カーバイドランプが正しい名称だが、手塚治虫氏のおかげでアセチレンランプの方が日本では通りが良い。だからアセチレンランプで通すが、国外のサイトでは carbide lampで検索した方がヒットする率が高いと思う。
私が学童の頃、父に連れられて銀座の裏通りを歩いていると、遠くにアセチレンランプの灯が見えた。父がきっと面白いものを売っているよと云うので付いていった。進駐軍の払い下げなのだろうか、屋台には怪しげなる輸入品が置かれて居た。
水牛の角がグリップになっている折りたたみナイフを買って呉れた。 戦時中は北支で水牛を食べて飢えをしのいだ父が、懐かしく思ったのかも知れない。他に客は居なかった。私達が去ると店主は、また一人で客を待つ。時々振り返ってランプの方を見たが新たな客は来ない様だった。寂しいだろうな、と子供心に思った。
自宅の付近にある、通称「おいなりさん」と呼ばれる氷川神社の境内では、夏になると下一桁に3の付く日には縁日が立った。行く目的は雑誌の付録であった。此所では各種雑誌の付録だけをバラで格安で売っている。私は毎月少年クラブを購読していた。少年画報に素敵な付録が付いていても、たった一つの付録のために丸ごと雑誌+他の不要な付録の購入は贅沢と思った。其れを手に入れる僅かなチャンスがありそうなので、縁日詣では止められない
テキヤ(的屋)さんは電灯を灯す者も居たが、端の方にアセチレンランプを灯して商売をしている者も居た。電線が届かないのか、電気代が払えないのか、訳有りで、場を取り仕切る親分に意地悪されているのか?其処だけ一段暗い、どこかうら悲しさを感じさせる。併し「球面」で照らす電球と違い、少しオレンジ色がかったまばゆい光の「点」が、商品や店主、雑踏の陰をくっきりと描かせている。風が吹くと炎が揺れて、陰も一緒に揺れる。そして其の先は闇である。神社の境内で、其処までが現世との境の様に感じられた。
慈恵医大の学生には銀座に繰り出す上流階級と、新橋で飲む中産階級が居たが、勿論私は後者だった。研修を終えても、習い、性となり、何か深い下心のある時以外は、新橋で飲んだ。酔っ払った帰りは新橋駅で国電に乗るのだが、そんな時間でも駅前の路上で、磯辺焼きの露店商がアセチレンランプを灯して商売していた。あまり売れていない様だった。此れが私のアセチレンランプの見納めだった。
そんな雰囲気をもう一度味わいたいと思い、ネットで露天商用のランプを探した(写真01)。写真で見た露天商用は入手出来ず、レジャー用の集魚用ランプしか購入出来なかった。5200円也。コロナランプ(ACETYLEN LAMP)と書いてある(写真02)。カーバイドは入っていなかった。ランプ業界の常識では燃料は自前なのかも知れない。不本意ではあるが、また燃料を代引きで購入した。
併し、何という武骨な姿であろう。集魚は必要無いので反射鏡は外した。上に水を入れるタンクがあり、タンクの上部に突き出たツマミを調節することによりニードルバルブの、円錐型の弁が上下して、水の滴下量を増減出来る。其の下に内径9cm軸径1cmもある巨大なOリングが置かれ、2個の蝶ネジでしっかりと下部の燃料タンクと密着させる構造になっている。下部のタンクにカーバイドを入れる。カーバイドと水が反応するとアセチレンと水酸化カルシウムが生じる。CaC2 + 2 H2O → C2H2 + Ca(OH)2 受験生では無いのだから、化学反応式はどうでも良い。発生したアセチレンガスは其の圧力で火口(ほくち)より噴出する。水滴は2秒間に1滴位が適量だそうだが、タンクはトタン板なので落下する水滴は見えない。ツマミを何回廻せば適量の水滴が落下するのかが解らない。説明書さえ付いていない。使って慣れろが、設計者の意図らしい。 仕方が無いので、上のタンクを外してツマミを廻し、水滴の滴下量が2秒間に1滴位に落ち着いた頃下のタンクと固定した。
点灯すると少々異臭がするが、懐かしい匂いだ。家族一同は、ただ臭いだけと仰言るが、私にとっては鬼印優秀平玉火薬や、2B弾に共通する、「良い」香りである。皮蛋(ピータン)の好きな人は、香りも「良い」と感じるが、嫌いな人にはドブ臭いと一蹴されるであろう。撮影した診療室は暫く此の臭いが残った。 カーバイド500gで3時間から6時間は点灯出来る、明るさは10燭光(蝋燭10本分の明るさ)位らしい。無理して電球に換算すれば約20Wの裸電球くらいか。どうしても露天商用にしたかったので、真鍮パイプを購入し、火口の位置を下から上方に配管し直した。セメダインスーパーと半田付けで、其れらしいものを作る事が出来た(写真03)。
二又の火口から出た炎が交じ合って一本の光の帯になる。こうでなけりゃいけない。銀座、新橋、縁日の、寂しさやら、うら悲しさやら、現世の境やらの記憶が蘇った。 夜、当院の入り口の照明に、露店商用アセチレンランプを灯して見た(写真04)。只でさえ古い醫院に此の灯りだ、院長の私が見ても、ここは治療を受ける場所には見えない。むしろ其の逆だ。温和しく集魚灯の侭にしておけば良かったか?
後日、点滴により「水量に対する炎の勢い」の実験をしてみた。カーバイドを入れたタンクの上にタッパウェアの蓋をして、ビニールテープで何回も巻き付けて固定し、点滴セット21G針を注水用、火口用に18G針を突き刺した。病室の床頭台の上に置いた(写真A)。針が細いので光りも小さいが明るい(写真B)。もっとガスを出せばより明るくなるだろうと思い、滴数を増やした。
ビニールの蓋が除々に盛り上がり、ガスが漏れた上に引火した。まず点滴を止めてからシャッターを切った(写真C)。漏れたガスの炎は写真の倍以上吹き出ていた。 暫くすると煤が音もなく降ってきた。ベッドの真っ白なシーツの上にである。擦ると取れなくなる。一所懸命に息で吹き飛ばして煤を床に落とした。床は明朝出勤される看護婦様に泣きつくつもりで、換気扇のある台所に機材を運んだ。16Fのネラトンカテーテルの火口を追加して、減圧したつもりで、点灯した。途端にパーンという音と共に、蓋と21G針と18G針が別々の方向に吹き飛んだ。パーティ用のクラッカー10個分以上のエネルギーと思われる。幸い怪我はしないで済んだが、刺さると危険な注射針を探すのにかなり手間取った。
1970年代に米国の或るメーカがプラスチック製の鉱山用アセチレンランプを製造販売した。炭坑夫は其れを帽子の前に装着した。顔の直上で、タンクが溶けたり爆発した話は知っていたが、実際には同じ事をやってしまった。原因究明のための再実験など真っ平御免である。前回同様、煤が台所中に降ってきた。「男子厨房に入らず」、不法侵入及び放火は扨て置いて、台所はカミさんの管轄下ある筈である。坪井醫院の防火責任者たる院長は……カミさんに泣きついた。