自自公の違憲体制を
許すな
何でも大きければよいと大つづらを選んだが中からはヘビやら化け物やらがおどり出た「舌切り雀」の欲ばり婆さんのように小渕政権は、権力欲に目がくらんで自自公かき集めて国民には恐ろしい日の丸・君が代法、盗聴法、憲法調査会法、一億総背番号法などを生み出した。
われわれは地獄の業火に一時ひるんだようだがもう目を覚まして元気を出そう。われわれがすでに述べたように(八月号「岐路に立つ民主主義」)それは核分裂前の臨界点である。政界のあちこちに新しい奮起を促すことになろう。
その認識がなく角栄譲りの「数こそ力」を信ずる小渕・野中政権は、公明党を閣内に入れ込む大政翼賛政治をもくろむが自民党総裁選挙では、加藤紘一、山崎拓の二氏がともに公然と小渕総裁の自自公路線を批判して立候補している。原理・原則よりは権力にすり寄る志向の自民党の中では、自自公が権力維持のためやむを得ないとするものが半数を占めるがそれでも二〇%が評価できずで、一五%の評価できるを上回っている(一一日朝日)。
野党では第一党の民主党では熊谷浩議員を会長とする「宗教と政治を考える会」が八日発足し衆参両院から六〇人がこれに参加することになり、七日には社民党の北沢清功議員の呼びかけで「自自公政権と政教分離を考える議員懇談会」が発足している。創価学会に批判的な宗教団体で作る四月会にも動きがある。小なりとはいえ本誌もこのところ宗教と政治を考える論陣を張っているが国民一般も自自公へのアレルギーは強く、どの調査でも過半がこれに反対しており新聞の読者欄でも批判の声は盛り上がっている。
小渕・野中、そして背後の学会名誉会長を加えた「自自創隠れ政権」は、後世、国民を憲法に目覚めさせた「名誉」を与えられることになるだろう。創価学会は戦前、神宮神札を祭らず当局の弾圧を受け初代会長は獄死したほどの国家神道抵抗の勇者であり、また信者一般は本来護憲平和であったはずがその伝統を捨てて君が代法の推進に力を貸す誤りを犯した。
憲法二〇条は「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」とする。英文では「…いかなる政治上の勢威をも用いてはならない」である。公明党は、創価学会の政界進出計画によって生み出され、学会の猛烈な集票力によって政界で重きをなし、政権与党が国政壟断の野望のため幹部と協議し公明党の入閣をお願いする政治状況は、宗教団体が信者に対する宗教的権威を政治的勢威に転用した明白な違憲事態である。
公明党は九日の中央幹事会で「公明党と学会の関係は、自民党と各種経済団体、民主党と連合のそれと変わらない。また、政治上の権力とは、国が行う権力を宗教団体に与えないことだ」と弁明しているが(一〇日公明ネット)、憲法は政教分離に到る世界史にならい、かつは、日本で国家と神道と結んで数千万人の犠牲を生んだ悲劇の反省から「宗教団体」を特記してその政治関与を禁じていることも、また、国の権限の委任に解しては前段の「特権を受けない」と全く重複することも無視している。
創価学会が宗教として多くの人に人生の慰めと力とを与えたろうことは否定しないがその政治権力志向に護憲のわれわれは断固反対せざるを得ないし、当該宗教団体にとっても宗教一般にとっても、それは社会一般から恐るべき反撃を招くものであることを知らせなければならない。自自公批判のすべての人々は(学会内にもあろう)一致してその迷妄を正してやらねばならない。(野村光司)
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