労働運動研究復刊29号 2011年8月発行

原発の無い安全で豊な日本をめざして

 ―地震列島における脱原発政策の基本的視点―

               神戸大学名誉教授(地震学) 石橋克彦

  

以下の講演は、2011426日、原子力資料情報室(CNIC)主催で東京・千代田区・参議院会館一階講堂で開かれた緊急集会「『福島原発震災』後の日本の原子力行政を考える」で、石橋克彦氏(神戸大学名誉教授)が行った講演の要旨である。主催者CNICのご好意により録音・収録するご許可を頂いたことに誌面を借りて深く謝意を表したい。(文責・編集部)

 

著者紹介 石橋克彦(いしばし かつひこ)

1944年、神奈川県生まれ。専門は地震学(地震テクトニクス)。東大理学部地球物理学科卒。東大地震研究所助手、建設省建築研究所国際地震工学部応用地震学室長、神戸大都市安全研究センター教授を経て現在神戸大学名誉教授。1976年の日本地震学会で「駿河湾地震説」を発表、これが地震学会だけでなく、マスコミで広く取り上げられ、静岡県周辺の防災対策強化や地震予知体制の許可を官民挙げて推進するきっかけをつくった。

雑誌『科学』(岩波書店)199710月号で論文「原発震災―破滅を避けるために」を発表。以後、日本国内の原子力発電所の耐震性を最新の地震学の知見で見直す必要性や、東海地震想定震源域の真上に立つ浜岡原子力発電所の閉鎖、原発依存からの脱却を一貫して主張し続けている。2001年には、国の原子力耐震指針検討分科会委員に就任し、『発電用原子力施設に関する耐震設計審査指針』の改定に関わったが、改定案が了承される20068月になって、内容を不服として委員を辞任した。氏の主張してきた「原発震災」への懸念は、2011年の東日本大震災における津波で引き起こされた福島第一原発の事故で不幸にも現実のものとなった。

 主書:『地震予知の方法』共著、東大出版会、1978

    『大地動乱の時代、地震学者は警告する』 岩波新書 1994

    『阪神・淡路大震災と地震の予測』(共著)岩波書店 1996

    『阪神・淡路大震災の教訓』岩波書店(岩浪ブックレット)、1997

 

 

 浜岡原発判決を事実で覆した「福島原発震災」

 

ただいまご紹介いただきました石橋です。本当はもっと前に皆さんにお話したかったと思いますが、こんなことになってしまってからお話しするようになって大変残念です。

 いま皆さんの関心がおありなのは当面の福島第一原発の原発震災の問題だと思いますが、私は原発の専門家ではありませんで、あくまで地震学の研究者として基本的なことを大局的に考え、お話をさせていただきたいと思います。

 皆さんもご存知のように、数年前に静岡県御前崎市で地元住民の方々が、静岡地裁に対して、「中部電力浜岡原発のいま稼動中の1号機から4号機の原子炉は危険だから運転を差止めてくれ」と提訴し、これに対する判決が2007年の1026日にありました。この裁判を傍聴していたマスコミ関係の方々は「明らかに原告側が優勢だ」と感じ、原告側証人の私も「原告が勝つ」と思っていましたのに敗訴になりました。しかも、この判決は、「地震発生時に原発の安全システムが同時損傷でダウンする可能性は無い」と全面否定したのです。これは明らかに日本の司法が、国と電力資本の原子力政策の前に下僕のようにひざまずいている現状を暴露したものです。この時に私はマスコミからコメントを求められ、「この判決の誤りは自然が証明するだろうが、そのときには私たちが大変な目にあっているおそれが強い」(毎日新聞同日夕刊)と述べましたが、まさか大自然の審判がこんなに早く下るとは思いませんでした。

 

  政官民学の原子力複合体の解体へ

 

それでは話がわきに入らないうちに、まず今日言いたいことをまとめておきます。まず第一は、日本列島の地震活動が3.11の大地震によってなお一層活動的になるだろうということです。地震研究者の多くは、以前から日本列島が活動期に入っていると思っていたのですが、この巨大地震によって一層各地で巨大地震が起こりやすくなりました。第二は、日本が地震列島であり、原発立地では世界で最も危険な場所であり、この原発に対して「本質的な安全」を目指さなければいけないということです。いまのまま日本が原発を増やし続ければ、日本の滅亡だけでなく、世界の迷惑になってしまいます。

だからまず原子力基本法の法体系を抜本的に見直し、さらに原発フリーの体制を構築するために政官民学の強大な原子力複合体を解体する必要があります。そして建設中、計画中の原発計画を中止または凍結し、稼動中の原発は段階的に閉鎖することです。すべての原発を一度に止めることは非現実的ですが、原子力安全審査員会の評価や原因付けに基づいて何基かの原発の停止を決めても、炉心の燃料を取り出すまでにかなり時間がかかります。しかも取り出した核燃料を貯蔵するまでにも時間がかかりますし、核燃料自体も10年以上も危険性があり、その間に地震に襲われたら再び災害が生じかねないので順位付けをして、停めるべき原発から停めるということを本当に急がなければなりません。

 核燃料サイクルの中止、再処理工場「もんじゅ」の閉鎖。この再処理工場の中でも「もんじゅ」と六ケ所村はとりわけ取り扱っている物質が危険なだけでなく、活断層が直下にあるという点でもきわめて危険な施設ですから、直ちにやめて欲しいのです。

 今後の復興は復旧、つまりただ単に旧の状態に戻すのではなくて発展的に復興させるということですが、例えば女川原発をどうするのかという問題もあります。さらに今回の大地震によって東海道メガロポリス、近畿圏や九州、更にその沖合いの方まで巨大地震が連動して生ずる危険性が一層強まってきました。ひとたび3.11のような大地震が起こると、震源が東日本よりも陸地に近い、というよりも陸地の下まで断層が入っていますので、地震動が非常に激しくて静岡県や愛知県は震度7くらいにまでなります。そのために北陸地方あたりまで震度6強くらいになり、大災害になるところがたくさん出てきます。そこまで考えて復興や原発問題を考えなければならないと思います。だから東北地方を初めに復興して、首都圏が直下型地震でやられた場合に、副首都を大坂近辺に創り、その間をリニア新幹線で結びつけようというような3.11以前の構想はもう成り立ちません。

原発をなくすに当って大変な電力を消費するリニア新幹線が本当に必要なのかという問題も出てきます。そういうことを考えると、東北地方を日本の緩やかな中心、副首都にするかどうかということまで考える必要があります。勿論、東北の農業や漁業などの第一次産業を復興させなければならないと思いますが、東京も大阪もともに大地震でやられた場合のことも考える必要があります。

 そうしますと、原発フリーの政策を確立することと関連してその他のエネルギー・経済・産業・国土政策などあらゆる政策を根本的に見直さなければなりません。果たして今回の復興構想会議がそこまでやってくれるのかどうか、ここでウヤムヤに復興して原発を復活させたりすると大変なことになります。

 

 敗戦前の帝国軍隊に似た原子力増強政策

 

最近、マスメディアの方々の中にも「先生のような批判的な意見が以前からあったのに、何故こんなことになってしまったのか?」という反省の空気が出てきました。昨日も私にそういう質問をされた方がいましたが、私に言わせれば問題は原子力基本法にあります。

原子力基本法の第1条には「この法律は、原子力の研究、開発及び利用を推進することによって、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もって人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする」と書いてあります。これを根本的に考え直さなければ現実的に原発を減らす、原発フリーに持っていくことはできないのだろうと思います。

2007年の柏崎刈羽原発の地震被災以降の、原発をめぐる日本社会の現状は、アジア・太平洋戦争前及び敗戦前の帝国軍隊の状況と実に良く似ていると思います。それは原子力が大多数の国民にとって絶対的な善であるとされ、国策として莫大な人と金と組織がつぎ込まれた点です。電力会社・政府・御用学者は大自然を客観的・真摯に見ようとせず、既定路線に固執して詭弁を弄し、マスメデイアは無批判に「大本営発表」を報道し、芸能人が宣伝に動員され、国民のほとんどは原発が必要で安全と信じきっていたわけです。

しかし、当時から自然は段階的にわれわれに警告を発していたように思います。1995年の阪神淡路大震災で、日本の耐震工学の安全神話が一挙に崩れました。にもかかわらず、原子力安全委員会はその2日後に耐震安全検討会を立ち上げ、まだ地震と震災の調査・研究の真最中の9月に、「兵庫県南部地震を踏まえても日本の耐震安全性は大丈夫だ」という見解を出しました。だがその後、200010月にはこれまで活断層の存在が知られていない場所でM(マグニチュード)7.3の鳥取県南部地震が発生し、20058月にも宮城沖地震で女川原発は耐震設計の基準を上回る激しい地震動に襲われました。それから20073月には能登半島でM6.9の地震が発生し、北陸電力の志賀原発が基準地震動をはるかに上回る揺れに襲われました。

当時、私は今後日本のあちこちで日本列島の原発が地震被害を受けることが日常的な風景になるだろうと書きましたが、2007716日の新潟県中越地震(M6.8、死者15人、住宅全半壊約7,000棟)の時には、世界最大の電気出力(7基で8212万kW)を誇る東京電力の柏崎刈羽原発が世界で初めて大きな地震被害を受けました。この原発の基準地震振動は旧指針に沿って、将来起こりうる最強の地震による揺れ(S1)300ガル、およそ現実的ではないと考えられる限界的な地震による揺れ(S2)として450ガルと設定されていましたが、原子力安全・保安院に報告された1~4号機にかかった最大の揺れはなんと2,280ガルに達しました。

この柏崎刈羽原発の地震災害はわれわれに対する大きな警告だったのですが、原子力推進派の人たちはむしろ喜んで、「放射能漏れは微量だった」、「原子炉は即時に停止したではないか」、「むしろ日本の原子力技術が優れていることを誇るべきである」などと言ってこの警告を無視しました。しかしこれは地震学的にいって運が良かっただけの話に過ぎないのです。地震のマグニチュードも6.8に過ぎなかったわけだし、2004年の中越地震の時には大きな余震が頻繁に続いたのに、2007年の中越沖地震の時は非常に余震が少なかったのです。それから実際運転していたのは3基だけでもう1基は停止中でした。4基全部が運転中ならばもっと面倒な事態が起きていたかもしれません。謙虚に反省すれば慎重に検討すべきそういう要件がたくさんあったのにいい気になってしまったのです。(1)

私は地震学者ですからなんとなく地震の気持ちが分かるような気がします。地震の気持ちになると人間に対して「これでもまだ分からないのか」という感じが今回しました。

最近、半藤一利氏の『昭和史 19261945(平凡社)を読みまして、改めてつくづく思ったのは日本のアジア太平洋戦争を引き起こして敗戦に突き進んでいった過程が、現在の日本の「原発と地震」の問題にあまりにも似ていることです。それに戦前戦中に陸軍大学を首席で卒業した非常に優秀なエリート軍人や政治家たちが「根拠の無い自己過信」や「失敗した時の底の知れない無責任さ」によって節目節目の重要な局面で判断を誤り、「起きては困ることは起こらないことにする」という意識で自らを欺いてきました。これは戦時中、山本五十六大将の搭乗機が撃墜されたことで米軍に海軍の暗号を盗まれていることに気がついても、海軍は「暗号が盗まれたことがばれたら大変な騒ぎになるから盗まれてないことにしよう」ということで放置しました。敗戦間際にソ連の対日戦参加が明らかになってきても「今ソ連に攻められたらたまらないから、攻めて来ないことにしよう」といって対策の検討を引き延ばしために、日本の国益は今に至るまで大変な被害をうけているのです。

こうした軍部の態度は、いまの原発に対する東電や政府の対応にそっくりです。原発を作った後に地下に活断層があることが判明しても「活断層はないことにする」と決めたり、柏崎刈羽原発の沖合いにM7.5くらいの地震を起こす活断層があるという学説があり「充分検討に値する」ということになっても「活断層は無いことにする」といって無視する。しかも現に失敗が明らかになっても絶対に非を認めない。こうしたことはテレビに出てくる学者でもよくお目にかかる光景です。

1970年代に四国に伊方原発訴訟が持ち上がり、地元住民の方々や医学者や関大の久米先生らが一緒になって闘ったのですが、この訴訟も裁判で国側証人が原告側に完全にやり込められて完全に原告側が勝っていたのに、この判決を書いた裁判長はこうした裁判経過を全く見ないで原告敗訴の判決を下しています。

私は、原発の危険性に反対する運動に参加したのは恥ずかしながら、こうした先輩のかなり後になってからで、1997年に雑誌『科学』10月号で「原発震災」という概念を提唱しましたが、当時それを引き起こす可能性が一番高いのは中部電力の浜岡原発なので、浜岡は廃炉を目指すべきだと訴えました。

ここで私が提唱した「原発震災」という概念は、地震によって原発の大事故と大量の放射能放出が生じて、通常の震災と放射能災害が複合・増幅しあう破局的災害のことです。こうした場合、震災地の救援・復旧が強い放射能のために不可能になるとともに、原発の事故処理や住民の放射能からの避難も地震被害のために困難を極めて、無数の命が見捨てられ、震災地が放棄される。さらに地震の揺れを感じなかった遠方の地や未来世代までを覆いつくし、おびただしいガン死や晩発性障害をもたらして、国土の何割かを喪失させ、地球全体を放射能で汚染することです。

この論文は、静岡県の中に波紋を呼び、県当局が専門家の意見を求める事態にまで発展しました。その結果が静岡県議会の委員会の資料に「石橋論文に関する静岡県原子力アドバイザーの見解」としてまとめられました。その中で現在、原子力安全委員長の斑目(まだらめ)春樹氏は、私の指摘した「外部電源が止まり、ディーゼル発動機が動かず、バッテリーも機能しなくなる可能性について」に対して「原発は二重三重の安全対策がなされており、安全かつ問題なく停止させることができる」と述べています。さらに私の「核分裂反応を止めても炉心の温度上昇が続くことについて」の指摘には「万一の事故に備えてECCS (緊急炉心停止装置)を備えており、原子炉内の水が減少してもウランが溶けないようにしている」と述べています。私のその他の指摘事項である原子炉建屋とタービン建屋の揺れ方の違いが配管に及ぼす影響、爆発事故が使用済燃料貯蔵プールに波及してジルコニウム火災などを通じて燃料放射能が一層莫大になるおそれ、ECCSの問題、とくにBWR(沸騰水型原子炉)では再循環ポンプが特に問題であること等もすべて大丈夫としたうえで、わざわざ「石橋氏は原子力学会では聞いたことが無い人である」と強調しています。

小佐古敏荘氏(東京大学大学院教授、316日付けで内閣参与になったが、430日辞任)も私の懸念をすべて否定し、「国内の原発は防護対策がなされているので、多量な放射能放出は全く起こりえない」「石橋論文は保険物理学会、放射線影響学会、原子量学会では取り上げられたことはない」「論文掲載に当って学者は、専門的でない項目には慎重になるのが普通である。石橋論文は、明らかに自らの専門外の事項についても論拠無く言及している」などと答えています。 

 

 地震「静穏期」の原発建設ラッシュと「化石的地震学」