究極の新自由主義・TPP(環太平洋経済連携協定)は国を滅ぼす
経済学者 鎌倉孝夫
(埼玉大学名誉教授)
1.TPPの経緯
TPP(Trans-Pacific Partnership.環太平洋経済連携協定)は、もともとシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ4カ国によるFTA(自由貿易協定)として、2006年5月に発効した。シンガポールは半島国家、ブルネイは人口40万の小国、チリはFTAのハブ国家―いずれも貿易投資への依存度が高い小国(4カ国全体で人口2690万人)による自由貿易協定で、投資・金融を除く物品、サービス、政府調達、知的財産権等多くの分野を含むが、物品に関しては段階的に(10年前後かけて)例外品目がない100%の自由化を実現し、APEC(アジア太平洋経済協力会議)諸国にその適用を拡大して行こうとする徹底したFTAを目指すものであった。
発効後、08年3月から投資・金融に関する交渉が開始されたが、同年9月アメリカ通商代表部代表が投資・金融分野を含む全分野への参加を表明し、09年11月、オバマ大統領は「TPPに参加する諸国とともに、幅広い参加国と21世紀の貿易協定にふさわしい高水準を備えた地域合意を形成する目標をもって、関与して行く」として、TPPのイニシアティブをとる方向を明らかにした。2010年3月、アメリカとともに、オーストラリア、ペルー、ベトナムがTPPに参加し、同10月マレーシアが参加し、現在9カ国によって締結に向けた交渉が行われている。
2011年2月、第5回の交渉が行われた(チリ、サンチャゴ)。そこでは、関税の原則撤廃を目指す方針を確認し、3月のシンガポールで開催予定の交渉で協定原案をまとめることで合意した。ただ関税の下げ方で各国の見解が分かれた―それぞれの国内産業に影響をあたえる「重要品目」に関し調整を必要とする―とされている(『日本経済新聞』2011年2月19日)。米産業界(全米製造業協会)からは「TPPの包括的取り組みを損なう新規の交渉国は受け入れない」〈同上〉との意見が出されているし、チリ外務省担当者は、日本がTPP交渉に参加する際には「市場開放や自由化の準備ができているかを聞くことになるだろう」とし、日本の参加交渉で締結が遅れることはない、述べている(同上)。
菅首相は、2010年10月1日「所信表明演説」で、「国を開き未来を拓く主体的外交の展開」として、「私が議長を務める APEC首脳会議では、米国、韓国、中国、東南アジア諸国連合(ASEAN)、豪州、ロシアなどのアジア太平洋諸国と成長と繁栄を共有する環境を整備します。架け橋として、経済連携協定(EPA)・自由貿易協定(FTA)が重要です。その一環として、環太平洋パートナーシップ協定交渉などへの参加を検討し、アジア太平洋自由貿易圏の構築を目指します。東アジア共同体構想の実現を見据え、国を開き、具体的な交渉を一歩でも進めたいと思います」と述べた。TPP参加の「検討」を明らかにした。しかし、「東アジア共同体」とこれがどう関わるか、何ら明らしないまま、「国を開く」ことが強調された。
2011年11月9日、菅政権は「包括的経済連携に関する基本方針」を閣議決定した。「特にアジア太平洋地域はわが国にとって、政治・経済・安全保障上の最重要地域あり、この地域の安定と繁栄は死活的問題である」として、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)、この地域の諸国とのEPA・広域経済連携とともに、「ETAAPに向けた道筋の中で唯一交渉が開始している環太平洋連携協定(TPP)については、その情報収集を進めながら対応していく必要があり、国内の環境整備を早急に進めるとともに、関係国との協議を開始する」とした。それに向けた具体的国内対策としては、農業(「農業構造改革推進本部(仮称)」の設置の構造対策、「人の移動」(看護師・介護福祉士等)に関わる検討(「規制制度改革」)(非関税障壁の撤廃)方針が提示されている。TPP参加を目指して、国内対策を早急に(「11年6月をめどに」と言っている)決めようというのである。菅首相は「平成の開国は国民の生活と元気な日本の復活につながり、必ずプラスになる」と述べた(『日本経済新聞』2010年11月9日夕刊)。明治維新、敗戦に次ぐ第三の開国だ、などと、現在の日本が鎖国を続けているようにとらえている。
2.TPPに関わる誤解
鳩山前政権挫折の後を継いだ菅政権。前政権挫折の原因は、対米同盟関係見直しに対するアメリカ政府による反発、新自由主義推進でボロボロにされた生活を立て直そうとその見直しを図ろうとしたことに対する財界の反発、によるものであった。アメリカ政府と日本財界の壁―それに風穴を開けなければ、民主党が掲げ(国民が支持した)マニフエストは実行しえないことが明白になっていた。ところが菅政権は、登場したとたん、米普天間基地は辺野古基地を新設して移転という日米合意に基づいて行うこと、さらに法人税(当面5%)引き下げ、消費税(10%程度)引き上げという日本財界の要求に即した政策を行うことを表明した。“現実主義”を自認する菅首相は、現実の壁を突き破ることは困難ととらえ、現実に即した、現実を動かしている強い力(アメリカ政府と日本財界)を前提にした政治に回帰してしまった。しかもすでに新自由主義政策の推進が、国民生活を破綻させている現実を突きつけられているのに、TPP参加の検討に示されているように、さらに新自由主義を徹底しようという方向に走り出したのである。
ところが日本のマスコミは、菅政権の“現実主義”的政策を確実に実行すべきだという論調に恐ろしいまでに一色化している。特にその点で『朝日新聞』は際立っている。「税制と社会保障の一体改革、それに自由貿易をすすめるTPPへの参加。この二つを進められるかどうか。日本の命運はその点にかかっている。」(新年社説)とまで言い切っている。「主筆」・船橋洋一氏は、「・・・日本の冷戦後の“失われた20年”は、自由化に背を向けた20年であった。既得権益保護によって、日本は政治も経済も停滞し、投資も雇用もなえ、農業も農村も疲弊した。その教訓を踏まえ、今回は、市場開放の決意を固めなければならない。・・・民主党政権が過去20年の自民党のように保護主義に立てこもるようであれば、何のための政権交代だったのか。・・・少なくとも自民党は、20世紀後半の日本とアジアの繁栄の土台となった日米同盟をつくった。民主党は、21世紀の自由で開かれたアジア太平洋の基盤となる経済同盟をつくるべきであろう」(同、2010年11月3日)といって菅政権をけしかけている。小泉政権が、新自由主義を推進してきたことさえ消されている。そこでTPPに関わる幾つかの誤解を糾しておこう。
(1)「平成の開国」?
菅首相の「平成の開国」というとらえ方は、歴史も現実も全くとらえていないひどい誤解によるものである。少なくとも1980年代後半の日米構造協議に始まり、90年代から21世紀初頭に展開されてきた新自由主義路線の推進で、どれだけ日本経済は“開かれた”かを正しくとらえなければならない。大型店舗規制の撤廃、農産物はじめ輸入制限の解消、ガット・ウルグアイ・ラウンド最終局面におけるコメのミニマム・アクセスによる輸入、90年代末以降の金融・投資の全面的自由化等々、アメリカ政府の要求に応じながら、日本財界、直接には輸出産業大企業の要求に即して、貿易・投資の自由化=門戸開放が推進されてきた。それでもたしかに外国資本の日本国内投資は比較的に少ない。しかし、それは規制が強いことによるのではなく、日本国内資本の下にあり余る資金があること、しかもその有利な貸付・投資先が国内にないこと、によるものである。
農産物に関しても、主要資本主義国の中で日本ほど門戸を開いている国はない。
食料自給率(カロリーベース、2007年、農林水産省資料)は、日本40%(1965年70%)、食料輸入が必要な主要国をみるとドイツ80%、イギリス65%、イタリア63%である。農産物の輸入は、1966年の1兆2000億円から、2008年には6兆円に増大した。穀物自給率は29%に低下した。主要穀物自給率についてみると、小麦11%、大麦・裸麦8%、大豆6%である。コメは国内産で供給過剰であるにもかかわらず、ミニマム・アクセスということで輸入を押しつけられている。過剰な商品をさらに買い入れるという市場経済からいっても全く不合理なことさえ行っている国がどこにあるか。
「開国」が必要という主張の一定の根拠となっているのは、農産物輸入関税の高さだと思われる。たしかに、例えばコンニャクイモの関税率は1706%、エンドウマメ1085%、コメ(精米)778%、落花生593%、小豆403%、粗糖328%(2005年価格基準)と高い。しかし主要国の農産物の平均関税率を見ると(07年 OECD)インド124.3%、韓国62.2%、メキシコ42.7%、EU19.5%、日本11.7%、アメリカ5.5%であり、日本の農産物関税は決して高くない。
だから日本があたかも鎖国状態であるかのようにいうのは、ためにする議論に過ぎない。それは、一部輸出産業大企業の輸出拡大を図るための口実にすぎない。
(2)農業保護で国益を損なう?
菅政権・前原外相は「日本のGDPの第一次産業の割合は1.5%だ。1.5%を守るために98.5%のかなりの部分が犠牲になっている」(2010年10月19日)といった。それと共に“農業保護は国益を損なっている”とか、“ TPPに参加しなければ二流国家に凋落する”とかいう言説が広まった。
第一次産業の割合(GDP比)をみると、アメリカ1.1%、イギリス、ドイツ各0.8%であって、日本より比率は低い。しかし輸出産業の中心としての自動車産業の比率(「輸出用機器」)の比率は2.7%でしかない。製造業全体でも19.9%であり、輸出の比率は17.5%である。農業関連産業全体をとらえれば、(農漁業・食品工業・関連流通業)、GDPシェアは9.6%、農漁業を除く食品産業就業者は775万人に達する(2005年時、2009年版『食料・農業・農村白書』。小田切徳美・明大教授「TPP論議と農業・農山村」、農文協『TPP反対の大義』)。さらに農業生産の多面的機能(国土保全、水資源涵養、自然環境保全 、良好な景観形成、文化の伝承等)を貨幣に換算すると年間8兆2226億円余と試算されている(林業、70兆2638億円、水産業10兆9575億円。日本学術会議答申に基づく農水省試算)。農業保護を、お荷物のようにとらえるのは全くの認識不足である。
しかも欧米諸国は、日本よりGDP比率の低い産業に手厚い保護を加えている。農業産出額に対する農業予算の割合(財政の農業支援度)を見ると(2005年)、アメリカ65%、ドイツ62%、フランス44%、イギリス42%に対し、日本はたった27%である(田代洋一・大妻女子大学教授『食料自給率を考える』 2009年、筑波書房ブックレット)。日本の農業に対する保護は不十分なのである。
他方、TPP参加は国益に適うようにいうことも誤りである。たしかに輸入関税ゼロで輸入を増大すれば、工業製品輸出は(先方の関税ゼロによって)拡大するであろう。一部輸出産業大企業の利益は増えるが、それによって“国益”が増進されるわけではない。重大な問題は、輸出産業大企業の輸出競争力強化―輸出拡大自体が,労働者の雇用圧縮、賃金抑制によって国内産業を縮小させるとともに、農産物輸入増大によって国内農業を犠牲にしたこと、さらにいかに輸入を増やしても、アメリカのドル切り下げに対抗しえないばかりか、輸出競争力強化―輸出増大―貿易黒字の増大自体が円高をもたらすこと、この下で一層労働者、農民への犠牲を強めながら輸出産業資本は円高回避をめざして資本輸出―外国への直接投資を進め、国内産業を空洞化させたことである。
輸出産業大企業を中心にする財界は、TPPに参加しないと国内産業−輸出増大が損なわれて、外国への生産移転―産業空洞化が生じ、雇用は減少する、だから国益を損なうことになると脅しをかけている。しかしどんなに大企業が利潤を手に入れてもそれを雇用増大や賃金引上げに使わないこと、輸出関税がゼロになっても、円高等によって輸出に制約が生じれば、大企業により低いコストを求めて外国投資・生産を進め“国を棄てる”ものであることが実証されている。
(3)早く参加を決めないと不利になる?
日本経団連会長・米倉弘昌氏は、早く(TPPに)参加しないと「日本は孤児になる」といい、前原外相はこれを受けて「扉は閉まりかけている」「政治的な先送り論は許されない」と騒いでいる。韓国は現在まで、チリ、シンガポール、欧州自由貿易連合(EFTA)、ASEAN、インドとFTA協定を結び、アメリカ、EUともFTA協定に合意、署名した。EUとは2011年7月11日から発効、アメリカとは10年12月合意、5年以内発効となっている。日本は対EU、アメリカと交渉さえしていない。日本の財界は、韓米FTAによって韓国からアメリカへの自動車輸出に関し乗用車は現行の2.5%の関税を5年目までに撤廃、トラックは現行の25%の関税を10年目までに廃止することになる。これに対し日本の自動車資本は5年以内に何とかしないと韓国に負ける、TPPは絶好のチャンスだ、というのである。
ここには重大なすり替えがある。WTO(世界貿易機関)やFTAとTPPには大きな相違があるのに、これを無視していることである。TPPはすぐ見るように、アメリカ政府のイニシアティブによるその国益優先の立場に立った経済圏形成をめざすものである。WTO交渉が行き詰まっているのは、WTO加盟国に一律に自由化義務を課しながら、自由貿易だけでなく、食料安全保障、環境などの非貿易的関心事項に留意するものとなっているからである。日本は、WTO農業交渉に関する日本提案の中で「行過ぎた貿易至上主義へのアンチテーゼ」として農業の多面的機能や、食料安全保障という「多様な農業の共存」を求めている。またWTOの一律主義に対する一種の例外がFTA(EPA経済連携協定)であるが、これは相手国を選び、国内産業の利害得失状況を相互に配慮しながら、自由化(関税撤廃)を図ろうとするもので、一種の排他的な経済関係形成であるが、例外措置と開発援助等を組み合わせて進めることが出来る(現在まで日本は11カ国とEPA締結、発効済み、インド、オーストラリア、ペルー、韓国と交渉中)。
これに対しTPPは、全品目の即時あるいは10年以内の例外なき関税撤廃を原則としており(その他多様な分野にわたる規制撤廃、自由化を図る。後述)いわゆるセンシティブ(重要)品目に関する配慮、「多様な農業の共存」に関する配慮はしない。だから早急にTPPに参加を決めることになると、従来継続してきたFTA(EPA)、いま交渉中のそれに関しても重要品目に関する例外措置等の配慮は意味をなさないことになる。FTA(EPA)は一気にTPP化されてしまうことになる。菅政権は、このような経緯とともに、TPP参加がもたらす重大な影響に関する検討を一体どれだけ行ったのか。一部輸出産業資本の利益追求から出てきた要求に、何の考慮もなしに飛びついただけではないか。
3.オバマ政権の意図
アメリカの景気は、一定程度回復を示しているけれども、労働者の失業率は10%近くに高止まりし、その生活状況はかえって悪化している。2010年11月の中間選挙でオバマ政権は大敗を喫した。保守勢力、そしてそのバックにあるアメリカ金融・産業大資本のオバマ政権に対する要求が強まっている。2010年10月に打ち出された金融量的緩和策第2弾(QE2)はFRB(米連邦準備制度理事会)による国債等の証券購入によって(11年6月末までに)8500億ドル〜9000億ドルの通貨供給を行ない景気刺激を図ろうというものであるが、しかし直接にはこの政策はインフレ的通貨のバラまきによって、ドル・価値を政策的に切り下げ(ドル・ダンピング)、それをテコに輸出拡大を図る政策ととらえることができる。オバマ政権は、多国に通貨戦争を仕掛けることによって、なりふり構わず自国利益優先策に打って出た、といってよい。
しかし基軸通貨ドルの特権をふるったドル・ダンピングは、資本主義各国、EUの対抗措置により、さらに新興国の投機マネー流入規制等の対抗策によって、効果を発揮しえない。その中で今日の世界は、資本主義諸国間だけではなく、新興国(中国、インド、ブラジル等)の著しい台頭をふまえて、しかも世界的な雇用・生活難による実需(実質的消費需要)縮小の下でそれを奪い合う大競争戦が争われる状況になっている。そしてこの競争戦の勝負はストレートに資本力の強さとコスト〈主要には賃金コスト〉の低さにかかるもの、となっている。TPP 問題はこうした状況のなかでとらえなければならない。
オバマ大統領は、2010年1月の一般教書演説において、今後5年間で輸出を倍増させる「国家輸出計画」を打ち出した。その計画実現の柱とされているのが、TPPなのである。2011年1月の一般教書演説は、素の点を鮮明に示すとなっている。この演説のキーワードは「未来を勝ち取る(Win the Future) 」である。「現在の重要課題は新たな雇用や新産業がこの国に根付くか、あるいはどこか他に行ってしまうかだ」「雇用と産業をかけた競争で未来を勝ち取る」と述べた。そして「企業の競争力の強化を支援するためには取り除かなければならない障害がある」「成長と投資の障害を減らすため、政府による規制の見直しを命じた。ビジネスに不必要な負担を強いる規制があればそれらを見直す」と、新自由主義の徹底を明らかにした。
通商関係については次のように言っている。「私が署名する貿易協定とは、米国の労働者を守り、米国の雇用創出につながるものだ。だからこそ韓国と協定を結んだのであり、だからこそパナマやコロンビアとの協定締結を目指し、アジア太平洋地域や世界的な規模での貿易交渉を続けているのだ」と。オバマ大統領は「労働者を守り・・・雇用創出」を図るといっているが、それは輸出産業企業の競争力強化を図る(法人税引き下げなど)ことを通してということであり、実際に雇用が増える保障はない。オバマ政権は明らかにアメリカ輸出産業の競争力を高め、輸出拡大を図るというあらわな国家的エゴの追求に乗り出したのである。この点に関して重要だと思われる点を指摘しておこう。
第一に、アメリカのTPP参加には、「小国の軒先を借りて母屋を乗っ取り、帝国の世界戦略追求の手段にした」「アメリカが、アジアの団結に楔を打ち込み、自らの主導権を確保する手段」にした(田代洋一「TPP批判の政治経済学」(前掲 農文協『TPP反対の大義』)、といってよい。アメリカ主導のTPP交渉が始まる前のAPEC(21カ国・地域)における経済連携の枠組みは、ASEAN(10カ国)+3(日本・中国・韓国)と、ASEAN+6(日・中・韓・豪・ニュージーランド・インド)であり、いずれもアメリカを含んでいない。しかも日本が日米同盟重視ということで、中国、アジア諸国との関係より、アメリカとの関係を重視する方向を走ってきた(というよりアメリカ政府によってそういう方向に仕向けられてきた)中で、中国は着々とASEANとの関係を強めた。中国―ASEAN関係は、2010年1月1日FTAによって双方の関税を引き下げたことを契機に急進展している。
中国のイニシアティブで進展する経済連携―それに対抗しイニシアティブの奪回を図る、それがAPEC全体の規模でのFTAA(アジア太平洋自由貿易圏)構想であり、その中で確実に主導権を握りうるととらえたのがTPPであった。だからアメリカ政府はTPPに中国を入れようとしていない。むしろ中国中心のアジア諸国の連携に楔を打ち込み、自らを中心とするブロックを形成しようというのが、アメリカ政府の狙いである。
なおアメリカ政府が韓国とFTAを結んだのは、それによって日本政府にTPP参加〈経済圏―経済同盟への組み込み〉を促す意図があったと思われる。韓国の哨戒艦沈没事件が“北”の仕業だという謀略劇を仕組んで“北”の脅威を演出し、沖縄基地の必要(日米軍事同盟)を日本政府に認めさせたのと同じ仕掛けである。菅政権はその仕掛けに見事に引っかかった。
第二に、TPP締結にオバマ政権を動かす直接のバックにあるのは、アメリカの金融・商業産業大資本である、ということである。アメリカを代表する108の大企業・業界団体(TPPのための米国企業連合)は、TPP交渉に関して政府に要求書を提出した(『赤旗』2011年2月20日)主な企業を見ると、AT&T(通信)、ベクテル(建設)、ボーイング(航空・軍事)、カーギル、モンサント(農業関連)、シェブロン(石油)、コカコーラ(飲料)、ダウケミカル(化学)、GE(電機)、IBM、インテル(コンピュータ、半導体)、シティ・グループ(金融)、ジョンソン・アンド・ジョンソン、ファィザー等(医薬品)、ウオルマ―ト(小売)など業界大手と業界団体が名を連ねている。同企業連合は2010年9月12日にも「TPPの原則」を発表し、「例外を設けることは米国の農業者、製造業者、サービス業者が新しい市場に事業を拡大する機会を制限することになる」と協定参加国への市場開放を求めた。
今回の要求書も、参加国が「元の協定に盛り込まれた高い基準と市場開放の条項に例外なく従うべきだ」とし、「すべての分野、いかなる形の貿易をも含む包括的な」市場開放、「米国の対外投資にとって安定的な非差別的環境の典型を作り出すために、強力な投資保護、市場開放規定、紛争解決を組み込む」投資、「規制による障壁」撤廃を図る規制の統一、そのほか知的財産権保護規定、簡素化された貿易、公正な競争等、6分野に亘ってアメリカの企業・業界の利益の優先確保を図るよう、政府に圧力をかけている。TPP参加国に、アメリカ基準を認めさせるものとなっているが、この基準は資本・業界にとって利潤確保上もっとも有利な基準の押しつけとなることは明らかである。
従来の米政権もそうであったように、オバマ政権も自国大資本の利益追求優先の立場からTPPを推進しているのであり、他国に対しては“自由”を押し付けながら自国の国内産業にとって不利な自由化(輸入)については、例外を設けたり、あるいは例えば農業に対する補助金支出に関しては他国の干渉を拒否したりすることになるのは目に見えている。
第三に、アメリカ政府のめざすTPPによる経済連携―経済同盟は、たんなる経済関係ではなく、同時に軍事同盟強化をめざすものであるあること、この点でもアメリカ政府は中国の軍事力拡大と影響力強化に対し、強くこれを牽制しようとしていることを指摘しておこう。菅首相は、軍事同盟による日米関係の安定(安全保障関係)は国際的公共財だなどといっているが、そういう日本政府の対米重視(従属)の姿勢がいよいよアジア諸国との経済関係(東アジア共同体形成)を困難にしてしまうことは明らかである。菅首相にはこのような認識さえ欠落しているようである。
4.資本は国を滅ぼす
菅政権の行政刷新会議、規制・制度改革に関する分科会は、TPP参加を進めるために必要な規制緩和・制度の見直し項目、合計249項目を列挙する「中間とりまとめ」を示した(2011年1月26日)。これを通してTPP 参加が、日本の経済、社会、さらに民衆の生活・文化にどのような破滅的影響を与えるものになるかを検討しなければならない。
「中間とりまとめ」は、@グリーン・イノベーション(風力・地熱発電など新エネルギーのための技術革新)、Aライフ・イノベーション(医療・介護・保育の改革)、B農村・地域活性化、Cアジア経済戦略として人材、物流、運輸、金融、IT、住宅、土地の5つの分野の提言を網羅している。それらの分野において、小泉新自由主義政策によって進められた規制撤廃・民営化を、さらに徹底推進しよう、それによってTPPに対応しよう、あるいはTPP参加で利益をあげよう、というのである。多くの重要な問題があるが何点かにしぼって検討しておく。
第一に、「外国人材の活用」である。これまで日本は、フィリピン、インドネシアとEPAを結び、看護師、介護福祉士の受け入れを進めてきたが、それを今後はEPA(経済連携協定)締結国以外にも広めようという。すでに2010年11月から外国人歯科医師、看護師の就労者数の制限を撤廃したが、さらに「外国人材」を様々な事業分野に拡大しようという。具体的には、在留資格「研修」の範囲を広げ、現地下請企業から外国人を日本で技術研修をさせよるようにする。航空・内航海運におけるカーボタージ(Cabotage)規制―沿岸・河川を走る内航船舶、国内航空路線の航空機は自国籍、自国乗員に限る―の大幅見直し等である。
国内の、とくに若年労働者の失業・就職難が深刻化している中で、日本の財界は低賃金の外国労働者の受け入れを増大させ、国内労働者の賃金をさらに引き下げて輸出競争力強化を図ると共に、外国直接投資、パッケージ型輸出(例えば原発建設とその後の管理運営をパックにした)に対応する人材形成を図ろうというのである。
第二に、農業、林業に関わる問題である。TPPによる関税なし輸入が、国内農林水産業にどういう影響を与えるかに関しては既に多くの論文が出されている(前掲農文協編『TPP反対の大義』、宇沢、田代、服部氏等の論稿参照)。農水省試算では、農水産物食料で4兆5000億円の生産減、関連産業で7.9兆円生産減、雇用350万9000人減、食料自給率は40%から13%に低下(2010年10月27日)としている。重要なのは,宇沢弘文氏が強調しているように、「農業が、人々の生存に関わる基礎的資料を生産するという、もっとも基幹的な機能を果たすだけでなく、自然環境を保全し、自己疎外を本質的に経験することなく生産活動を行うことによって、社会全体の安定性にとつて中核的な役割を果たしてきた」という機能を破壊するということである。これにどう対応しようというのか。
農業に関しては、「農業の成長産業化」として「農業者の高齢化により存続が危惧されている」農地の流動化・集約化を促進し、農協や農業生産法人などと共に、民間企業が農地の有効利用を行うようにする、これまで公益性がないと認められなかった第1種農地の転用を認めるよう規制緩和する、ということである。農地法改正で、農業生産法人以外の法人にも一定の条件下で農地の使用を認めることになっているが、ここではさらに民間企業による農地取得(所有)を認めることが提起される。それによって競争力のある大農経営が発展させようというのであるが、対中国高所得者等への高級農産物輸出で儲ける一握りの農業資本家が形成されるであろうけれども、いかに規模拡大したところでアメリカやオーストラリアの大農経営企業と競って競争戦に勝つことは不可能であり、民間企業が農地を所有すれば、農業生産ではなく、もっと儲かる事業を行うか、儲からなければ放棄する−あとは荒廃となるのがオチであろう。
林業については、国有林の路網設計・間伐に関わる計画、市場への木材の搬出など経営全般を一括して民間委託することや規模の大きい経営体が共同して民有林を大規模に集約し、木材生産・販売の合理的経営を行うことを認める規制緩和が盛り込まれている。ここでも資本の投資の場としての大規模な林業経営育成という方向であるが、国による規制・基準が緩和・撤廃されれば、資本自体が環境・国土保全への考慮を放棄してしまうことはすでに実証されていることである。
第三に、社会的生活領域に関わる問題である。TPPには非関税障壁の撤廃−規制・基準のアメリカ基準化が盛り込まれている。具体的に「安全に関しては、自動車整備工場のゾーニング(地域)規制の見直し、医療品・医療機器の承認期間の短縮、食品添加物の承認手続きの見直し、アメリカ産牛肉の月齢制限の撤廃、「医療」に関しては外資経営の病院の設立、混合診療の全面解禁、保険会社の営利追求第一主義容認等である。とくに混合診療全面解禁は、今の保険診療報酬によらない「自由価格の医療市場を拡大させる。これによって公的医療保険を使える範囲の縮小、営利目的の医療による質の低下、不採算部門(生命・健康維持には不可欠であるが)からの撤退、患者負担の増大、低所得者の医療からのしめ出し、外国人労働者の市場開放とも関わって医師・看護師の給与・待遇切り下げが確実に生じる。地域によっては、医師不足だけでなく医療機関が消滅することになる。医療崩壊である。
これに対する対応措置は、ここでも「民間の力」=資本家的企業の投資の活用である。医療では、「医療機関および医薬品・医療機器の広告規制の原則自由化」、患者による医療機関の「自由選択」、医療法人の合併・再編、営利法人の役職員の医療法人役員就任の承認であり、病床規制の緩和・撤廃である。また医薬品のインターネットによる販売を可能にする規制緩和、一定条件(電話、FAXで薬剤師から情報が得られるという)下での医薬品店頭販売における薬剤師常駐義務の撤廃などが盛り込まれている。
「地域活性化」ということで、PFI(Private Financial Initiative)*制度−国や自治体のハコモノ建設に伴う公共事業(病院,学校、図書館、老人福祉施設、公営住宅等)において、建設だけでなく管理・運営にも民間企業が参入する−の積極的活用とそのための法整備が示されている。すでにこれに伴って民間企業の利潤追求動機によって職員の非正規雇用化が進み、行政の責任放棄が問題になっているのに、これをさらに進めよう、というのである。「保育」についても「幼保一体化型の子ども園」構想によって民間資本の参入、利用者の直接契約による保育サービスの授受という市場経済化・営利事業化が進められ、低所得世帯の子どもは排除される。(*PFIとは、わが国でも1999年からPFI推進法で施行されている公共事業に民間資金を導入する方式で、第三セクターがそれである)。
第四に、「金融」に関しては、「金融産業自身が成長産業として経済をリードする」ことをめざす、として「デリバティブ(金融派生商品)取引規制の見直し」「銀行の子会社の業務範囲の取引規制の見直し」「銀行の子会社の業務範囲の拡大(リース子会社等の収入制限の緩和)」「投資法人への減資制度の導入によるJ−REIT市場の活性化」などが挙げられている。菅政権は、「新成長戦略」の中で「証券・金融・商品」の「総合的取引所」の創設を提起し、この設立によって、投資家・利用者の利便性を図り、「国を開」いて世界から資本を呼び込み、「アジアの一大金融センター」を設立し、「新金融立国」を目指すとしたが、TPPに関わって、アメリカ金融資本と直接競争しあえる資本力・競争力を高めようというのであろうが、その下で生じるのはさらに大規模な金融・証券バブルであろう。
新自由主義の推進によって、労働者・民衆の雇用(労働)・生活は崩壊の瀬戸際に立たされている。にもかかわらず、菅政権は、TPP参加の対応として社会のあらゆる領域を、資本の投資の場として、資本の力を強めて弱肉強食の競争を展開しようというのである。しかし、大資本が充分利潤を食い尽くしたあとに残されるものは、国の、というよりも民衆=人間の崩壊である。資本の標語は“Apre moi le deluge(われ無き後に洪水は来たれ−後は野となれ山となれ)”なのである。(2011年2月28日)