1997年 2月15日

ポートレート撮影は技術と話術

HARIが撮影会に参加しはじめて、もう4回目になる。
三回目の撮影会頃から、やっと満足のできる作品が出来はじめた。
じゃあ、それまでの作品はと言うと・・・、笑ってごまかすしかない。(^^;

撮影会参加者は、カメラを除けば基本的には同じ条件で撮っているのに、何故作品に差が出てくるのか。
もちろん、経験や技術の差は少なくはない。
だからこそ、ポートレート撮影の技術・テクニックが雑誌で特集されたり、本になったりしている。
だが技術は、ベテランのアドバイスと本で勉強し撮影会で実践すれば、半年もあればそこそこ身につく。
「ポーズ」も、写真集等を参考にすれば良い。
機材は、お金さえかければ簡単にそろう。

問題は、そこから先だ。
撮影会の参加者は、少々乱暴だがモデルさんに対して積極的にポーズを指示して撮影する人と、そのポーズを撮っている参加者に分けられる。
ここで、差が出来るのではないか。

たとえ同じポーズを撮り、結果的にはポーズを指示した撮影者よりよい写真が撮れても、それは自分の写真とは言えないのではないだろうか?
HARIは、自分の作品でその様な写真を「撮った」写真とは言わず「撮らされた」又は「撮らしてもらった」写真と言っている。
他人が付けたポーズが良くても、HARI流にアレンジして撮らなければ上達は無いとも思っている。
そして、モデルさんに指示してポーズをとってもらうのには、もう一つ重大な意味がある。
ポーズをとってもらう事によって、撮影者とモデルさんの間にコミュニケーションが成立するはずだ。
モデルさんにとって的確な指示であればあるほど、自分がどう撮られているか分かれば分かるほどコミュニケーションは深まり、それは信頼関係になって行くのではないだろうか。
モデルさんとの信頼関係が作れるようになれば、いい表情を撮れる確率は高くなる。

だからこそ、話術は重要なのだ。自分が望むポーズを、モデルさんに的確に指示出来なければ、「撮る方撮られる方」の両方でストレスが溜まる。
自分がどう撮られているのか分からなければ、モデルさんも不安になるだろう。
そんな状態で、良い表情が出来るとは思えない。
だが、会話を交わす事によってコミュニケーションがとれれば、「撮る方撮られる方」の両方が楽しめる。
良い表情・良い作品が生まれるのには、そんな状況からだと思う。

HARIは断言する、 「ポートレート撮影の最終的な差は、話術で決まる。」と。


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