養鶏場の決闘!
フル川 四万
〜1〜
 11月某日。ロサンゼルス郊外。
「はぁ、今日も疲れたな。」
 午前4時半。帰宅したライアン・レイノルズ(26)は、溜息交じりにそう呟くと、家の鍵を開けた。彼は、このところ寝不足で、ひどく疲れていた。
 彼の職業はケーキ工場の夜勤。定時で8時間働いた後、工場長から不良品の件で2時間詰められてしまい、心身共に疲弊しているのだ。彼の担当はスーパーマーケットに納品する9個入りのカップケーキのラインで、ベルトコンベアでランダムに流れてくるバニラクリームのカップケーキとミントクリームのカップケーキの適切な位置に、それぞれチェリーの砂糖漬けとミントの葉を乗せるのだ。これを延々8時間。一見簡単な仕事のようだが、これが意外に難しい。ランダムに、どんどん流れてくる2種類のケーキに違うトッピングを乗せなきゃいけないし、うっかりしていると流れてしまってトッピングなしのケーキ(不良品)ができてしまうし。特に、几帳面かつ細かさではコーンスターチの粉末にも負けない上に、急に怒り出すから、あだ名が“粉塵爆発”である工場長は、不良品の摘出にことのほか厳しい。今日も、ケーキとトッピングの組み合わせが違うと1割は弾かれたし、何も乗っていないもしくは1個のカップケーキにチェリーとミントが両方乗っている不良品も一定数見受けられ、今日も2時間の説教を食らったライアンであった。
 しかし、ライアンだって精一杯やっているのだ。手先が不器用で注意力散漫なのは、生まれつきだから仕方がないじゃないか……。これでも、先月までの担当だった“卵の殻を割って白身と黄身に分ける”作業よりは上手にできているつもりだ。卵の時は最悪だった。何度やっても白身に殻が混入するから、最後にバケツに入った白身から網で殻を掬い出す作業が追加で発生する。しかも白身ってのはプルプルでツルツルだから、掬っても掬っても殻はツルリと逃げてバケツに戻ってしまう。ゆえに、どうやったって時間内に作業が完了しなかったのだ。それに比べたら今はマシだ。殻は混入しないし、トッピングなんて、どっち食っても健康被害はないし、ミントの葉っぱなんて人類にとってない方がマシな物だし。
 それにしてもあの工場長、人を無能みたいに言いやがって……ああもう、考えると腹が立ってくるから、もう寝ちゃおう。と、テーブルに鞄を放り出して上着を脱ぐライアン。部屋は1ベッドルームの社宅なので、服さえ脱げば10歩でベッドだ。彼は、手早くセーターとズボンも脱いで、パジャマに着替え、ベッドに潜り込んだ。布団の暖かさをじわじわと感じているうちに眠気が襲ってきて……ああ、もう意識が……と、彼が眠りに落ちそうになった時。
 コケコッコー! コッコー! コケ、コケ、コッコー! コケコッコー!
 と、どこからかニワトリの声。夜明けは、まだ遠いというのに。
 コケコッコー! コッコー! コケ、コケ、コッコー! コケコッコー! コケコッコー! コッコー! コケ、コケ、コッコー! コケコッコー! コケッコケッ! コケコッコー! コッコー! コケ、コケ、コッコー! コケコッコー!
「あああ、うるさーい!」
 何百羽かとも思える大音響の鶏の声に、睡魔を根こそぎ持っていかれ、起き上がって怒りのまま掛け布団を投げ捨ててベッドから飛び出すライアン。
「チクショウ! 鶏まで僕の邪魔をするのか! 鳥類の分際で!」
 彼はそう叫ぶと、枕を壁に投げつけた。枕から零れた羽毛がフワリと舞った。


〜2〜
 12月某日。
「開けてー、あたしよー。開けてー。」
 ここはロサンゼルス郊外の、白き瀟洒な一軒家。目下Aチームのアジトであるこの家に、早朝から訪ねる者あり。
「エンジェル? カギ開いてるから入ってきなよ。」
 居間のソファで新聞を読んでいたフェイスマンが声をかけた。
「開けてよ! 手が塞がっててドア開けられないのよ!」
 と、エンジェルが怒鳴る。
「あー、はいはい。」
 新聞を置いて玄関ドアを開けに行くフェイスマン。
 外開きのドアを開くと、エンジェルこと新聞記者のエイミー・アマンダー・アレン女子が、大きな籠を抱えて登場。籠には山盛りの卵が。
「おはようフェイス、はい、これお土産!」
 山ほどの鶏卵を差し出す女史。
「卵? いや、うち今、卵足りてるけど。こないだ近所のスーパーで安売りしてたから、つい5ダース買っちゃったんだ。だから、今朝のメニューも1人3個分のハムエッグでさ。これ以上摂取したらコレステロールが上がっちゃうよ。特にハンニバルの。」
 敢えて卵を受け取らずにフェイスマンが答えた。
「何言ってるの、卵は完全栄養食だから1日10個までは許容範囲よ! 特に栄養不足に陥りがちな中高年には欠かせないわ! で、その中高年はどこ?」
 居間を見回すエンジェル。
「ハンニバル、今、庭でコングと素振りしてるから、呼んでくるね。」
「素振りって、野球でも始めたの?」
 エンジェルの疑問をよそに、台所を横切り、裏庭へと続くドアを開けて2人を呼ぶフェイスマン。程なく、ハンニバルとコングが戻ってきた。2人とも、手には素振り用の錘つきバット、額には玉の汗が浮いている。
「おはよう。どうしたの、朝からトレーニング?」
「おはよう、エンジェル。いやあ、コングが来週チャリティで草野球大会に出るって言うから、バッティングの特訓をちょっとな。」
「おう、近所の教会のチームでよ、俺はキャッチャーで4番だ。」
「草野球って、2人とも、野球経験あったっけ?」
「まぁったく、ない!」
 重い鉄バットで床をゴン! と叩いて言い切るハンニバル。フェイスマンが、あ、やめて、床に傷が……と言いたげに手を伸ばす。ここ、フェイスマンのガールフレンドの1人(プロ野球選手の彼女)の家なのだ。ゆえに、野球用具やトレーニング器具が豊富にある。
「要するに、暇なんだ。何せ、先月の依頼が今年最後の仕事だったからな。」
 と、ハンニバル。
「だから、依頼の話なら大歓迎だ。」
 実は先月、ひと月以上かかる見込みだった麻薬密売組織の調査と壊滅を、ハンニバルが唐突に思いついた奇天烈な作戦で、5時間と24分で終わらせてしまったため、現在は唐突に空いた年末を無為に過ごしているAチームであった。マードックなんか、暇すぎて家(病院)に帰っちゃったくらいだ。
「ふーん、それはよかったわ。じゃ、これ報酬の一部前払い。1ダース10ドルする高級な有精卵だから、ありがたくいただくように。」
 エンジェルは、そう言うと、テーブルの上に卵の入った大きな籠を下ろした。
「報酬が卵? それって……。」
「聞こうじゃないか!」
 フェイスマンが述べようとした報酬への懸念の語尾をぶった切ってハンニバルが言った。


〜3〜
 12月某日の翌日。ロサンゼルス郊外。
 1台のバンデューラが、とある養鶏場の前に停まった。降り立ったのはAチームの3人(マードック除く)。
「ここか、エンジェルが言ってた高級な卵を生産する養鶏場ってのは。」
 ハンニバルがあたりを見回す。目の前にあるのは、2000平米ほどの木造のでかい建物。屋根と梁、腰の高さほどの壁がある他は、頑丈そうなネットで覆われているだけで、中は丸見え。そこに無数の鶏が放し飼いにされて、自由に餌を啄んだり歩き回ったり、飛び上がったり喧嘩したりしている。
「高級って言ってもさ、俺たち卵を転売できるわけでもないから、是非報酬は現金で貰いたいよね。」
 と、フェイスマンが当たり前の意見を述べる。
「まあ、依頼人にも事情があるかもしれねえしな。」
「そうだな。」
「えっ、それマジで言ってんの?」
 なぜか現物支給に乗り気なハンニバルとコングに、フェイスマンが驚きの目を向ける。
 と、その時。
「やあ、皆さん、お待ちしていましたぞ。」
 養鶏場の横の建物(自宅らしい)から、1人の男が歩み寄ってきた。60歳くらいか、デニムのオーバーオールにネルシャツ、グレーの短髪に眼鏡をかけた、闊達な印象のオジサンである。
「ブリッジスさんだね、アレン記者から紹介されたスミスだ。」
「オーナーのエバン・ブリッジスだ。ヘンフレンズ養鶏場にようこそ。」
 2人はがっちりと握手をした。


 場所を移して、ここはブリッジス家の居間。奥様の特製焼きプリンとミルクセーキをいただきながら、話を聞く3人。
「うちは、最近では珍しくなったが、平飼いで鶏を飼っている養鶏場だ。平飼いってわかるかい? 鶏を狭い棚に押し込んで工場のように卵を産ませるんじゃなくて、うちは2000平米の敷地に、約2000羽を放し飼いだ。しかも、産卵する雌鶏だけではなく、元気な雄鶏も一緒に飼っている。やっぱり、雄鶏がいるといないとじゃ、雌鶏の活力が違うからな。ほら、何だ、最近流行の、モチベーションが違うって言うのか。割合は、雌鶏が大体1500羽、雄鶏が500羽だ。だから、うちの卵は栄養豊富な有精卵。飼料もオーガニックにして、できるだけ自然な環境で、ストレスなく卵が産めるシチュエーションを雌鶏に提供しているんだ。結果として、種類こそ普通の白色レグホンだが、栄養価の高い、健康にいい卵が生産できてるってわけだ。」
「だから1ダース10ドルなんていう値づけになるんだな?」
 ブリッジスの話を聞くハンニバルの横で、美味い、美味しいね、と言い合いつつプリンを頬張るフェイスマンとコングである。
「その通り。確かに高いが、それに見合った品質はキープできていると思う。どこに出しても恥ずかしくないし、どんな卵料理にもよく合う高級卵だ。」
 ブリッジスは、そう言って胸を張った。
「それで、困り事っていうのは?」
 プリンを食べ終えて我に返ったフェイスマンの言葉に、ブリッジスは、ちょっと待っててくれ、と席を立った。程なく、紙の束を手に戻ってくる。
「これを見てくれ。先週から、こんなビラが近隣に配られているんだ。」
 それは、A4判の紙に赤い太マジックで、以下のように書き殴られていた。
『ヘンフレンド養鶏場は、鶏を虐待している!』
『動物虐待反対! ヘンフレンド養鶏場の横暴を許すな!』
『オーナーは、鶏をいじめて喜んでいる変人で変態!』
『そもそも卵を食べるな! 卵は鶏の子供であって、人類の食料ではない!』
『ビーガン万歳! ブロッコリーこそ神!』
「ブロッコリーは、神じゃなくて野菜だよね。」
 と、フェイスマン。
「過激と間抜けが同居してる文面だぜ。封筒には入ってなかったのか?」
 紙をペラペラと捲りながらコングが訊いた。
「ああ。郵送ではなく、紙がペラっと1枚、ポストに放り込まれていたらしい。鶏小屋の裏にあるケーキ工場の工場長が、こんな紙が入ってたと教えてくれたんで、近隣に聞いて回ったら、ここ1週間で何度も入れられていたらしい。」
「環境活動家か、行き過ぎた菜食主義者か、その両方か。とにかく、過激な思想の持ち主のようだぜ。」
「そんなところだろうな。心当たりは?」
「ないな。うちは真面目に養鶏してるだけで、こんな中傷を受ける謂れはないんだ。」
「ということは、依頼ってのは、この中傷ビラを配った犯人を捕まえたい、ということか。」
「ああ。それと、鶏の数が微妙に減っているんだ。盗まれてるかもしれないから、それも調べてほしい。」
「微妙って?」
「毎月、月初めに鶏の数を数えるんだ。11月は、雌鶏1561羽、雄鶏520羽だったんだが、12月1日に数えてみたら、雌鶏1425羽、雄鶏522羽になっていた。」
「雄鶏が増えてんじゃねえか。」
「そこは誤差だ。人力で数えているからな。しかし、136羽減っているのは誤差じゃない。明らかに減っている。」
「しかし、過激なビーガンが鶏盗むかね。」
「……それはわからん、中傷ビラ撒きとは違う犯人かもしれん。そこも含めて調査を依頼したい。もちろん報酬は弾ませてもらう。」
「つかぬこと伺いますけど、報酬は現金ですよね?」
 フェイスマンが単刀直入に聞いた。
「……もう1つプリンはどうだ?」
 はぐらかすようにプリンを勧める依頼人の姿に、フェイスマンは一抹の不安を拭えない。
「話はわかった。まずは、あたしとコングで近隣の聞き込みから始めるとしよう。その間にフェイスはモンキーを迎えに行ってくれ。」
 微妙な空気を断ち切るようにハンニバルが言った。


〜4〜
 その翌日、退役軍人精神病院。
 カツカツと廊下を歩く白衣姿のフェイスマン。いつものように偽造の身分証を受付でチラ見せしつつ、すれ違った看護師のお嬢さんたちに軽く色目を使って、マードックが寛いでいるはずのレクリエーションルームへと迷うことなく歩を進めた。が、見渡す範囲にマードックはいない。そこで、監視役の若いドクターに声をかける。
「やあ、軍の追跡調査でマードックに面会したいんだが、今日は出てきてないのかな?」
 と、それらしい身分証をチラ見せしつつ問う。若いドクターは、疑うことなくフェイスマンに敬礼した。
「お疲れ様です。マードックなら、あっちの方にいると思います。」
 窓の外を指差す若い医師。
「あっち? あっちって、裏庭に出してるの?」
「裏庭か、その先の道路か、です。」
「道路って……規則では患者を敷地外に出すのは禁止のはずだが、脱走したってことか?」
「いえ、脱走ではありません。夕方、暗くなると戻ってきます。」
「ちょっとよくわからないんだが。夕飯を食べに戻るってくるのか?」
 フェイスマンの問いかけに、若い医師は溜息交じりに答えた。
「彼は今、自分が雄鶏だという妄想に取りつかれています。そう……先週くらいからかな? あ、ほら、鳴いてる、聞こえませんか?」
 医師の言葉に、耳を澄ますフェイスマン。確かに、遠くで鶏のコケコッコーが聞こえる。
「……で、夕方には帰ってくるって?」
「はい。鶏なんで、夜は鳥目で見えないんだそうです。夜中も部屋の電気を点けっ放しにするから咎めると、“電気は消さないでくれ! だって明るい方がいいに決まってるだろ!”って激昂して、なかなか消灯させてくれません。だから、外出しても、視界が効くうちには戻ってくる、ということで、自由にさせています。先生、これは、どういう心理状態なんでしょうか。マードックの症状が悪化してるんでしょうか? 少なくとも、改善はしていないように見受けられますが。」
 若い医師の真面目な問いかけに、フェイスマンはもっともらしく答える。
「うむ。悪化したかもしれん。今のマードックの症状は、戦闘疲弊症の症状の1つで、バード・トランスフォーメーション・ストレス・ディスオーダー、略してBTSDだな。ベトナムの奥地で農民が飼っている、どうしたって食われる運命の鶏に自分を投影してしまう、深刻な病状だ。珍しいが、稀に起こることがある。ちょっと本人と話してみるよ、落ち着かせることができるかもしれないから。情報ありがとう。」
 フェイスマンは、そう言って若い医師の肩をポンと叩くと部屋を後にした。残された医師は、手帳を取り出し、BTSDとメモを取った。


 さて、当の病人(BTSD)は、退役軍人精神病院裏の細い道路にいた。真っ白なシーツをマントのように羽織り、端っこを持った手を腋の下に当て、中腰で首を前後しながら鶏歩きをしている。頭には真っ赤なニット帽(先を結んでトサカ状にしてある)、足にはスリッパの上に真っ黄色の靴下を履いて、時折何かを啄むように地面に首を伸ばしつつご機嫌で歩いている。かなり完成度の高い雄鶏である。
「やあモンキー、楽しそうだね。」
「コケーッ、コケ?(フェイスじゃん、何々、仕事?)」
「そう仕事。いや、本当に偶然なんだけど、養鶏場の仕事が舞い込んでね。お仲間、一杯いるよ。行くよね?」
「コケコケッ?(可愛い雌鶏、いる?)」
「ん−、いるんじゃないかなあ。いい環境で飼われてて、かなりお嬢様っぽい雌鶏なんだ。」
「クルックー。(最高。もちろん行く。実は退屈してたんだよね。あーよかった。)」
 マードックは、今回もまんまと病院を抜け出したのであった。


 というわけで、アジトに集結したAチームである。
 ホワイトボードに中傷ビラを並べて貼って、作戦会議開始。
「まず手始めに、近隣の家や新聞配達に聞き込みを行った。結果、これらの中傷ビラが各家庭のポストに投函されたのは、夜間もしくは明け方、新聞が配達される前であることがわかった。」
 と、ハンニバル。
「ああ、ざっと調べたところ、ブリッジスとヘンフレンド養鶏場に恨みを持ってたり、ライバル関係にある人物は上がってこねえな。そもそも、あの地区に養鶏場は1件しかねえしな。」
 と、コング。そして続ける。
「そう言やモンキー、何で鶏の格好なんだ? 今回の依頼が養鶏場だから狙ってやがんのか?」
「コケッコー(いや、偶然)。病院のクリスマス会でプレゼントにこの赤いニット帽と、黄色い靴下貰ってさ、この色なら鶏になるしかなくない? 何か他に知ってる? 頭が真っ赤で、足元が黄色い奴。」
「いるじゃねえか、ドナルド・マクドナルドが。」
「惜しい、あの人は頭も足も赤くて、胴体が黄色。で、顔は白いんだ。キモいよね。」
「靴下は普通に履けばいいじゃん。靴とズボンでほぼ見えないんだし。だけど、そのニット帽は、どんな被り方であろうと却下。ダサすぎる。」
 と、フェイスマンが切って捨てた。
「えー、これ、同期が編んでくれた手作りの帽子で、オイラ割と気に入ってるのに。」
「同期って何でい。同じ時期に入院した患者か?」
「まあ、一旦落ち着きなさい。中傷ビラの件は置いておくとして、鶏泥棒の件だが、これはもう見張って捕まえるしかあるまい。もし同一人物なら一石二鳥だしな。」
 ハンニバルが話を遮り、とても原始的な作戦を提案した。


 翌日。
 ヘンフレンド養鶏場のブリッジスさんに作戦を伝えに行ったハンニバル。ブリッジスさんは難しい顔をして考え込んだ。
「うーむ。見張ってくれるのは嬉しいが、鶏、特に雌鶏はデリケートなんだ。ちょっとの刺激で卵を産まなくなってしまう。見張るなら、できるだけ普段の状態から変更のないように見張ってほしい。」
「わかった、なるべく善処する。」


〜5〜
〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 発泡スチロールの塊を電熱ナイフで切っていくコング。切れた発泡スチロールをスプレーで茶色く染めるフェイスマン。それを紐で繋ぎ合わせるコング。
 プリンを片手にブリッジス夫人と談笑するハンニバル。
 赤白黄色の布を縫い合わせるマードック。そこにパンヤを突っ込んで、量産した鶏の縫いぐるみを迷彩のギリースーツに縫いつけるマードック。
 ブリッジス夫人にプリンのお代わりを貰い、プリンを前にブリッジス夫妻と記念写真を撮るハンニバル。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉


 そして、その日の営業後の養鶏場。
 オレンジ色の小さな常夜灯がいくつかあるだけの暗い養鶏場の内部は、サッカーコート半分程度の大きさの敷地に、床には芝生、小さな丘や窪みが配置され、その横には鶏がゆっくり休むための小さな小屋がある。水飲み場兼水浴び用の池と餌場も程よく配置され、中央部に設えられた小さな繁みと共に、鶏が安心して過ごせる模擬自然が作られていた。そんな環境の中、鶏たちはあちこちにコロニーを作り、身を寄せ合って眠っていた。繁みの中でも、数羽の鶏が眠っている。
「みんな、持ち場についたか?」
 隅っこの飼料袋の山の間に座り込んだハンニバルが、トランシーバーで各々に問う。
「OKだぜ。」
 止まり木用の丸太に変装して転がるコングが答えた。
「俺っちも擬態完了。」
 背中にぎっしりと鶏の縫いぐるみを括りつけて繁みに横たわるギリースーツのマードックも、うつ伏せで答える。
「大丈夫……ちょっと狭いけど。」
 本物の鶏に囲まれて小屋の中で体育座るフェイスマンも言った。
 長丁場になるかもしれない今回の張り込み、できるだけ楽な姿勢で待てるよう、工夫を凝らした4人であった。
 時刻は夜の11時。1時間経過。何も起こらない。
 2時間経過、何も起こらない。この辺で、姿勢がキツくなったマードックが、仰向けに姿勢を変える。背中の鶏が全部押し潰され、驚いた周りの鶏が一斉にマードックの周りから飛び去った。


 5時間が経過した午前4時。
 養鶏場のネットを、そっと捲る人影1つ。その人物は、腰の高さの枠を超えてするりと中に入り込むと、持参した大きな袋(コストコの買い物袋)を手早く開いた。そして、手当たり次第に鶏を袋に詰め込む。夜目の利かない鶏たちは、簡単に捕まって袋に詰められていく。それでも抵抗する勇敢な雄鶏は投げ捨て、捕まえられる分だけ捕まえて袋に投げ込む鶏泥棒。しかし、投げ込んだ先から逃げていく鶏も多い。コストコの大袋は口が閉まらないので、簡単に逃げられるのだ。それを、各々の持ち場でじっとりと眺めるAチーム。
 そして突然、超明るいサーチライトが、男に向かって照射された。
「今だ、捕まえろ!」
 サーチライトを構えたハンニバルが叫んだ。コング、マードックは素早く起き上がり、フェイスマンは、よたよたと這い出して人影に詰め寄る。と、同時に、サーチライトで視界を得た雄鶏たちが、雌のピンチとばかりに人影に飛びかかった。
「わあっ! 助けて!」
 鶏泥棒はそう叫ぶと、袋を放り出して逃げようとする。が、雄鶏のキックを後頭部にまともに食らって倒れ込んだ。そのまま頭を抱え、丸くなった男の後頭部に、なおも執拗な攻撃を加える雄鶏たち。
「痛いっ! 痛いっ、ごめんなさい! 僕が悪かったから、やめて!」
 叫ぶ男。
「やめてって言われてもなあ。」
 と、フェイスマン。
「やってんの鶏だもんな。止めようがねえぜ。」
「だよね、でも、頭から血ぃ出てるよ。そろそろ止めないと。鶏って意外に狂暴なんだね、あ、耳も切れた、痛そう。」
「大佐、電気消したら?」
「おお、そうか。」
 マードックの言葉に、サーチライトを消すハンニバル。途端に大人しくなる雄鶏たち。そして、惨劇の中心で放心状態の鶏泥棒をAチームの4人が囲んだ。


 場所を移して、ブリッジス家の居間。捕まった鶏泥棒は、優しいブリッジス夫人から頭の傷の手当てを受けながら項垂れている。
「鶏泥棒さんよ、名前と住所、それから職業を述べなさい。」
 ハンニバルが鶏泥棒に問うた。
「……ライアン・レイノルズです。家は、そこの工場の社宅。仕事は、えーと、ケーキにチェリーとミントを乗せたりする係です。」
「裏のケーキ工場の従業員か。あそことは、いい関係を築いていると思ってたのに。」
 ブリッジスの言葉に、ライアンは頷いた。
「ライアン、どうして鶏泥棒なんかしたんだい?」
 フェイスマンの問いかけに、ライアンはキッと顔を上げた。
「うるさかったからです!」
「何がだ?」
「コケコッコーです! 毎朝夜勤から帰って寝ようとすると、決まって鶏の大合唱が始まって眠れやしない。でもって、寝不足で仕事に行くから、ミスが増えて、また工場長に怒られる……完全に悪循環だ。だから、鶏を盗んで少しでも数が減れば、鳴き声のボリュームもマシになって行くかと思って、ちょっとずつ盗んでいました。」
「そりゃまた気の長い話だな。で、少しはマシになったのか?」
「全然です! 前よりもうるさいくらいだ! それで、僕、気がついたんです! 言っていいですか!?」
 なぜか強気なライアンだ。
「いいとも、この際、言いたいことがあれば言いなさい。」
 と、ブリッジスさん。ライアンは、ブリッジスさんをキッと睨むと、こう言葉を続けた。
「この養鶏場は、鶏を虐待している!」
 ライアンは、言ってやった! とばかりに、フンッと鼻を鳴らした。
「えーと、何を根拠に?」
 と、フェイスマン。
「鶏の身からすると、こんなにナイス環境の養鶏場はないと思うけど。」
 マードックが追随する。
「だって、僕は100羽くらい盗んだんです、鶏。でも、どうやって処分していいのかわからなくて、捨てるのも可哀想なんで、取りあえず家のリビングに全羽放し飼いにしてたんです。もちろん、餌だって、飼料と小松菜買ってきて、ちゃんと刻んであげていました。いつも同じご飯じゃ飽きると思って、麦とか玄米もあげていました。やっぱりいい飼料をあげると羽の艶も違ってくるし。」
「おお、ということは、うちの鶏は生きてるんだな?」
 嬉しそうなブリッジスさん。ライアンは、そんなブリッジスさんを睨みながら続けた。
「でも鳴かないんです、鶏。どんなにうるさく鳴くかと覚悟していたのに! だから、あれだけ鳴くってことは、コイツ(と、ブリッジスを指差す)が鶏たちを虐待して、わざと鳴かせているとしか思えないだろ! だって、愛情込めて育てれば鳴かないんだもん、鶏!」
「愛鳥家かよ。」
 激昂するライアンに、コングが言い捨てた。じっと聞いていたブリッジスは、そっとライアンの肩に手を置いた。
「うちの鶏を大事にしてくれてありがとう。だけどね、君にはまだ知らないことがある。」
「知らないこと……?」
「君が盗んだのは、全部雌鶏。そして、夜明け前に鳴くのは雄鶏だけだ。」
「……鳴くのは、雄鶏だけ?」
 ブリッジスの言葉に黙り込むライアン。そのライアンにハンニバルが優しく尋ねた。
「ライアン、近隣にヘンフレンド養鶏場を中傷するビラを撒いたのも、君だね?」
「……それも僕です。僕が無知だったせいで、ひどいことをしてしまいました。ごめんなさい。でも、でも、ブリッジスさん、最後に1つだけ教えてください。」
「何だい?」
「もう時間過ぎてるのに、今日、雄鶏、鳴いてないじゃないですか! どうして鳴かないんですか?」
「ああ、今日も鳴いてはいるよ、盛大、かつ元気にな。鶏の声が聞こえないのは、この家の窓が、全部防音サッシになってるからだ。だってほら、あんなにうるさくちゃ、安心して眠れないだろ?」
「防音……サッシ……。それ社宅に欲しかった……。」
 ライアンは、がっくりと項垂れた。


〜6〜
 翌日、Aチームのアジトにて。
「また2日で依頼を終わらせてしまった。今年は暇な年末だな。」
 と、ロッキングチェアで葉巻を燻らせつつハンニバル。
「で、報酬は現金で貰えたんだろうね?」
「いや、現物支給。現金は断った。」
 フェイスマンの言葉に、にっこりと笑ってハンニバルが答える。
「えっ、断った? 断ったって、何で?」
 あからさまに狼狽えるフェイスマン。貰える現金をみすみす逃すなんて、彼の中では最高にあり得ないのだ。
「いや、その現金があれば、ライアンの社宅の窓を防音サッシにできるって言われてな。ま、いいじゃないか。現物支給と言っても、卵じゃなくてプリンだし。」
「それはそれでいいじゃねえか、あのプリンは絶品だし、孤児院への差し入れにもってこいだしな。」
 そう言ってから、コングが周りを見回す。
「モンキーの野郎、どこ行きやがった? 家に帰ったのか?」
「しばらく養鶏場でお仲間と暮らすって。気に入ったみたいよ、鶏生活。あーあ、現金、断っちゃったか。」
 フェイスマンが溜息をついた。


 その後、ブリッジスさん(と実質Aチーム)がお金を出して、ケーキ工場の社宅の各部屋の窓が防音サッシに取り替えられた。しかし当のライアンは、ケーキ工場を辞め、ヘンフレンズ養鶏場で働き始めたと言う。
【おしまい】
上へ
The A'-Team, all rights reserved