私の合気道 平成21年5月 合気道 清進塾 北村 嘉章 私が合気道を始めたきっかけは、健康回復がしたいという不純な動機でした。44歳の頃から、健康診断で「血圧」「血糖値」「中性脂肪」が異常に高く、「動脈硬化」と「心臓の不整脈」があるとの診断結果(死への五重奏)が続いていました。元々根明の性格なので、「そんなの関係ない」と嘘ぶいておりましたが、ある医師から「このままの生活をしていると50代で死にますよ」との真剣な言葉から焦りが出て、1年間 東京でも有名な聖路加病院へ通い始めました。そろそろ1年が経とうとしている矢先に、46歳の時に担当医師から突然叱られました。「1年間この病院に通っているのに、全然改善されていません。何をやってきたのですか!」それを聞いた私は少し切れ気味に「私も一生懸命にウォーキングをして、薬を飲んで頑張って来ました。これ以上どうすれば良いのですか?」と切り返しました。先生曰く、貴方はスポーツをして体質改善するしかないですね、そうしないと薬の効果も上がらないと。私は、その担当医師からの言葉で目が覚め、本気で決意をしました。今まで何だかんだと健康から逃げて来ましたが、これは本腰を入れてスポーツをやって、絶対に健康になろうと。 その時から、インターネットで40代後半でも出来るスポーツを探しまくりました。この年だから、他人との連携プレーで行う団体競技は無理だろう。テニスとかバドミントン・卓球では自分は目が悪いから無理だろう。柔道は耳が潰れるし、空手は手が潰れそうだしどうしよう?そんなこんなで悩んでいる内に、「何歳からでもできる合気道」との言葉が目に飛び込んで来ました。と同時に、小学生の頃、近くに合気道の小さな道場があり、やりたくて母親にお願いした時に「そんなお金は有りません」とすっぱりと断られて諦めた事が脳裏に蘇えってきました。そうだ、私は昔から合気道がやってみたかったのだと。ならば合気道にチャレンジしてみようかなと。まずは週1回から始めようと都内にある道場の日曜稽古に見学の後に意を決し通い始めました。ところが、見るのとやるのとは大違いで、簡単そうに見えた合気道の技も、体の硬さ故か思うように体が動かずに中々上手く出来ませんでした。この年では無理なのかなと思いつつも、それなりに通い続けていると、受身や膝行、そして一つ一つの技の難しさが逆に楽しさに変わっていきました。そうなると、週1回では満足出来なくなり、会社の近くにある中央区の合気会にも通い始め、2つの道場を掛け持ちしてみました。それでも、何となく満足感(恐らく一つの道場で落着いて稽古がしたかったのではと思います)が満たされずに、二つの道場に通いながらも並行して他の道場も探していました。そんな時、会社からの帰宅途中で、夜7時半という遅い時間から稽古ができ、週4回も通える自分にぴったりの道場に巡り合いました。それが、現在ご指導を頂いている「合気道清進塾」です。直ぐに塾長の武田先生に長文のメールを送信申し上げ、入門の許可を頂きました。と同時に、二つの道場とお別れを致しました。 早いもので、あれから既に3年半が経ちました。振り返ると、最初は体に痣だらけで、受身で頭や肩、そして腰や膝も打ちました。更に、昔からの古傷(膝下のオスグットの病気)がぶり返してきて、柔軟運動がきつくて大変な時もありました。しかし、先生を初め諸先輩のご指導を受けながら、合気道の難しさと楽しさが少しずつ深まって行く中で、自然と膝の痛さも和らいで五十肩も治っていました。今でも不思議でなりません。 それからも、清進塾の合宿に参加をさせて頂き、ざっくばらんに合気道や仕事の事、更には私生活の事も話し合う中で、良い人間関係に恵まれて楽しく稽古に励んでおります。全日本合気道演武大会にも参加して、日本中の老若男女が演武する合気道の技を見て、自身の合気道の浅さも感じました。考えてみれば、会社の中では得られない数多くの大切な物を学ばせて頂いたと実感しています。 最近、強く感じるのですが、合気道の技は「他人からの技を感じて学び(盗み)、いかに自分の技に昇華させインカネーションしていくか」その繰り返しの稽古の中で高めて行くものだと強く思います。もちろん、私にはその事は出来ていません。ですが、これからも日々の稽古の中で、武田先生からの技・諸先輩の技を感じ、学び、盗み取りながら、自身の人格と技を高めて、他人と争わない武道である合気道の深さをもっと多く学んで行きたいと思います。最後に、私の人格を高め・健康回復に向かわしめているもの、それが私の愛する合気道です。年齢に関係なく、いつまでも謙虚に前向きに挑戦し続けられる深い武道であると確信します。これからも、自身の体の続く限り一生涯稽古に励んで、ほんの少しでも武田先生・諸先輩の皆様に近づきたいと心からそう思っています。
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