●プロフィール 黒岩卓実 TAKUMI KUROIWA 1947年 福岡県大牟田市生れ 1981年 9月、初窯を焚く しぶや・黒田陶苑にて個展 三越(日本橋)にて食器展 阪急百貨店(梅田)にて食器展 日匠展・中日大賞受賞/日匠大賞3回受賞 たくみ窯 岐阜県多治見市東栄町2-8-1 TEL0572-23-8827 ●プロフィール 黒田草臣 KUSAOMI KURODA 1943年 神奈川県鎌倉市生れ 明治学院大学経済学部卒 渋谷(株)黒田陶苑 代表取締役 『大備前展』『志野・織部展』など 現代陶芸作家の展示会を企画 月刊『遊楽』むげん出版にて「陶三昧の男達」 「陶の語りべ・今昔」などを執筆 光芸出版より「とことん備前」を出版 渋谷黒田陶苑 東京都渋谷区渋谷1-16-14メトロプラザ1F TEL03-3499-3225 黒田陶苑ホームページ http://www.kurodatoen.co.jp |
黒田●黒岩さんはかつて東京でサラリーマンをやっていたそうですね? 黒岩●ええ、正式に就職したことはないのですが。 黒田●それが本格的な焼き物の世界に入ったきっかけはどんなところにあったんですか? 黒岩●東京にいたとき、竹橋の美術館でアメリカの焼き物展をやってたんです。それを見に行って、展示されているオブジェみたいなものを見たときが、最初に陶器の世界に引き付けられる源だったような気がします。 その後、美濃の多治見市に意匠研究所という市の機関がありまして、そこが二年間の養成研修生を受け入れてくれたんです。 黒田●そうすると美濃に行った時は、陶のオブジェ制作を意識していたんですか? 黒岩●確かに当時はありました。 最初に刺激を受けたものがクラフトということもあって、クラフトをやりたいという気持ちの方が強かったですね。 意匠研究所の研修を終え、その後、伊藤慶二先生に師事しました。 黒田●すると、はじめは、伊藤先生から習ったクラフトみたいなものを手がかりに陶作を始めたのですか? 黒岩●そうです。最初は、伊藤先生のコピーみたいなものです。それでも一年半くらいやって限界を感じるようになりました。 その後、織部とか、赤絵を試みることになるのは、織部をずっとやっていた佐藤和次という友達がいたものですから。 クラフトの限界を感じていたことと、その当時、私はもう所帯を持っていて、今後どうやってその生活をやっていくか、家族を支える為には現実的な選択だったのです。 和次君の織部にはやはり魅力を感じましたね。クラフトというのが、いったん決められたモデルに向かって迫っていくようなやり方をするんですよ。 ところが織部は、なんというか音楽のジャズのように基本的なラインを決めて、あとはアレンジ、即興でとりまわしていくような、そんな自由さに魅力を感じましたね。 黒田●黒岩先生らしさが表現された織部になるまでのご苦労は、どんなところにありましたか? 黒岩●いまでこそ織部をやっっている人はたくさんいますが、そのころ和次君のように織部だけという人はあまりいませんでした。彼とは同じ歳なのですが、キャリアが10年も違い、器作りや仕事の仕方など多大な影響を受けました。 また、加藤掴也先生の織部にもあこがれていました。 織部というのは焼き物の技法のすべてが入っています。釉薬は灰を使います。織部は黄瀬戸や鉄釉やビードロと基本的には同じ灰釉です。 黒田●確かに生地をちょっとあやしたり、削り取ってみたり、下絵を描かないでやるとか、色々、手はありますね…。 黒岩●釉のかけ分けがあったり、大きいものも小さいものもわりと仕事に幅があって、やりやすいですね。 黒田●昔は茶陶的な感覚の織部というのが多かったけれど、今は日常的な食器も多く見られるようになり、焼き物の世界が時代とともに変わってきたようですね。 黒岩●いわゆる作家物と呼ばれ、名前とか個性を前面で主張できるような環境になってきました。 造形的な仕事、茶陶器な仕事、器の仕事、これらをすべてひっくるめて焼き物といわれてきているから、それぞれ仕事の質とか、仕事の場所とかで、拠って立つところの違いを作る側のほうから、それぞれ個性を主張していったほうがいいと思うんです。 もちろん、土を焼くという事実を踏まえてですが…。 黒田●先生の作品は個性を主張しながら、しかも焼き物本来の機能性もきちんと考えてつくってあるから使いやすく、そして使っていて楽しい。 ところで、赤絵をやるようになったのは、織部の後ですよね。そのきっかけは? 黒岩●単純に赤絵が好きだったからなんです。 伊藤先生が仕事の一部で赤絵を使っておられたんですよ。絵ではなく線ですけれども。私の絵は伊藤先生の線が元になっています。呉州赤絵の筆と織部の筆は筆使いや筆勢が似ています。 ウマイのかヘタなのか、勉強した筆では描ききれない何かが描いてあるような気がします。 黒田●普通、赤絵というと一般的なベースは磁器じゃないですか。 でも先生の場合はベースに土物を使い、つくりとしては、轆轤(ロクロ)で造ったものもありますけれど、タタラづくりのものが多いですね 黒岩●そうですね。でも、ロクロの仕事は好きです。美濃系の柔らかみのあるロクロを引いていると思っています。 ロクロの技術の内容というのは、突き詰めていくと土につきあたります。土が姿を、土が焼きをと、自然の理に適った流れがあるようです。 黒田●土がざっくりとして柔らかみが出ていますよね。タタラづくりもやわらかいカタチをしていますよね。 黒岩●はい。「型起し」でやるのですが、私はその型をアバウトに作ります。そのぶんだけ、姿がやわらかくなると思っています。 黒田●クラフトをやっているというところと転換したわけで、それがまた、赤絵と見事に合った。 クラフトって結構硬い感じがするんですか、転換することで、うまく組み合わせているんですね。絵のおおらかさが、器のおおらかさとうまくマッチングしているから、温かみがあり、うるさくないんですね。 黒岩●はっきり言って、そこに頼ってやっています。これまで、いい赤絵具(あかえぐ)にはなかなか出会えませんでした。赤絵具は釉薬と違って自分で作るのは難しいんです。 釉薬は、色々と調合が試せるんですが、赤はそうはいかない。 私の赤はある人から分けてもらっています。絵具をいただくだけでなく、上絵の仕事にも色々と相談に乗ってもらっています。 本当によい赤は、磁器であっても陶器であっても映えます。 ただ、赤絵具本来の色は、磁器の上に出ると思います。そのあたりは少しもどかしい気分がありますが、魯山人の赤絵の鉢なんかを見ますと、ぞっとするような発色があります。 黒田●先生の作品では、土ものに赤絵具のよい色が出てますね。 黒岩●赤絵具の色にずいぶん助けられています。この赤絵具に出会ってはじめて赤絵の作品がはじまりました。 赤絵は中国で生まれたものですが、私の赤絵は織部から生まれたものだと思っています。 黒田●先生の作品の赤の柔らみは、粉引に調和して非常によいと思いますね。赤も非常に落ちついた色だし。 昔の人っていうのは、赤っていう色を出すのに非常に苦労してきました。どんなところに一番のご苦労はありますか? 黒岩●季節によって発色がずいぶんと違います。赤絵具の作り方が暑い季節、寒い季節で全然違います。おそらく湿気とか気温とか、非常に敏感なためでしょうが、なんで機嫌が悪くなるのか、よくわからんのです。 昔の陶工が不利な状況でどうやって仕事をしてきたのか、そこにも非常に興味があります。 黒田●私はお客さんに説明するとき、「たたら」っていう言葉はわかりにくいから、手作りだって言ってしまいますね。だから、ひとつひとつ作品の大きさにも違いがでてくるものですと。 ただ、手作りって言う部分では、ロクロを使っても手作りですが、たたらは機械なんて一切使わない本当の手作りです。また、イコミ型に、やわらかいどろどろの土を流し込んで、大量生産する方法もある。だから、洋食器でもボーンチャイナなんかは、ロクロも使えないし、ましてや、手づくりはできない。 黒岩●イコミにも幾つか方法があって、エッジがくずれるから、ひとつの鋳込み型で何個しか取らないと限定がつくものもあり、価値の高いものがあります。 ただ、手づくりという言い方も、今の世の中ではわりといいかげんに使われています。 手づくりだからよいだろうっていう、不思議な判断もでてきてします。でも、手づくりでもよくないものはよくないんです。 逆に、量産の焼き物を作る側には価格を安くすることも含めてたいへんな力が注がれています。特に多治見周辺はそうなんです。そんなものがあって、はじめて我々の仕事が成り立っています。 黒田●たしかにあらゆる窯があって、燃料もいろんなものを使うし、美濃という地域は焼き物のショウルームみたいなところだね。 先生は、そこでなぜ、ひとつひとつ手作りでつくられるのですか? 黒岩●一個一個作っていますと一度に十個もできたら、さぞ楽なのに、と思うことも正直あります。 でも、自分の仕事がほかの人とどう違うのかを追求していったから現在の仕事があるわけで、日本の伝統的な焼き物は、何百年たっても新しい発見があります。 その発見の仕方も人それぞれで時代の眼であり、それは、焼き物にとっても我々にとってもうれしいことじゃないですか。。 黒田●先ほど、灰釉の話が出ましたけれど、まさにそういうことですね。深みがあるんですね。 ヨーロッパの食器は、表面がきれいであればよい。灰釉成分がないから、温度を低くしてしか焼けないんです。日本の陶器は、焼き込むから内部から何かが出てくるんです。炎の芸術というやつなのでしょうね。 焼き物は、そこに計算があるとはいえ、絵と違って焼かれなくてはいけない。一度自分の手を放さなくてはいけない。 焼き物に限らず、いろんな人の手が加わることによって、すばらしくなっていくものというのもありますよね。 焼き物であれば、火という自然の力が加わることによって、割れてしまうものや、とんでもないものができることもありますが、またすばらしいものがつくりあげられることもある。 黒岩●おもしろいですね。ただ、作る側は土の吟味とか、作りの吟味とか、焼きの吟味とか、またできることの計算、できないことの計算などなど……、そうしたものの向こう側に頼らなくてはならない「なにか」があるんです。 窯は寒くなってからがいいですね。だから、メインの個展が出てくるのは秋になってからということになるんです。 黒田●そういえば、昨秋、先生の個展は、赤絵の赤と織部のグリーンとの対比がよかったですね。 数量的にも、かなりのものがありました。あれだけのものを発想を変えて作るということは、大変なんですね。 先生はこれからまだまだ、もっとおもしろいものを作ることができる。しかも、「これを使ったら楽しいだろう」というものを作って、その器を使う人のイマジネーションを豊かにしてくれるはず。 黒岩●自由に使っていただいて、それが私にも刺激になります。実際、個展の会場で、自分の枠を外れた見方や注文をいただくことがあります。 新しいことも大切ですが、器づくりは同じものを繰り返し使っていくことも大切なことだと思っています。 黒田●マキで焼いてる人には、年に一回しか窯を焚かないって人もいれば、半年に一回って人もいる。そうかと思えば、一ヶ月に10回も20回も焼く人もいる、それが焼き物の世界……。 黒岩●器づくりは積み重なりがものをいう所があります。イメージや感覚だけではやっていけない所があるんです。 黒田●焼き物、もしくは織部を通して表現していきたいものは、どんなところに集約されていきますか? 黒岩●わたしは、ずっとこれまで「コト」にかかわってきたように思います。 焼き物をやっているコト、こうやってここにいるコト、黒田さんのところで個展をやらせていただくコト、いま器を作る仕事をしているコト、なんかです。それが特別の表現したいことにつながることはないんですが…。 ただ、ある時に作り手は健康的でいなくてはいけないということは感じました。焼き物には、健康的な気持ちでいることが重要視される、特に食器には要求されることがわかったんです。 健康的に作ると、使い手、お客様が感じてくれるんですね。すかっとした気持ちで、作ることが大切、それが、作品に出る。その時の気持ちが器の縁だとかに出てくるんです。 師であった伊藤先生のつくられる器は完成度の高い緊張感の高いものです。だけど、そのことで、私はしんどい時期があったのです。 毎日食べるお茶碗があまりに緊張しているのはつらいところがあります。 黒田●う〜ん、その辺が難しいところですね。ぜんぜん緊張感がないと、品がなくなるしね。 品というのは大切だから、ゆったりした食器の中にも、品がないと、あきちゃうからね。 黒岩●品というのは本当に大切で、最後まで本当に身に付けるれるものがあるものなのか、私にもわからない…(笑)。 黒田●久々に心の温まる赤絵に出会えました。今後のご活躍を楽しみにしております。
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個展会場にて
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黒岩卓実 作品赤絵片口鉢 赤絵九寸浅鉢 総織部すかし足付長皿 赤絵縁格子向付揃 赤絵花四方皿揃 織部さび絵足付長角皿揃 赤絵花とばし浅鉢揃 赤絵花文舟形皿揃 織部草絵とばし八寸皿揃 織部三日月鉢揃 赤絵胡姫文たたら片口揃 |