ワールドカップの仕組み
ワールドカップで何故こんなに盛り上がるかと言うと、オリンピックと同じように
4年に1度ということもありますが、オリンピックと違うのは出場するための
予選がとっ〜ても大変
なのです。
予選はヨーロッパ、アジア、北中米・カリブ、南米、オセアニア、アフリカの
6地区に分かれます。
★第一次予選(2004/02〜11)
アジアでは32カ国が参加。これを4カ国ずつ8グループに分けます。この8グループで第一次予選を行います。
そして、
このグループで1位
にならなければアジア最終予選には進めません。
今回、日本はグループ3で、オマーン・インド・シンガポールと同じグループ。当然、1位で通過しました。
アジアでは、日本以外に、イラン・ウズベキスタン・クウェート・北朝鮮・バーレーン・韓国・サウジアラビアが一次予選を
通過。中国やUAEなども強いのですが、残念ながら1位通過はできませんでした。
★アジア最終予選(2005/02〜08)
プレーオフ2005/11
一次予選を通過した8カ国を2つに分け、
各グループ上位2チーム計4カ国
がワールドカップに進出できます。
日本は今回、イラン・バーレーン・北朝鮮と同じグループ。日本はイランに負けたものの、無事1位、イランが2位で最終
予選を通過しました。
北朝鮮は、自国における試合の応援の模様が不適切だったことから、日本との試合はバンコクでの無観客試合となりました。
またアジア地区では、2つのグループの3位同士が戦い勝者(アジア地区5位)は、北中米・カリブ地区の4位と戦い、その
勝者はワールドカップ進出できます。こうした試合を
プレーオフ
と言います。
今回はバーレーンがアジア5位となり、トリニダード・トバゴと戦い、残念ながら負けたため、アジアからは日本のほか、イラン、
サウジアラビア、韓国の4カ国がワールドカップ進出です。
★他の地区の最終予選
ヨーロッパ地区は、
参加51カ国のうち
13カ国
(+ドイツ)がワールドカップに進出できます。
南米地区は、
参加10カ国のうち
4カ国(+プレーオフ)
が進出。
アフリカ地区は、
参加50カ国のうち
5カ国
がワールドカップに進出できます。
北中米・カリブ地区は、
参加34カ国はまず一次予選で12カ国に。次に二次予選で6カ国に絞り、最終予選で
3カ国
(+プレーオフ)
が進出できます。
オセアニア地区は、
参加12カ国のうちの勝者が南米5位と戦い、これに
勝てば1カ国
がワールドカップに進出できます。
出場国の一覧はこちら
★本大会グループリーグ
参加国は32。これをA〜Hまで4カ国ずつ8グループに分けます。
各グループの1位と2位
が決勝トーナメントに
進めます。
今回
日本(FIFA18位)はグループF
です。
なんと前回優勝のブラジル(FIFA1位)、クロアチア(FIFA23位)、オーストラリア(FIFA42位)と一緒です。
全グループの組み合わせはこちら
(FIFA)は、いわゆる
FIFAランク
と呼ばれるもの。各国のサッカーを順位付けしています。あらま、日本は勝てそう!と
言うわけにはいきません。FIFAランクはあくまでもランクで、ワールドカップでの強さとは違うんだねぇ...
毎月発表され、国際試合の勝ち点・得点が反映されています。表示は2006/05時点のものです。
FIFAのランキングについてはこちら
★決勝トーナメント
決勝トーナメントの組み合わせはこちら
日本がいるFグループは、恐らくブラジルが1位通過と予想されます。とすれば、日本は2位通過。Fグループの2位は
Eグループの1位と対戦することが決まっています。
じゃあEグループを見ると....チェコ(FIFA2位)・アメリカ(FIFA5位)・イタリア(FIFA13位)とこれまた強豪揃い。
★過去のワールドカップもろもろ
日韓共催の2002年ワールドカップ
では、ブラジルが優勝。ドイツが準優勝。トルコが3位だったのですが、韓国が4位と
大健闘しました。
このとき、日本はトルシエ監督。グループリーグを突破し、ベスト16までは行ったんだけどトルコに負けちゃったの。
1998年のフランス大会
は、日本が初めてアジア地区予選を制しました。この最終予選で我がレッズの野人岡野が
延長戦で決勝点をあげ本大会出場を決めたの!
「ジョホーバルの奇跡」
と言われています。このときはフランスが優勝、
ブラジルが準優勝でした。
でも日本は本大会では残念ながら1勝もできなかったのよねぇ...このとき、日本は岡田監督。
1994年のアメリカ大会
は、決勝戦はブラジルとイタリア。でも同点でPKでブラジルが優勝しました。
このとき、日本はアジア最終予選で敗退してしまったのですが、それが
『ドーハの悲劇』
です。日本とイラクの試合でロスタイムに
イラクに同点とされ、結果、韓国が進出を決めてしまいました。
このとき日本はオフト監督。