くつしたはむずかしいの巻
鈴樹 瑞穂
 マードックは目下、編み物に凝っていた。ある日、何の気なしに流れてきた動画で、おっさんがすいすいとマフラーを編んでいた。棒編みだった。その途端にピッカーンと来てしまったのだ。俺にもできる!
 勢いに任せて箸とセーターを解いた毛糸で編み始めてみると、何だかすいすいとマフラーができた。なかなか楽しい。よし、次。
 マフラーをぐるぐる巻きにしたマードックが毛糸を求めてがさごそしていたら、フェイスマンが編み棒と毛糸を差し出した。愛用のお高いセーターを狙われては堪らない。危機感を覚えて爆速で調達してきたのだ。デビュー作のマフラーは何の変哲もないネズミ色だったが、新しい毛糸は何と1玉の中に赤やオレンジや茶色、はたまた青と紫とピンクといった色が混じっている。いいじゃん! 新たな武器と防具を得てマードックのテンションは上がった。いざ行かん、新たな冒険へ。
 動画を見ながら編んでみると、何だかすいすいとセーターができた。青と紫とピンクのグラデーションのやつだ。その出来栄えにマードックは大いに満足したが、着てみると少々……かなり大きかったので、コングに渡した。コングはぶつぶつ言っていたが、試しに着てみるとメリノウールの誘惑にあっさりと陥落した。こいつは馬鹿みてえにあったけえじゃねえか。
 ますます編み物が楽しくなったマードックがさらに動画を見ながら編んでみると、何だかすいすいと帽子ができた。赤とオレンジのグラデーション(茶色までは到達しなかった)で先っちょに白いポンポンがついているやつだ。その出来栄えにマードックは大いに満足したが、自分の頭にはベースボールキャップが載っていたので、ハンニバルに渡した。
「確かに温かいが……少々派、いや、明るい色すぎやしないかね。」
 鏡を見ながら困惑を隠せないハンニバルに、マードックはカッコよく親指を立てた。
「明るい方がいいに決まってるだろ。」
「そうか、そう言われるとそんな気もしてきたな。」
 ハンニバルはついでとばかりに赤い上着とズボンを着込み、長い白髭と白眉毛をつけ、『クリスマスセール』の看板を手に、依頼人とコンタクトを取るために出かけていった。
 さて、次は、と。マードックは新たな毛糸を引っ張り出し、動画を見ながら編み始めた。何だかすいすいと……んんん、コレどうなってんの? わからねえな。編みかけの靴下を手にして、マードックは途方に暮れた。
「こっからどうすっか知ってる?」
 尋ねられたフェイスマンが首を横に振る。
「さあ、俺にはサッパリ。そういうのは探せば詳しい人がいるんじゃないか?」
「さっすがフェイス。探してみるわ。」
 折しもポストに入っていた地域の広報誌がテーブルに放置されていた。パラパラと捲ると、掲示板で編み物サロンが開催されていることがわかった。毎週木曜土曜の13〜16時。ちょうど今開催中、場所も徒歩圏内だ。
「よし、ちょっくら行ってくるわ。」
 こうして新たなダンジョンの扉が開かれた。マードックはフェイスマンが買い出しに使っている麻のエコバッグに無造作に編みかけの靴下と毛糸を放り込み、立ち上がった。


 公民館の会議室で開催されているミセス・レッドアップルの編み物サロンは、主に年配のマダムたちで賑わっていた。
「頼もう!」
 扉を開けてマードックが入っていくと、マダムたちがにこやかに迎えてくれる。
「まあ、いらっしゃい。あなたも編み物に興味がおありなの?」
「ああ、最近始めてな。」
「いいわね。もしかして、そのマフラーもあなたが?」
「こいつは最初に編んだやつだ。」
「編み目が綺麗に揃っているわ、素晴らしいこと。」
「セーターと帽子も編んだぜ。」
「あらあらまあまあ、すごいわねえ。」
「私なんてセーターを編めるようになるまで3年かかったのよ。」
「私は5年。」
「私は2年くらいだったかしら、もう50年も前の話ですけれども。」
 動画を見てすいすい編んだマードックはよくわかっていなかったが、うふふ、おほほと笑い合うマダムたちによると、実はセーターは難易度が高いらしい。
「けど、こいつで行き詰まっちまって。」
 マードックが編みかけの靴下を取り出すと、マダムたちはさらに盛り上がった。
「靴下! 難しいのよね。」
「そうそう。でもここまでできているならあと少しよ。」
「コーヒーを飲みながらやりましょう。クッキーはいかが? ステラさんの手作りよ。」
 マダムたちに取り囲まれたマードックは、ちやほやとコーヒーとチョコチャンクのクッキーでもてなされ、靴下が完成するまで懇切丁寧なレクチャーを受けた。
「この毛糸はどちらで求められたの?」
「ダチが用意してくれた。」
「そのお友達は編み物に詳しいのかしら、とっても人気があってなかなか買えないメーカーの毛糸よ。こっちは廃盤のお色。」
 編み物界、なかなかに奥が深い。
 靴下の謎が解けたマードックも、新たな参加者という娯楽を得て俄然張り切ったマダムたちも、大満足でその日のサロンは終わった。
「次はお友達もぜひご一緒に。」
「ああ、声かけてみるぜ。」
 マダムたちは編み物をしながら町内のありとあらゆる噂話をしていたので、いい情報収集になるだろう。因みに最後までどのマダムがミセス・レッドアップルかはわからなかった。


 編み物サロンを満喫したマードックがほくほくと帰ると、ちょうど依頼人と会ったハンニバルも戻ってきたところだった。
 白髭と眉毛をむしり取ったハンニバルが依頼内容を説明する。
「広場のところにレストランがあるだろう。」
「ああ、あのいつもお客さんが一杯で入れない店。」
「の、隣の店の方だ。依頼人はその店のオーナー、ミスター・レッドアップル。」
「レッドアップル? 編み物サロンの主催者のマダムの旦那さんかな?」
「どこ情報だ、それは。そこまではわからんが、ともかくレッドアップルさんに会って話を聞いてきた。最近、隣の店のオーナーが変わってリニューアルしてな、何でも看板料理が被っているそうで、そっちに客が流れてしまったらしい。」
「ええ? それって単に味の問題なんじゃないの?」
 フェイスマンのツッコミにコングも腕組みをして頷いている。
「依頼人の主張では味では負けていない、ただ向こうがあざとすぎてどうしようもない、と。」
「あざといって、すっごく安いとか、馬鹿みたいに大盛りだってのか?」
「あとは……高級食材を使ってるとか?」
 首を傾げるコングとフェイスマン。しかしハンニバルも答えは持っていない。
「とにかく行ってみるか。現地を見ればわかるだろう。」
「ところでその看板料理って何?」
 マードックの問いには、ハンニバルも答えられた。
「オムレツだそうだ。」


 この町で長年人気を博していたレッドアップル氏のレストラン『赤いりんご亭』の看板料理は、サーモンのオムレツであった。
「美味いな。」
「鮭の水煮缶が入ってるのか。中骨までほろほろで何とも言えん。」
「スライスされたジャガイモとタマネギもいい感じ。」
 『赤いりんご亭』にやって来たAチームは、早速供されたオムレツを食べて目を輝かせていた。
「こんなに美味しいのに客足が?」
 フェイスマンが首を傾げる。オムレツは美味しいし、メニューに記載された値段も妥当、カントリー調の店内は年季が入っているものの清潔で居心地も悪くない。隣のレストランは確かにできたばかりだけあってピカピカで、白と淡い黄色を基調とした綺麗な店ではあった。小さな田舎町ではやや浮いてしまっているくらい瀟洒で、カフェと言う方がしっくり来る。
 今は昼営業と夜営業の間の時間帯でclosedの札がかかっている。夜の営業までにはまだ小一時間あるというのに既に店の前にはopen待ちの列が形成されつつあった。
 これにはハンニバルも苦笑している。
「偵察がてら隣のオムレツも食べに行くつもりだったが、あの行列じゃ難しいか。ここは最小人数で行動しよう。フェイスとモンキーで行ってきてくれ。」
「わかった、ちょっと行ってくる。」


 『赤いりんご亭』を出て隣の店の行列に並んだマードックとフェイスマンはひそひそと囁き交わした。
「なあ、何だか周り、女性ばっかりじゃねえ?」
「確かに何となく並びにくい雰囲気。」
「俺たち目立っちゃってないかなあ。」
「あとの2人が来るよりはマシだろ。」
 そうこう言っているうちにopen時間となり、店のドアが開いた。と、同時に列のあちこちから上がる悲鳴や歓声が。
「お待たせしました。順番にご案内します。」
 中から出てきたのはギャルソン服に身を包んだ青年である。恐ろしく足が長い。緩くウェーブがかかった栗色の髪に茶色の瞳、同性の目から見ても甘いマスクのハンサムボーイだ。その後ろから顔を出したもう1人のギャルソンは黒髪黒目のクールな美形。さながらモデルかアイドルといった風情で、何と言うかもうその周りだけキラキラしている。
「王子〜!」
「顔面国宝っ。」
 ハンカチで目頭を押さえる者、拝む者、並ぶ女性たちはまったくもって忙しない。
 え、ここレストランだよね?
 フェイスマンとマードックは恐る恐る看板を確認した。そう、ここはレストラン『玉子と王子』。王子のように容姿端麗な店員たちが、やって来るプリンセスのために飛び切りのオムレツを供するコンセプトの店である。
 ここまでわかれば十分だろうとフェイスマンとマードックは撤退を試みたが、少し遅かった。流れるように店内に案内されると、中にはさらにキラキラしたギャルソンが2名。オープンキッチンになっている厨房できびきびと立ち働くキラキラしたコックたち。女性たちにはそれぞれに推しがいるようだが、箱推しの者も少なくない。
「あ、あざとい……。」
 ふかふかのソファに埋まり、マッシュルームとベーコンのオムレツを食べながらマードックが呟く。その向かいではフェイスマンが神妙な表情でエッグ・ベネディクトをつついている。味は悪くない。値段はちょっと高めだが、これだけ店員がいればまあそうなるだろう。なぜかどの皿にもキャビアがトッピングされているし。頼めばギャルソンも皿と一緒に写真に入ってくれるようで、映えという点では圧倒的にリードしている。
 でもやっぱりフェイスマンやマードックの口に合うのは、素朴で温かみのある『赤いりんご亭』のサーモンオムレツなのだ。味では負けてないというレッドアップル氏の主張には賛同する。
 とはいうものの、どこから見ても美しいギャルソン集団とお洒落な店内に映える料理という非日常的体験のインパクトは凄まじい。支払いを済ませる頃には、これでこの値段は安くない? という気分になっていた。
「癖になったらどうしよう。」


 フェイスマンとマードックがよれよれと『赤いりんご亭』に戻ってみると、ハンニバルとコングはコーヒーとチョコチャンククッキーを前にすっかり寛いでいた。
「あら、あなた。」
 コーヒーのお代わりを配っていたマダムがマードックを見て声をかけてくる。彼女がミセス・ステラ・レッドアップル、『赤いりんご亭』のフロアを切り盛りし、編み物サロンも主催するクッキー作りの名人である。
「じゃあこちらの方が毛糸を探してきたお友達? さ、座って。あなたたちもクッキーはいかが?」
 何だろう、この田舎のお祖母ちゃんちに帰ってきたようなほっとする感じ。フェイスマンとマードックはマダムのコーヒーとクッキーですっかりHPとMPを回復し、偵察結果を報告した。
「ふむ。それは何と言うか……強烈だな。」
 重々しくハンニバルが頷き、腕を組む。コングは心底“行かなくてよかった”という顔をしている。いや、行けば行ったで楽しいんだよ、多分。
 因みに『赤いりんご亭』も夜の営業時間に入っているが、他に客が来る気配はない。隣の行列が凄すぎて、近づき難いというのもあるだろう。
「純粋にオムレツの味で言えば負けてないんだけどさ、何て言うかインパクトで差をつけられちゃってて。」
「こっちも何か売りがあればいいんじゃねえか?」
「オムレツの味以外で前面に出せるような売りか。」
「まあ落ち着くっていう点じゃ断然こっちだけど。」
「そういや編み物サロンも楽しかったぜ。」
「それだ!」
 フェイスマンとマードックの発言に、ハンニバルの目がキラリと光った。


〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 図面を確認しながら板を切っていくコング、照明器具と什器を調達してくるフェイスマン、配線を確認しながら店内のレイアウトを変更するハンニバルとマードック。照明を点灯させ、ハンニバルが親指を立てる。フェイスマンとマードックはハイタッチをしている。
 公民館の会議室で編み物サロンに集ったマダムたちと話をするマードック。マダムたちが熱心に頷いている。
 眼鏡をかけダークスーツを着込んで、地域の広報誌編集部を訊ねるフェイスマン。女性記者と意気投合しつつ打ち合わせている。
 せっせとマフラーやセーターを飾り棚に入れていくコング。毛糸を詰め込んだ袋を担ぎ、サンタクロースの格好で『リニューアル』の看板を持って出ていくハンニバル。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉


 『赤いりんご亭』のリニューアルオープンは、地域の広報誌で大々的に取り上げられた。これまで公民館で木曜と土曜の午後に開催されていた編み物サロンが店の一角に常設されると言う。広いテーブルに手元を明るく照らす照明、壁一面の飾り棚にはサロンメンバーの作品が展示され、気に入れば購入も可能。さらに編み物に挑戦したい人はここで毛糸を購入することもでき、中には入手困難なメーカーの廃盤糸まで揃っている。
 作業中にお腹が空いたら名物のサーモンオムレツを頼んでもいいし、コーヒーと数種類のクッキーは自由に食べられる。編み物をしない人も作業用のテーブルで本を読んだり、プラモデルを作ったりしていい。滞在時間でチャージするシステムで、料理は別料金。夜の営業終了は早めだが、昼と夜の間は続けて営業している。
 コンセプトは『地域のリビング』、田舎のお祖母ちゃんちに来たように寛げる場所である。
 これがなかなかにウケて、常にお客が途切れない状態が続いている。意外なことに隣の『玉子と王子』に通う女性客が、行き帰りに時間を調整したり、撮った写真を早速SNSにアップしたりするために立ち寄ってくれる。
 もちろん、編み物サロンのマダムたちも好きな時に集えるし、ここに来れば誰かしら仲間と会えて大喜びだ。マダムの夫たちもついて来てのんびりチェスなど楽しんでいる。
 中でも一番入り浸っているのがマードックだった。靴下をマスターした次は手袋に挑戦するのだと言う。動画ではわからないところも、マダムたちのレクチャーのおかげですいすいと編めているらしい。仲間たちに一渡り行き渡った後は、サロンの飾り棚で販売してもらえるから安心である。マードックの編むものは編み目が綺麗に揃っていると評判がよく、なかなかいい稼ぎになっている。そのうちストールやベッドスプレッドまで編み始めるのではないかと、フェイスマンは密かに毛糸の手配の算段を立て始めた。ある日突然ピッカーンと来て、次のものに興味が移る可能性を忘れている。獲らぬ狸の皮算用である。
【おしまい】
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