道場生コラム(その2)  2002年3月18日 

Giorgio Olivieri

 
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出逢い

 私と合気道の出逢いはちょうど40年前に遡る。当時ヨーロッパへ盛んに武道関係者が渡り、精力的に様々な形でその武道のことを紹介していた。母国のイタリヤでは特に柔道はよく知られ、戦前から愛好家も多かったが合気道は殆ど話しにも出ない未知の存在だった。それもそのはず、一般のヨーロッパの人達が初めて合気道を目の当たりにしたのは1951年なのだから。

 その時、望月という実戦を重んじる武道家によって合気の技が初めて披露された。後にその功績でフランスの文化功労賞が授与されたのだが、これを見れば、武道がヨーロッパ人にとってどれほどの衝撃的ものであったかは分かるだろう。

 そして、私が40年前に見たのは望月氏のまな弟子の合気道だった。洗礼された演武会というより実戦の乱闘の形に近いものだったので、技の効果を疑う余地があり得なかった。その形のプレゼンテーションは未だに印象深く残っている。あのような切れ味の鋭い高度な技に魅了された私は、その日本人に合気道の指導をお願いしてみた。結果は『合気道ではなく柔道を暫く修行するようにと。』

 その関係で来日までしたが、後に事故で大怪我をしてしまい、余り手加減のきかない柔道を断念し、重い後遺症に克とうと『こだわり』の合気道をリハビリーのつもりで始めたのだ。

柔道と私の合気道の稽古法

 柔道、特に現在の静的"重道"とでも呼ぶべきものには特徴として相手と組み合って行う事が挙げられる。その中でも一番普通の稽古法である乱取りに話しを限定すれば、力という要素は大変な比重を占めているのでリハビリ用に大変考えにくいということになる。逆に合気道の場合、動きというものが最も目立つ要素と言えるだろうし、取っ組み合わないで相手の出して来る力をかわし、断然有利な体勢に成って(つまり体捌きを最高に活かし)始めて技を掛けるので相手の物理的圧力が殆どない状態で稽古が出来る。その為にリハビリ方法にもむいているように考えられる。

私のお勧めしたい合気道

 合気道を始めてから30年が経ち、この年月の間、何人が合気を始めたり合気を止めたりするのを見ただろうか。止めた者の大部分はきっと誤った取り組み方をした為だろうと私は思う。そもそも合気の技は会津藩の家老や上級武士用にまとめられたものだとされているので、運動的に年令に関係なく行うことが出来るはずだが、上級武士と一般の現在の民間人や特に若い人には当然違いがある。合気の技は丸腰だが剣術の動きを利用するもので、手と腕を剣の代わりに使う。上級武士のように剣術をマスターした者ならそれが自然にすぐ出来るが、そういう基礎を持たない人には取りあえず猿真似しかないだろう。その猿真似のレベルから抜け出せるかどうかがポイントではないかと逆に私は考える。

 合気の技は何千年前の昔から人間が生き延びる為一所懸命になって工夫を加えた結果として創られた。その技の本来の意味、深み、味わいといったところを正確に理解し、会得することを目的にすれば簡単に止められないはずだ。一生かかっても足りる訳ないのだから。その研究を途中で止めた場合、やはり着眼すべきところを見損なっただけのことになろう。

 武道すなわち合気道は日本の文化の特有な側面だと言えるが、先ずこうした認識が必要だと思う。それがあって初めて上述の望月氏が授与されたフランスの文化功労賞のいきさつが解ることになる。祖先の残してくれた財産を大事にした氏の心構えが高く評価された訳だから、それは我々の進むべき道ではないだろうか。

合氣道清進塾 東京都練馬区練馬2-23-8 TEL03-3992-9391