春は揚げ物
鈴樹 瑞穂
「これは……。」 「何かの間違いじゃないか?」 「そんなわけないだろ。」
ロサンゼルス郊外、とある小さな町の片隅。目下の滞在場所である別荘のリビングで、フェイスマンの額には青筋が立っていた。彼の前ではハンニバルが微妙に明後日の方向を眺めている。
「先週も先々週も、何なら3か月前から毎週! 言ってるよね!? 間食を控えるか、体を動かすかしろってさ。」
「まあ、何だ、聞いたような気もするな。」
「気じゃなくて聞いてるの! 言ってるんだから!! もう口が酸っぱくなるくらい言ってるからねッ!」
フェイスマンが声を張り上げすぎてぜいぜいと肩を上下させていると、ドアが開いてコングとマードックが入ってきた。 「何の騒ぎだ?」
「ただいま〜。ちょうどそこでばったり会ったんだよね。」
コングはジョギングに、マードックは買い物に出ていたのだが、帰りが一緒になったらしい。2人はフェイスマンが指差した方を見て、ああ、と納得した。床の上、ハンニバルが乗っているのは体重計であった。
フェイスマンがどこからか調達してきたデジタル体組成計には、全員の年齢、性別、身長が登録されている。コングもマードックも毎週、体重と体脂肪率を測定していた。ステイホーム中の健康管理を気にするフェイスマンの勧めであったが、2人の場合はどちらかと言うとつき合いに近い。なぜなら、コングもマードックもソーシャルディスタンスを守りつつ外で体を動かしており、特に体重も体脂肪率も変わっていないからだ。
変わったのはハンニバルで、アクアドラゴンの撮影が中止となり、家にいる時間が増えて、ついつい動画を見ながらだらだらとビール片手に間食を摘んで過ごした結果、体重も体脂肪率も右肩上がり。そうなると、やれ体が重いの腰がだるいの膝が痛いのとますます動かなくなって悪循環である。
見かねたフェイスマンが体重計を導入して“計るだけダイエット”を目論んだのだが、最早事態はそれだけでは収束しないところにまで来ているようであった。
「間食を控えろって言ったそばからそれは何?」 フェイスマンがばしばしと叩いたサイドテーブルの上には缶ビール。
「よくぞ訊いてくれた。この生ジョッキ缶はな、品切れが続いてたんだがようやく買えた話題のやつだ。呑まねばなるまい。」
「あ、それ、昨日オイラが探してきたやつ! 何軒も回ってようやく見つけたんだぜ。」
胸を張るハンニバルとお使い任務を達成したマードック。 そして箱のままのドーナツ。
「そっちは俺がバイト先から貰ってきたやつだな。」 コングが言うと、ハンニバルは重々しく頷いた。
「うむ。ここのドーナツも店頭に出る時間が不定期で入手が困難だという幻の品だ。それにドーナツは穴が空いているから、実質カロリーゼロ。」
「そんなわけあるか!」 最早ツッコミが追いつかないフェイスマンである。
「ねえ、何も意地悪で言ってるんじゃないんだよ!? このままじゃ脂肪肝か痛風か血栓で心臓発作か。死亡フラグだからね。」
「どっちかって言うと脂肪フ――もがっ。」 「おい、今はやめとけ。」
マードックの口をコングが塞ぐ。そんな2人の方をキッとフェイスマンが睨みつけ、それからハンニバルの方に向き直った。
「とにかく! 今日から! 間食禁止!!」 「まあそれでもいいんだが、間がもたんな。」
「だったら! 何でもいいから! 仕事取ってくる!!」
鼻息荒く出て行ったフェイスマンは、程なくして本当に仕事の依頼を持って戻ってきた。選ばなければ何かしらはあるのだと言いながら。
翌日。別荘から半日ドライブして依頼主の元に到着したAチームだが、フェイスマンは目の前の光景を見て乾いた笑いを漏らしていた。
「選ばなければって言ったけどさあ、誰だよ、この仕事引き受けてきたの。……俺か。」
ノリツッコミまでマスターしたフェイスマン。彼の前には広大な牧場が広がっている。と言っても、柵の向こうに点々と散らばっているのは牛でも羊でもない。馬だ。それもサラブレッド。
「ようこそ。よく来てくれたね。」
厩舎の方から出てきた中年男性が、手を振って声をかけてきた。今回の依頼主、ハントンさんである。スーツに身を包んだその物腰は、どちらかと言えば牧場主と言うよりビジネスマンに近い。
フェイスマンがキリッと表情を変えて、前に出る。
「いえいえ、お困りとあれば何でも引き受けるのが私たちのモットーですから。それで、依頼内容と仰るのは?」
「そう、それを説明するために、早速牧場を案内しましょう。」 「えっ、あ、そう、そうですね。ハハッ。」
乾いた笑いを張りつけるフェイスマンの後ろで、マードックが目を輝かせ、コングも満更ではなさそうだ。この2人は基本的に動物が好きなのである。しかし、ハンニバルはフェイスマン以上に呆然とした表情をしていた。この広大な牧場を巡るには、かなりの距離を歩かなければならない。ここ数か月引き籠ってだらだらと飲み食いを続け、体重と体脂肪率が右肩上がりな身には、いきなりの苦行であった。
「ここは引退した競走馬が余生を過ごすための牧場なんです。」 ハントンさんが歩きながら柵の向こうの馬を指し示す。
「ほら、彼女はゴボウヌキサンダー。あちらの子はイダテントロット、その隣がヌイヌイプイプイ、向こうにいる黒い3頭がクロイサンレンセイ。」
「へえ。名前は聞いたことあるぜ。」 「聞いたことって、みんな優勝馬じゃないか。」 フェイスマンは金の匂いには敏感だった。
「くっ。ヌイヌイプイプイにここで会えるとは。あいつの走りには随分勇気を貰ったぜ。」
琴線に触れてしまったらしく、コングは号泣している。
「まあ今では引退して、のんびりと過ごしていますよ。ここでは乗馬教室などをしているのですが、このご時世でお客様がめっきり減ってしまいましてね。」
「それで、なのかな。さっきから気になっていることが。」
その時、パカパカと1頭の馬が彼らの前に寄ってきた。その体は、間近で見ると大きかった。サラブレットであるということを差し引いてもお釣りが来るくらいには。フェイスマンはこほん、と咳払いを一つすると、ハントンさんに向き直って口を開く。
「もしかして彼女たちはその、ちょっとふくよかじゃないでしょうか。」
「そうなんです。乗馬教室の仕事もなく、スタッフも減って十分に運動をさせられず、その結果、みんなすっかり太ってしまいました。」
「ほう、そんな事情が。でもまあ、レースに出るわけでもないなら、少しくらい太っていても構わないのでは?」
ハンニバルは心なしか馬たちに同情的である。
「それがそうも行かないんです。なぜか最近、遠方から彼女たちを見たいという問い合わせが激増していましてね。何でもウマムスメがどうとかいうゲーム? アニメ? とにかく何かの影響でファンが増えているらしくて。グッズはないのかという問い合わせも沢山来ます。」
「そりゃよかったじゃないか。観光客が来ても、この広さならソーシャルディスタンスは守れるし、グッズの通信販売なら人数は気にしなくてもいい。まずは写真を撮ってブロマイドからか。」
「そのためには、彼女たちにもっとスリムになってもらわなくては。ファンは往年のスラリとした彼女たちの姿を期待しているんですよ。」
ハントンさんの言葉は地味にハンニバルにダメージを与えたらしく、腹の辺りを擦っている。そんなハンニバルには構わず、フェイスマンはハントンさんに尋ねた。
「事情はわかりました。が、我々は何をすれば? グッズのプロモーションの前に彼女たちのダイエットのサポートを?」
「端的に言えばそういうことです。よろしくお願いします。」
フェイスマンとコングとマードックは顔を見合わせた。果たしてリーダー1人ダイエットさせられない自分たちに、馬のダイエットができるだろうか。だが、ここまで来たからにはやるしかない。
「わかりました。できるだけのことはやってみましょう。」
フェイスマンが重々しく引き受け、ハントンさんと握手を交わした。因みに、ソーシャルディスタンスを守ってエア握手である。
《Aチームのテーマ曲、始まる。》
牧場の見取り図を広げて議論するコングとハンニバル。馬に乗るフェイスマンとコング。馬を曳いて歩くマードックとハンニバル。
重機を運転するマードック。どこからか乗馬用の障害物を調達してくるフェイスマン。馬に乗るマードックとハンニバル。馬を曳いて歩くフェイスマンとコング。
牧草と飼料について調べるハンニバル。草刈り機で牧草を刈るマードック。籠を背負って牧場内を歩くコング。馬に乗るフェイスマンとコング。馬を曳いて歩くマードックとハンニバル。
フェイスマンがトラックに袋を積んで戻ってくる。飼料を配合するコングとマードック。馬に乗るマードックとハンニバル。馬を曳いて歩くフェイスマンとコング。
《Aチームのテーマ曲、終わる。》
「ダイエットの基本は食事と運動です。摂取カロリーを適切に抑え、消費カロリーを増やすこと。そこでまず、食事の見直しとして、栄養価の高いこの時期の牧草は刈って減らし、切藁を与えました。刈った牧草はサイレージにして冬の間の食料にします。穀類はオオムギを減らし、その分トウモロコシを。そして柵の中にあったリンゴの木はすべて実をもぎました。おやつの食べすぎが一番よくない。次に運動ですが、馬が自分たちで運動するよう、ハードルや起伏をつけたエリアを準備し、その先のリンゴの木だけは実を残しました。合間合間に曳き馬や騎乗での運動も行いました。」
ハントンさんに報告するフェイスマン。柵の向こうにはすっかりスリムになった馬たちが元気に遊んでいる。
「この短期間で体形ばかりか、みんなすっかり毛艶もよくなって。」
感激するハントンさん。フェイスマンの後ろでは、心なしかスリムになったハンニバルが頷いている。乗馬も曳き馬も、人間にとってもよい運動であった。
「ついでにブロマイド用の写真撮影もしておきました。」 フェイスマンがプリントアウトした写真とメモリをハントンさんに渡す。
「何と! 素晴らしい写真がこんなに!」
そうだろうそうだろう、マードックとハンニバル監修の下、コングがライティングを行い、フェイスマンが撮影した秘蔵の写真である。運動につき合っているうちに皆すっかり馬たちに情が湧いてしまったので、あらゆるテクニックを使って映える写真を撮りまくった。渡したのは、さらにその中から選りすぐった自信作だ。
ハントンさんはAチームの仕事ぶりに大満足で報酬を弾んでくれた。
さて、戻ってきた別荘のリビングにて。
「なかなか今回の仕事はやり甲斐があったな。」
馬の写真を眺めつつ、ハンニバルがしみじみと言う。グラスの中身は烏龍茶で、食べているのはミックスナッツである。
「ちょっと、大佐! ミックスナッツだって食べ過ぎはよくないからね!?」
フェイスマンが壁に体重と体脂肪率の推移グラフを貼りながら注意する。
「わかってるわかってる。ところで今日の夕食だが、カツレツなんてどうだ? ハントン氏が報酬弾んでくれたんだろう?」 「また揚げ物?」
「いいじゃないか、固いこと言いなさんな。」 コングとマードックは顔を見合わせて肩を竦め、ジョギングに出かけていくのだった。
【おしまい】
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