如何なく遺憾の意の巻
鈴樹 瑞穂
♪フン、フン、フフフンフン、♪フン、フン、フフフンフーン。
晴れた昼下がり、マードックは鼻歌など歌いつつ、縄張りを回っていた。縄張りとは、この街に来てから足で開拓した、お気に入りの店があるエリアである。ご機嫌な古着屋、抜群なサンドイッチスタンド、愉快なリサイクルショップ、不思議な楽器店と難解な本屋、豪快な品揃えのスーパー。そうそう毎日買う物があるわけではないが、掘り出し物があるかもしれないので、散歩がてら覗きに行って、すっかり顔馴染みになった店員と少しばかり話したりしている。たまにコングやフェイスマンが一緒に来ることもあった。
このマードックの縄張りの見回りは、フェイスマンからはパトロールと称されているが、もちろん必須ではないので、雨天中止、見たいTVがある時も中止、気が乗らなければ中止という緩い日課であった。
「よーし、本日も異常なし、と。あれ?」
縄張りを一回りして住処に戻る最後のチェックポイントまで来て、マードックは首を傾げる。そこはお洒落なカフェで、いつもコーヒーのいい香りがしているのだ。感染症の流行で一時は休業を余儀なくされていたが、最近ではテイクアウトにも力を入れていて、そこそこ賑わっている
フェイスマンがここのブレンドを気に入っているので、時折マードックも日替わりのクッキーと紙カップの本日のブレンドを買って帰るというお使い任務を請け負っていた。因みに今日はその任務を遂行する日だ。
いつもはテイクアウト用のカウンター越しにカフェのマスター(自称バリスタ)が立ち働いている姿が見えて、声をかけるのだが、今日はそれができなかった。カウンターの上に、積み上がった箱が視界を阻んでいるからだ。幅はカウンターいっぱい、高さは大の男の背丈よりも高く。おかげで中の様子が一切わからない。
仕方なく、マードックはお洒落なテントの内側に下がっている、これまたお洒落な呼び鈴の紐を引っ張った。 カランカラン!
「テイクアウトのご注文ですか?」
店の扉が開いて、マスターが顔を出す。黒いエプロンを身に着けた壮年のマスターは、厳つい顔つきに似合わずお洒落なインテリアや食器を好んでおり、大抵テンションが高い。だが珍しく今日はどんよりとした表情であった。
「マスター、いつもの頼むぜ。」
「日替わりクッキーと本日のブレンドセットですね。クッキーは昨日と同じものになりますが、よろしいですか?」 「ああ、構わねえよ。」
昨日も来た客なら連日同じクッキーを食べる羽目になるのだろうが、マードックは昨日来ていなかったので無問題である。 「今ご用意します。」
扉を開けたまま引っ込んだマスターの後から店の中を覗き込んで、マードックは思わず声を上げる。 「ワオ! 満員じゃねえか。」
店の中のあらゆるテーブルとイス、調理台、そして床のあちこちに箱が積み上がっていた。マスターは横歩きで箱の間をすり抜け、調理台に積んである箱を横に退かしながら紙カップを取り出してコーヒーを注ぐ。タッパーから取り出したクッキーは恐らく昨日焼いた残りだ。オーブンの前にも箱が山になっている。
興味津々のマードックはマスターに倣って横歩きで箱の間をすり抜け、マスターがカウンターへと退かした箱の中を覗き込んだ。その箱だけ、口が開いていたのだ。
箱の中には缶詰がぎ……っしり入っていた。手を伸ばして1つ取り上げてみる。 「サバ缶?」
マードックはぐるりと辺りを見回す。箱の横に印刷されたロゴを見る限り、すべての箱の中身はサバ缶のようだ。
「サバ缶倉庫でも始めんのかい、マスター。」 「違います、助けてください。」
うっかり訊いたのが運のつき。マスターはマードックの革ジャンの袖をがしりと掴んで切々と訴え始めた。
「と、いうわけなんだ。」
2時間後、Aチームの目下の潜伏場所である一軒家のリビングにて。マードックの報告を聞きつつ、紙カップのブレンドコーヒーに口をつけたフェイスマンは、大きな溜息をついた。すっかり冷めているのは仕方ないとしても、香りがぼやけている。
「このコーヒー、いくら何でも薄すぎない?」 「こっちは湿気てやがる。」
パラフィン紙で挟んだチョコチップクッキーを齧ったコングも渋い表情である。マードックが肩を竦めた。
「コーヒーミルを置く場所もオーブンのドアが開く空間もないんだ。それは昨日挽いた最後の豆で淹れたコーヒーと、昨日焼いたクッキーの最後の1枚。」
「そんなにサバ缶で溢れてるのか?」 ハンニバルは興味津々の態だが、マードックは重々しく頷いた。
「控え目に言ってサバ缶工場か倉庫か、はたまたサバ缶のジャングルだね。」 「誤発注なんだろう? 返品できねえのか?」
コングの疑問ももっともである。 「返品不可の卸問屋なんだとさ。」
「1箱注文するはずが100箱か。そりゃやっちまったな。大方、確認せずに注文ボタンを押したと見た。ま、生ものじゃなかったのが幸いですよ。」
ハンニバルは他人事のように言う。実際他人事ではあったが、フェイスマンはキッと眉を吊り上げた。
「ここのブレンドが飲めないのは困る。QOLが下がっちゃうよ!」 「そろそろオートミールクッキーが来るはずだったしな。」
コングも同調し、2人は身を乗り出してハンニバルに訴える。 「「なんとかしよう」ぜ。」
駄目押しのようにマードックも言い添えた。 「助けてくれって言われちゃったしなあ。」
多数決というわけではないが、ハンニバルも特に異論を唱える理由はなく、そして100箱のサバ缶がある風景を一目見てみたいという誘惑に勝てなかった。
マスターはマードックが助っ人を連れてきたと聞くと、大喜びで1人ずつの手を握ってぶんぶんと上下に振った。
「よろしくお願いします! こいつらを何とかしてもらえないと、まともに店の営業もできません。」
座る場所どころか全員が入る隙間もないため、店の前に出てのご対面である。
そこへトレイを手に載せた若い女性が顔を出した。このカフェでウェイトレスとしてアルバイトをしている子である。
「いらっしゃいませ、コーヒーどうぞぉ。」
銀のトレイの上には人数分の缶コーヒーが鎮座ましましている。マスターの頬がひくりと引き攣ったが、彼女はにこにこしている。
「今、そこの自販機で買ってきたから、まだ温かいですよぉ。それじゃごゆっくり。」
それだけ言って引っ込んでいく彼女の背を見送って、マスターが溜息をつく。
「済みません、暢気な子でして。実は誤発注をした張本人なんですが、何とかなりますよ〜と言っており。」
普段から苦労をしていそうな口振りである。この話はこれ以上聞かない方がよさそうだと判断したフェイスマンが話を変えた。
「そもそもサバ缶は何に使う予定だったんですか?」 「テイクアウトのランチメニューの材料にしようかと。」 「それはどういう?」
「サバ缶のトマト煮込みパスタです。」 ハンニバルがサバ缶の山を見渡して首を振る。
「それだけでこのサバ缶を消費するには無理があるな。他には?」
「えっ、サバ缶にそれ以外の食べ方があるんですか? 子供の頃から家ではサバ缶と言えばトマト煮込みしか出てこなくて。」
頬を掻いているマスターに、マードックとコングが指を折って告げる。 「サバ缶って言ったらサラダとかサンドイッチとか?」
「カレーに入れても美味い。」
どうやらAチームの方がまだレシピのバリエーションがありそうな勢いであったが、もちろんそれだけではこれだけのサバ缶を使い切れそうにない。ハンニバルが顔を見回し、一同は重々しく頷いた。
《Aチームのテーマ曲、始まる。》
図面を引くコングとハンニバル、サバ缶をせっせと箱から出すマードック、タブレットに「サバ缶 レシピ 人気」という検索ワードを入力するフェイスマン。
マスターと市場に行き、様々な食材を調達するフェイスマン、サバ缶を並べるマードック、電ノコで板を切るコングとペンキを塗るハンニバル。
カセットコンロに載せた鍋を掻き混ぜるハンニバル、フライパンを振るコング、バゲットを切るフェイスマン、レタスを千切るマードック。
《Aチームのテーマ曲、終わる。》
「出来たぜ、『サバフェア特設会場』。」 「フェアのメニューはこっち。」
マスターとウェイトレスは店の外に設置されたテラス席とメニュー表を見て歓声を上げた。 「わあ、すごい。」
「メニューも豊富ですね。」
よく見ると、テーブルもベンチも積み上げたサバ缶の箱の上に板を載せたものであった。テーブルの上にはパスタだけでもトマト煮込みの他にキャベツとサバ缶のアーリオオーリオ、クリームソース、ミートソースとバリエーションがあり、パスタ以外にもピザ、サンドイッチ、サラダ、カレー、ロコモコ、さらには素麺まで並んでおり、素麺つゆにはサバ缶が入っている。
サバフェアの横断幕にチラシも用意されていた。 「レシピはここにまとめてある。」
ハンニバルがマスターにプリントアウトした紙のファイルを手渡した。
「ホームページでのプロモーションと、グルメサイトへの登録も済ませておいた。」 コングがニヤリと笑って親指を立てる。
「シミュレーションによると1日に100食出たとして1日でサバ缶1箱が消費できる。日替わりでこれがメニューの組み合わせ。5種類を20食ずつ。」
フェイスマンの合図でマードックが表を差し出す。 「ありがとうございます、何とかなりそうな気がしてきました!」
マスターが渡されたあれこれを見つつ、頷く。 「これ、全部美味しいですよお。」
いつの間にかちゃっかり試食していたウェイトレス嬢が暢気な声を上げた。
サバフェアは好評を博し、マスターからは予定より早くサバ缶を消費できたという連絡が来た。しかし、その数日後――。
「助けてください! 今度はキウイを100箱誤発注してしまいました!」
マスターからのSOSを受けて、フェイスマンは業務用冷凍庫の調達に走り、コングはパフェの作り方を検索し、マードックはキウイフルーツフェアの横断幕に絵を入れるために動物園にキーウィを観察に走り、そしてハンニバルは「注文ボタンを押す前に数量を確認すること」というモニタに貼るためのPOPを作り出したのだった。
【おしまい】
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