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 は じ め に

熊 篠 慶 彦 

突然ですけど人間って生物の一種ですよね。

生物であれば三大欲求は当然あります。食べること、眠ること、

そして子孫を残すこと・・・。

それはつまり本能的なものといってもいい。

自然と腹が減り、眠くなり、魅力的な異性と関係を持ちたくなる。

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何の因果か、脳性麻痺という障害とともに産声をあげた。

正確にいうと仮死状態で生まれてきたので、産声はあげていない。

しかし、幸いにして頭脳明晰(?)、言語明瞭(?)な

A男E男(???)である。メシはウマイし、よく眠れる。

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閑話休題・・・、いよいよ本題。

メシもウマく、バク睡できると、それはそれは健康体であり、

思考の行き着く先は「異性」ということになる。

人間30年も生きていれば、付き合った人の3人や4人や、5人や

6人はいる。勿論「そういう雰囲気」になったこともある。

が、好むと好まざるとに関わらず車椅子がついてまわり、

手羽先のような手が更衣に時間をかけさせる。

別に「そういう雰囲気」でなくとも、街へ出ただけでとても困難な

状況に陥ることは多々あるのだが、決定的な違いが1つ。

周囲に人がいるかいないか、つまり街中の段差などはさほど問題

にはならないが、「そういう場」は2人きりなのである。

歌舞伎の黒子でも出てきてくれ! と叫びたくなる。

しかし、その黒子的存在を公認し制度化している国がある。

彼ら黒子はセックスボランティアと呼ばれ、障害者と健常者、また

障害者同士のセックスに手を貸し、いかばかりかの報酬を得る。

さすが北欧の福祉先進国だと思う反面、日本の風土や文化には

きっと受け入れられないだろうとも思う。

だが、このHPを立ち上げた最終目標はそこ・・・、

「日本にもセックスボランティア制度を!」

である。 

冗談や戯言ではない、本気で、正気で、真面目に言っている。

確かに、今の日本社会にそう簡単に確立される制度だとは思って

いないし、それに向けた具体的な名案があるわけでもない。

ただ、今この文章を読んでいるあなたが、この考え方に賛同して

くれるならそれはとても心強いし、逆に賛同できないのであれば、

なぜ賛同できないのか聞かせてもらえると、それもまた心強い。

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簡単にいうと障害者の身の下話、マイノリティのシモの話は

タブーの中のタブーであるが、生物の三大欲求という観点から

みるならば、食欲に対する食事介助、睡眠欲に対するベッドへの

移動介助や更衣介助と同様に、セックスに対する介助があっても

いいのではないか?

タブーであるほど、本当は皆関心があるのではないかとも思う。

「五体○満足」の○トタケ君がどうやってケツを拭くのか、

どうやってマスターベーションするのか、気になって仕方がない。

何もことさらセックスにこだわる必要はなく、性欲を広義で

とらえるなら、例えば手を繋ぐというような「スキンシップ」に

手を貸すこともその範疇に含まれるだろう。

障害者によっては、「手を繋ぐ」という行為がとても困難なことで

あったり、またそれだけで性欲が満たされる場合もあるのである。

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で、それが何故にラブホテルや性風俗店の情報と関連するのか。

前述したように、障害者の身の下話はタブーの中のタブーである。

「車椅子宿泊マップ」なる刊行物にラブホテルは掲載されておらず

性風俗情報誌には障害者を「お客」とする記事はない。

つまり今の世の中、障害者はラブホテルや性風俗店を利用しない

ことになっているらしい(笑)。

まずこの辺の意識から変えなければならないと思っている。

自分でも卑怯だと思うが、このHPで「売買春」を議論する気は

ない・・・。あしからず。

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現段階で考えているのは、「公営風俗店」である。

「公営」であるからには、駐車場やらバリアフリーの設置、もっと具体的にいうと・・・、

「ベッド−浴室間移動装置」、「浴室・トイレに手すり」、「背もたれ付きスケベ椅子」

などなど、昔でいうところの「赤線」の復活である。(無理だろうなぁ)

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ネットサーフィンしているとエロ系掲示板に、単発で障害者の

書き込みを見ることがごく稀にあるが、その書き込みが発端と

なって大きなうねりになることは、まずない(ように感じる)。

障害者自身が開設しているHPにも、恋愛やセックスに関した

悩みを打ち明ける記述はあるのだが、そのこと自体をメインと

しているものは皆無に等しい(ように感じる)。

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出来ることなら、このHPが「大きなうねりの発端」になれば

と思っている。

だいたい「地下室」なんていう発想自体、タブーとして認めた

ようなものであるが、一般大衆の意識に変化が起きたとき・・・、

そのときには「熊篠邸の屋上」として再出発しよう。

太陽の下おおっぴらに語れる、そんな世の中になればと思う。

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