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 JUSTRITEのカーバイドドランプは、(NOS)WITH original Boxを99ドルで落札した。(Buy It Nowで購入が正しい)。
紙箱は説明書きに記載されていた通り、上面が欠損していたが、当時の値札まで張り付いていて、$3.17と印刷されていた。本物である(写真上)。欠損部分は下面をカラーコピーして復元出来た。
  「Carbide Cap Lamps」というカーバイドランプの博物館の様なサイトで調べると、私の落札したものは、JUSTRITE STREAMLINED NO.2-840で、1939年頃に製造されたと記されていた。世界中が第二次大戦に向かって進んでいた頃である。
 「STREAMLINED=流線型」とは、其の昔、ツェッペリン社が風洞実験で「累積分布曲線から成る魚雷型」と分析した。更に全長と円形断面の直径の比率が(6:1)が最も空気抵抗の少ない形と結論した。そして巨大な硬式飛行船を制作した。数Uまでの私には到底理解出来ぬ。
 Lz129 Hindenburg号(写真上)は正しい(6:1)であった。全長245m、ダイムラーベンツエンジン1200馬力×4台を搭載し、最大時速135Kmで1936年3月に初飛行。36面の外皮で囲まれている。1937年5月レイクハースト海軍飛行場で爆発・炎上した。
 この事件はあまりにも有名でユーチューブで常時観る事が出来る。同型船に Lz130 Graf ZeppelinU号が有り、其れが独逸の最後の飛行船となった。
 Lz129 Hindenburg号は正確な流線型であるが突起物が少ない。整いすぎて遊び心が無い。品行方正な優等生の学童が書いた「作文」の様だ。此の「ドイツ・レベル社」製のプラモデルは、1/720 全長35.2cmである。
 垂直尾翼の上下に第三帝国の旗を貼り付けるのがモデルとしては正しいが、もっともドイツ製なので、附属のデカールは赤い旗だけで「肝腎の部分」は消去されている。「仏作って魂入れず」が今のドイツの良識と遠慮なら、何も張らない方がスッキリしている。そうして私は世間的には良識人に成りすまして居る。


 一方一代前のLz127 Graf Zeppelin号は正確には(7:1)全長236.6m、連合艦隊旗艦「長門」の全長224.94mより少し長い。
 V型12気筒Maybachエンジン550馬力×5台搭載し、最大時速128Knで1928年9月に初飛行。28面の外皮で囲まれている。
 ダイムラーベンツ社の主任技師であったマイバッハは1909年にダイムラー社を辞し、ツェッペリン伯爵のためにエンジンを製作する会社(Maybach-Motorenbau GmbH)を設立して其の製品を Lz127 Graf Zeppelin号に搭載した。Lz127は世界一周旅行に挑戦した事でも有名である。
 途中1929年8月には訪日した。当時神田に住んでいた 11才の親父も見て、途轍もなく大きな物だと云っていた。そして、21日間で全行程を終えた。
 此を見て、斎藤茂吉が「きさらぎの 天つひかりに 飛行船 ニコライ寺の うへを走れり」と詠んだと云う説が有るが、実は大正二年二月、ドイツ製のパルセハール軟式飛行船が所沢と代々木の練兵場を往復飛行したものを見て詠んだ。詠まれた季節がZeppelin号と合致しない。
 1940年3月、ヘルマン・ゲーリングの命令によりLz130 Graf ZeppelinU号と共に解体され、アルミニウムの部品は他の兵器に転用された。
  Lz127の模型は日本のエアロベース社製でステンレス製のスケルトンモデル、1/1000 全長23.6cmがある。同社のシリーズとしては最高傑作モデルと思う。其の下は私手作りのソリッドモデル、1/200、全長117.8cmである。ペーパークラフト(写真下)に附属していた設計図より5mmバルサ材で骨組みを作り、隙間を25mmスタイロフォームという発泡プラスチック(断熱材)で埋めて、表面にパテを盛り込んで仕上げたものである。表面が、のっぺりしているのは、単なる手抜きで、正確な28面体は厳しい。併しホーク社のプラモデル 1/245(多分世界最大のプラモデルの飛行船で通販価格16,380円)より22 cmも長い。而も材料費は世界一安価である。(注 Lz127はGraf Zeppelin  Lz130はGraf ZeppelinU)


   Lz130 Graf ZeppelinU号はプラモデルでは「ドイツレベル社」の1/720 が存在するが入手困難である。
鉄道模型で有名なメルクリン社でも金属製の精巧な製品を製造している。小さいが、流石に同社の鉄道模型と同じく、重厚で、胴体の外皮は36面体を 20面体位に略してあるが、やはり鉄道模型と同じく高価である。
 25年前に訪れたミュンヘンの酒場には、よく飛行船のモデルが置いてあった、時代を超えて国民に愛されているのであろう。蛇足だが、1935 年以降第二次世界大戦終結までドイツ軍戦車のガソリンエンジンは、ほぼマイバッハが独占していた。
 そして、皮肉にも1966年には、ダイムラー・ベンツ社の傘下となった。   流線型は自動車部門でも流行った、やはり飛行船が絡んでくる。先程のツェッペリン社の研究者だったパウル・ヤーライによって、流線型車体が考案された。ヤーライの提唱した流線型自動車は、ボンネットや屋根、フロントウインドシールドに曲面を取り入れ、後部は長いテールを伸ばして、車体全面が空気の流れに逆らわないようにデザインされていた。また、ボンネットや屋根を低くする配慮が図られた。ヤーライ理論によって製作された流線型試作車は、小さい非力なエンジンで驚くほどの高速を達成し、着想の正しさを証明した。併し、ヤーライの流線型車体は、1920年代の常識からはあまりにもかけ離れていたので量産車向きではなかった。
ヤーライ理論に基づくスタイルを受け継ぐ自動車で、史上もっとも有名なのは、ポルシェが設計した車で、のちのフォルクスワーゲン・ビートルとなる。著作権が絡むので写真は掲載出来ないが、Paul Jarayでググると奇妙奇天烈な流線型の自動車を観る事が出来る。

 同じ頃鉄道部門は、極東で満州鉄道の特急「あじあ」を牽引した、パシナ形流線型機関車(パシフィック型の7番目)が制作されていた(写真下)。「紫電改」で有名な川西航空で風洞実験もした。これも空力学的研究された流線型の機関車である。最高速度130km/h、表定速度は82.5kmに達した。飛行船並みの速度で、戦前の日本最速の機関車であった。



 併しブームと云うものは恐ろしい。米国では、1930〜40年代の流線型デザインの流行はすさまじかった。空気抵抗とはまったく関係のない物まで流線型でデザインされ、その形が「最良の形」と、一般大衆に受け入れられてしまった。
 JUSTRITEも此にうまく便乗したクチであろう。注水口や水滴調節装置が配置されるランプの上面は、たいがいの物が円形なのに対しJUSTRITEは流線型である。
 普通の男性用腕時計の如く12時と6時の方向が出っ張っていて、更に飛行船の横断面の一部の様な形が特徴である(写真下)。総てのパテント等の情報は此所にプリントされている。水を収納するだけのタンクも、側面は上方に緩やかに凸状のラインで当時の布張り飛行機の翼の様な形を想わせる。(写真最下段)。併し空力学的な効果は期待出来そうもない。現在でもオークションにJUSTRITE社製品の出品されない日は無い。また、他社の製品に此の様な形状の物は無いのでスグに判別出来る。これだけは長所である。

 下面はいたってシンプルで生産国名しか書いていない。  4インチ(10.16cm)の反射鏡は後から新品を付けたと明記してあったが。クロームメッキの鉄製だった。此れだけは「香港の蝶」のニッケルメッキされた真鍮製反射鏡の方が優れている。此の業界では、汚れた部品の交換は明記してあれば許されるらしい。もっとも出品者は、カーバライトランプの部品屋を営んでいるので、汚れた部品を見つければ、すべて自社製部品に取り替えてしまう。出来るだけ見た目、形の綺麗な物を手に入れて火を点けたいと思う私の願望に一致している。オリジナルの部品を捨てて、後付け部品で置き換えられた物は歴史的価値が下がるであろう。表面処理を他の物と較べてみた。
 写真下左よりランプ上下側面、横川駅の「峠の釜飯」である。ランプの表面のザラザラは、素焼き部分と大してかわらぬが、余計な縦縞の分も加わった為、たかが駅弁の入れ物より仕上げが悪い。 各部品の接着に使う銀蝋も必要量以上に使うので、はみ出して汚い。総て設計者の好みである。此でも文句が出ないから、良く売れたのだろう。



 画面を180度回してして反射鏡を見ると筆者が写るっている。ギネなら撮影場所も解る。
 取りあえずランプを点灯して撮影、炎の撮影は難しい。炎の上下に朱色の「にじみ」が出る。

 炎自体動いているのだからしょうがない。い加減にシャッタースピードを遅くしてランプを主体に撮影。やはり炎はにじむ。写真下はシャッタースピードを1/500秒で炎を主体に撮影、炎「にじみ」は減ったが真鍮の黄金色も褪せた。

 1/1250秒にしたかったがランプを照らす強力な光源の持ち合わせが無かった。機能は前作に紹介したguyと同等か、其れ以上に扱い易い。同じ(nos)でも最初からポンコツの「蝶」とはえらい違いだ。と、書きたかったが、細火と強火の調節はノッチ一つ分だけで、中火は無視されていた。洞窟内では中火は不要と云う事なのだろう。写真中央の中火は細火から強火になるまでの数秒間の待ち時間に辛うじて撮影した。  多分洞窟内は禁煙であろうが、窟外では思い切り喫煙出来る。勿論、当時は高級品だったであろうライターなんぞは不要である。  前号で雑誌が読めると書いたが、写真右のごとく、暗闇で「だより]も読める。  JUSTRITEの製品には常に信頼性があった、1960年代までは最もポピュラーな製品だった。併しその終末期、1970年代に前稿で触れたプラスチックのランプを製造販売した。顔面の直上に設置されたランプが溶けたり爆発したりしたので怪我人、死傷者も出た。お目出度い正月号にそんな話は縁起が悪いので書けなかった。其れもきっかけの一つであらうが、1984年にJUSTRITE社は総ての生産を終了した。
 JUSTRITEはSTREAMLINEDとは全く容貌の違う形の製品も制作して居た。Horizontal typeという、水タンクが「ウヰスキーの樽の横置き」の様に見える。此の会社の初期の製品だが、STREAMLINEDが発売されても並行して製造され続けた。不格好であるが、何か心を引きつける。其れが生き残った理由なのだろうか?
話は再び大空に戻るが 、23年7月10日の新聞に「ジェットストリーム」のCDの全面広告か載った。 1967年にFM 東海にて放送開始。以来放送局も変わり、パイロットも何度か交代したが、現在なを放送され続けている。初代のオープニングは「ミスター・ロンリー」をバックグラウンドミュージックに、素晴らしい声のナレーション。

 「遠い地平線を越えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流はたゆみない宇宙の営みを告げています。満天の星をいただく、はてしない光の海をゆたかに流れゆく風に心を開けば、きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。日本航空があなたにお送りする音楽の定期便ジェットストリーム、皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私、城達也です」。
「夜明けのスキャット」と共にラヂオの深夜放送で聞いていた受験時代が懐かしい。飛行船から始まったSTREAMLINEDはジェット機にも通用する様である。

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