を揺るがすものだ」としていっそう激しい追及を受けることになった。

さらに防衛省幹部追及の攻撃の火に油を注いだのは、軍需専門商社との癒着問題だった。当時、防衛庁中枢にいてこの問題を処理した防衛庁防衛局長だった守屋武昌前事務次官や久間前防衛相など幹部職員が軍需専門商社から長年にわたり、自衛隊員倫理規定に反する接待を受けていたことが次々と暴露され、これが「補給支援特措法案」に対する野党の反対をいっそう硬化させた。

 

 修正された小沢ISAF参加論

 

さらに「テロ特措法」をめぐる与野党の論戦の中で、大きな問題になったものに、小沢代表の「国際貢献論」に関する発言がある。小沢代表は、「対案を出さずに反対だけ言うのは無責任だ」「国際公約を果たさずに日本だけが反テロ戦争から撤退すれば日本は国際的に孤立する」などの自民党のキャンペーンに対抗するために、「国連中心主義に基づく積極的な国際貢献」という姿勢を打ち出した。

彼は、『世界』11月号に「私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば国連決議でオーサライズされた平和活動であるISAFNATOを中核に37カ国が加わる国際治安部隊)への参加を実現したい」と述べ、「国連の平和活動は国家の主権を超えたものであり、これに参加することは、武力行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない。むしろ憲法の理念に合致する」と述べた。だがこの小沢氏の「国際貢献論」によれば、「ISAFの治安維持活動への参加は法的には可能ではあるが、いかなる形態で参加するかはその時の政府の判断による」、「争いのもとは貧困だ。銃剣でテロは解決できない」として、食糧・医療支援など民生分野の活動に参加を強調しており、単純な自衛隊のISAF参加論ではない。

だがこの小沢論文には、社民・共産両党などからも「ISAFの治安維持活動への自衛隊の参加は武力による国際紛争解決を禁じた憲法違反だ」という強い批判を浴びた。

そこで民主党は、116日、小沢提案に対する批判を取り入れ、海上自衛隊のインド洋での給油活動を継続するための補給支援特措法案への対案をまとめた。対案の仮称は「アフガニスタン支援・テロ根絶特措法案」で、同党の外務防衛部門会議に示されたものである。その要点は、次乗っ取りである。

民主党対案の骨子]

@自衛官を含む専門家を文民として派遣。ISAF(国際治安支援部隊)本体、その後方支援には参加しない。

A活動は民生部門に限定。停戦合意後か民間人の被害の生じない地域に限定。

B基本計画は国会の事前承認。活動期間は原則1年間。

C部隊規模の戦闘発生、そのおそれがある場合には直ちに全員撤退。

Dインド洋の海上阻止活動が国連決議に基づく国連の活動になった場合は、参加を検討。

A戦闘部隊を含まず、人道復興支援やインフラ整備等に限定。停戦合意後

この対案ではISAFについては「効果を挙げていない」とし、ISAF本体やその広報支援活動への参加を見送る方針を示している。一方では、ISAFの指揮の下で復興支援にあたっているPRT(地域復興支援チーム)への参加をはじめ、民生部門に限定した支援を実施する。具体的には、農地の復興による食料生産の確保、医療の提供、被災民への援助物資の輸送、治安維持改革の4分野を挙げている。活動形態は自衛隊、警察官・医師などの文民、自衛隊と文民に共同作業の3形態を組み合わせる。活動計画は国会の事前承認を得るとし、活動期間は1年間、武器使用基準は緩和し、[国際基準]とし、[自衛隊は民間人の警護はしない]としている。

この対案で、憲法第9条との関連で問題になると思うのは、国連憲章第7条に下で、集団安全保障のための武力行使を容認する「基本原則を明記」することも盛り込まれ、平和創出のための軍と民間の混成部隊である「国連混成部隊(UNEPS)」の常設に向けて、日本が主導的な役割を果たすとしている点である。これを実現するには憲法第9条改正が必要になるわけで、今後大きな論議をよぶとみられる。

 

「対テロ戦争」−冷戦後のアメリカのヘゲモニー再構築をめざす世界戦略

 

今回の臨時国会の「テロ特措法」をめぐる与野党の論戦の特徴は、海上自衛隊の給油のイラク攻撃へ使用、給油量の国会報告の誤りや情報隠し、アフガン支援の民生・医療支援への転換などにあったが、アメリカの「対テロ戦争」やアフガン戦争自体についての議論は殆ど展開されなかった。今後、給油支援に代わる恒久法案の提案などが浮上すると思うので、アメリカの「対テロ戦争」の政治的本質についての論議を深める必要がある。

アメリカのいわゆる「ならず者国家」に対する「対テロ戦争」の政治的本質は何か。それは単なるテロ対策ではなく、「対テロ戦争」の名を借りたアメリカの新しい「世界軍事戦略」だということである。つまり、一方では冷戦崩壊後のポスト・フオーデイズム型の資本主義のグローバリゼーションの進行と、他方ではEU、アジア、南米諸国の急速な経済発展と地域経済圏・共同体の形成の動きなどにより、アメリカの政治的・経済的・軍事的地位が相対的に低下しつつある条件下で、自らのヘゲモニーの再構築と中東、中央アジアにおける石油、天然ガスその他の資源の確保を目指すもので、20029月に策定された「単独行動主義」とともに、アメリカの新しい「世界軍事戦略」を構成しているのである。

第3表は、1989年の冷戦崩壊から現在に至る、主要な国際紛争の一覧である。これによると、この18年間に、1990年の湾岸戦争、1999年のコソボ紛争におけるNATO軍のユーゴスラビア侵攻、2001年の米英を主体とする多国籍軍のアフガン侵攻、20033月の米軍のイラク侵攻など、全世界を巻き込む4度の大規模な国際紛争が勃発しているが、これらの紛争の元凶はすべてアメリカだということである。

まず湾岸戦争だが、史実によれば、この戦争の発端は19908月にイラク軍がクウエートに侵攻したことである。同年11月、国連安保理事会は「イラクが91115日までクウエートから撤退しなければ、加盟国が武力行使を含むあらゆる手段をとる」という決議を行なった。91117日、この決議をたてに米軍を主体とする多国籍軍が「砂漠の嵐」作戦を発動し、バグダッド空爆を開始、わずか1ヶ月間にイラク領内に第2次世界大戦中に使用したより多量の高性能爆弾が投下された。224日には多国籍軍が対イラク地上戦闘を開始、225日にイラク軍がクウエートから撤退を開始、228日停戦、46日に国連安保理事会がイラクの停戦決議受け入れを確認し、湾岸戦争が終結したとなっている。

この当時、日本では湾岸戦争についての論議は低調だったが、欧米左翼の論議は非常に活発だった。

湾岸戦争が勃発した直後に、欧米左翼に大きな影響力を与えていたイギリスの左翼理論誌『マルキシズム・ツデイ』は91年3,4月号で特集を組み、エリック・ホブズボウム、メアリ・カルドア、マイケル・ギルセナン、ジョージ・ジョフ等の著名なマルクス主義理論家が湾岸戦争について論陣を張った。またドイツ最大の週刊誌『シュピーゲル』誌は、912月の諸号で湾岸戦争支持のエンツンスベルガーの論文「ヒトラーの亡霊」、これを批判するペーター・グロッツ(ドイツ社民党元幹部会員)の反論「不正義な戦争」などを紹介している。さらにアメリカ共産党機関誌『ポリテイカル・アフエアーズ』も913月号で、ガス・ホール書記長の全国委員会報告における湾岸戦争批判を掲載した。(当時、労研国際部の手嶋三郎氏と私が中心になり、これらの欧米左翼の論評・資料を翻訳し、日本評論社の『経済評論』誌916月号に湾岸戦争特集『欧米左翼が見た湾岸戦争』を発表した。)

ガス・ホールは、湾岸戦争に関して次のように述べている。

「イラクの侵略とクウエート占領は、この国の膨大な石油資源を奪取するためのあからさまな侵略であった。世界の大半の諸国はこれを侵略として非難した。アメリカとイギリスの石油帝国主義にとっては、イラクの侵略はイラクの石油資源に対する支配を再確立し、湾岸地方全体に対する自分たちの支配を確立する絶好のチャンスだった。」

「ブッシュ(注:現ブッシュ大統領の父)にとっては、フセインほど好都合な引き立て役はいなかった。事実、フセインはクウエート国境に大軍を動員し、攻撃準備をすべて完了した後も、彼はさらに2日待ったのである。クウエート侵略直前のこの2日間に、アメリカのイラク駐在大使は公式にフセインに次のように述べた。『われわれは2つのアラブ諸国間の問題に干渉するつもりはない。それはあなた方の問題だ』。フセインにとっては、これはアメリカがクウエート侵略に青信号を出したに等しかった。アメリカは、イラクの侵略後に自分自身の秘密のスケジュールを実現するために戦争の準備を開始した」。(注1)

アメリカ帝国主義の伝統的な外交・軍事手法は、相手を挑発して先に手を出させて大義名分を確立し、内外世論を一挙に自らにひきつけた上で、徹底的に叩くという戦術である。湾岸戦争の場合も、この手法が典型的な形で展開されたのである。

ホブズボウムも、上記の『マルキシズム・ツデイ』誌の論文「この愚かな戦争」のなかで、1966年にイラクが「クウエート王国はイラクの19番目の州だ」と決め付けて侵略の脅しをかけたときに、イギリスがわずか6000名の部隊を現地に空輸し、23週間駐留しただけで、それ以降イラクの脅しはぴったりや止んだ実例を挙げている。もし908月初め、イラクの大軍がクウエート国境に集結した時点で、当時のブッシュ米大統領がフセインに警告を発していればイラクのクエート侵略は避けられ、湾岸戦争は発生しなかったことは確かである。

この湾岸戦争に関する論評で注目されたのは、メアリ・カルドアの論文「近代性と非近代性の空想的戦争」(注2)である。

カルドアは、第2次大戦から朝鮮戦争、ベトナム戦争を経て湾岸戦争にいたる政治過程を分析して、湾岸戦争の政治的本質を追求した。彼女はいう。

「第二次世界大戦はフオーデイズムの戦争だった。連合国に勝利をもたらしたのは、大量生産と内燃機関の組み合わせだった。アメリカとソビエトの生産能力は、ドイツのそれを抜き、ドイツは敗北の瀬戸際まで追い詰められた。」

カルドアによると、戦後の冷戦は、「国際的諸関係を編成する一つの方法」であった。つまり、「資本主義のフオーデイズム的変種と社会主義のスターリン主義的またはポスト・スターリン主義的変種」が並存し、闘争するどころか相互に必要とし、補完しあい、「19481989年の期間を規定する共同の世界秩序の中で結合」されていた。

ベトナム戦争を転機として、冷戦は資本主義体制の経済的・政治的安定の障害になり、戦後のブレトン・ウッズ体制に基づくドルの固定為替相場制は崩壊し、日本と西欧が躍進する一方でアメリカの国際政治・経済における地位は相対的に低下した。他方、戦争技術の発展‐宇宙空間の人工衛星から指揮される新しいハイテク兵器、コンピュータ制御のスマート爆弾やステルス爆撃機など−が戦争の様相を一転させた。

かくしてカルドアは、「湾岸戦争はポスト冷戦の世界秩序の支配をめぐる闘争‐アメリカの指導権を保持し、フオーデイズム的政治制度を保持するポスト・フオーデイズム(ネオ・フオーデイズム)世界経済の政治的調整の一つの形式を打ちたてようとしたものである」と主張する。

ここで問題になるのは、この湾岸戦争から最大の利益を引き出したのは誰か、ということである。それは明らかに米国支配層、とりわけ産軍複合体と国際石油独占資本(メジャー)だった。1989年の「ベルリンの壁」の崩壊と前後してソ連・東欧の現存社会主義体制とワルシャワ条約機構が消滅し、冷戦は崩壊した。この時機は、欧州の緊張緩和を背景として欧州共同体(EC)の市場統合が、経済的側面と社会的側面を「車の両輪」として順調に発展を続ける一方、東西の軍縮の進行によりNATOの存在意義が問われ、欧州における米国の政治・経済・軍事の全分野における影響力の低下が誰の目にも明らかなった時機だったことである。

そのアメリカとNATOが、湾岸戦争を契機に一挙に息を吹き返した。米英両国の国際石油独占資本(メージャー)はイラク、クウエート、サウジアラビアなどの湾岸諸国の石油資源の支配を再確立し、冷戦崩壊後の軍縮路線で苦境に陥っていた米国の産軍複合体も、湾岸戦争と戦後のサウジアラビアその他の諸国の軍拡特需で巨大な利益を上げた。

サダム・フセインの野心は、まんまとアメリカ支配層の世界戦略に利用されたのである。

 

コソボ紛争の平和的解決は可能だった

1999年3月24日のNATO軍のユーゴ侵攻も、やはり米国の挑発だった。

この時点で、米国がなぜNATO軍を使って戦争を挑発したのか。この戦争もやはり欧州連合(EU)の通貨統合の成功と無関係ではない。この年の11日、EUはフランス、ドイツ等11カ国で単一通貨(ユーロ)を導入し、新たな発展に向けて踏み出した矢先だった。EUは、NATO軍のこのユーゴ侵攻で、まさに出鼻を挫かれたのである。

アメリカは、ユーゴ侵攻の責任をセルビアのミロシェビッチ大統領の頑迷さのせいにしたが、それは事実に反している。1999年のフランスのランブイエ会議において、ミロシェビッチ大統領はコソボにおける広範な自治の承認を受け入れた。これによりセルビア人とコソボ人(コソボ解放軍KLA代表を含む)は、自由選挙後にコソボに自治政府、議会、裁判所、特別警察を受け入れることで基本的合意に達し、戦争の危機は去った。

それなのになぜ戦争が勃発したのか。『ルモンド・デイプロマテイーク』紙はいう。

「紛争中の双方が合意に達しているのに、なぜランブイエ会議は失敗したのか?ただひとつの理由からだ。西側大国、特に米国の頑固さからである。協定に公正な適用を監視するために、NATO軍のコソボ域内における駐留を強制した。この駐留にベオグラードが反対することはよく知られていた。この拒否は、予測されただけでなく、戦争の原因にされた。他の欧州軍、あるいは例えば国連の『青ヘルメット』を提案する努力もなされなかった。NATO軍か、戦争か。それは戦争になった。」(注3)。

この当時のアメリカが、当初からランブイエ会議を決裂させ、決裂後に間髪を入れず、各国政府には閣議を開く余裕すら与えずにユーゴ空爆を開始する意図だったことは、当時ドイツのシュレーダー政権の蔵相で社民党党首だったオスカー・ラフオンテーヌの著書『心臓は左で鼓動する』の「コソボ戦争」の章の回想でも明らかである。(注4

 

 シルクロード戦略に基づくアフガン侵攻

2001911日のニューヨークの同時多発テロの犯人擁護を口実とするアフガンのタリバン政権に対する攻撃も、ブッシュ政権の周到な石油戦略に基づく侵略戦争だった。

アフガン戦争直後、いち早く本誌でこの戦争の本質を暴露したのが、宮嶋信夫の論文「米国のアフガン侵攻とシルクロード石油戦略」(注5)と「侵略性むき出しのブッシュの新世界軍事戦略」(注6)である。

宮嶋は、前者の論文で、米国のアフガン戦争の発端が9.11の同時多発テロにあるのではなく、それよりはるか以前の1997年に米国政府が策定したシルクロード戦略にあると述べている。宮嶋によると、アメリカは1999年にこの戦略に基づきシルクロード一帯の8カ国を対象にしたシルクロード戦略法を制定し、経済援助の拡大を決定したという。この法律の目的は、膨大な石油、天然ガスの埋蔵量を持つこれらの地域が、中東湾岸地域へのエネルギーの圧倒的な依存を避けると同時に、テロリズムと戦う前線基地として最適と見られたからである。ブッシュ大統領が就任してまもなく大統領に提出した統合参謀本部は「中央アジアにおける戦略的評価(Strategic Assessment of Central Asia)」という報告書で、「中央アジアは豊富な資源に富む地域として重視すべきだ」と強調した。これより数年前、国務省でもクリントン政権の副大統領の指揮の下で中央アジア、カスピ海の石油、ガス資源の埋蔵量と開発可能性について詳細な分析と評価を行い、シルクロード戦略を策定している。この戦略の目標は、埋蔵量総額が5兆ドルに達するカスピ海周辺諸国の石油、天然ガス資源を運ぶユーラシア廊下の設立あるという。

ブッシュ大統領や米統合参謀本部は、9.11の同時多発テロを絶好の好機としてこのシルクロード戦略を発動してアフガン攻撃に踏み切ったのである。彼らがアフガンに対する軍事作戦が一段落すると直ちにトルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタンの中央アジア3国における米軍の長期駐留と経済援助に着手した事実もこのことを証明している。

1999108日、米英両国を主体とする他国籍軍のアフガン空爆で侵攻が開始された。その翌109日、NATO閣僚理事会は、アメリカの同時多発テロを「外部からの攻撃」とみなし、「同盟事態」を宣言しこの侵攻を追認した。当時の『シュピーゲル』誌は、NATOのこの重大決定がアメリカ政府の有無を言わさぬ空気の中で行なわれたことを暴露した。

NATO 本部では急遽召集された加盟18カ国の代表者たちを前に、NATO事務総長のジョージ・ロバートソンがスライドとプロジェクターを用いて、911日の世界貿易センターに対する攻撃が『外部からの攻撃』だったことを証明した。その間にアメリカの政府全権のフランシス・テーラーが提案を行なった。同盟諸国代表には、書類も配布されなかった。それだけでなく、NATO大使ゲルハルト・フオン・モルトケ(ドイツ)にさえ、自分が見聞きしたことを単に筆記することしか許されなかった。モルトケは手を挙げる必要さえなかった。反対発言があったかって?みな沈黙していた。かくして世界最強の軍事同盟の歴史上初めての『同盟事態』が決定されたのである。」(注7)

 

イラク侵攻は戦争犯罪

現在、世界で最も影響力がある社会批評家の米マサチューセッツ工科大のノーム・チョムスキー教授は、2001911日の同時多発テロから6年たったこの日、毎日新聞のインタビューに答えて次のように語った。

「米国が『テロとの戦い』を宣言したのは初めてではない。レーガン政権も『テロとの戦い』を口実に中米、南部アフリカ、中東を攻撃した。不幸なことにこれは強国がプロパガンダとしてよく取る手法であり、ブッシュ政権も同様だ。イラク侵攻は戦争犯罪であり、日本やドイツの指導者が(第2次世界大戦)で裁かれたのと同じものだ。アフガン侵攻も戦争犯罪だ。(アフガンを実効支配した)タリバンは米国に、9.11とビンラデインとの関係を示す証拠を出せと要求したが、米国はこれを拒否した。ビンラデインの引渡しを求める場合は証拠を示さねばならない。タリバン政権転覆のため米国が爆撃したことこそ国際テロの見本だ。」

「テロ攻撃は犯罪であり、警察による捜査手続きが行なわれるべきだった。最近ドイツがした(テロ容疑者を逮捕)ように捜査を行い、そして、もしもそれが国際的な問題だったなら国連のような機関で対応しなければならない。ビンラデインのような人物を暴力で攻撃すると、怒りを増大させるだけに終わる。証拠を積み上げ警察的な手法で解決するほかない。」「イラク侵攻でテロの脅威は増大した。テロの脅威を減らすには、警察的なやり方しかない。」

「長年の米国の中東政策がアラブ人の反米感情を植え付け、9.11につながった。第2次世界大戦以降、米国にとって石油資源の支配が重要な課題となり、それに即した政策を米国は取った。自国が石油を使用するためでなく、石油を支配することで日本のような産業国への拒否権を確保しようとしたのだ。」

「アフガンに必要なのは戦争ではなく、開発と復興だ。アフガン人が麻薬の栽培を必要としないための支援をすべきだ。」(注8

01年は2度目の『9.11』だ。最初は73年に米国の支援を受けたチリの軍部が民主政権(注:アジエンデ政権)を転覆させた事件だ。・・・これによって中南米では、反対派を暗殺して独裁政権を打ち立てる歴史が始まった。」

かつて「アメリカの裏庭」と呼ばれていた中南米諸国では、アメリカの支援を受けた軍部独裁政権が相次いで倒され民主政権が樹立され、民族自立と再生の道を歩み、ブッシュ政権の新しい「世界軍事戦略」を大きく挫折させた。

 

ブッシュ政権に衝撃を与えた[欧州安全保障戦略]

 

冷戦崩壊後も湾岸戦争、コソボ紛争、アフガン侵攻などでアメリカに振り回され続けたEU諸国も、ついにイラク戦争でフランスとドイツが安保理事会で米国のイラク攻撃支持決議案に反対し、採択を阻止した。そのためアメリカは「フセインの大量破壊兵器の使用阻止」という偽りの口実を掲げて、安保理事会の決議によらずに単独にイラク侵攻に踏み切らざるを得なかった。EUは侵攻直後からアメリカに極秘で作業を続け、同年12月の欧州首脳会議で『欧州安全保障戦略−より良い世界の中の安全な欧州―』を採択した。EUのこの新戦略はアメリカのイラク侵攻直後の6月からEU共通安全保障政策上級代表ソラナの指導下でイギリスのストロー外相、フランスのドビルパン外相、ドイツのフイッシャー外相などが中心になり、アメリカには極秘で秘密会談を重ねて策定したものである。この内容は、アメリカの新世界軍事戦略とは真っ向から対立する内容で、ブッシュ政権は重大な衝撃を受けた。このテーゼは、現代世界の直面するグローバルな脅威を、もっぱら「ならず者国家」や国際テロリストたちの軍事的脅威からくるのではなく、世界の貧困、飢餓、疾病、国家破綻、暴力的紛争などと結びついた「複合的危機」として認識している。これらの脅威にいかに対処するか。『欧州安全保障戦略』はいう。

「冷戦時の目に見える巨大な脅威に比べて、新たな脅威で純軍事的なものはないし、純軍事的手段で解決できるものはひとつもない。それぞれの脅威に複合的政策が必要である。核拡散は、その根底にある政治的諸原因の解決に取り組む一方、輸出統制で阻止し、政治的、経済的その他の手段で攻撃することができる。テロリズムに対応するためには、情報、警察、司法、軍事その他の複合的措置が必要である。破綻国家では、秩序の回復に軍事的手段と直接的危機に対応するためには人道的措置も必要である。地域紛争には政治的解決が必要とされるが、紛争収拾後の局面では軍事的資産や有効な警察活動が必要になることがある。経済政策は再建に役立ち、市民の危機管理は文民政府の回復を助ける。」(注:9)

「欧州安全保障戦略」は、本誌の20044月号に策定の経過と全文が掲載されているが、われわれが今後アメリカの『対テロ戦争』に対する対抗戦略を提起するためには十分検討しなければならない内容を含んでいると思う。

 

注1:Gus Hall “The Stark Reality of the War Crisis”(“Political Affair”March1991)

2;メアリ・カルドア「近代性と非近代性の空想的戦争」(『経済評論』19916月号)

3:『ルモンド・デイプロマテイーク』紙「コソボ問題の平和解決は可能だった」(『労働運動研究』19996月号)

注4:Oskar Lafontaine "Das Herz shraegt links” Econ Verlag, Herbst ,1999

5:宮嶋信夫「米国のアフガン侵攻とシルクロード石油戦略」(『労働運動研究』20023月号)

注6:宮嶋信夫「侵略性むき出しのブッシュの新世界軍事戦略」(『労働運動研究』200212月号)

注7:柴山健太郎「海外派兵・テロ対策で揺れるドイツ政治」(『賃金と社会保障』20023月上旬号)

82007911日『毎日新聞』。チョムスキーの見解については「『ならず者国家』と新たな戦争」(荒竹出版、2002年刊)を参照)

注9:「より良い世界の中の安全な欧州−欧州安全保障戦略‐」(『労働運動研究』20044月号)

 

1表 臨時国会における主要法案をめぐる与野党の動き

 

   法  案  名

提出者

提出日

 

審議状況

 

 ◎

中国残留邦人支援改正案

衆院・厚労委員長

11月2日 

112日衆院可決

 

 ◎

身体障害者補助犬法改正案

衆院・厚労委員長

112日(予定)

 

 

 ○

最低賃金法改正案

労働契約法案

政  府

3月13

118日、衆院本会議で可決

 

 △

特定肝炎対策緊急措置法案

民  主

102

参院に提出済み

 

 △

被災者生活再建支援法改正案

民  主

927

 

119日、与野党修正案を衆参両院本会議で可決

 

 

 △

 同        上

自民・公明

1012

 

 ×

農業者個別所得補償法案

民  主

1018

119日参院本会議で可決

 

 

 ×

年金保険料流用禁止法案

民  主

914

112日、参院本会議で可決

 

 ×

イラク特措法廃止法案

民  主

1018

参院に提出済み

 ×

 

郵政民営化凍結法案

民主・社民・国民新党

1023

 

参院に提出済み

 

        

 ×

障害者自立支援法改正案

民  主

928

参院に提出済み

 

 

注1:◎印は与野党で今国会成立を合意済み、○印は今国会成立に向けて審議中、△印は協議中だが今国会成立は微妙、×印は妥協点なく、今国会成立は困難。

2:朝日新聞111日号を基に作成。

注3:政治資金規正法改正案は今国会中に提出に向け与野党の実務者協議で協議中。

 

第3表 冷戦崩壊以降イラク戦争までの米国の「対テロ戦争」とEUNATOの動き

 

  年   次

          発 生 事 件

1989119

ベルリンの壁崩壊。89年初めから9112月にかけてソ連・東欧社会主義諸国が崩壊

199082

イラク軍、クウエート侵攻

   1129

国連安保理事会、イラクが91115日までクウエートから撤退しない場合、加盟国が武力行使を含むあらゆる手段をとると決議

1991117

米軍を主力とする多国籍軍が〔砂漠の嵐〕作戦を開始。バグダッド空爆

    46

湾岸戦争終結

199311

EC12カ国、単一市場発足

1994410

NATO 、ボスニア紛争でセルビア人勢力を空爆

199911

EUの単一通貨(ユーロ)導入

    323

コソボ紛争をめぐる米特使とミロシェビッチ・ユーゴ大統領との会談決裂

   324

NATO、国連安保理事会の決議なしにユーゴ空爆を開始

2001911

ニューヨーク同時多発テロ

    108

米英両国、アフガン空襲

    109

NATO閣僚理事会、同時多発テロを「外部からの攻撃」とみなし、「同盟事態」を宣言

    1116

ドイツ連邦議会、ドイツ連邦軍のアフガン派兵とシュレーダー首相信任案の抱き合わせ決議を過半数ぎりぎりで可決

2003319

国連安保理事会、米国のイラク攻撃支持決議案を阻止

    320

米軍、イラク侵攻

    1212

EU首脳会議、「欧州安全保障戦略」を採択

注:柴山健太郎作成