個人頁へもどる



   昭和24年開院の当院は昭和37年に大改築をして、私の部屋が出来た、中学以来現在に至っても寝起きを続けている私の部屋は、途中でカミさんが転入した外は、其の侭の形態を保っている。天井近くには、東医体優勝の写真と、瓦斯灯が吊してある。48年前には物置に置いてあったが、こんな所に置いておくと何時かは壊される、という危惧感から高い所へ吊したと記憶している。確か家庭用瓦斯灯は戦前にほとんど姿を消したと聞く。戦後の電力不足の一時期、家庭用の瓦斯灯は復活した。大都市圏や隣接地域の電力事情は悪く、よく停電した。私の幼少時は、やはり停電が多かった。而も長時間にわたる事も度々あった。近くにビルの少ない時代、二階の窓からは、江古田駅以外はすべて真っ暗な街を見渡せた。駅の電気は別回線である事を知った。こういう場合に備えて父が購入しておいたのかも知れない。彼は瓦斯の噴出口に、マントルさえあれば立派に着火し、かなり明るいものだと云っていた。


 何年か前にネットで、「瓦斯灯」で検索したがマントルを販売しているお店はヒットしなかった。いつか灯りをつけてやろうと思っているうちに年月だけは経ってしまった。今年は還暦、残された時間の方が少なくなって来た。ネットで「ガス灯 マントル」で探しまくったら、キャンプ用品でカセットガス使用の瓦斯灯が販売されていた、マントルのみ別売3個入りで945円也。(写真左)LPG(液化ブタン)用だ。家庭用天然瓦斯で使用してもたいして変わらないだろうと、いい加減な判断で購入した。エアーソフトガンにフロンガスの代わりにブタンガスを詰めてもBB弾は発射可能である。ほんの少し威力が減り。ほんの少し危険度が増すだけである。併し私はA型、疑り深いし、用心深い。カセットガスからも使える様に「カセットガス・トーチバーナー」も購入した、1600円也。分解して不必要な部品をすべて捨て、カセットガス缶に装着し、ハンドルを廻せばLPGの噴出量を調節出来る状態にした。(写真右)。 早速カセットガスでマントル無しの瓦斯灯に点火してみた。


 吸気口を最大に開いても、ひょろ長い赤い炎が出た、明るさは少ない割に、笠に煤だけは沢山着く。(写真左)家庭用瓦斯でも同じだった。(写真中)瓦斯灯にマントルを装着。マントルとは木綿などの糸で編んだ網袋に発光剤(トリウムおよびセリウム)を吸収させたものだそうで、巾着の様に上に縫い縮めた隙間がある。既製のマントルの穴はわが家の物のガスの出口より少し小さいらしいので、巾着の紐を切って拡げて装着した。ゴムの切れたパンツと同じで、此程心細いものは無い。切った紐の代わりに細い真鍮の針金で縛っておいた(写真右)。これならばズリ落ちまい。



 少し火を点けてみた。焦げた。(写真左3葉)更に燃やすと白くなった。これで準備は完了。本格的に家庭用ガソを流して火を点けてみた。あまり明るくはないが、ロウソクよりマシである。ガラスのホヤ(火屋)を被せてみた。(写真中2葉)やっと落ち着いた感じになる。終戦後、まだ進駐軍がいた時代の灯りを、平成に家庭で再現。灯りを見ていると心が和む。併し場所が分娩室なので少し興が醒める。用心深い私は、危険を伴う火遊びは、井戸端や、換気も良く、床がタイル張りの分娩室で行う。  同様にカセットガスでも試してみた。明るさに変化は無かった。(写真最右)下に見えるのが使用しているカセットボンベとトーチバーナーのなれの果てである。



 今年のお盆の「送り火」は仏前で瓦斯灯にした(写真左)。現世滞在中の父母はビックリされたに違いない。  因みに瓦斯灯を吊り下げている支えは母の小提琴の譜面台である。  翌日、医院の昭和の遺物置場に吊り下げた。(写真右)来年までお休み下さい。キミは調節が難しく日常の使用には耐えられないのだヨ!  

マントルさえ装着すれば、ガスは発光する。ガスを流して火の点く物は総て瓦斯灯化させることが出来る筈である。



 手始めに「カセットガス・トーチバーナー」に直接マントルを装着して見た。確かに発光するが炎先端部分に集中するので其処だけしか発光出来ない。  ブンゼンバーナーは幾分マシだったが、ガスの勢いを最大にしないとマントル全体が明るく光らない。ガス代の無駄。  間違えて購入した瓦斯灯型ライターでも試してみたが、低温なので冴えない。  こうなると、やはり本物と比較してみたくなる。横浜まで見物に行く気にはならなかったので、キャンプ用の「SOTOレギュレーターランタン」4980円を購入してしまった。




 ガスも均一に拡散しマントル全面にに当たるのでムラが無い。光量も抜群である。我が家の秘蔵の瓦斯灯よりも数倍明るかったし扱い易かった。総てにおいて勝っていた。  我が家の瓦斯灯はよく見るとアダムスキー型の空飛ぶ円盤に良く似ている。ジョージ・アダムスキーが円盤の写真を撮影したのは1952年であるから、似たような瓦斯灯はいくらでもあった筈である。火屋を外して、ピンポン玉の半切を3つ接着して、例の写真を撮ったのでは無かろうか?


 私の瓦斯灯だってフォトショップで一寸操作すれば、アダムスキー型の空飛ぶ円盤になる。第一種接近遭遇の写真である。円盤は反重力で飛ぶ位は知っているが、此は火を噴いている。出身は瓦斯灯なので洒落てみただけである。

個人頁へもどる