立ち退きか停電か?! 文化を守れ、Aチーム! からの、
入り混じる真偽! 消えた楽器を奪還せよ!!
伊達 梶乃
Aチームはアフリカのコーヒー農園における強制労働と違法搾取の元締めを追っていくうちに、アメリカで全国展開しているコーヒーショップの創業者の息子とその一味が黒幕であることを掴み、アメリカ東海岸北部で大捕物を繰り広げた結果、スピード違反で警察に追われはしたものの、人権団体と自然保護団体から感謝され、またコーヒーショップの創業者からはコーヒーの無料券1年分が贈られた。
「感謝の気持ちは嬉しいよ。でもさ、やっぱり現ナマが欲しいところだよね。」
未だ警察に追われるAチームは、今、白いバン(レンタカー/返却する意思皆無)の車内にいた。報酬について文句を垂れているのは、当然フェイスマン。
「仕方ねえだろ、依頼人がタンザニアにいるんだからよ。黒幕がブタ箱行きになったことだって伝わってねえんだろ?」
自分のバンはロサンゼルスに置いてきた、と言うか、バンと共に移動する猶予も与えられず2回の睡眠薬投与によりここにいるコングが言う。
「そう、伝わってない。電話したのに、依頼人がいなかった。電話が通じて誰だかわかんない人と5分半も喋ったっていうのに、本人行方不明。電話代、こっち持ちだったのに。それっきり音沙汰ないし。」
新たなる腹立ちのネタが意識の表層に上がってきて、フェイスマンが眉をハの字に、手をグーにする。確かに、アメリカ東海岸とタンザニアとで5分半電話したとなると、電話代も無視できない額だ。
「向こうのあくどい奴らに捕まったんじゃないといいけどねー。」
アフリカ側の悪党一味は一通りコテンパンにしたけれど、コテンパンにされたことを理由に諦めてもらえる保証もないし。
「でもオイラの勘じゃ、居留守使われたって感じだね。仕事料、払いたくなくて。」
「払いたくったって払えねえと思うぜ。一族郎党、強制労働させられて、1人、命からがら逃げてきて、密入国したアメリカでのたれ死にかけてたんだ、何万ドルなんて払えるわけねえじゃねえか。」
「けど、契約書にサインしたんだぜ?」
「そんなのはアメリカだけの常識だ。」
「ま、この件は一件落着ってことでいいじゃないですか。これから1年、コーヒー飲み放題になったことですし。」
右手に葉巻を、左手にコーヒーの無料券を持って、晴れ晴れとした表情でハンニバルが言った。アフリカで奇襲を2回、ヘリによる攻撃を1回、変装を3回やって、アメリカで潜入捜査もカーチェイスもやって、犯人一味をどっさりと警察送りにして、リーダーはすっかりとご満悦。
「さ、それじゃフェイス、次の仕事は?」
口を尖らせて不満たっぷりなフェイスマンの方を振り返り、ハンニバルが訊く。
「東海岸に来たついでに、ボストンの依頼、かな。」
ここのところAチームには、ちまちまとした依頼が少なからず入っていた。ろくな収入にならないだろうな、というような依頼や、こんなの暇そうな子供に頼んだらいいのに、というような依頼が。そういった依頼を無視して、大がかりっぽい(しかし収入に結びつかなそうな)コーヒー農園強制労働の件に着手したAチームだった。
「ええと、ボストンから南南西に30マイル、チャートリーって町の町長さんからの依頼。」
胸ポケットから手帳を出して、フェイスマンが読み上げる。
「ほう、町長が依頼人なら、雲隠れされたりしないじゃないですか。」
「本当に町長ならね。」
5日前にコーヒー農園のオーナーと名乗っていたのは、本当はごろつき連中のリーダーだったことだし。本物のオーナーは、コーヒーの木の肥料になった後だったし。
「どんな依頼なんだ?」
「町の文化が新参者のせいで破壊されそうになっているのを阻止してほしい、って。」
「そりゃ絶対、町長だな。町長じゃなきゃ、そんなこと気にしねえぜ。」
「町の文化って何だろ? 美味いモンかな? フェスティバルかな?」
「詳しくはわかんない。行って話を聞いてみないと。」
「じゃフェイス、詳しい場所教えろ。今、3号線下って、クインシーを通過したとこだ。」
「オッケ。とりあえずこの先で1号線に入って。」
そんなわけで、Aチーム一同、チャートリーに向かいます。
小一時間後、到着したチャートリーの町は、よくある郊外のベッドタウンだった。教会があって、学校があって、住宅が並んでいて、緑も多く、湖まである。静かで落ち着いた雰囲気の、ファミリーとシニアにぴったりの場所。若者にはちょっぴり不満かもしれない。
町のピザハウスで遅い昼食を摂ったAチームは、そこで聞き込みをして、町長がいそうな場所、即ち役所に向かった。役所と言っても町役場と呼んだ方がよさそうな建物に、何てことなく町長はいて、アポイントメントなしでも面会できた。
「これはこれは、ようこそAチームの皆さん、よくお出で下さいました。」
丸い赤ら顔をした小太りの町長さんは、ハンニバル、フェイスマン、マードック、コングの順に握手していった。常識と判断力はありそうだ。握手されたAチームの面々も、この順序に依存はない。階級順ではないけれど。
「ささ、どうぞおかけ下さい。」
示されて、ビニール張りのソファに2×2で着席するAチーム。
「わたくし、チャートリーの町長を務めております、ジョセフ・リードと申します。」
Aチームも、順に自己紹介する。これ、いつものことなので、省略させていただきます。
「それで、どういったご用件で?」
口火を切ったのはハンニバル。
「この町、チャートリーは特筆すべき名物も何もないんですが、音楽が盛んで、皆、何かしらの楽器を演奏します。ピアノやバイオリン、クラシックギターは余所でも一般的ですが、バンジョー、マンドリン、アコーディオン、フルート、クラリネット、トランペットなどは序の口で、ファゴット、チェレスタ、ハープといった本格的なものから、リュート、ビオラ・ダ・ガンバ、クルムホルンなどの古楽器や、ツィター、ウード、琴、笙、ネイ、ズルナといった民族楽器まで、この町全体がオーケストラであり楽器の博物館であると言っていいと思っております。」
「打楽器はねえの?」
そう訊いたのは、楽器に詳しいマードック。特に、変な楽器に詳しい。
「打楽器では、タブラとダルブッカが人気です。私はボンゴとコンガを叩きますが、あまり人気がなくて。うちの上の息子は、スティールドラムとかスティールパンと呼ばれているものが得意です。」
「それで?」×3
楽器に興味のない残る3人が口を揃えた。
「失礼しました。今年に入ってすぐ、1人の男が越してきまして、家を住居兼事務所兼音楽スタジオにしたんです。この町には楽器の練習室として防音室を備えている家も多いので、スタジオを作ること自体は珍しいことではありませんし、家屋の用途を限ってはいませんので事務所にするのも構わないんですが、その男のやっている音楽が問題なんです。」
「何? 音楽に問題があるとかないとかあるの?」
「音楽は音楽だろうが。」
「あー、俺っち、わかっちゃった。」
腑に落ちない、という顔をしているフェイスマンとコングに、マードックがニヤッとして見せる。
「そいつ、電子楽器使ってるってわけっしょ?」
「そうです、その通りです。それも、電気楽器を使ったロックやポップスならまだしも……。」
「テクノ、ってわけ?」
「ご名答。それに迎合する町民も増えつつあります。音楽ジャンルで差別する気は毛頭ないのですが、もし万が一、多くの町民が電子楽器を使い出して、今まで通りの頻度で演奏するとなったら、町全体の電気が足らなくなりますし、それと共に、最初にお伝えしたように、町の文化が破壊されます。」
「確かに、アコースティック楽器の演奏が売りだったところに電気楽器? 電子楽器? が入ってきたら、雰囲気ぶち壊しだな。」
年配のハンニバルも同意する。
「この町は、ボストンの音楽大学に進む者も非常に多いんです。演奏家になる者も当然多く、指導の側に就く者も数多くおります。流行の音楽を聴くだけなら何も問題はないんですが、それまで練習してきた楽器をやめて電子楽器に移行されてしまったら……。」
「そんなら、そいつに『この町から出てけ』って言やあ済むことだろ。」
「それが言えないんです。その男、ラルフ・ウォーカーと言うんですが、騒音を出しているわけでもなく、他の住民に迷惑をかけているわけでもなく、何か違反しているわけでもないので、立ち退きを命じる確固たる理由がないんです。」
「それで、あたしたちに、そいつを町から追い出すための理由を見つけてほしい、と。」
「あるいは、何らかの方法でそいつを町から追い出してほしい、と。」
「じゃなけりゃあ、二度と電子楽器が弾けねえようにコテンパンにしてほしい、と。」
「もしくは、そいつにアコースティック楽器の素晴らしさに気づいてもらって、カーヌーン辺り弾けるようになってもらおう、と。」
「シタールもいいですね。恨みを込めて、クィーカでも構いません。」
町長とマードックは、顔を見合わせてニヤリと笑った。他3名は、その意味すらわからないまま。(クィーカはゴン太くんの声を出していた楽器です。サンバでヘッヘッホホホホ・ホヘッホッホホホと聞こえたら、それがクィーカの音です。)
唐突だが、話は3日前に遡る。
コーヒーショップの2代目のオフィスの電話を盗聴しようと、本社ビルの裏でごそごそやっていたコングの顔に、ぶわっと何かが覆い被さってきた。強風注意報が出ていたわけではないが、建物の配置でどうしても風が強くなってしまう場所がある。それが、ちょうどここだった。
「何だこりゃ、畜生。」
コングは、その覆い被さってきたものを手に取った。それは、白い上質紙だった。手書きで回路図が書き込まれており、何度か踏まれたらしく靴跡もついていた。
「何だこりゃあ……。」
同じセリフを繰り返すコング。メカの天才ではあるが、大物メカには詳しくとも、電子工作をまっさらの基板から始めることなどそうそうない彼にとって(改造は得意なんだけどね)、手書きの回路図を読み下すのは瞬時には無理だった。しかし、わからないわけではない。コンデンサとコイルの発振回路が複数あり、トランジスタで増幅されている。その発振回路のうちの2組は、2本のアンテナに繋がっている。しかし、これが何なのだかがわからない。
その回路図を畳んでポケットに入れたコングは、電話線に細工をした後、パーツショップに向かった。某有名工科大学があるこの町には、電子回路の部品を扱う店も多い。回路図を見ながら、必要な部品を籠に入れていく。幸いこの回路図には、ICの型番もコンデンサの容量も何もかも、すべて書き込まれていた。全部の部品を買い揃えても大した額にはならず、ポケットにあった金で何とかなった。アンテナはゴミ捨て場で拾えばいい。ここでコングは重大な事実を思い出した。自分のバンは、ここにないのだ。バンに、はんだごてとはんだその他一式が積み込んであるのだが、それがここにはない。だが、ここにはないけど持ってはいるものを、自腹で買いたくはない。
アジトに戻ったコングは、フェイスマンに「必要だから」と言って、はんだづけに必要な一式を頼んだ。ものの30分ほどで、それらは揃った。
その夜、コングは回路を組み立てた。でき上がった装置のスイッチをオンにして、コングは「なるほどな」と思った。これはセンサーだ。2つの発振回路から発された2種類の高周波の重ね合わせで可聴音域の波ができる、即ち、音が鳴る。人がアンテナに近づくと、人がコンデンサになるために静電容量が変わり、アンテナに繋がっている側の発振回路からの高周波の周波数が変化し、聞こえる音も変化する。近づいた距離やアンテナに向いている面積によって、音の高さが変わる。上手く周波数を調節すれば、人が近くにいない時には無音で、人が近づいた時にだけ音を発することができる。この回路図にある通りの回路には、音の大小をこれもまた発振回路からの高周波で調節する機能がついているが、この部分は省略して、普通にバリコンで音量調節してもいいだろう。また、乾電池を電源にすれば、電源部の回路も省略できる。音質を変える回路も、なくったって問題ない。こうやって絞っていけば、かなり小型化できる。
翌朝、コングはそれをハンニバルに見せた。そして、どこまで小型化できるかを説明した。
「ほほう、こりゃ面白い。早速使ってみましょうか。」
楽しそうに言った後、ハンニバルは言葉を続けた。
「それにしても、こんなセンサーの図面(回路図です)、どこから飛んできたんだろうな。」
「大学からじゃねえのか?」
「なくした人も困ってるでしょうねえ。」
「おう、じゃ、この回路図、警察に届けとくぜ。」
そうして何気ない顔でコングは回路図を警察に届けた。回路図がなくても、実物は手元にあるし、一度作ったものはコングは忘れないから、少なくとも1週間くらいは。
このセンサーのおかげでAチームはコーヒーショップの2代目とその一味の動向を把握することができ、事件解決に繋がったと言えよう。
回路図を届けた先の警察に追われることになったのは皮肉でもあるが。いや、そうでもないか。
話を戻して、町役場に車を置いてラルフ・ウォーカーの家に徒歩で向かったAチームは、その道中でこの町の特徴に納得せざるを得なかった。歩いている人のほとんどが楽器を携えているのだ。そして、そこここに溢れるメロディ。公園では子供たちが実に上手に楽器を演奏している。幼稚園児のオカリナとカリンバの合奏を聴いたコングが、思わず駆け寄って涙したほどだ。教会の前の庭では、どこにでもいそうな爺さん婆さんが見事な管弦楽を奏でていた。道路にたむろするニキビ面の少年たちは、バンジョー、ギター、フィドル、ウッドベースという編成でブルーグラスを演奏しており、ハンニバルはその場から動けなくなっていた。フェイスマンが色目を送っていた美人さんは、道端のベンチに腰かけ、バッグからカンテレを出すと、それを膝に乗せて弾き出した。通りがかった青年が彼女の隣に腰を下ろし、即興でウクレレを合わせる。マードックは、とある家の窓の奥に、じっと見入っていた。そこでは、その家の主婦らしき女性が、くねくねとした楽器を吹いていた。その楽器の名はセルパン。マードックさえも、その楽器を実際に吹いているところを見たのは、これが初めてだった。
町役場に向かう時には気づかなかったが、町の中では音が途切れることなく続いており、かと言って、それぞれの演奏が互いの音を邪魔するほどではなかった。
「町長さんの言った“文化”っていうの、わかったよ。」
しみじみと頷くフェイスマン。
「こんなとこで生まれ育ったら、そりゃあ音楽大学に行くしかねえだろうな。」
「てーかさ、もう音大に行く意味ねえんじゃん? こんだけいろんな種類の楽器、一遍に見たの、オイラ初めて。」
「この町丸ごと、文化財って言ってもいいでしょうなあ。」
演奏会のハシゴをしているような気分のAチーム、てれてれと歩きながら、時として足を止めながらも、ラルフ・ウォーカーの家の前に到着した。窓から家の中を覗き込む。30代前後の男が1人、真剣な顔で変なアクションを見せている。そして、微かに聞こえる変な音。文字に表せば、むい〜むお〜もあ〜もよ〜お〜。
「うわ、気持ち悪い音。幽霊みたい。」
先頭に立っていたフェイスマンが眉を顰める。
「この音、あれじゃないか、コング?」
「おう、あの音だぜ。」
ハンニバルとコングが顔を見合わせた。そう、この音はセンサーの音。可変抵抗の具合によっては、そんな音になっていた。
「あ、あれ、テルミンじゃん。」
最後に窓を覗き込んだマードックが言った。
「テルミン?」×3
残り3名が揃って訊く。
「そ、テルミンヴォックス。世界最初の電子楽器。ああやって楽器に触んねえで弾くんだぜ。」
マードックがそう説明した時、ラルフ・ウォーカーが窓の方に振り向いた。さっとしゃがむコング、ハンニバル、フェイスマン。しゃがむ必要性すら感じていないマードック。
窓の外に興味深そうな男の姿を認めたラルフは、にこにことして窓の方に歩み寄ってきた。
「そんなところで見てないで、中にどうぞ。」
「いいの?」
ビバ! といった感じで喜んで玄関の方に向かおうとしたマードックの手首を、ハンニバル(しゃがんだまま)がガッと取る。
「大尉、中の様子を探ってこい。くれぐれも、こっちの意図を覚られんようにな。」
「ラジャー。」
多分わかっていないマードック、スキップしつつドアを開け、敵のアジトに難なく潜入。残る3名(しゃがんだまま)は既にいろいろと諦め、首を横に振った。
「うっひょー、俺っちテルミンやってみたかったんだー。」
確かにテルミンは「吹く」でもなければ「弾く」でもなさそうで、「やる」としか言いようがない。ちゃんと言えば「奏でる」だけど。
「テルミン、ご存知ですか。」
「知ってる知ってる。テレビで見たし、本でも読んだ。何で音が出んのか、よくわかんなかったけど、面白そうで。」
「理論なんていいんですよ、楽しければ。チューニングは大変ですけどね。さあどうぞ、テルミンで遊んでみて下さい。」
マードックは示された機械、いや楽器の前に立ち、右側に真っ直ぐに立つアンテナに手を近づけた。
むお〜。
アンテナから少し手を離す。
むい〜。
また近づける。
むお〜。
「わかった、これ、距離で音の高さが変わんだ。」
「そうです。手の形、と言ってもいいでしょう。」
マードックは手の形を、少しずつ少しずつ変化させた。ズレてはいるが、音階っぽくなった。
「上手じゃないですか。音感がいいんですね。」
「いやあ、それほどかも。」
「左手がボリュームです。音の大小だけでなく、音を切りたい時にも使えます。」
そう言われて、マードックは右手の位置と形を固定したまま、楽器左側から横にぐねっと出ているアンテナに左手を近づけた。連続していた音が小さくなり、消える。急激に近づけたり離したりを繰り返すと、音がスタッカートになった。
「音が跳ぶ時も、これ使やいいんか。」
むぉ、みぃ〜。みっ、むぉ〜。
「あー、わかってきたわかってきた。」
むっむぉ〜むおお〜おむおむお、むっむぉ〜むおお〜おむおむお。
「お、『サティスファクション』ですか。」
「そうそう。」
「右手をぶるぶるさせると、ビブラートになりますよ。」
オブラートじゃないので、ご注意召されよ。
「ビブラート入れるんなら、スローな曲の方がいっか。」
むぉ〜むぉむぉむぉむぉ〜〜ん、むぉむぉむぉむぉ〜〜んむぉむぉむぉむぉ〜〜ん。
「『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』ですね。既にプロ級の腕前ですよ。」
「簡単だもんね、これ。」
「いや、普通の人はそんな正確な音、出せません。」
「そ?」
「右手を動かすと左手も動いてしまったり、逆に、左手を動かすと右手も動いてしまったりするんです。何か、指先を微妙に動かすとか、手を一定の位置に止めておかなきゃならないようなこと、してます? でなければ、バイオリンか何かを弾いてらっしゃるとか。」
「バイオリンは弾いたことねえよ。でも、ヘリの操縦ならしてるぜ。手ェ動かすと、ローターの角度、変わっちまうからさ。」
「なるほど、ヘリの操縦桿ですか。この町であなた、一番上手ですよ。」
「へへっ。でも俺っち、この町のモンじゃねえんだけど。」
「失礼、旅行者の方でしたか。音楽の町として、ここ、隠れた名所ですからね。私も大学時代に、この町出身の友人から町の話を聞いて、ずっと憧れていて、遂に今年、ここに引っ越してきたんです。」
「ってことは、お宅も音大出身?」
「そうです。でも大学でテルミンを学んだわけじゃなくて、元は打楽器の演奏家です。」
「打楽器の人が何でテルミン?」
「打楽器を専門にしている人数は多くないんですけど、打楽器奏者のニーズも少ないんですよね。1つのオーケストラに打楽器奏者は1人いればいいので。それで仕事がなくて、趣味で始めた電子楽器の方が面白くなってしまって、他の人にも電子楽器のよさを教えたくて。それまで持っていた打楽器を一切合財売り払って、ここに来たんです。」
「打楽器も面白いけどね、アゴゴとかさ。」
「打楽器と言われるもの全部をこなさなければならないので、あれはあれで大変なんですよ。普通はティンパニやシンバル、トライアングルくらいなんですが。」
「じゃあ今はテルミン1つに絞ってんの?」
「あとはレーザーハープとシンセサイザー。鍵盤弾きではないんで、シンセサイザーはあまり上手くないんですが。この町の鍵盤楽器経験者の方々の方がずっと上手です。」
「ハモンドオルガンやフェンダーローズは?」
「ああ、あれも面白そうですが、似た音がシンセでも出せるので。」
「だからシンセってズルい気がすんだよね。」
「でもやっぱり本物の音には敵いませんよ。」
話しながらラルフはマードックを手招き、奥のスタジオに案内した。いくつかのスイッチをオンにし、代わりに電灯をオフにする。床に置いた機械から天井に向かって、放射状の光が伸びる。
「レーザーハープです。光を手で遮ってみて下さい。」
「こう?」
音が鳴った。別の光を遮ると、別の音が鳴る。ちょっと遮ると、音がちょっとだけ鳴る。
「これ、子供たちに人気なんですよ。」
「見た目もカッコいいしね。」
マードックは両手で2つの光を遮った。2つの音が同時に鳴る。さらに足でも光を遮る。3音が同時に鳴り、和音が響く。
「こういう時、虫っていいよなあって思うぜ、脚沢山あって。」
「私もそれ、よく思います。打楽器やってた時にも思ってました。」
と、その時。
「ウォーカーさーん、楽器弾かせてー。」
玄関に数人の子供がなだれ込んできた。
「ああ、どうぞー。」
ラルフは玄関の方に顔を向けてそう叫んだ後、マードックに向き直った。
「小学校が終わる時間になると、こうですよ。楽器レンタル代やレッスン料を取りたいところですけどね。もう少しすれば、中学生や高校生も来ます。」
「さっき道端で高校生くらいの奴らが演奏してたぜ。」
「それは不良グループです。学校サボって音楽ばかりやってるんです。」
レーザーハープを子供に占領されて、マードックはちらっとシンセサイザーを見せてもらって弾かせてもらった後、ラルフに礼を言って家を出た。その頃には、彼の家はティーンズで一杯になっていた。
どこに行けばハンニバルたちと合流できるかわからなかったけれど、とりあえず町役場に戻ったマードックは、町長の家に行けと職員に指示を受け、町長の家に向かった。そこで町長の奥方(バグパイプ演奏中)に別の家に行くよう指示され、その先の家でもまた別の家に行くように指示され、その先の家でもまた別の家に行くように指示され、たらい回しにされた挙句に辿り着いたのは、湖の畔にあるコテージ(とフェイスマンなら言い張るだろうあばら家)だった。
「ご苦労であった、大尉。」
ぐったりと歩き疲れたマードックがリビングルームのドアを開けるなり、ソファにふんぞり返ったハンニバルが言った。
「大佐、ひでえよ〜。こんな歩かされるなんて思ってなかったぜ。」
「あたしたちも、ここに案内されるとは思ってなかったんでな。」
同じくらい歩いたような気配を醸し出しつつも、本当はバンに乗って移動したのだけれど。
「あとの2人は?」
「掃除中だ。」
町長がやっと見つけ出した空き家、それはもう空き家然としており、掃除が必要だった。ハンニバルが陣取るリビングルームだけ、先に掃除したのだ、フェイスマンとコングとで。
「で、大佐は何やってんの?」
「お前さんを待ってたのさ。お前さんの報告をね。」
いいこと言っているようで、ただ掃除をサボっていただけ。
「歩いてるうちにだいぶ忘れちまったよ。東洋の諺でもさ、1歩歩くものは2個忘れるって言うしね。」
言わない。それ、忘れすぎ。
「覚えてることって言やあ、ラルフ・ウォーカーはいい人でした、ってことくらいかな。」
「何だ、その小学生の感想文みたいなのは。」
「いや、だって、ホント真面目でいい人だったんだぜ。楽器はタダで遊ばせてくれたし、使い方も教えてくれたし。テクノやってるのって大概、真面目でマトモな奴なんだけど、そん中でも屈指のいい奴だね、あいつは。小学生や中高生も遊びに来てたしさ。」
「子供を拉致監禁したり虐待したりしそうじゃなかったか?」
「んにゃ全く。むしろラルフ・ウォーカーの方が虐待されてたって言ってもいいかもしんね。子供に無理難題言われて。」
「じゃあ何か怪しいところは?」
「全然。音大出のれっきとしたミュージさん(「ミュージシャンさん」の略)だったぜ。俺が思うによ、町長さんとじっくり話し合うのがいいんじゃねえかな。打楽器同士、意気投合しちまうかもよ〜。」
「打楽器とな?」
「町長さん、ボンゴとコンガ叩くって言ってたろ。ラルフ・ウォーカーは元打楽器奏者だってよ。」
「ふむ……。」
考え込むハンニバル。何か思いついたのか? それとも、ボンゴとコンガがどういうものなのか考えてんのか?
「あのさ、ハンニバル!」
頭に三角巾を被ったフェイスマンがハタキを片手に姿を現した。
「あ、お帰り、モンキー。」
「ただいま。」
「俺、ベッドルームにハタキかけてて思ったんだけどさ、ラルフ・ウォーカーを別んとこに引っ越させればいいんじゃないかな。ロスに割のいい仕事があるとか何とか言って。」
「でも奴さん、前っからここに住みたかったらしいんだよね。電子楽器が問題になってるなんて、気づいてる気配もなかったし。善意で電子楽器の布教してるとしか思えなかったぜ。」
話しながら、空いているソファにボスンと引っ繰り返るマードック。
「何それ、鈍感なの、そいつ? 町の中、一回りすれば、テクノがこの町にそぐわないことくらい、わかると思うんだけど。」
「あたしだって、そのくらいわかりましたよ。この音楽に疎いあたしでもね。」
「でも、そのことに関しちゃ、そんな心配することもねんじゃねえかな。」
「何で?」
「ラルフ・ウォーカーんとこでシンセサイザーいじくってた高校生、バッハの曲弾いてたんよ。何だっけ、あれ。『トッカータとフーガ』の『トッカータ、ドーリア調』だっけか? 大体ヘゲヘゲヘゲヘゲで、たまに、よーっしゃ、よーっしゃ、ってやつ。」
バッハはそんな旋律、意図していない、決して。たまたまそう聞こえたとしても。
「テルミンでも中学生がサン=サーンスの『白鳥』演奏してたし、小学生がレーザーハープで鳴らしてたのは『きらきら星』だったかんね。」
テルミンで『白鳥』は鉄板だからね。
「ほう、楽器は変わっても曲は変わらない、と。」
「結局、とりあえず弾いてみるのって知ってる曲だろ? オイラもそうだし。そのうちテクノの曲弾くようになるかもしんねえけど。って言っても、ラルフ・ウォーカーもテクノ弾いて聞かせてたわけじゃなかったもんなあ。」
「おう、ハンニバル!」
そこに、ズボンの裾を捲ったコングがデッキブラシを片手に姿を現した。
「風呂場洗ってて思ったんだけどよ。」
何してたかは申告しなくていいのに。
「ラルフ・ウォーカーんとこのあのセンサー(テルミン)に手ェ加えて、周波数変えて出力でかくすりゃあ、近所のテレビやラジオに影響出んじゃねえか? で、妨害電波出してるってなりゃ有罪だぜ。」
「奴さんを罪人に仕立て上げるって寸法か。……それは最後の手段でしょうなあ。モンキーの話じゃ、悪い奴じゃなさそうですし。」
「そうなのか?」
「そう。どっちかってったら、いい奴。」
「かと言って、町長の言い分も間違っちゃいない。」
リーダーの言葉に、頷く部下3名。
「どうしたもんかねえ……。」
悪党相手なら策も浮かぶが、こんな事態はAチームの十八番ではない。
「あたしが話をしてきましょう。」
膝に手をやって、ハンニバルがよっこらしょ、と立ち上がった。
「どうしたもんかねえ……。」
チャートリーの警察署で、机一杯に並べた書類を前に難しい顔をしているのは、署長のグルーバー氏だった。この町は、多少不良学生がいるくらいで大した事件もなく、平穏そのものと言っていいのだが、珍しくここのところ盗難が続いていた。それも、楽器の盗難ばかりが相次いでいるのだ。他に金目のものは盗まれておらず、ただただ楽器ばかりが盗まれる。同一犯の犯行だとは思うものの、犯人の見当もつかず、盗品も見つかっていない。
「署長、コーヒーのお代わりは?」
部下のカプランが、コーヒーサーバーを手に声をかけた。
「ああ、貰おう。」
マグカップに注がれるコーヒーを視野の端で捉えながら、署長は溜息をついた。
手がかりが何もない。目を離した隙に、忽然と楽器だけが消える。それも、持ち運び簡易な高額の楽器に限って、だ。当然、持ち運びが難しいピアノやオルガン、グランドハープは盗まれていない。持ち運べはするものの、嵩張る上にそこそこ重いスーザホンやコントラバスも盗まれていない。安いハーモニカやカスタネットも盗まれていない。盗まれがちなのが、バイオリン、ビオラ、フルート(金メッキのやつ)、コルネット、フレンチホルン、オーボエ、イングリッシュホルン。古楽器や民族楽器も、高価で持ち運びしやすいものは盗まれている。
いや、手がかりが何もないわけではない。犯人は、楽器のことを知っている人間だ。どれが盗みやすくて、どれが高いか、を。その証拠に、高そうに見えてコンパクトそうなアルトサックスは盗まれていない。あれは実はそれほど高くなくて(もちろん、いいやつは高いんだが)、大きさの割には重い。肩にずっしり来る。同じくらいのサイズなら、バイオリンやビオラの方がずっと高額だし(安いものはフィドルと呼ばれがち)、比較にならないほど軽い。
被害総額は相当な額になっている。今こうしている間にも、被害は増えているかもしれない。パトカーを低速で走らせて「楽器の盗難に注意しましょう」と呼びかけてはいるが、注意しようにもできない時だってある。トイレに駆け込んだ時とか。
そう、この署長、夕食後にハーディ・ガーディを演奏していたのだが、猛烈なウェイヴに襲われてトイレに駆け込み、戻ってきた時にはハーディ・ガーディはその姿を消していた。つまり、署長も被害者なのだ。
そしてまた、コーヒーを注いでくれた部下、カプランも、バロック・ランケットを盗まれている。犯人を捕まえて、楽器を取り戻したい気持ちで一杯だ。この際、犯人なんてどうでもよくて、楽器さえ取り戻せればいい、とさえ思えるレア楽器。他の楽器はともかく、自分の楽器だけは取り戻したい。
「近隣の楽器店、特に中古楽器店を当たってみましたが、私のランケットも署長のハーディ・ガーディもありませんでした。バロック・ランケットは珍しい物で、基本、流通しておりませんので、販売されていれば、それは十中八九、私のだと思って間違いありません。全米のランケット仲間にも連絡済みです。」
カプランがそう報告し、署長は眉を顰めた。
「ハーディ・ガーディだって、そうそうない楽器だぞ。」
「でも、通販で売ってましたよ、ハーディ・ガーディ。」
何も言い返せない署長だった。
ピンポーン。
ラルフ・ウォーカー宅のドアチャイムを、ハンニバルが紳士的に押した。ドアチャイムの押し方に紳士的とか個性的とかあるのかどうかは甚だ疑問ではあるが、少なくともピンポピンポピンポピンポではなかったのだから、紳士的と言っていいと思う。
『はい?』
「あたしはジョン・スミスってモンだが、ちょいとお話があって。」
『どういったご用件でしょう?』
「お宅の電子楽器? 電気楽器? それについてなんですけどね。」
『今行きます。』
すぐにラルフ・ウォーカーが玄関のドアを開けた。
「ええと、スミスさんでしたっけ、電子楽器にご興味が?」
「いや、お宅の楽器がこの町の文化を破壊するんじゃないかって、町長さんが心配しとりまして。」
どうぞ、とも言われていないのに、ずんずんとリビングルーム(テルミン演奏室)に歩を進めるハンニバル。
「文化を破壊? 私の楽器が?」
にこやかだったラルフの表情が曇る。
「気づいてませんでしたかね、この町の音楽は電気を使ってない。」
「確かにどれもアコースティック楽器です、それは気づいていました。でも、電子楽器を持ち込んで、人々に紹介して、何が悪いんでしょう? テレビでもラジオでもレコードでも、電気楽器や電子楽器を使った音楽は当然のように流れてますよ?」
「町長さんが言うには、今まで練習していた楽器をやめて電子楽器? 電気楽器? に没頭する者が増えるんじゃないかと。」
「それは個人の自由じゃないですか。今までだって、個人の自由で、この町の人々は様々な楽器を選んできた。楽器を演奏しないという選択肢だってあるのに、みんながみんな、自由意思で何らかの楽器を演奏してる。」
「だから、それが文化だ、と町長さんは言いたいんだろうな。」
「そこに、電子楽器というチョイスを持ち込むのは、文化の破壊なんですか?」
「何て言うかな、電子楽器は毛色が違うだろう。」
ここでハンニバルは、電気楽器ではなく電子楽器だと理解するに至った。それらの違いは未だわからないにせよ。
「エレキギターやハモンドオルガンもないところに、いきなりシンセサイザーはいけない、と仰る?」
「いや、いけないわけじゃないとは思うが、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ、ボッティチェリの絵が並んでいる美術館にウォーホルの絵は飾らないだろう。」
「……そうですね。」
ハンニバルのわかりやすい譬えに、ラルフも納得。
「そういうことだ。それと、もし町の人たちがみんな、あんたの電子楽器を使うようになったら、電気が足りなくなるらしい。」
「それは困ります。そんなことになったら、町が電力会社と契約を結び直さない限り、毎日いきなり停電になるじゃないですか、町全体が。」
「その通りだ。」
契約を結び直すと、それを機に電気代が急に上がる可能性もある。弱みにつけ込まれて吹っかけらる、とも言う。
「……それじゃあ一体、私はどうすればいいんです?」
「その前に訊くが、あんたはここで何をしたいんだ? スタジオに事務所まで構えて。」
「この音楽の町チャートリーに、電子楽器とテクノを普及したかったんです。それで、電子楽器を教えて、レッスン代とスタジオ使用料と楽器レンタル代で生活できれば、と思って。この町の人だったら、基礎的な演奏技術はみんなあるじゃないですか。だから、後々はテクノバンドを売り出そうかとも考えてました。事務所は、そのためです。今はまだ空き部屋ですけどね。」
「ふうむ……。」
彼の行動は短絡的なものでなく、将来のビジョンもあり、もし他の町でのことなら「そうか、頑張れよ」と言って肩を叩いてやれるものだった。が、しかし、このチャートリーの町でのことだから問題なのだ。
「よし、町長と話をしてみよう。」
結局、マードックの提案を採用するハンニバルであった。
町長の家の前で、ハンニバルとラルフ・ウォーカーは足を止めていた。
夕食後の家族団欒の時間帯、普通ならテレビを見たり子供たちは宿題をやったりしているところだろうが、この町では合奏がポピュラーで、町長の家でも例に漏れずホームコンサートが行われていた。町長がコンガ、奥方がバグパイプ、お嬢さんがツィンバロム、スティールドラムを叩くという噂の長男は別居中、末の男の子がパンデイロと、統一感のなさで言ったら町内一に違いない。演奏している曲は、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』。コンガのおかげで、スピード感溢れるスリリングなリズムラインではあるのだが、伴奏部をバグパイプがメ゛〜と演奏しているものだから、奥の方で軽く呪われている感じがする。そしてメロディを受け持つツィンバロムが、煌びやかだが妙に軽く、装飾音符つけまくり。ワーグナーが聞いたら眉尻を下げて苦笑するだろう。パンデイロが、シンバルとそれに続く下降音を上手く表現している。末っ子、グッジョブ。
家全体が防音になっているのか、漏れてくる音は近所迷惑にならない程度。窓の外で聞いていても、決してうるさくはない。まあ、町中のそれぞれの家で演奏しているのだから、音が盛大に漏れたとしても、さほど迷惑がられることはないだろう。下手じゃないんだし。
「いいですよね、こういうの。」
窓の中に目を向けて、ラルフが呟いた。
「この曲が、か? まあ、悪かあないな、こういうワルキューレも。」
「いえ、家族で演奏するっていうのが。……編成は意外ですけど、案外悪くない。……ああ、そうか、この意外性、シンセサイザーじゃつまらないんだ……。」
何だか1人で納得している。
「音の種類だけ人がいて……人が集まって音が合わさって……ジャンルを超えた組み合わせで……結局のところジャンルなんていうのは目安でしかなくて……アレンジ次第で何とでもなる……。」
「何ぶつぶつ言ってんだ、行くぞ。」
ハンニバルに急かされ、ラルフは玄関ポーチを駆け上がった。
「……というわけで、町長さんの主張をこちらさんは納得してくれた。」
町長の家のリビングルームで、ハンニバルが報告をした。
「はい。ご迷惑をおかけしました。」
頭を下げるラルフ・ウォーカー。頭を下げながらも、奥方に出していただいたクッキーをぼりぼり噛んでいる。
「では、この町から……?」
依然としてコンガを前にして町長が訊く。お嬢さんと末っ子は自室に引っ込み済み。
「その件なんだが、ラルフもこの町が好きで、この町に憧れて引っ越してきたんだ。無碍に出ていけと言うわけにも行かんだろう。そこで、だ。」
「そこで?」×2(町長とラルフ)
「条件を出してはいかがかな? 電子楽器はラルフの家でのみ演奏すること。町民が電子楽器を楽しむのは構わないが、他の楽器を第一に習得すること。ラルフの家で演奏する分には、テクノも許可すること。ラルフは電子楽器だけでなく打楽器の指導もすること。どうだ?」
「どうだ、と言われましても、私に決定権はないように思われますが。」
「私も、それならさして問題はないと思います。特に電気に関して。お宅の家のブレーカーを30Aにしていただければ尚更。」
「ならば、これで解決ですな。」
結局、Aチーム、大して何もしてない。
と、その時、玄関のドアチャイムが鳴った。ここの家の「ピンポーン」は「ヘイ・ジュード」に聞こえる。
「あなた、署長さんがお出でになったわよ。」
「町長、夜分済みません。」
奥方の後ろから、グルーバー署長が進み出てきた。
「おお、どうした、署長。」
「先ほどまた、例の被害が出まして。」
「今度は何だ?」
「サントゥールです。楽器そのものもそこそこ値が張るものですが、細工彫りが施されていて金箔張りで貴重なものだったそうです。」
「サントゥールか。かなり持ちにくそうなものまで手を出してきたな。」
「そうでもないですよ、サントゥールなら大きめの段ボール箱に難なく入りますし。それより小さくて持ち運びしやすい楽器で高価なものは、既に皆さん、肌身離さず持ち歩くようになってきていますので、犯人も手出ししにくいんじゃないかと思います。」
「町民の防犯意識が高まったのはいいことだ。だが、何でまた、わざわざ私のところへ?」
「町長のお嬢さんがツィンバロムを演奏なさると聞いておりましたもので。」
サントゥールとツィンバロムは似たようなもの。サントゥールは中東の、ツィンバロムは東欧の。西欧にハックブレット、中国に揚琴という似たようなものもある。
「あれか?」
町長が指差す先を見る署長、と、ハンニバル&ラルフ。
「あれは……簡単には持ち運びできませんな。」
指差す先にあるコンサート用ツィンバロム、それはほぼ机サイズだった。脚も4本ついているし、ペダルもついている。その上、無数の弦までついている。
「移動させるのも2人がかりだからな。食卓より重いぞ。」
「でしたら、安心ですな。」
はっはっは、と笑うおっさん2名。
「お二方の話から察するに、楽器が盗まれている、ということでしょうかな?」
今までじっと話を聞いていたハンニバルが口を突っ込んできた。
「何かお力になれることがあれば、と思いましてな。」
どうやらハンニバル、ラルフ・ウォーカーの件で不完全燃焼っぽい。って言うか、燃焼が始まってさえもいない。
「こちらは?」
と、署長が町長に尋ねる。
「何と言ったらいいんでしょうなあ、よろず解決屋?」
「ま、そんなところで。」
町長は仕事を依頼してきただけあって、Aチームの事情をご存知だ。
「お恥ずかしい話、解決の糸口も掴めていない状況なんで、何かアドバイスでもいただけると嬉しい限りですよ。」
情けない顔で頭を掻く署長を見て、ハンニバルはフェイスマンを思い出した。そう言えば夕飯食べてないぞ、ということも。
「その前に、こちらをご覧下さい。」
署長はハンニバルの横に立って、ポケットから数枚の写真を出した。
「これは何でしょう?」
その写真には、カホンが写っていた。
「椅子だろう?」
「ではこれは?」
次はバロック・ランケットの写真。カプランが提出した、ありし日の彼の楽器の写真だ。
「これはあれだ、シーシャ、水煙管。」
「これは?」
次はヘコヘコの写真。
「可変抵抗……いや、電熱線かな。ま、どっちにしたって同じようなもんだ。」
そう答えるハンニバルの真剣な顔を見て、署長はフッと笑った。
「失礼しました、あなたが窃盗犯の可能性もありましたもので、少々試させていただきました。これら、全部楽器なんです。」
「楽器だと? 1枚目のやつは、どう見たって椅子だろ。」
「実際、椅子としても使えますけど、中にいろいろと仕掛けがありまして、なかなか複雑な音がしますよ。」
「カホンのこと?」
蚊帳の外にいたラルフが、写真を見てもいないのに発言する。
「そうです。あなたは?」
「今年この町に引っ越してきたラルフ・ウォーカーです。電子楽器やってます。」
「ああ、テルミンの人。うちの子もちょいちょいお邪魔させてもらってるそうで。因みにあれ、おいくらくらいなんですか?」
「700ドルちょいです。」
「じゃあまだ盗まれる心配はないですね。うちの子の話じゃ鍵盤楽器もあるとか?」
「シンセサイザーですか。」
「お値段は?」
「鍵盤部分は500ドルくらいだったと思いますけど、あれこれ繋いであるんで、トータルだと1500ドルくらいになるんじゃないでしょうかね。」
「ほう。盗まれるかもしれませんよ、その値段だと。」
「でも全部を運び出すとなると、嵩張りますよ。ケーブルがぐっちゃぐちゃですし。犯人がケーブルを外している間に捕まえられるかもしれませんね。」
「そうなってほしいもんです。私のハーディ・ガーディも盗まれましたからね。何としてでも取り返したい。」
「ああ、わかります、その気持ち。楽器は宝物ですもんね。」
ラルフの言葉に、深く頷く署長と町長であった。
〈Aチームの作業テーマ曲、始まる。>
綺麗になったコテージで、Aチームに事情を話す署長。不服そうな表情でメモを取るフェイスマン。思いついた作戦を説明し、ドヤ顔を見せるハンニバル。本っ当〜に嫌そうな顔をするフェイスマン。どこから持ってきたのか、雑誌を開いて見せ、オーバーアクションで何事か説明するマードック。口の片側だけでニヤリとするコング。
深夜、湖畔のコテージにレンタルのバンが戻ってきた。車から降りてきたのはフェイスマンとコング。あれこれ抱えて屋内に入っていく。
テーブルの上に電子部品を広げるコング。フェイスマンからあれこれ渡されるマードック。渡されたものと言えば、バイオリン組み立てキットとストラディバリウスの写真と塗料と紙やすり。ビデオデッキとビデオテープを渡され、テレビの前に移動するハンニバル。一仕事終えて、シャワーを浴びるフェイスマン。
朝。美しい湖畔の風景の中で、マードック所有の雑誌を見ながら合板を切るコング。組み立てた後に古びた感じに手を加えたバイオリンに弦を張るも、床に駒が残っていて首を捻るマードック。徹夜でバイオリン演奏のビデオを見て、眉間を揉むハンニバル。身だしなみを整え、朝食を調達に出るフェイスマン。
手製のコイル巻き機でどでかいコイルを作るコング。合板に黒く色を塗り、これもまた古びた風に細工するマードック。完成したバイオリンを手に、ビデオを見ながらバイオリンを弾く“振り”の練習をするハンニバル、俳優を自称するだけあって(スーツアクターだけど)、さっき初めてバイオリンを触ったとは思えないアクション。行く先々で人々に何事か吹聴しているフェイスマン。
凹の字の形の機械を前に、大喜びのマードック。訪ねてきて目を丸くするラルフ。ちょっと得意げなコング。プロかと思うようなアクションでバイオリンを弾く“振り”をするハンニバル。壁に凭れて腕組みをし、それを鑑賞していたフェイスマン、演奏アクション終了後、グッと親指を立てる。プロかと思うようなお辞儀をするハンニバル。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。>
湖の畔で、2人のご婦人が背にバイオリンケースを背負って、犬を散歩させている。
「奥様、聞きまして?」
「あのコテージのことかしら?」
「そうそう、あのコテージに有名なバイオリニストの方がご滞在なさっているっていう噂。」
「何でもオーストラリアの方ですとか。」
「ええ、ストラディバリウスに勝るとも劣らない音色のバイオリンをお持ちと聞きましたわ。」
「さぞかしいい音なんでしょうねえ……。」
「さぞかしお高いんでしょうねえ……。」
2人は目配せし合うと、もっと自由に散歩したそうな犬を引っ張って、コテージの方に向かっていった。
コテージの窓からは、情感たっぷりに演奏する白髪の演奏家の姿が見えた。素晴らしいバイオリンの演奏も聞こえてくる。演奏技術はもちろんのこと、そのバイオリンの音と言ったら、イタリア製のバイオリンのような華やかさはあるものの軽すぎはせず、低音にドイツ製のバイオリンの音のような重厚さもあるものの暗すぎはせず、この世のものとは思えない音だった。
ご婦人2人は、うっとりとその音色に聞き惚れていた。犬も、静かに耳を前に向けている。
だが、当然ながら、その音は目の前にあるバイオリンから発されているものではなかった。どこぞの有名奏者が演奏したソロ曲の音源を、コングが加工しただけだ。その演奏に使われていた楽器がストラディバリウスかどうかも定かではない。でも、いい音に聞こえれば、それでいいのだ。気持ちよさそうに弾いているハンニバルも、何一つ音を出してはいなかった。床が軋む音以外は。バイオリンの弦と弓にはフッ素樹脂加工が施され、その上、滑りをよくするにはこれが一番、とコングのお墨つきであるCURE5-56がスプレーされているのだ。つるっつるなので、弦と弓は擦れもせず、それゆえ音も出さない。ただ、つるっつるであるゆえ、弾きにくい。しかし、普通のバイオリンを弾いたこともないハンニバルには、それは何の障害にもならなかった。多分、右手にかなりの負担がかかっているとは思うが。
コテージ周辺に集まる人がちらほらと増えてきた。皆が皆、背中に楽器ケースを背負っている。
少し離れた木の陰からそれを見つめる1人の男。その目がキラーンと光った。
一方、ラルフ・ウォーカーの家には、凹の字の形をした黒い物体が鎮座ましましていた。テルミンヴォックスの開発者、レフ・テルミンが作ったオリジナルのテルミンヴォックス(のレプリカ)だ。制作されて60年以上が経つ(かのように細工した)その機械は、外装の接合部のペイントが剥げかかってはいるが、4本の脚が揺らぐこともなく、しっかと立っている。〔うちのテルミンminiは、脚を組み立てる時にネジの頭が潰れたため、とてもゆらゆらふらふらで、常にアンテナがプルプルしています。〕
ラルフは、信じられない、といった面持ちで、その古びた(ように見せかけた)テルミンに対峙した。コングがコンセントにプラグを差す。ご丁寧にも、ソビエト製の(とラルフは信じている)この機械がアメリカでも使えるように、プラグの先が変圧器(のダミー)に繋がっている。
「チューニングは、レフ・テルミンが調整したまんまだってよ。」
と、マードックがさらっと嘘をつく。ついさっき、コングとマードックとで、ああでもないこうでもないとチューニングしたところなんだが。
スイッチをオンにして、しばらく電圧を安定させてから、ラルフはオリジナルテルミン(偽)に手を近づけた。音が鳴った。当然だ、コングが頑張って作ったんだから。
「はあああ、感動です! 開発者手ずからの楽器を演奏できるなんて!」
満面の笑顔でコングを見るマードック。そんなに感動されてもなあ、という顔のコング。ちょっと照れ臭い。
ラルフはそのテルミンで、シューベルトの『アヴェ・マリア』を演奏し始めた。
「テルミン博士は、テルミンヴォックスを効果音発生装置ではなくメロディーを演奏する楽器だと考えていたそうです。歌うように、優しく演奏する――それが、テルミン。」
ラルフはマードックに「この町で一番上手い」と言ったが、ラルフの演奏はそれ以上――比較にならないほどだった。音程に不安が全くない。幽霊もこの音では出てこれない。
「だから私も、テルミンをテクノで使おうとは思っていません。メロディーの美しい、クラシックの歌曲を演奏するのが、テルミンには向いています。」
演奏が終わった後、マードックとコングは無言で拍手するしかなかった。
そしてまたもや、物陰からそれを見つめる男の目が、キラーンと光った。
演奏(の振り)を終えたハンニバルは、テーブルの上にバイオリンと弓を置き、タオルで汗を拭いながら部屋を出ていった。窓の外の観客も、拍手したい気持ちを抑え込み、三々五々その場をそっと離れていった。
そんな中、コテージにじわりじわりと近づく人影が。
しんと静まった部屋のドアが、ゆっくりと開いた。窓から差し込む光だけに照らされたほの明るい部屋の壁沿いには、大きな本格的スピーカーと音響機器があった。部屋の中ほどにはシンプルな木製のテーブルと、その上にバイオリンおよび弓。ケースは床の上に開いたまま置いてあった。その周りには、いくつもの五線譜の束が散らばっている。
侵入者はバイオリンと弓を手に取り、ケースに収めると、それを肩にかけ、こっそりと部屋を出ていった。
こちら、レンタカーのバンの中。むぉ〜〜ん、むぃ〜ん、みぃ〜〜〜〜〜、むぃ〜ん、むぉ〜〜ん。テーブルに仕掛けたセンサー(テルミン)が侵入者の動きを感知した。
「ハンニバル、かかったよ。」
センサーからの電波をワイヤレスで受信していたフェイスマンがマイクに向かって囁く。
『よし、追跡だ。あたしも後から追いかける。』
リビングルームでコーヒーを啜りつつテレビでソープオペラを見ていたハンニバルから返答が入る。恐らくドラマがいいとこなのだろう。
「了解。」
フェイスマンは運転席に移動し、バンのエンジンをかけた。「後から追いかけるって、どうやって?」と思いながらも。
木々生い茂る湖畔から徒歩で遠ざかっていく怪しげな男
with バイオリンケースは、少し離れた場所で何の変哲もないセダンに乗り込み、発進した。それを何気なく追跡するフェイスマン。傍らに置いた掌サイズのモニターの黒い画面に、赤い光点が点滅している。バイオリンケースの中に発信器が仕込んであるのだ。そんなわけで、フェイスマン、気楽に追跡。
バイオリンが無事盗まれたことは、ウォーカー宅のコングとマードックにも伝えられた。ハンニバルからの電話で。
「俺たちも合流した方がいいんじゃねえか?」
「でも大佐、合流されたしって言ってなかったろ?」
「言われてみりゃ、そうだな。」
コングとマードックは現在、シンセサイザーとレーザーハープの演奏が興に乗って止まらない状態。既に打ち込みされていたリズムボックスを鳴らし、それに合わせてマードックが適当にシンセサイザーを弾き、コングがこれまた適当にレーザーハープで効果音を入れる。そこそこテクノっぽく、そこそこ曲になっている。すべてリズムボックスのおかげだ。音の波形や周波数を変化させて様々な音色を作り出すのも、コングには楽しくて仕方ない。
「モンキーさん、コングさん、昼食作ったら召し上がりますか?」
ラルフがスタジオの出入口(いわゆる部屋のドア)から声をかける。
「おう、いただくぜ。」
「食う食う。」
「じゃあすぐに支度しますので、15分ほどお待ち下さい。でき上がったら声をかけますね。」
そう言って、ラルフはスタジオのドアを閉め、再度コングとマードックは楽器に集中した。
そして15分後。
「お昼ですよー。」
ドアが開いて、ラルフが顔を覗かせた。楽器の電源を切ってスタジオを出る2人。
リビングルーム(テルミン部屋)のテーブルには、冷凍食品を温めたものが並んでいた。さすが、アメリカの独身男性の料理。それでも温野菜がある辺り、多少健康に留意していると思われる。ただ、その温野菜も冷凍物を温めただけで、食感はぐったぐた。そして、その上にはマヨネーズとタルタルソースがどべっと乗っている。
「うぉー、美味そー!」
そうか?
「テルミン、片づけたんだな。」
ニョッキを頬張ってコングが言う。ラルフ所有のテルミンもオリジナル(っぽい)テルミンも、ここリビングルームに見当たらない。
「え? スタジオに持っていって使ってたんじゃないんですか?」
ラザニアをずるーんべちょーんと取り分けながらラルフが訊く。
「持ってってねえよ。」
口の端にタルタルソースをつけたマードックが答える。
2秒後、3人揃ってガタガタッと椅子から立ち上がった。
「盗まれた!」×3
表に走り出る3人。しかし時既に遅く、と言うか寸でのところで遅く、助手席にオリジナル(風の)テルミンを座らせたセダンが、ついーっと走り去っていった。
「畜生!」
悔しそうにコングが拳を握り締めた。
「チッチッチ、盗んでもらう計画なんだぜ? そこはコングちゃん、畜生、じゃなくて、やったー、なんじゃん?」
立てた人差し指を振って、マードックが訂正を求める。
「そ、そうか。そうだったな。」
「け、計画?」
事情を知らないラルフは青褪めた顔でそう訊いた。
「イエス、計画。」
なじかは知らねど、親指をグッと立てるマードック。
「2台とも盗まれんのは計画になかったけどね!」
爽やかに言い放つ。と、その時。
「乗る?」
白いバンが3人の前に滑り込んできて、窓からフェイスマンが顔を出した。
「もっち。」
「運転代われ。」
「ななななな。」
あまりの事情のわからなさに、「何なんですか?」とさえ言えないラルフ。
「話は追々。」
計画について、道中、フェイスマンが説明してくれることを祈ってます。
ほとんど車通りのない道を、バンが低速で走っていく。
「何のんびりしてるんですか。もっとスピート上げて追いかけないと。くだんのセダン、もう影も形も見えないじゃないですか。」
未だ説明を聞いていないラルフが、運転席のコングに向かって言う。
「“くだんのセダン”って韻踏んでら。それに続くの、何がいっかな? くだんのセダン……油断で被弾?」
谷川俊太郎テイストですな。
「縁起でもねえこと言うんじゃねえ。」
「被弾すんのはあっちだってば。んじゃ、普段の油断?」
「そんないっつも油断してんのか、てめえは。」
「ほんじゃ、不断の油断?」
「いい加減、油断から離れやがれ。」
「モダンなロダン!」
フェイスマンが自信たっぷりに発言。
「花壇で遮断、無断で余談、旅団の美談、破談の手段、魚団の値段。」
数打ちゃ当たる方式のマードック。
しかし、コングが急ブレーキをかけてゆっくりと後ろを振り向いたので、この言葉遊びも終わりになった。再度発進するバン。
「どっち行きゃいいんだ?」
前方に四つ角が見え、コングが前を向いたまま訊いた。
「ええとね、そのまま直進。」
両手に持った受信器のモニタを見て、フェイスマンが答える。
「俺たちがのんびりしてんのも、これのおかげなわけ。」
と、フェイスマンが2つの小箱にしか見えない受信器をラルフに見せた。
「盗まれたテルミン、あ、黒くてでっかい方ね、って言ってもコングのことじゃなくてね、あん中に発信器が入ってて、別口で盗まれたバイオリンがあるんだけど、そのケースの中にも入ってて、そんでもって発信器がどこにあるのか、この受信器でわかるってわけさ。両方とも、同じとこに赤い点があるでしょ?」
「ええ、ぼんやりと。」
「ぼんやり?」
手首をくるっと返して、フェイスマンは受信器の画面を見た。
「ヤバい、電池切れる。」
顔を上げ、コングの方に訴える。
「1個生きてりゃ1個死んでも大丈夫だぜ。」
「でも2個とも……。」
「何だとぉ?」
「あの電池、新品じゃなかったの?」
「あの電池ってどの電池だ?」
「ここにあった、ビニール袋に入ってたやつ。」
「ありゃあコーヒー屋にセンサー仕掛けた時に使ったやつだ。」
「新品の電池はどこ?」
「盗ってきてねえのか?」
「俺、あの電池が新品だと思ってたから、今回は盗ってきてない。」
「じゃ、ねえな、新品の電池は。」
「ねえな、って、もう電池切れそうなんだけど、って言うか、もう切れたんだけど!」
慌てるフェイスマンの両手の中で、受信器はただただ真っ黒な画面を見せている。
「フェイス、電池、温めっといいぜ。温度が上がりゃ多少は復活するはず。」
「わかった!」
わたわたと裏蓋を外し、電池を取り出したフェイスマン、乾電池を腋の下に挟む。
「冷たっ。」
もう1つの受信器からも電池を取り出し、マードックに渡す。
「お前もやれ。」
「えー、コングちゃんの方が体温高そうだぜ?」
乾電池が冷たそうで、マードックは拒否。
「もう切れたんだけど」の時点で車を路肩に停めて事態を見守っていたコングが、無言でフェイスマンの方に手を伸ばし、乾電池を受け取って腋の下に挟む。
じっと、乾電池が温まるのを待つ4人。
「今度っから受信器はシガーソケットから電気取るようにするぜ。」
「電池も外部電源も両方使えるようにしといて。……もういいかな?」
腋の下から電池を出し、それを受信器に詰めるフェイスマン。
「やった、復活した!」
ビバ、復活! けれど、光点は中心にあって動く気配がない。それも、光点は点滅せずに点灯したままだ。
「あれ? これってどういうこと?」
と、コングに画面を見せる。首を伸ばしてそれを見て、コングはチッと舌打ちをした。
「発信器の方も電池切れだ。電波が来てねえ。」
腋の下の乾電池を取り、フェイスマンに渡す。
「じゃあ……?」
「追跡できねえってこった。」
「ええ〜。」
フェイスマンの眉とラルフの眉とが同じくらいに八の字の角度になった。
と、その時。パトカーのサイレンが後方から鳴り響いてきた。いつもの癖で身構えるフェイスマンとコング。
しかし、バンの横に停まったパトカーから姿を現したのは、ハンニバルだった。よくよく見れば、パトカーを運転しているのは警察署長。電話して呼びつけたようだ。
「ゴメン、ハンニバル。見失った。って言うか、発信器と受信器が電池切れで……。」
バンのスライドドアを開けるなり謝るフェイスマン。
「中尉……それ、戦場でやったら、命に関わりますよ?」
「おう、ハンニバル。残り少なくなった電池を捨てとかなかった俺も悪いんだ。こいつだけのせいじゃねえ。」
「責任の所在は後で考えるとして、こうしている間にも犯人は逃亡している。車で、だな?」
「そ、車。シルバーグレーのセダン。車種はわかんね。助手席にテルミンヴォックス乗せてる。」
「誰かナンバーを見た者はいないか?」
「俺っち見た。ええとね、マサチューセッツCC1・017。」
ハンニバルはマードックの言ったナンバーを署長に伝えた。無線で署に問い合わせをする署長。
「でも、そりゃ盗難車か何かじゃねえのか?」
「盗難車だったとしても、何か手がかりになるかもしれん。」
「途中で車を乗り換えるかもしれないし。」
「その場合は、そこに今まで乗っていた車が残るから、ここで乗り換えたってことがわかる。」
「そうです、何か些細なことであっても、今は手がかりが欲しい状況なんです。」
パトカーの中から署長が言う。
『グルーバー署長、照会が終わりました。』
無線のスピーカーから割れた声が聞こえた。
「車の持ち主は誰だった?」
『それが何かの間違いじゃないかと思うんですが……。』
「間違いかどうかは後で調べる。早く言え。」
『チャールズ・カプラン警部補です。』
「何だと? 間違いじゃないのか?」
『だからそう申し上げたじゃないですか。』
「で、カプランはどこにいる?」
『例の件で楽器店を回ると言って、朝からずっと席を外していますが、定期的に無線で報告は入っています。』
「じゃあ、次に無線連絡が入ったら、どこにいるのか、居場所をそれとなく訊いておけ。」
『了解しました。それとなく、ですね。』
「それと、その時に、いかにも“ついでに”という感じで、署に戻るよう伝えてくれ。くれぐれも、奴の車のナンバーを照会したことは言うんじゃないぞ。」
『了解です。』
「あと、カプランの車はそこにあるか? パトカーでなくて私用車の方。」
『それは先ほど見てみましたが、ありませんでした。警部補が普段使っているパトカーもありません。』
「わかった、ご苦労。」
マイクをフックにかけて、署長はハンニバルを見上げた。
「ということです。部下が犯人とは思いたくないのですが……。」
そう、カプランはバロック・ランケットを盗まれているし。
「動機に心当たりは?」
ハンニバルに問われ、署長はしばらく宙を見つめてから口を開いた。
「末の子に楽器を買ってやらなければ、と言っていました。」
「それで俺、不思議に思ってるんだけどさ、この町の人たちってどうやって楽器を手に入れてるの? ものによっては随分高いんでしょ?」
バンを降りてパトカーの脇に来ていたフェイスマンが訊く。
「家族から受け継ぐ場合もありますし、楽器の指導者に譲ってもらう場合もあります。もちろん、自分で買うこともありますし、誕生日やクリスマスに親から貰うこともあります。私のハーディ・ガーディは、祖父の形見でした。」
案外普通だった。町が楽器購入費を補助しているとかじゃない。
「そのカプランとか言う奴は、何の楽器を買ってやろうとしてるのか、聞いてないか?」
「アイリッシュハープだそうです。」
「ハープ? そりゃあまた高そうだね。」
フェイスマンの頭に浮かんでいるのはグランドハープ。
「アイリッシュハープは、そう高いものではありません。ただ、カプランの家は子供が6人いるので、生活費と楽器のレッスン代で手一杯のところに楽器の新規購入となれば、結構苦しいんじゃないかと思います。」
貧乏子沢山ってやつだ。
「それだな。警察の安月給じゃ思うような楽器を買ってやれない。だから楽器を盗んだ。」
ハンニバルの「安月給」という言葉を聞いて、署長がムッとした顔をする。署長の責任じゃないんだけど。
「誰か、アイリッシュハープ盗まれたの?」
「バカだなあ、フェイス。盗品使ったら、すぐバレっだろ。」
「バカはないだろ、バカは。」
ハンニバルに言われるならともかく、マードックには言われたくない。
「他の高そうな楽器盗んで、それ売って、その金でアイリッシュハープ買うってわけさ。おわかり?」
「わかるよ。わかるけどさ、盗品の楽器なんて売れんの?」
「盗品であることが明らかなものは無理ですが、盗品だとわからなければ中古楽器店で買い取ってもらえます。なので、この近辺にある中古楽器店も含めた楽器店をしらみ潰しに部下が聞き込みをして回っています。盗品のリストを配って、盗品が持ち込まれたら警察に連絡をするように、と言い置いて。」
「しかし、その聞き込みをしているのが犯人だとなると……。」
「聞き込みどころか、その場で売り捌かれているでしょうね。“盗品が楽器店に入っていない”という報告も嘘でしょう。バロック・ランケットを盗まれたというのも、嫌疑を抱かせないための嘘か……。」
署長は深い溜息をついた。
「で、私のテルミンは?」
ラルフの問いに、Aチーム一同と署長は、ふるふると首を横に振るだけだった。
「まずはカプランを拘束して、盗品の回収はそれからだな。」
「我々が尻尾を掴んだことを覚られていたら、カプランを捕まえるのは並大抵のことではないと思いますよ。仮にも警部補ですからね。」
話しながらハンニバルと署長が歩くここは、警察署の廊下。その後ろから、コング、フェイスマン、マードック、ラルフも、ぞろぞろとついて来ている。
「あ、署長。」
先ほど無線で話をしていた巡査が声をかけてきた。
「カプラン警部補、戻ってきています。ですが、車が盗まれたとか……。」
「はあ? 何だと?」
早足で廊下を進み、ドアを勢いよく開けると、カプランが自分の席でガツガツと書類を書いていた。署長の姿を認め、ガタンと立ち上がる。
「盗品は未だ見つかっていません。署に戻れ、とのことだったんですが、何かわかったことでも?」
「君の車が……。」
「ええ、私の車も盗まれました。そこの駐車場に今朝停めて、聞き込みに出ている間に。」
「君の車が楽器の窃盗に使われた。シルバーグレーのセダン、ナンバーはCC1・017。間違いないな?」
「そう、それ、私の車です。車を盗んだ上に、その車を使って楽器まで盗むなんて……。今度は何の楽器が盗まれたんですか?」
「バイオリンとテルミン2台だ。総額は……?」
署長がハンニバルの方を振り返る。
「値段をつけられるもんじゃないぞ、あれは。」
売り物じゃないしな。ラルフのテルミンは別として。
「あなた方が被害者の方?」
そう尋ねたのはカプラン警部補。
「そうだ、あたしたちが被害者だ。」
胸を張るハンニバル。そこで威張る必要は何もない。むしろ威張っちゃいけない場面。
「心中お察しいたします。必ずや我々警察があなたの大切な楽器を取り戻してみせます。」
「あ、ああ、よろしく頼みますよ。あんたも車を盗まれて、さぞかしご立腹のことでしょうなあ。」
「車は、別に大したことありませんよ。不便にはなりますが、楽器を盗まれることに比べれば……。」
「そうだ、この方たちの被害届は、私が立ち会うよ。君は車の件もあるので、しばらく署で待機していてくれ。回った楽器店のリストも頼む。」
バロック・ランケットの話が始まるな、と察知した署長が割って入る。
「わかりました。」
カプランは素直に言うと、Aチームに「失礼します」と一礼した後、自分の席に着いて書き物を始めた。
ラルフと他2名は食事中だったのを思い出して、家に戻った。そして、ハンニバルとフェイスマン、さらに署長もそれに同行。名目は、被害届書き。ちゃんと被害届の用紙も持ってきている。
「何が本当で何が嘘なのか……。」
すっかり冷めたフライドポテト(ポークビーンズがけ)に手を伸ばしながら、署長が呟いた。
カプランは無実で、彼の車が盗まれて犯行に使われただけなのか、それともカプランが犯人で、しらばっくれているのか、判断する手段がない。
「もう、何が何だか、だよね。」
人の家で勝手にコーヒーを淹れて、フェイスマンがそれを注いで回る。
「犯人のようには見えませんでしたけどねえ。」
ハンニバルもフライドポテトに近寄る。が、フェイスマンに阻止される。
「俺たちも楽器屋巡りすりゃいいんじゃねえか? 奴が回ったって店に盗品がありゃあ、奴が犯人だ。」
「今のところはそうするしかないな。フェイス、署長さんの車を借りて聞き込みだ。」
許可も得ずに、署長の車を借りることにしてしまっているハンニバル。それを聞いた署長も、特に異存はないよう。
「オッケ。楽器店と中古楽器店ね。ついでに乾電池、補充しとくよ。」
「頼むぜ。俺ァ何すればいいんだ、ハンニバル。」
「囮の楽器を作るのはもう厭きたしなあ。お前も聞き込みだな。」
「おし。飯食ったら行ってくるぜ。」
「あ、署長さん、嘘か本当かわからないにせよ、楽器店のリスト、でき上がったらこっちに回してくれ。早急にな。」
「わかりました。」
「で、モンキー、お前も聞き込みだが、ラルフの車を借りて行ってこい。」
「ラジャー。」
とは言っても、まだ食事中。3人は食事を続け、署長はハンニバルとフェイスマンに質問しつつ被害届を書き始めた。
Aチーム3名が楽器店と中古楽器店を回って聞き込みをしても、カプランの報告と同様、何も得るものがなかった。そして、その夜、町外れに乗り捨てられたカプランの車が発見された。車内にはバイオリンもテルミンも残っておらず、目撃者も皆無。何せその辺りには民家がないもので。
行き詰ったAチーム。また囮作戦をするしかないのか?
湖畔のコテージで、フェイスマンは電話をかけまくっていた。調べる楽器店の範囲を広げたのだ。ちょろっと行ける距離の場所でないなら、電話で問い合わせればいいだけで。無論、チャートリーの警察官を名乗って。それと、古物商にも当たってみている。古楽器は古物商で取り扱われている場合もあるので。こちらは、後ろ暗い連中もいるので、同業者の振りをして。署長が持ってきてくれた電話帳に、どんどんと消し線が引かれていく。
コングはカプランの尾行をしに行った。金のジャラジャラは外して、黒い服を着て。もしカプランが犯人なら、何か行動に出るはすだ。
ハンニバルとマードックは、特にすることがないので、リビングルームのローテーブルに盗まれた楽器の写真(被害者から借りた写真の焼き増し)を広げて考え込んでいる。いや、考え込んでいるのはハンニバルだけで、マードックは楽器を見て楽しんでいる。
「バイオリン、バイオリン、金ぴかフルート、バイオリン、ビオラ、バイオリン、金ぴかフルート、バイオリン、オーボエ、バイオリン、イングリッシュホルン、バイオリン、バイオリン、ハーディ・ガーディ、バイオリン、バイオリン、ビオラ、バイオリン、ランケット、バイオリン、フレンチホルン、バイオリン、じゃないかビオラだ、バイオリン、コルネット、バイオリン、オーボエ、バイオリン、サントゥール、バイオリン、テルミン、テルミン。」
写真を、まるでトレーディングカードのように分類するマードック。かなりの数のバイオリンが盗まれた模様。
「全部でいくつだ?」
「31個。」
「それを犯人は全部持っているのか?」
「売りに出してないんだから、持ってんじゃねえの?」
「どのくらい場所を取ると思う?」
「一番のデカブツがオイラたちのテルミンだと思うから、フルートなんか畳んじまえばこんだけだし。」
と、ケースのサイズを手を広げて表現する。
「積み上げりゃ、その角くらいに収まるんじゃん?」
部屋の角を指し示す。
「案外コンパクトだな。」
「上手く積み上げられりゃね。」
「しかし、家にあったら邪魔だろうな。」
「家族構成にもよるんじゃね?」
「かと言って、車に積めるほどの量じゃない。」
「コングちゃんのバンでも無理だろうね。トラックか何かじゃなけりゃ。」
「それだけの楽器があっても、邪魔にならず、人目につかないとこってどこだ?」
「空き家。」
「それはこの界隈にない。と町長さんが言ってたぞ。」
「空き部屋。」
「それは各戸を回ってみんとわからんな。」
そこで2人は口を閉じた。じっと何事か考える。そして遂に。
「ラルフんちだ!」
「町長のとこだ!」
残念ながら、2人の意見は揃いませんでした。
「ラルフんちの事務所、怪しいぜ。“ここは何もないので入らないで下さい”って言ってたし。」
「だが、テルミンが盗まれた時、ラルフはお前たちと一緒にいたんだろう? 町長の長男、別居してるってことは、そいつの部屋は空き部屋のはずだ。」
「何で町長が楽器盗むんよ? 動機が何もねえじゃん。ラルフだったらあの家、買ったんだか借りてんだかして、今、収入なくて、金ねえはずだぜ。前に仕事がなかったって話もしてたから、借金あるかもしんねえ。電気代もかかってるしよ。」
「町長の長男、恐らく大学生だ。別居に金がかかるし、大学の学費も必要だろう。動機がないわけじゃあない。もしラルフが犯人だって言うなら、カプランの車であたしたちのバイオリンとテルミンを盗んでいったのは誰だ?」
「ラルフにだって友達いるだろうしよ、もしかしたら借金の取り立てに来た奴とグルんなってんのかもよ。」
「……言い合いしていても何もならんな。ともかく行って確かめてみよう。」
と、その時。
「ハンニバル、ハーディ・ガーディとランケット、出たよ! ボストンの中古楽器店。昨日、持ち込まれたって。」
電話を切ったフェイスマンが、メモを片手に2人の方を振り返る。
「何だと?」
「持ち込んだのは、ヨランダ・コルシ。身分証明書で確認も取ってる。いいプロポーションしたブルネットのラテン美人だって。年は、証明書によれば、28歳。」
「誰だ、そいつは!」
「誰なんよ、それ!」
ハンニバルとマードックが叫ぶのも、わからないでもない。フェイスマン1人、「俺、俄然やる気出てきちゃった」とか言ってる。
フェイスマンは「今行くよ〜、待ってて〜、ヨランダ〜」と歌いながら、署長の車に乗って(まだ借りてる)ボストンへ向かっていった。
ハンニバルとマードックは、ヨランダのことは置いておいて、ラルフ・ウォーカー宅に向かった。ラルフに借りていた車は返してしまったので、徒歩で。
ピンポーン、とドアチャイムを押して、ラルフを呼びつける。
「部屋を全部見せてくれ。」
出てきたラルフに、単刀直入に言うハンニバル。
「部屋を? ええ、どうぞ。」
既にもうよく知っているリビングルーム、開きの中にも楽器の山はない。キッチンにもない。スタジオにも、シンセサイザーとリズムボックスとレーザーハープ以外の楽器はない。
「寝室、散らかってますが……。」
恥ずかしそうに、ドアを開けるラルフ。結構広い寝室だが、開きっ放しのウォークインクロゼットの中にも、ベッドの下にも、どこにも楽器はなかった。
浴室にもトイレにも、当然、楽器なし。そして、怪しい事務所。
「ここは私もちょっと入りたくないんですよね。」
そう言い置いて、ドアを開ける。
「あー……これはアレだね。昆虫館?」
他の部屋とは全く違い、その部屋の中はクモの巣だらけで、床にはムカデやGが這い回っている。アリ塚まである。ぴょんぴょん跳んでいるのはカマドウマもしくはコオロギ。
「何でこんな、何と言ったらいいか、荒れ果ててるんだ?」
「わかりません、最初からこの部屋だけこうだったんです。それで、この家、格安で入手できたんですけど。どこからどう手をつけていいかわからないし、ドアさえ閉めていればこいつら他の部屋には入ってこないので、そのまま放置してしまって……。」
Gが廊下に出てきそうになって、慌ててドアを閉めるラルフ。Gも物わかりがいいのか、ドアの下を通ってまで廊下に出てこようとはしなかった。
「部屋は以上です。この部屋は、事務所が必要になる日までにはどうにかしますよ。」
「いや、それより前に何とかした方がいいぞ。業者を呼んで任せるとか。」
「カエルとアリクイ飼うのも効果的だと思うぜ。」
Aチームを呼ぶのもいいと思います。
そうしてハンニバルとマードックは、ラルフに礼を言って、今度は町長の家に向かった。
ピンポーン、とドアチャイムを押して、町長を呼びつける。
「部屋を全部見せてくれ。」
出てきた町長に、単刀直入に言うハンニバル。
「部屋を? こんな時間に?」
現在、午後10時。小さい子なら、もう寝ている時刻だ。町長もくつろいだガウン姿だし。
「ま、どうぞ。お見せできるところはお見せしますが。」
リビングルームには、ツィンバロムとコンガとボンゴ。他の楽器は、なし。キッチンにも楽器なし。浴室・トイレにも楽器なし。階段の下の開きの中にも怪しいものなし。町長の自室にも楽器なし。クローゼットの中にもチェストの中にも、なし。で、2階に上がる。
「ここは、長男の部屋です。」
そう、それが見たかった、とは言わずに、ハンニバルたちは黙って頷いた。ドアが開かれる。その中は、特筆すべきものは何もないような部屋だった。机と椅子とベッド、それに本棚。クローゼットの中にも、何も不審なものはない。
「長男さんは今、どこに?」
ハンニバルが尋ねる。別居中とは言われているものの、その具体的な理由は聞いていない。
「この間までボストンの音大にいたんですが、今は卒業して、プエルトリコにスティールドラムの修行をしに行っています。」
「なるほど。」
そうとしか言いようがない。確かに、修行中と言うよりは別居中と言った方が通りがよさそうだ。
「あとは、妻の部屋と娘の部屋と下の子の部屋ですが、見せてもらえるかどうか……。」
町長であっても、家内ヒエラルキーでは一番下のようだ。
「他に収納場所は?」
「ああ、納戸があります。こちらです。」
町長は2人を連れて、1階の廊下の奥に向かった。
「ここです。」
居室にするには狭い部屋に、様々なものが押し込まれていた。古いアルバム、卒業証書、子供たちが幼稚園や小学校の頃に描いた絵、捨てるに捨てられない古着、流行遅れになった毛皮のコート、誰の趣味で買ったのかわからない絵画、ゴルフコンペのトロフィー、各地の土産物(特に置物)、お祖父ちゃんの古時計、ロッキングチェア、ぶら下がり健康器、腹筋台等々。
「わかった、どうも済まんね。」
盗品の楽器がどちらの家にも見つからなかったことにがっかりして、ハンニバルとマードックは湖畔のコテージにすごすごと戻っていった。
コテージのリビングルームには、黒づくめのコングが戻ってきていた。
「よう、ハンニバル。カプランの奴は家に戻ったぜ。」
コングは今、受信器をシガーソケットに繋いで使えるように改造している。空いた時間を無駄にしない、見上げた奴だ。
「何か怪しい素振りは見せなかったか?」
「特に何も。1回、公衆電話から電話をかけてたけどな。」
「相手は誰だ?」
「わかるわきゃねえだろ。集音器持ってってなかったしよ。」
「じゃあ明日は集音器を持って、カプランを尾行してくれ。」
「それが残念ながら、集音器はロスにあんだ。こっちにゃ持ってきてねえ。」
「じゃ、作ればいい。」
「フェイスの奴が戻ったら、材料調達を頼んで、その材料が揃ってからな。」
「よろしい。」
その時、電話が鳴った。
「はい。」
ハンニバルが受話器を取る。
『俺。ヨランダが何者か、ちょっとわかったから報告。』
ボストンのフェイスマンからだ。ボストンまで1時間ほどかかることを考えると、結構すぐに掴めた様子。
「ほう、何者なんだ?」
『本名もヨランダ・コルシ、28歳。職業は、借金の取り立て屋。得意種目は、射撃とマーシャルアーツ。』
「随分、物騒な子だな。」
『しょうがないじゃん、借金取り立ててるんだから。それで、今は誰の下についてるかって言うと、何と親玉はローウェル・ブライトゥンバック。』
「……誰だ? あたしの知ってる奴か?」
『ああ、もう、やだなあ、ハンニバル。こないだのコーヒーショップの創業者の息子! 保釈金積んで、もう出てきてるみたいだけど。』
「何だ、その繋がりは。奴は金貸しもしてたのか。」
『奴が金貸ししてたっていうのは、俺、あの時、掴んでたんだけど、関係ないから放っといたんだよね。人死にも出てないようだったしさ。でも、そん時、2代目のオフィスに忍び込んで、隠し金庫にあった書類、片っ端からカメラに収めたじゃん。その紙焼き、ボストンの貸し金庫に入れてあったんだけど、それ改めて見てみたら、中に金貸した相手のリストがあってさ、その中にあった名前、誰だと思う?』
「ラルフ・ウォーカーか、チャールズ・カプランか、あるいは町長か、そんなとこだろ。で、誰なんだ?」
『ジョシュア・リード。』
「町長か!」
『違う違う、町長はジョセフ・リード。ジョシュアは町長の長男。』
「長男? 音大卒業してプエルトリコで何かの修行してるって言ってたぞ?」
『残念、プエルトリコには行ってないんだ。』
「じゃあどこにいる?」
『この辺かそっちの方。具体的な居場所はわかってないけど、少なくともプエルトリコじゃない。』
「ってことはだ、町長の息子が借金抱えて、コーヒー屋の2代目に金を借りて、その金を返せずヨランダに脅されて、この町の楽器を盗んで金に換えて、借金返済に充ててるってことか?」
『今んとこの情報からだと、そういうストーリーになるね。でもさ、ハンニバル、何でヨランダは敢えてハーディ・ガーディとランケットなんて足がつくような楽器を売ったんだろ?』
「そりゃあヨランダに楽器の知識がないからだろう。」
『誰が実際に楽器を盗んだのかはわからないけど、どの楽器をどこから盗めばいいかっていうのはジョシュアが手引きしてるはずだよね。ジョシュアはヨランダに“その楽器は珍しいから売らない方がいい”って言わなかったのかな?』
「敢えてそれをヨランダに売らせたんじゃないか? そこから足がつくように。ヨランダが本物の身分証明書を使ったっていうのも、足がつくとは思ってなかったからじゃないだろうか。」
『そうか、ジョシュアは脅されて仕方なく盗みに関係してるけど、本当はそんなことしたくないから、早く見つけてほしいんだ。』
「恐らくな。ダイイング・メッセージってやつだ。」
『まだ死んでないと思うけど? ヨランダは死なない程度に痛めつけるのが上手いって噂だよ。』
「まあ、それはそれ、お前は引き続きそっちで調べてみてくれ。それと、楽器の回収だな。」
『わかった。』
「ところで、ハーディ・ガーディとランケットが見つかったこと、署長とカプランに報せていいと思うか?」
『借金のリストの中には2人の名前はなかったけど、ヨランダや2代目と無関係だとは言い切れないね。』
「そうだな、極秘で動くとしますか。」
電話を切った後、ハンニバルはマードックとコングに以上の話を要約して話した。
「続々と関係者が増えてきやがる。」
吐き捨てるようにコングが言う。
「オイラ、もうわけわかんね。」
マードックも肩を落とす。
「そんじゃあ俺ァ行ってくるぜ。」
完成した受信器をテーブルに置いて、コングが立ち上がった。
「どこ行くんだ?」
「フェイスの奴、今晩、帰ってこねえんだろ? 集音器の材料、自分で集めねえとな。ま、その辺のゴミ捨て場で何とかなるだろ。」
そう言ってコングはコテージを出ていった。
「ラルフに電話していっかな?」
「何でだ?」
「ほら、町長の長男、ボストンの音大にいて、それもスティールドラムってからには打楽器だろ? 年は離れてそうだけど、ラルフが何か知ってんじゃないかと思ってさ。」
「そうだな、訊いてみてくれ。」
マードックはポケットに手を突っ込むと、「ジャーン!」と紙切れを取り出した。それは10億ミョン札。今必要なのは、それじゃあない。もう一度「ジャーン!」と取り出したのは、ラルフ・ウォーカーのネームカード(ハンニバルも持ってる)。それを見ながらダイヤルを回す。
「あー、もしもし、ラルフ? 俺、モンキーだけど、寝てた?」
『ああ、モンキーさん? 今寝ようとしてたところです。』
「あのさ、ジョシュア・リードって知ってる?」
『ええ、スティールドラム叩く、町長さんとこのご長男。実は音大の後輩なんですよね。打楽器仲間のパーティで何度か会ったことがあります。』
「あ、やっぱそう。」
『でも、話をしたことはありません。』
「じゃあ何か噂とか聞いてねえかな?」
『あんまりいい噂は聞いてませんね。あ、でも、スティールドラムの腕はなかなかだそうです。』
「よくねえ噂にはどんなんがあった?」
『ギャンブルに嵌って学費を使い込んだとか、スティールドラム繋がりで中南米系の柄の悪い連中とつるんでるとか、ですね。』
「じゃあさ、ヨランダって人、知ってる?」
『ヨランダ、ですか? ええと……小学校の同級生にいました。』
「多分それじゃねえと思っけど。ヨランダ・コルシっての。」
『コルシ? その同級生、ヨランダ・コルシって名前でしたよ、確か。運動神経抜群で美人で、モテモテでした。』
「きっとそれだ〜。」
ムンクの『叫び』のような顔をするマードック。ってことは、ラルフも28歳だ。
「他にそいつについて知ってることは?」
『同じ学区域だったはずなのに、中学からは姿を見なくなりました。引っ越したんでしょうかね?』
「それがわかんねえから訊いてんだよなあ。」
『ああ、そうですよね。もう他には、彼女について知っていることはないと思います。』
「ん、わかった、サンキュ。」
『はい、おやすみなさい。』
電話を切るマードック。
「大佐、ラルフとヨランダは小学校の同級生だった!」
と、ハンニバルの方を振り返る。
「でも、中学からは会ってねえって。」
「ふむ。大尉、ラルフにもう一度電話してみてくれ。」
「え? また?」
「急いで。」
マードックは再度、ラルフの家の電話番号をダイヤルした。
「……電話中だ。」
「そうか、そう来ましたか。」
受話器を下ろすマードックに、ハンニバルはニヤリと笑って見せた。
徹夜で集音器を作ったコングは、どこからかっぱらってきたのかツナギを着て、朝の町に出ていった。タフだなあ、コング。
昼になってから起き出したハンニバルとマードックは、いつの間にかキッチンに食料品が買い溜めてあったので(買ってはいないんだろうけど)、それらを食べて腹を満たした。片づけをしていた時、電話が鳴り、ハンニバルが受話器を取った。
『おう、俺だ。』
フェイスマンからかと思ったらコング。
「どうした、軍曹。」
『町の騒音調査の振りして集音器持って回ってたらよ、またカプランの奴が電話してたんだ、公衆電話で。』
「ほう、朝っぱらから何なんだろうな。」
『もう昼だぜ、ハンニバル。で、電話の相手ってのが、どうやら浮気の相手らしくてよ。』
「まさか、ヨランダと浮気してるんじゃないだろうな?」
『ああ、キャロルとか言ってたぜ。ヨランダじゃねえ。』
「ヨランダじゃないんなら、放っておいてあげましょう。警部補が浮気ってのもどうかと思いますけどね。」
『それどころじゃねえしな、こっちは。』
「その通り。じゃ、ご苦労でしたな、軍曹。」
『おう。俺ァ帰って寝るぜ。』
そんなわけで、カプラン警部補、浮気しているけど窃盗事件とは無関係(だと思う)。
と、その時。
「ただいま〜。」
ヘトヘトなフェイスマン、ご帰還。
「楽器は、楽器屋に押さえといてもらってる。展示するだけならいいけど売ったら犯罪だって言い含めて。後で署長に回収してもらうよ。それでいい?」
「ああ、構わん。」
「で、ジョシュア・リードは学生時代に手を出したギャンブルで負けが込んで、仕送りも学費も使い込んで、2代目にかなりの金を借りてる。それで、大学卒業後に就職して返済していく約束が、トンズラ決め込んだんで、ヨランダが取り立てに行って、どういうわけだか現在ジョシュアとヨランダは同棲中。」
「昨日の報告からそう進展してないじゃないか。」
「そうでもないよ?」
「学費を使い込んだ件は、こっちでも把握してましたしね、ラルフに訊いて。そのラルフは、ヨランダと小学校で同級生だった。」
「へえ、それ、初耳。」
「それから、カプランは浮気してるが、浮気相手はヨランダじゃない。」
「ヨランダはカプランなんておっさん、相手にしないでしょ。ジョシュアがいるんだし。」
「でも、そのジョシュアはヨランダにハーディ・ガーディとランケットを売らせただろう?」
「年上はジョシュアの好みじゃなかったとか、ヨランダが一方的に迫ってるだけとか、ちょっと厭きちゃったなあとか、アイスクリームにバルサミコかける人とは暮らせないなあとか、そんなんじゃない? ああ、そうだ、これ、電話局で通信記録貰ってきた。今回の関係者全員の分。」
「よくそんなの貰えたな。」
ちょうどそれをフェイスマンに頼もうと思っていたハンニバル、リストを受け取り、ざっと目を通す。
「ICPOだって言ったら、ホイホイ教えてくれたよ。すごいよねえ、ICPOって肩書きの威力。」
「……この昨日の夜にラルフが電話した相手って誰なんだ? ヨランダか?」
「1つはここの電話番号でしょ。それともう1つはラルフの実家。一通り、相手の家に電話してみたんだ。」
フェイスマン、至れり尽くせり、痒いところに手が届く、部下の鑑と言えよう。
「じゃあラルフ、俺と電話した後、家に電話して、ヨランダのこと訊いたんかな?」
「電話してみたら?」
肩を竦めて、フェイスマンがマードックに言う。
即刻、ラルフに電話してみるマードック。会話省略。
「やっぱそうだって。でも誰も覚えてなかったし、家に当時の名簿や連絡網も残ってないって。卒業アルバムはどっかにあるかもしんないけど、探し出せる自信はないってよ。」
「たまたま同級生だっただけか。ラルフもグルかと思ったんだが。」
ハンニバル、少し悔しそう。
「結局、犯人はジョシュアってことだね。」
フェイスマンが結論づけたその時。
ボゴーン!
コテージの壁が吹き飛んだ。咄嗟に伏せる3人。壁を1面失ったログハウスの屋根がゆっくりと傾いていく。伏せていた3人は、その軋む音に天井を見上げ、吹き飛んだ壁とは反対側の窓から外に逃げ出した。
「誰が攻撃してるんだ?」
「ヨランダじゃねえの?」
「ハハ、ゴメン、俺、尾行されたっぽい。」
尾行されたっぽい、ではなく、間違いなく尾行された。徹夜のせいで、尾行されてることに気がつかなかっただけ。
ボゴーン!
3人のすぐ背後の地面が抉れて、木片やら石やらが頭や背中にバシバシと当たる。
「いてててて、今日びの取り立てってバズーカで攻撃してくんだ。ダイナミック〜。」
「そのくらいしないと返済されないんでしょうなあ。」
「でも、ヨランダ、ギリギリで殺さないらしいから大丈夫だよ、きっと。」
「何言ってんですか、ギリギリで殺さない腕があるなら確実に仕留めるのなんて簡単ですよ。」
話しながら、ただひたすら逃げる3人。武器、ないし。頼みの綱は、コング。か、ジョシュア。あるいは、署長。この際、カプランでもいい。
パーン!
カンッ!
背後で軽い銃声がして、それが何か硬いものに当たる音がした。恐る恐る足を止め、振り返る3人。
ライダースーツ姿にヘルメットを被った人物が倒れている。その体のラインから察するに、これがヨランダだ(察したのはもちろんフェイスマン)。その後ろで拳銃を構える青年が、恐らくジョシュア。町長に似ず、明るい栗色の髪に緑の瞳のハンサム君だ。カプランの車でテルミンを奪っていったのは、十中八九、彼だろう。
「ヨランダ、もうやめよう!」
ジョシュアが悲痛な声でそう言ったその時、機敏な動きでヨランダが跳ね起き、凹んだヘルメットを投げ捨てた。
「私を裏切ろうっての!?」
低い姿勢からジョシュアに向けて突進するヨランダ、その手にはサバイバルナイフが握られている。危うし、ジョシュア! 早くトリガーを弾け! ライダースーツが防弾だとしても頭は無防備だ!
……いや、頭は撃っちゃいかんか。
と、そこへ。
「うがーーーーーーー!」
咆哮(?)を上げながらコングが走ってきた。その姿はまるでイノシシのよう。
ヨランダは、このドゴドゴと走ってくるモヒカン男がジョシュアよりも危険であると一瞬で見抜き、突進の速さは変えぬまま、進行方向を変えた。
ガイーン!
2人がぶつかり合った。だが、ヨランダのナイフは盾のように翳された集音器に阻まれ、コングの体まで届かない。
ガイン、ガイン、ガイン、ガイン!
無駄のないしなやかな動きでナイフでの攻撃を続けるヨランダ。コングはそれをすべて集音器で受けながらも、体勢を整えていく。体術ではコングの方が一歩上手だ。そして――。
ドスッ!
コングの右拳がヨランダの腹部にめり込んだ。その勢いでヨランダは後ろに飛ばされ、背後にあった木に背中をぶつけると、そのままの姿勢で地面に落ち、動かなくなった。
「女ってのは、軽いもんだな。」
自分の拳を見つめながら、コングはそう呟いた。
コテージだったものの周りにはパトカーが大集合していた。チャートリーの町にあるすべてのパトカーが集結しているに違いない。
後ろ手に手錠をかけられたヨランダが、それでも抵抗しながら、カプランに連行されていく。ヨランダの武器や乗ってきた大型バイク(サイドカーつき)を恐る恐る回収する巡査たち。
潰れたコテージを残念そうに見る町長の前に、署長に腕を掴まれたジョシュアが立ち止まった。その手には手錠がかけられている。
「ゴメン、父さん。町の人たちに迷惑かけちゃって。盗んだ楽器は、署長のハーディ・ガーディと警部補のランケット以外、全部ヨランダの家にあるから、返してあげて。」
「わかった。」
それ以上何も言わず、町長は息子の頭をくしゃくしゃと撫でた。そうされてジョシュアは泣きそうになったのを、ぐっと堪え、きつく唇を噛んだ。
「さ、行くぞ。」
ジョシュアの歩みを促す署長も、唇を噛んでいた。一体、私のハーディ・ガーディは今どこに……?
「あ、署長。」
雰囲気をぶち壊すように話しかけてきたのはフェイスマン。
「ハーディ・ガーディとランケット、ボストンのこの楽器店にあるんですよねー。」
楽器店の住所と電話番号を記した紙片をピラピラと振る。
「おお、私のハーディ・ガーディ!」
フェイスマンの手から、その紙片をもぎ取る。
「つきましては、謝礼ムグッ!」
代金請求の話に入ろうとしたフェイスマンの口を、ハンニバルが後ろから塞ぐ。
「いや、何でもありませんよ。はっはっは。」
「ありがとうございました、犯人まで捕まえて下さって。後ほど、感謝状と、ささやかながら謝礼を差し上げたいと思います。」
「ほう、それはそれは。」
未だモガモガしているフェイスマンとニッカリしているハンニバルに軽く一礼すると、署長はジョシュアと共にパトカーに乗り込んだ。
「私からもお礼を申し上げなければなりません。いろいろと、どうもありがとうございました。」
町長も2人に頭を下げた。
そこでキュルーンと回るフェイスマンのオツム。窃盗事件の方はハンニバルが勝手に背負い込んだ仕事だから、仕事料を請求できなくても仕方ない(謝礼も出るそうだし)。しかし、町長からの依頼は解決したはずだ。これは町長が依頼してきたことだから、仕事料を請求してもいい。
「そこで報酬の件ですが……。」
フェイスマンが切り出す前に、町長の方から周囲をキョロキョロと窺って話し出す。
「はい、何でしょう?」
ハンニバルの手を引き下げ、営業スマイルを浮かべるフェイスマン。
「これから先、愚息のことで何かと要りようになると思われますし、私自身、町長の座に納まり続けるわけにも行きません。そうなりますと、申し訳ないのですが、分割払いということには……?」
「あ、ええ、分割でも、はい。」
微妙な表情で返答するフェイスマン。少しずつでも全くないよりはマシだ。でも少しずつだ。少ししかないが、少しはある。
「では、こちらの口座にお願いします。」
死んだ魚のような目で懐からカードを出し、町長に渡す。
「これにて一件落着ですな。」
晴れ晴れとした顔のハンニバルが、葉巻に火を点け深々と煙を吸い込み、フェイスマンは大きく溜息をついた。
コテージ跡のポーチでは、コングが大の字で大いびきをかいており、マードックはコングの股に立てたアンテナに右手を近づけたり遠ざけたりしながらテルミンの音を口真似していた。
その後、ラルフは、あの部屋にどうしても手をつけることができなかったため、テクノバンドのプロデュースを諦め、その代わりにテルミン奏者として名を馳せたのだった。
【おしまい】
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