『清進塾で考える。技のイメージ』

                                                                   平成18年6月18日開始 順次更新中

                                                                             文、作図:管理人

                                          稽古覚書

 

 頭でイメージできないことは、体で表現できないのではないだろうか。(四次元空間を平面で考える) そのイメージが誤りであるなら固執することなく稽古で修正していかねばならない。 技の土台は体の転換であり、稽古における技の積み重ねは、常にこの土台の上になされるべき、と確信したい。 記述はあくまで管理人自身の断片的な理解内容です。 道場の稽古を通じて、心に留めた事やその後に考えた事を、その都度箇条書きで加えています。⇒ブログ風。 したがって体系付けられた内容ではありません。 断定した語尾で書いていますが、誤りもあると思います。 先生が伝えようとしている技の正しい構造は各自が道場において研究してください。 皆様のご意見、ご指摘を頂戴できれば幸です。 そのスタンス  『合気道はむずかしい。同じ動作を何度繰り返しても、分けがわからない。 ダメなものを何度繰り返しても結局ダメなのでは? だったら一度すべてを空にしてやり直す。 とは言っても、どこから手をつけてよいのやら。 とりあえずいろいろな部分を考えて、その部分同士の関係を考える。 そこから全体とか本質がみえてくるのではないだろうか?』 ●(1)立居振舞い。 『正座 座礼 立ち方 座り方 歩き方』  立居振舞い。もしかしたらこれが全てなのかもしれない。  『正座』   背筋を伸ばすのは分かるとして、手の状態がむずかしい。 禅の定印、これは先生がよく採られてる方法だ。右手が下だろうか?  定印と自分の腹で小宇宙を感じる。こうなると空海の密教世界になるかもしれない。 手をももの上に置く方法 (写真左)。  手を腰の付け根に置くと緊張感が表現される。  反対に膝頭部分に置くと緩んだ感じがする。  手の指を開いたり左右の位置が異なると不安定、不安感が表現される。  親指が開いて目立つのも相手に何か読取られてしまうような気がする。  こぶしを握っているとやはり緊張感がある。   結局 肩の力を抜いて指先をそろえて自然とももの上に置くのが一番美しいみたいだ。  両膝の間は男はこぶし二つ分、女性はこぶし一つ分と本には書いてある。その理由はなぜか?  武道的には両膝をそれ以上大きく開くと即座の立位への立ち上がり、及び後方への対処がむずかしくなる。  からではないだろうか?  両膝が開きすぎていると正座から膝行へ移行時に上体が左右に揺れてしまう。   また正座においては上体と心の正中線を維持しなければならない。  つまり頭部、両肩、両脇、胸部等の上体が前後左右に傾くこと無く、正中線を維持しなけらばならない。それはなぜだろうか?     身体の不均等は重力と道場空間との間に、しいては宇宙空間との間に歪みが生じてしまうからではないだろうか?  相手の正中線の奪う武道においては、大切なことなのかもしれない。 女性が左右の指先をそろえ八の字に重ねて腿の中央に添える。なんとなく美しいのだが。  これはスカートをはいた現代女性の作法なんだろうか?。  それとも着付けなんかの和風文化にもともとある型なのだろうか?  サービス業の接客においては男も立位で行う基本的なかたちとのこと。(I先輩のご指摘)         ←この画像NHK趣味・裏千家より                                              裏千家では手は重ねないともお聞きしました。実際どうなんでせうか? どうやら亭主と客人の立場で手の置き方が違うらしい。(7/18) ●(*)『膝行』 ●(*)『歩き方』  おでこと胸部を結んだ線を意識して歩く。  右肩と骨盤の右前部。左肩と骨盤の左前部を縦の線で合わせて歩く。⇔体はねじれない。  なんば歩き。陸上の末次選手。一郎は?  デューク更家?さんはなんていってるのだろうか? ●(2)-1『体の転換の基礎となる足さばき』 平成18年合宿での課題でもあった。

 これが『体の転換』の基礎となる足運びだ。(↑上図) 図A(右半身の状態)から180度回転して図B(左半身の状態)になる訓練だ。その足さばきの順序を示した図だ。 逆にBからAへも同様の足さばきとなる。 この動作を繰り返して行う。その時に中心線と中心軸は決してずれないように訓練する。 これに縦の線上で体の移動が伴ったのが清進塾で稽古の始に行われる通常の『体の転換』だ。 ●(2)-2『体の転換の基本足さばき』

道場の畳の角の部分(+)を使って、足の運びが点対称となるように訓練する。 図左↓ 右足から踏み出す左回転。         図右↓ 左足から踏み出す右回転。 (角度180°の転換) 『体の転換』 図左↑(取りが左回転)において     ・取りの踏み出す右足は『回転』の足運び。(グレー⇒パープル)      左足は『開き』の足運びをなしている。     ・この時、前足のみに意識が集中してしまうが、前足と後ろ足は等価であり重心と意識は体の中心にある。      背骨を軸にして回転することによって中心を維持した縦直線上での重心移動が可能となる。  最初(上図)は角度180°の体の転換であったが、その角度を順次狭めて足の運びを確認していくのだ。  180°の体の転換はその角度が狭まるに従い『足の入換え』に変化してくる。下図@〜B  逆にその角度を同一方向にひろげて行けば回転運動へと発展していく。 『体の転換』の注意点     ・上体に不自然な調子や反動を付けない。上体はぶれない。           ・体は前後・左右・上下に揺れない。     ・頭をさげて下を見ない。目線は水平線の彼方に。(前傾姿勢をとらない。)     ・意識は自分の後頭部にあり、視界はそこから全体に拡がっている。(目付け)      体が180°入れ替わる時、自分を中心として意識の振子が東から西へと大きく飛翔する。      その時『体の転換』は大きな空間へと拡がっている。(スケールの大きさ)下図参照↓     ・足の運びは円運動ではない。体(足)さばきは一直線上で行う。         ・肩の力を抜く。     ・体の各関節で動きを留めない。動作は決して途切れることなく気が体中を流れて行く。      転換の時、正に右手と左手が入れ替わる時が重要。一回づつで途切れることはない。      動作は常につながっている。手は左右の突きのごとく相手と繋がる。     ・受けは相手の中心を攻める。取りは相手の中心を捕る?。⇒相手の突きと蹴りを制している。     ・腰を引いて動作しない事。0608/09       ●(3)『受け身』    『腹(小宇宙)で受けをとる』ようにする。とはどういう事なのか?  『手から足へぬいていく。』とは? 手からいきなり足へは行かない。必ず腹(重心)を通りり貫けると云う意味か?  そして腹を通って手から足まで貫かないと、体のどこかでぶつかる。たとえば頭、肘、肩、背中、腰、足などをぶつけて痛める。  たとえば、手からいきなり背中や腰に落ちて痛めたりする。(前の回転受身の場合)  受けた相手の力を自分の間接や体の一部で止めてしまうのではなく、自分の体全体を使って流れを止めることなく足まで、  つまり地まで流す。それが受身・・・と云うことなのか?・・・『受けだけで三年』 ●(4)『正面打一教』 第一教とは一体何なのか。固め技と云うカテゴリーに分類されているのは結果に対してではないのか? それでは過程が見えない。 それ以前の、相手が正面を打つ動作にたいして、その前段階からの対応のことではないだろうか? そもそも正面打ちとは何なのか?。剣を一刀両断に切り落とす事なのか?今だに分からない。 具体的には一教は正面打ちに対し袈裟切りで対応することなのか? 手で受けてしまわない。間合いが離れてしまう。   相手の手でなく、下半身の足を崩すようにする?のか? でもどうやって?⇒先生は相手の手刀とあたる 前に前足をわずかに踏み出し間合いを詰めて相手を崩しているのだろうか?(7/7) 一教は面(平面)で受けないこと。押し返すのではない。 一教は天びんの支点となり鋭角の三角形が成立している。 一教は切り落とした時に相手の脇に深く入って決まる。(天びんの支点) 押える相手の腕は90°以上に揚げて押えること。⇒ こうすることで次の位置が途切れることなく、また無理なく取れるとれるからである。 このことは座りで稽古すると良く確認できる。 肩が硬くて脇が上がらない受けに対しては足さばきでその位置をとる。0608/09 一教は足の入換えがあるのでは?⇒ある。足を入換える。 柔道の背負投げとの共通点がある。 背負投げは相手を前に引き出して崩し、その中に自分が入って前に投げる手わざ。目線は投げる方向。 正面打ち一教は相手を引き寄せて、ためたエネルギーを・・・下に切り落とす(開放する)。? 『正面打ちに対して一教があるじゃん。だったらそれで全て終わりじゃん。  なのに正面打ちの入り身投げとか、小手返しとか回転投げとか二教とか三教とかあるじゃん。  一教がちゃんと決まってりゃ小手返しする事も入り身することも二教とか三教も必要ないじゃん。  ていうーことは。 一教を面(顔の事ではありません)で受けてしまう。?そこで相手に譲って入り身転換する。  正面で切り落としたけど不十分で相手はまだ攻撃してくる。だから小手返しする。  一教が決まらないから二教とか三教。・・・チューことなのかしら?』  だから一教が一番むずかしくて。わざの全て、つまり一教こそが極義なのだ?そして奥義こそが基本なのだ。(7/7) ●(5)『片手取り一教』 相手と間合いが合ってしまう。どうしたら良いのか? 相手が踏み込んでくる足の位置に対してどう処理するのか? 動かない相手に対しては? あたらない部分とは、⇒サイドから攻める。サッカーとの共通点。(O先輩の指摘) 足さばきによる方法 ⇒深く入って後ろを取ると回転投げへと発展するのか? 舟こぎ運動をどのように使うのか? 舟こぎ運動は直線ではない?横サイドの応用なのか? テニス、野球のバッティングの例、グローブでのキャッチからの類推。(打球は自分の中心で。) レベル(水平)を維持する。(上体は左右にぶれない) 手で相手の動きを感じ取ること。そして 呼吸(息)を止めない。(流れをとめないこと)一連の動きで処理する事。1.2.3の動きとならない事。 先生より『中心がはずれてしまっている』との注意あり。⇒自分の中心で処理する事。 その場合下半身(足)を使う事。(身幅の中での重心移動)を行う。レベル維持。 清進塾の{準備体操}の応用↓ @『両手の内廻し』A両手の上から下への『八の字廻し』の応用。 軸は右肩と左肩の二箇所で取る方法がある。背骨の軸一箇所でやると技が激しくなる???とは?(7/7) 片手取り一教は内から外へ(内側から外へ)入口を開けて外へ出る。足と手はナンバで同時。 当身を入れる。この時相手との間に三角形が成立している。足の入換え。0608/03 ●(6)『片手取り入身投げ』 ●(7)『片手取りの側面入身投げ』   シンプルな技だがとにかく多くの内容が含まれた技だ。よく分からないので、 とりあえずバリエーションを断片的に理解する。そして今後全体構造に迫っていきたい。    1. 上段の構えの肘を使う方法。 2. 相手の中心に入る方法。(相手の中に剣の柄を抜きつける。)間合いは近い。 3. 杖を使ったイメージ。返した腕はまっすぐと伸びる。腕の甲の側を使う。 4. 剣による切り落としのイメージ。手刀の刃で返す。一教系の技か?       相手と間合いが合ってしまう。ことに対して、どうしたらよいのか? に対し    『手と腰(体)は異なる動きをする。』とはどういうことなのか?    舟こぎ運動を応用できるのか? 相手が踏み込んで来た時は裏をとる。⇒現在別な動画060830 (リンク動画 大泉連合会 上村氏作成)            ↓        取りの肩の位置が常に相手の肩の前にあることに注目したい。(相手を自分の前には入れない。)    『相手は自分の前には来させない。』とは ⇒自分の肩は常に相手の前にある。     ⇔ 四方投げの場合、自分の肩は相手の後ろにくる。     肩関節の回転が大切。 ●(8)『回転投げ』 押し返すのではない。 清進塾で伝えられる正しい回転投げをなんとしても理解せねばならない。(したい。) 相撲の技でなんと云うのか?『引き落とし』か?? ●(8)『小手返し』 清進塾に伝承される小手返しを理解せねばならない。 それは振り回す小手返しではなく。また肘の間接を取る方法?の小手返しとも異なる。 それは重力に逆らう事なく、低く剣で切り落とすがごとく。 また静かに降り注ぐ梅雨のごとく? はたまた風呂敷をかぶせるようなイメージか? ここに清進塾の美学を見て取らねばならない。 ●(9)『正面打ち入り身投げ』


 相手の中心に入る。(相手の中心を踏んで)

     最初点で受けて、それが線の流れとなる。・・・ 点から線へ      その点から線の流れの軌跡が、外部から円運動として見えるのか?

     中心軸(取りの重心)の移動がエネルギーとなって相手を崩す力となる(赤い↑)。

     最後に相手の上体を返す。      イメージは図(A)でよいだろうか。全体としては直線が一本通っているように思える。

    図(B)の発展状態が図(A)となる。



 正面打の(入り身投げ 回転投げ 小手返) の差異

     小手返しは低い位置で相手の足元に切り返す。(下に切り落とす。)のに対して、       入り身投げは相手の中心を踏んで入り最後に相手の上体を返す。上下の高さが異なる。

   ●(10)『片手取り四方投げ』  腰がぬけないように。→であるなら何故に腰が抜けたような動作になってしまうのか? くぐる(潜る)のではない。 扉の開いた部分に入る。 そのためには外足からの踏み込み角度と踏み込みの位置が大事。(深すぎぬこと) 三角形が成立する位置で踏み込むこと。 足の踏み込みの角度は相手の足に対して90°位かもしれない。 これで安定した四方切りの位置がとれる。切り下ろした時の後ろ足の角度が大事。⇒相手に向いている事。 0608/09 腰は上下することなく低く能楽のように、そして動きは止まることなく幽玄の世界を流れていく。 それに対して上方に貫く場合は背骨の軸を使い技は激しくなる。(受けの落差も大きくなる。)(7/12) 両手(剣)は真正面に振り上げるのではない。 自分の肩は相手の後ろにくる。⇔側面の入り身投げとの違い。 四方投げは『下から上へ』一教は『上から下へ』0608/09 ●(11)『横面打ち四方投げ』 相手の横面打ちを切り落とす。 相手の横面打ち(餌エサ)を充分待つ。引き廻すのではない。 相手の横面打ちに対して足を入れ替えて、鋭角で相手の中心を捕る。 ●(12)『呼吸法』 『呼吸法は頑張り合いではない。』との事だ。  であるなら取りと受けの間で、お互いが何を確認していく稽古なのか?                                  ●(12)『技に共通するイメージ』 技はお互いの動きの中から生じてくる。手を持ってから、『はい開始!』のセットプレーではない。(O先輩の指摘) それだけの技から⇒体の全体の動きにつながる発展的な技へと。(受けも同様) からだの点(部分)から線へと、体の全体を使った動きへと発展させる。その方が健康的。 最終的にはその動きが宇宙へと開放される。    (地)⇒(人間の腹小宇宙)⇒(宇宙)  逆に(宇宙)⇒(人間の腹小宇宙)⇒(地)この∞の循環が気の流れなのか? 受け流しってなんだ〜だ?入り身投げのことか? 受けも取りも手で相手の動きを感じ取ること。 肩どり胸取りの場合受けはその部分で感じ技を施す。 『単に激しく荒い稽古ではなく。かといってただ仲良く楽しく汗をかけばよいのでなく。 ただパターン化された動きではなく。 相手を痛める稽古ではなく。己を痛める稽古ではなく。 ともに何かを感じあっていく稽古。本質を見つめて行く稽古。 触れ合った部分(手)から感じとって行く、取りと受けの場における流れの関係性。 それは男女であればどうしても。・・・』(7/12) 意識する稽古と意識しない稽古。(意識と無意識)0608/09 考えることと無分別(観察・対象化しない)