反独占民主主義のための闘いをつうじて社会主義革命へ 一柳茂次
「統一」昭和44年(1969)年5月19日 第324号 (改題118号)
(共産主義労働者党第三回大会成功に向けて)
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ぼくは紙に書かれた方針書のなかに、自分としては賛成できない部分がかなりあってもあまり気にしないほうだ。方針書が遂一実践されるわけでもない。現実ははるかに豊かで複雑あり、一筋なわに行かない。どうせしばらくたてば、方針そのものが書き換えられることになる。もちろん、ぼくらの組織がまともに実践に取り組んでいることを前提としての話だ。
ぼくは何故今日共産主義者になったか、そこには人さまざまのアクセントがある。そして多かれ少なかれぼくらには、この「一点」というとこがあるようだ。こんどの大会議案に対して、元来方針書なるものに、いまいったような「ずぼら」な考えをもっているぼくが、常任委員会、中央員会をつうじて、終始反対の立場をとってきた理由は、ぼくにとっての「一点」が、この原案では質的な意味で否定されており、この否定をぼくらは承認できなかったからだ。
原案でその「批判と克服の方向」を提起された「構造改革路線」なるものが、日本の革命運動・労働運動のなかで、どれだけ実践の検証にかけられたか、ぼくは、自らの経験に照らして、イタリア共産党の構造改良の方針にたいし、深い関心と共感を持ったことはまぎれもない事実である。「自らの経験に照らして」という意味はこうである。
農地改革と地主制の解体、国家独占資本主義のもとでの独占と農民の経済関係に対する現状分析に基づいて、日本の社会主義革命は、直接生産者である農民全体が労働者階級の同盟となりうるかという立場を、ぼくらはとった。ブル民革命では、全農民と、プロレタリア革命には貧農と(中農は中立、富農は敵)という古典的な労農同盟論にたいする修正であることはいうまでもない。農民が土地の私有と個人経営を何者と引き換えまいとしており、農業の社会主義的集団化に関心を示さないとしても、独占資本の支配と搾取に反対して、労働者階級との政治同盟にくわわる可能性にかわるはない。反独占農民闘争が、理論的には資本主義のもとで実現できる民主主義的要求に終始し、社会主義的な要求の萌芽さえ名とも、資本主義を倒して社会主義をめざす労農同盟は可能であるという立場は、農民の民主主義的要求の発展は、徹底化をめざし、徹底民主主義の実現の場として、社会主義権力の実現を自らの課題とするにいたる言う展望にたつものだ。つまりここでぼくらは、階級的政治同盟と思想的獲得とを、隔絶したものではないとはいえ、やはりことなった別の事柄として理解する。日常的要求―深い改良要求・構造改良要求のコースは、同時に独占の側にとっても現状のままほっておけず、何らかの対応をせまらている。そのような事態をめぐって闘われていくコースである。反独占闘争の主体的条件としては、高い良質の大衆的実体が気づかれてゆく過程での発展のコースである。「過剰米」・食料管理問題、地域開発、公害農産物価格保証など、どれひとつとっても、独占の犠牲において、人民の犠牲において、人民の利益を拡大するための戦線転回がかんたんな代物でないことはわかりきっている。に本の「構造改革」は、どんな実践的検証をへて、この原案の評価におちつくのか、ぼくは知らない。
農民運動は、農民一人一人の自覚にもとづく団結に基礎をおくひおかはない。構造改良、反独占民主主義、反独占民主改革、構造改革、深い改良など、どう表現を変えてみても、巨大な反独占勢力の結集はいかにして可能かの設問に、運動が実践的にこたえないで行くなかでしか問題は発展しない。構造改革計画を、階級闘争の人民要求として、現状にくらべよりよい計画一般から峻別するものは、それが恣意的につくられるのではなく闘争をつうじて結集した反独占勢力の量質に、規定されということであろう。構造改良をつうじてではなしに、構造改良のための闘争をつうじて(この闘争のなかで達成され、新しい闘争の出発点となる成果に依拠しながら)社会主義に到達するという見解は、すでに破産したという原案の立場にたいし、ぼくは、農民一人ひとりの自覚にもとづく団結とその民主主義的要求の実現のために、日程にのぼる深い改良闘争のために、社会主義権力をめざすたたかいのために、今日こんな条件のなかでたたかっている年来の友人たち(党にいる、いないにかかわらず)の立場に、たたざるをえない。
たしかに、構造改良が過程としてとらえられないで、最終目標となり、改良主義そのものになりさがる危険はすくなくない。戦前から農地改革までの反地主闘争のなかで、たたかう農民は、社会制度的な目標をはっきりもっていた。「地主のいない農村」(地主制度の否定)である。それは労働者階級の資本主義否定にくらべ、はるかに感性的な一般的な自覚となっていた。反地主闘争のもつ「豊かな自然成長性」というぼくらの規定は正しかったと考える。これと対象的に反独占農民運動は、どんな社会制度を目標に展開できるかという点に、大きい困難をかかえている。たたかう農民にとって、社会主義とは何かという問題である。民主主義の徹底化のための権力掌握だとぼくらは考えてきた。これを具体的に検討しようとするならば、ぼくらは、社会主義を承認する仕方が、多様になっているところに今日の特徴をみとめ、農民と社会主義革命の関連の場合も、この視点をいれてゆくべきだと考える。社会主義は、現在、たんに生産関係の一般規定にとどまらず、一個の社会経済的構成態として、多様な具体的内容をもつ世界体制として存在している。それにともなって、資本主義人民の社会主義にたいする承認は、上部構造の部分的なもの、経済構造の部分的なもの、一般的生産関係など、さまざまな観点から、それぞれの生活経験に即しておこなわれている。もちろん承認のなかには肯定的と否定的を、ともに含めるべきであろう。反独占農民運動は独自の論理をつうじて、労働者階級の階級的政治同盟をつくりだす主体的条件のひとつになる。ぼくらは、この可能性を現実化するために、所属する戦線に責任をおわねばならない。
労働者階級と反独占階層との階級的政治同盟の問題は、革命のための多数は形成の問題の一つだがこの同盟にしめる農民の位置づけについて、ぼくらは、教条からではなく、現状の具体的分析の上に立ち、また階級闘争に農民はいかにして参加するかという、国民運動の課題に理論的・実践的に答えながら、正確に規定をみちびきながら任務を果たすべきである。
このような追求は、他の反独占諸階層について、また労働者階級の内部構成についても、とうぜんおこなわれるべきであろう。
2
ぼくらは、農民運動のひとつの特徴として、運動の自然成長性を一概に悪としてかたづけ、意識的計画性を対置する立場をとってこなかった。もちろん前衛党や革命の「自然成長」を主張したわけではない。それは階級的矛盾の深化にたいする被搾取大衆の抵抗円得るギーの無条件的な承認を意味した。こうした自然成長的な大衆闘争のなかから、多くの教訓をぼくらはひきだしたつもりだ。原案の「階級形成論」は、ぼくのこういう素地からみると、どうもひっかかる。「労働者階級はまだその革命的、政治的役割について十分な自覚をもっていない。そのために事実上、労働者階級はまだ革命的前衛ではない」。これは労働運動が社会民主党の影響にはまりこんでいるヨーロッパのいくつかの国についての評論であるが、「したがって、これらの国ぐにの労働者は階級として解体している」とはいっていない。ぼくらの原案は、善意にとれば、ここに引用したスペイン共産党員の評価のような状態を日本にみとめ、この左翼化・革命化に全力をつくそうと訴えているととることもできる。そういうことなら、日本の労働者階級が他階級を指導する力量をそなえる点で大いに欠けていると考える農民戦線のぼくらは、経験からいって、そのとおりだといっていい。夜良自大のハッタリを言うなら、労働者党がのびないのもそのせいだということになる。しかし原案はどうもちがうようだ。
「大産業がたがいに一面識もない多数の人間を一カ所によせあつめる。競争が、彼らの利害関係をまちまちにする。しかし賃金の維持が、主人公たちに対抗して彼らがもつこの共通利害関係が、反抗という同一の考えで彼らを結ばせる。――これが団結である。賀から団結は、つねに二重の目的、すなわちなかま同志の競争を中止させ、もって資本家にたいする全般的闘争をなしうるようにするという目的をもつ。
たとえ最初の抗争目的が賃金の維持にすぎなかったとしてもつぎに資本家のほうが
抑圧という同一の考えで結合するにつれて、最初はこりつしていた諸団結が集団を桔成する。そしてつねに結合している資本に直面して組合の維持のほうが彼らにとっては賃金の維持よりも重要になる。・・・・・経済的条件がまず第一に国民大衆を労働者に転化させたのであった。資本の支配が、この大衆にたいして、共通の一地位、共通の諸利害関係をつくりだした。かくして、この大衆は資本にたいしてはすでに一個の階級である。しかしまだ大衆自身のための階級ではない。・・・・われわれがその若干の局面だけを指摘したところの闘争において、この大衆は結合する。大衆自身のための階級に自己を構成する。大衆の防衛する利害が階級の利害となる」(マルクス「哲学の貧困」)。
「階級それ自体」と「大衆自身のための(対自的)階級」の区別をどこでおさえるか、ぼくは、マルクスをとる。自然成長的な運動にたいする積極的評価をうみ、天皇制弾圧下に「解体」させられた農民運動にたいし、持続する農民の抵抗エネルギーをみとめ、ひとりの共産主義者も参加していない大衆闘争のなかに死命をかけた献身をみとめる。総じて階級闘争の前進的側面を、その萌芽においてとらえる敏感さは、労働者階級の階級的水準にたいする、過重評価によっても、過少評価によっても、ひとしく失われる。思想的獲得と政治的同盟を区別する見解も、国民の圧倒的多数を反独占の戦線に結集し、民主主義・社会主義革命に立ちむかう布陣のなかに、確認されるべき傾向を指摘したものだ。人間の窮乏の概念は、社会の発展につれて、また国によってことなる歴史的概念である。しかし、社会主義革命が、貧しさからの解放という本質的な目標をなくすることはない。そして、原案に欠けているのは、表現はどうであれ、まさに貧しさからの解放をめざすたたかいの基盤にたいする配慮である。
農民同盟の問題から、討論に入ったのは、意見に責任をもとうという考えからだが、農民部長の責任をもとうという考えからだが、農民部長の責任を、結党以来、開店休業のまま店ざらしにしてきた責任はまぬがれない。病弱にはなったが、これからもささやかでも努力したい。
I 著作
浦高学生運動史の一素材
徳田球一を「見た」
反軍闘争の問題(抄)
三〇年代共産党史の一断面(抄)
全農全国会議派の歴史的意義
日本農民の階級規定の基本問題
解説・栗原百寿著作集第6巻・農民運動史(上)
反独占農民運動の問題点
伊藤律と二つの道
伊藤律と農民委員会
『農民運動研究』巻頭言 ほか
II 回想
中込武雄・腰原義章・佐賀宗久・栗原幸夫・柴山健太郎・井上敏夫・増山太助・いいだもも・樋口篤三・山崎春成・平尾要・降旗節雄・渡辺悦次・中村丈夫・荒川亘・正木重之
III 偲ぶ会
IV 資料・記録
No. 1
標題:農民運動の歴史的評価をめぐる諸問題/副標題:群馬県強戸村・長野田口村の農民運動の対比
著者:/出版者:農民教育協会農民運動史研究会/出版月:1956.3/頁数:133p
叢書:農民運動史研究資料 第10集/
No. 2
標題:岐阜農民運動史/副標題:とくに中部日本農民組合を中心とする
著者:農民教育協会農民運動史研究会編/出版者:農民教育協会農民運動史研究会/出版月:1955/頁数:202p
叢書:農民運動史研究資料 第5集/
No. 3
標題:新田開発型大土地所有と農民運動/副標題:農民運動史における新潟県木崎争議の意義
著者:農民教育協会農民運動史研究曾編/出版者:農民教育協会農民運動史研究会/出版月:1954/頁数:107p
叢書:農民運動史研究資料 第3号/
No. 1
標題:伊藤律を偲ぶ/副標題:一九九〇・八・四の発言より/No:
著者:山崎草市 杉浦明平 山口武秀 大金久典 樋口篤三 鈴木市蔵 増山太助 寺尾五郎 一柳茂次 原弘/誌名:労働運動研究
巻号:256/刊年:1991.2/頁:4〜22/標題関連:
No. 2
標題:具体的状況の具体的分析/副標題:農民運動家・山口武秀の原点/No:
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:283/刊年:1993.5/頁:21〜24/標題関連:
No. 3
標題:福島潟闘争の周辺/副標題:生産調整とのたたかいのなかで/No:上
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:103/刊年:1978.5/頁:34〜37/標題関連:
No. 4
標題:浦高学生運動史の一素材/副標題:/No:
著者:一柳茂次/誌名:埼玉県労働運動史研究
巻号:9/刊年:1977.3/頁:6〜13/標題関連:
No. 5
標題:五三四万世帯二六二八万人の被搾取・被支配人民
日本の勤労農民/副標題:/No:
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:15/刊年:1971.1/頁:22〜29/標題関連:
No. 6
標題:日共農民運動論の検証/副標題:/No:上
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:31/刊年:1972.5/頁:31〜37,30/標題関連:
No. 7
標題:日共農民運動論の検証/副標題:/No:下
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:33/刊年:1972.7/頁:46〜53/標題関連:
No. 8
標題:戦前農民運動の歴史的事実/副標題:「党史」はこれをどうみるか/No:
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:39/刊年:1973.1/頁:42〜47,11/標題関連:続・「日本共産党の五十年」批判
No. 9
標題:戦後農民運動と「党史」/副標題:「共同化」論争の記録/No:1
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:41/刊年:1973.3/頁:58〜64/標題関連:続・「日本共産党の五十年」批判
No. 10
標題:戦後農民運動と「党史」/副標題:「共同化」論争の記録/No:2
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:43/刊年:1973.5/頁:62〜67/標題関連:続・「日本共産党の五十年」批判
No. 11
標題:新潟・福島潟の農民闘争/副標題:/No:
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:84/刊年:1976.10/頁:2〜10/標題関連:
No. 12
標題:福島潟農民闘争への伝統/副標題:/No:
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:85/刊年:1976.11/頁:22〜27,50/標題関連:
No. 13
標題:福島潟闘争の周辺/副標題:生産調整とのたたかいのなかで/No:中
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:105/刊年:1978.7/頁:50〜56/標題関連:
No. 14
標題:福島潟闘争の周辺/副標題:生産調整とのたたかいのなかで/No:下
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:107/刊年:1978.9/頁:35〜39/標題関連:
No. 15
標題:「農民生え抜きの共産党員であった」/副標題:佐藤和藤治の獄中手記/No:
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:123/刊年:1980.1/頁:32〜37/標題関連:
No. 16
標題:三〇年代共産党史の一断面/副標題:長谷川茂の予審調書/No:上
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:126/刊年:1980.4/頁:28〜32/標題関連:
No. 17
標題:三〇年代共産党史の一断面/副標題:長谷川茂の予審調書/No:下
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:127/刊年:1980.5/頁:45〜52/標題関連:
No. 18
標題:ひとり闘う・農民運動の原点/副標題:八郎潟干拓地の土地取上げ/No:
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:158/刊年:1982.12/頁:16〜23/標題関連:
No. 19
標題:旧稿・伊藤律と農民委員会/副標題:ひとりの有能な共産主義者としての理論を追って/No:
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:163/刊年:1983.5/頁:16〜23,9/標題関連:
No. 20
標題:反封建から反独占へ 農民運動の戦前・戦後/副標題:/No:
著者:一柳茂次/誌名:労働運動研究
巻号:203/刊年:1986.9/頁:27〜30/標題関連: