恩義! 一宿一飯の借り!? 謎の土地で料理対決!!
伊達 梶乃
<1>

 月明かりに照らされた麦畑。青々とした麦が風に揺れる音と、虫の音しか聞こえない。畑が途切れた辺りにある民家の窓には明かりが灯っているものの、そこから聞こえる人の声は畑の方まで届かない。
 風の向きが変わり、雲が流れてきた。月が雲に隠され、一帯が闇に包まれる。低く立ち込めた雲は、今にも雨を降らせそうだ。
 と、その時、虫の音が止んだ。その代わりに、シュルシュルシュルという聞き慣れない微かな音が。その音が次第に近づいてきたかと思うと、雲の中にオレンジ色の光が浮かんだ。しばらくの間、光はそこにあった。雲が流れても、その場所に。やがて光の中心から何かが投げ出され、麦畑の中に落ちた。それと共に、光はシュルシュルという音と共に去っていった。
 翌朝。麦畑に出てきた農夫たちは、畑を見てあんぐりと口を開けるしかなかった。丸く、麦が倒れていたのだ。いわゆるミステリーサークルというやつだ。噂には聞いていても、まさか自分たちの畑にミステリーサークルができるとは思っていなかった彼らは、たっぷり5分間、口を開いたままその場に直立しているしかなかった。その上、ミステリーサークルの中心には、生き物の内臓のようなものが大量にぶちまけてあったのだから。



『ここのところ世界各地で次々とミステリーサークルが発見されています。』
 ニュースキャスターは、そう話を切り出した。
「ほほう。やっとですか。」
 アジトのソファに横になり、読んでいた台本を腹に置いて、ハンニバルがテレビ画面に目を向けた。
『オーストラリア、イギリス、フランスで、この半月の間にいくつものミステリーサークルが新たに発見されました。映像をご覧下さい。』
 画面はヘリコプターで麦畑を上から撮影した映像に切り替わった。それから次に、人間の目の高さから撮影した映像。単純な円1つだけのシンプルなミステリーサークルだ。
『明らかに人間の手によるミステリーサークルもあると聞きますが、今回続々と発見されているサークルは、どうやって作ったのか私には見当もつきません。周囲に足跡もなければ、人が踏み倒したのでもない。上からの圧力が円全体に均等にかかっています。それも、ただ上からプレスしただけでなく、一定の速度で回転しながら。このサークルと同じ大きさの何かが、ぐるぐると回りながら、麦を押し潰した。そうしなければ、このサークルはできません。なのに、それだけの大掛かりな作業を、誰も目撃していない。人外のなせる技としか言えません。さらに言えば、この半月の間にできたミステリーサークルは、すべて同じ大きさなんです。』
 興奮したような口調で語る、血色の悪い初老の紳士の映像。テロップには“工学博士”とある。それもイギリスの有名大学の。胡散臭い肩書きのマニアではない。偉そうな口ヒゲを生やしているし、スーツもいい生地使ってる。
『目撃者はいないわけではありませんでした。』
 キャスターが言い、画面が切り替わる。
『3メートルはある宇宙人が機械を操作して、上空のUFOと交信してるのを見たんだ。その宇宙人の目は赤く光っていて、上手く地球人の黒人にカモフラージュしていたけど、どう考えても、あれは地球人じゃなかったね。』
 そう語る男はフランス人。なぜなら、長さの単位がメートルだから。それに、ベレー帽を被っているから。音声は吹き替えられていて、口の動きと言葉とが全然合っていない。
「あれ? コング、何かギミックつけてたっけ? 目が光るとか、身長が伸びるとか。」
 キッチンからベランダの方に向かおうとして、干し網を手にしたフェイスマンが足を止めて問う。
「いんや、何もつけてねえぜ。単なる見間違いだ。」
 ヘッドホンを片耳に当てて機械に対峙し、何やら難しそうなことをしていたコングが答える。単に、シュルシュルシュル音のテープにキーン音を重ねているだけなんだが。
『3メートルつまり10フィートと言うと、ウエストバージニア州で目撃されたフラットウッズ・モンスターを思い出しますね。ただし、この目撃者から、スペードのような頭や悪臭に関しては証言を得られていません。』
「思い出しますね、って、思い出すもん?」
「思い出すに決まってんだろ、フェイス。10フィートの宇宙人、フラットウッズ・モンスターって言やあ、宇宙人の中でもピカイチの知名度だかんね。シナトラやプレスリーよりネームバリューじゃ上だって調査結果が出てたくらいだぜ。あれを思い出さないなんてモグリだね。」
 何のモグリだか知らんが、そう言うマードックは、開いた魚とほぐしたキノコを乗せたトレイを持っている。
「オイラたちに何か足んないと思ってたんだけど、悪臭が足んなかったんだねー。大佐、今度将軍に会ったら、悪臭用意しといてって言っといてよ。」
「ああ、わかった。」
「マスタードガスっぽいの。」
「はいはい。」
「それと、ちょっと浮かなきゃ、コングちゃん。シューッて音立てながら。」
「そこまでする必要はねえだろ。やってできねえこともねえけどな。」
『今回のミステリーサークルに共通しているのは、先ほどの博士の解説にもありましたように、その大きさ。そして、こちら。』
 ミステリーサークルの中央部分が拡大される。
『サークルの中央に撒かれた内臓です。』
『これらの内臓を調査したところ、いずれも米国産の牛のものだとわかりました。』
 テロップは“オーストラリア国立食肉保険局研究所所長”。日焼けした壮年の紳士の後ろでは、カンガルーが飛び跳ねているし、そのさらに向こうにはエアーズロックが見える。紳士の傍らの木の股では、コアラがじっとしている。
『過去に起こったキャトルミューティレーションで抜き取られた内臓ではない、とは言い切れません。もちろん、そうである、とも言い切れません。ただ1つ我々が確信していることは、この肉は食べない方がいい、ということです。』
「何、当たり前のこと言ってんだ、こいつァ。」
 コングの突っ込みも当然である。
「肉好きのあたしでも、そんな怪しい肉は口にしたくないですよ。」
 ハンニバルも、ふるふると頭を振った。
『肝臓と腎臓、心臓、横隔膜と第一胃袋、第三胃袋はほとんど残されていませんでした。これらの部位は美味ですからね。第二胃袋と第四胃袋はかなり残っています。下ごしらえの面倒な小腸と大腸も高確率で残っていました。残念ながら、舌と尾は最初から落とされていなかったようです。』
 所長さんが紙束を繰りながら報告する。
「それって……。」
 フェイスマンが絶句した。
「タンとテイルは落とさなかったけどよ、他の内臓は全部落としたはずだぜ。全部のサークルに1頭分ずつ。」
 落とした張本人、マードックが証言する。と言っても、ストックウェル側が用意した内臓肉を積み込んで、所定の位置で投下ボタンを押しただけなんだけど。
「食っちゃったんでしょうなあ、近隣の皆さんで。」
「ああ、食ったんだろうな、得体の知れねえ肉を。」
 場が静まった。
 解説しよう。この半月、Aチームはストックウェルの指令を受けて、英・仏・豪の各地にミステリーサークルを作っては牛の内臓をぶちまけていたのだ。毎日毎日、場所を指定され、静音仕様のステルスのヘリ(開発中=完成したわけじゃない)で現地に向かい(操縦 by マードック)、目的地上空でホバリングしつつ、UFOっぽい音を再生(by ハンニバル)。その間に、「どんなサイズの鍋にも対応! 万能落とし蓋」と同じ原理の“ミステリーサークル製造ツール”を降下させて、ぐるぐるとミステリーサークルを作る(by フェイスマン)。そして最後に牛の内臓をべちょっと落として終了。地上班のコングは、木陰や物陰に隠れて、ヘリのマードックに微妙な位置調整を指示しながらも、雲に向けて特殊ライトを投射。なので、この作戦は、雲が低く立ち込めている時でなければ実行できない。しかしそれも、ストックウェルの部下が気象衛星からの情報を解析して「今日はここで何時に」と決定しているので、Aチームはそれに従えばOK。
「ま、こういう命令だったら、将軍の指示でも、たまにはいいかもね。」
 各地に行ったついでに、任務(?)後にあちこちの女性に声をかけて交遊関係を広げていたフェイスマンが言う。
「たまには、ならな。毎日毎日あっち行ったりこっち行ったりするたんびに睡眠薬盛られちゃ体が持たねえぜ。」
「だからオイラ、コングちゃんの体のこと思って、5回薬盛って、5回薬打って、5回殴って気絶させたんじゃん。あ、違う、オイラがやったんじゃなくて大佐がやったんか。」
「あたしは5回しかやってませんよ。順番に5回ずつって約束だったから。」
「終わったこった。どうだっていいぜ。」
 過ぎたことに関しては、人間、諦めが肝心であることに、最近気づいたコングであった。
「にしても、国の金使ってやってんだろ。下らねえことに金使いやがって、何ふざけてやがんだ、この国の上の奴らは。」
 そう、このミステリーサークル製造は国の上の方の何たら言う辺りからストックウェルに依頼が行き、Aチームが実行部隊となったわけだ。なので、ヘリが国家機密もんだったり、機材にしてもいちいちハイスペックの高級品。“ミステリーサークル製造ツール”なんて、当然ながら、特注品だ。
「ストレス溜まってんでしょう、表向きの外交やら何やらで。」
 仕方ない、といった表情でハンニバルが言う。
「次は、エジプトに嘘っこミイラを埋める、に決まりだね。」
 マードックがベランダから提案した。決めるのは君じゃないんだが。
「そんなのはエンバーマーに任せときゃいいじゃねえか。何も俺たちがエジプトくんだりまで行ってやることじゃねえ。」
「ミイラのエンバーミングはエンバーマーがやるとしても、それをこっそり隠してくるのは、我々Aチームの仕事でしょうなあ、なんて言わないでよ、ハンニバル。」
 ベランダから、フェイスマンがそう言う。ハンニバルの真似を交えて。
「そりゃあたしの真似ですかね、フェイスや。」
 全然似ていなくて苦笑しながら、ハンニバルはベランダの方に目をやった。
「何してんですか、お前さんたち。」
 夕飯になるものだとばかり思っていた魚やキノコが、ベランダに設置された干し網の中に並べられている。フェイスマンとマードックの手によって。これは由々しき事態だ、ハンニバルにとって。アクアドラゴンの次回作が、台本はあるものの、資金不足のために撮影スタジオもカメラも借りられず、当然ながらフィルムも買えない今日この頃、プロデューサーとディレクターが改めてスポンサー獲得に躍起になっている間、自宅待機させられているハンニバルには、台本を読むことと食事くらいしか楽しみがないのだ。
「ん? 魚とか干してんの。干すと水分が飛んで、旨味が凝縮する上に栄養価も上がるんだって。」
「ガールフレンドが言ってたのか?」
「ううん、テレビで。さらに、よーく干すと長期保存も可能、ってことは、旬の安い時に沢山買って干しておけば、一年中、安く食べられるってことじゃない?」
 戻す手間がかかるけどな。アジトが変わるたびに乾物と共に移動することになるけどな。もしくはコングのバンに銃火器と共に乾物が積み込まれることになるけどな。
「ビーフジャーキーも干した肉だろ、ありゃあ美味えもんな。」
 コングの言葉に、ハンニバルも同意して頷く。
「ハムやベーコンも元々は保存食っしょ? 保存しようにも、1日でコングちゃんと大佐が平らげちまうけどよ。」
「1食で、だよね。」
 調理係のマードックと会計係のフェイスマンが溜息混じり。
 さて、ここでハンニバルとコングは誤解した。このベランダに吊られた網の中で、ハムやベーコンやビーフジャーキーができるわけではない。なのに、できると勘違いしてしまった。そこに干されているのは魚やキノコなのに。どういった錬金術だろうか。もし秘術により魚が牛豚に変化したとしても、ハムやベーコンは燻煙しなければならないし。
「そうだ、偽のミイラを置いてくるんだったら、エジプトのピラミッドよりもトルコのカッパドキアの方が面白そうじゃない?」
 ベランダからリビングルームに戻りながらフェイスマンがにこやかに言った。だから提案するのはAチームの仕事じゃないんだって。
「カッパドキアって地下迷路みたいなやつか。」
 ナショナル・ジオグラフィックを立ち読みして得た知識を披露するハンニバル。
「そう、それ。まだ十分には調べられてないらしいよ。」
 フェイスマンの知識は、『世界ふしぎ発見』で得たもの。
「下手したら本物のミイラ見つけちまうだろが。」
「上手くすれば、の間違いかな?」
「お宝もまだ残ってるかもしんねえぜ。」
 マードックの言葉にフェイスマンはハッとした。
「そうだよ、トルコって言えば東西文化の合流地点。東西両方からの金銀財宝が隠されてるかも。」
 金目のものを思い浮かべ、目をキラキラさせるフェイスマンだが、獲らぬ狸の皮算用というフレーズはこういう時のためにある。
「どうせなら、干してミイラ作るとっから始めよーぜ。」
「この網でか。ベランダでか。」
 コングが背後を指差す。
「大きいものだったら、干し上がるのに時間がかかるでしょうなあ。」
「だから魚みたいに開くんよ。ずしゃーっと。」
 魚を開くアクションを交えるマードック。
「何のミイラを作るつもりなんでい?」
「そりゃミイラってったら人でしょ、普通。」
「人はやめとけ。逮捕されるぜ。」
「俺っち、お墨つきの精神異常だから、それは大丈夫。」
 いや、大丈夫じゃないよ。逮捕はされるよ、見つかれば。
「てめェのミイラを作るってんなら大賛成だけどな。」
「ミイラだったら、今干されてる魚でいいんじゃないか?」
「後は、その辺の砂漠で何か拾って持ってきゃいっか。」
「あのさあ、俺が金銀財宝の話振ったのに、スルーして危ない話で盛り上がんの、やめてくんない?」
 眉をハの字にして、目のキラキラも失せたフェイスマンが、びしりと話を止めた。



 そんなわけで、Aチーム、干物が干し上がった後、近隣の砂漠で骨やら何か干からびたのやらを持って(干物も持って)、トルコのカッパドキアへ!
 とは言っても、トルコはちょっと遠い。遠いから、民間航空機で行くにはコストがかかる。フェイスマンとマードックとで飛行機をちょろまかすにしても、トルコまで問題なく飛べそうな機体を安全かつスムースに入手するのは面倒臭い。喧々諤々の討議の末(コングは既に睡眠薬を盛られて熟睡)、Aチームは、ここのところ足繁く通っていた行きつけの基地に向かい、ストックウェルに呼び出されたという名目で難なく侵入。幸い、ゲートの守衛はストックウェルに確認を取ることを怠ってくれた。何せ、Aチームは数日前までほぼ毎日このゲートを行き来していたのだから、既に顔パス。今までと同じように、よく整備された燃料満タンのジェット機に乗り込み、管制官の許可を得て、マードックの搭乗アナウンスの後、奇声と共に離陸。
 ここまでは全く問題がなかった。運がよかった、とも言う。だがしかし、そう上手く行かないのが世の常。
 機首をトルコに向けてしばらく飛んでいると、機体に衝撃が加わった。ワークテナーに乗せられたコングがすっ飛んでいきそうになるのを、フェイスマンが身を挺して押し留めようとして、共にすっ飛んでいく。ハンニバルは機体の揺れにヨロヨロしながらも、コクピットに辿り着いた。
「どうした、大尉?」
「攻撃受けてる。俺っちの勘じゃ、尾翼吹っ飛び済み。」
「何だと?」
 外を見ると、戦闘機が横づけしていらっしゃる。右と左に。
「で、何か通信入ってる。」
 操縦桿を駆使して尾翼なしの飛行機をどうにか飛ばしているマードックが、真顔でハンニバルにヘッドホンを渡す。次にマイクも。そしてスイッチを操作する。
『やあやあスミス大佐。』
 ヘッドホンからストックウェルの声が聞こえた。つまり、ストックウェルにバレた、ということだ。
「これはこれは将軍。今日はまたどういったご用件でしょうかな?」
『今日の用事は大したことじゃない。そのジェット機を海に落ちる前に元あったところに返却してほしい、というだけだ。』
「将軍が手出ししなければ、お返ししますよ、3日後くらいに。」
『いやいや今すぐに、だ。』
「そいつは難しい注文ですなあ。おや? 何か雑音が。」
 ハンニバルはマイクの表面を爪でガリガリと引っ掻きつつ、マイクのコードを引き千切った。それからヘッドホンのコードも引き千切る。
「大尉、行けそうか?」
「高度上げっからパラシュートの準備。オイラにも1個。」
 行けないらしい。攻撃手段もないことだし。
「わかった。フェイス、降下準備!」
 ハンニバルが客席に向かって指示する。
「こっちはもう準備できてる! コングにもつけた!」
 叫びながらフェイスマンがパラシュートを2つ持ってコクピットに駆け込んでくる。
 ジェット機の機体が上昇し、戦闘機がそれを追う。その後、ジェット機は尾翼がないにもかかわらず見事なアクロバット飛行をいくつか行い、その末に戦闘機に撃墜された。さようなら、Aチーム。そして、ありがとう。
 もちろん、太平洋の中に落ちていったジェット機の中に、Aチームはいなかった。青空に浮かぶ4つのパラシュート(1人、頭がっくり、腕だらり)。そして、コマーシャル。



<2>

 風に揺れるヤシの木。そよぐソテツっぽい葉。黒い砂浜の波打ち際に横たわる、ワカメ被ってうつ伏せの4つの溺死体。小麦色を通り越して褐色ビン色の肌の子供が、小さなプラスチックの熊手とバケツを手に恐る恐る近寄り、そのうちの1つの頭(黒くてモヒカン)を熊手でガスガスと叩いた。
「む、何だ、痛えな……。」
 その溺死体が片手で頭を押さえて、むくり、と起き上がった。
「ギャーッ!」
 子供は叫びながら陸の方へ駆け出していった。砂浜の陸側にはコンクリートで一段高くなった舗装道路があり、子供はそこで煙草を吹かしていた大人(男性、褐色ビン色)に興奮した様子で事態を訴えているようだった。身を起こしたコングにも、それが見えた。その大人は4人の方に目を向けてから、子供と共に車に乗り込み、走り去っていった。
「何だァ?」
 コングには事態が全く飲み込めていなかった。それもそのはず、彼にはロサンゼルスのアジトで牛乳を飲んだところまでしか記憶になかったから。それなのに、頭をガスガス叩かれて目を覚ましたら、びちゃびちゃでワカメに包まれて砂浜に寝ていた。
「……まーた薬盛りやがったな、畜生め。」
 残る3人の方を見やり、コングは諦めの溜息をついた。
「おい、起きろ。」
 3人を仰向けにし、頬を叩いて回る。力加減に気をつけつつ。
 多少呻き声を発して、3人は身を起こした。マードックの口から小魚がぴゅるんと飛び出る。
「はー、遠かった。もうぐったりだよ。」
 フェイスマンの発言から察するに、パラシュートで落りた(落ちた?)地点からここまで泳いできたようだ。寝ているコングを引っ張って。
「いい流木があって助かったよねー。」
 と、3人はコングの方を見た。“寝ているコングを引っ張って”ではなく“寝ているコングを浮き代わりにして”だったようだ。密度は高そうだが、胸腔が大きいから浮きやすいのかもしれない。金のジャラジャラさえ外せば。
「にしても、ここ、どこなんよ? マイアミ?」
 道路沿いに並ぶヤシの木を見上げてマードックが問う。
「マイアミの砂浜はこんな黒くないよ。黒い砂浜って……どこなんだろ?」
 白い砂浜しか頭にないフェイスマン。その白い砂浜にはデッキチェアがあって、トロピカルドリンクがあって、カラフルなビーチパラソルがある。そして、ビキニのギャル(死語)がいる。しかし、この黒い砂浜にはワカメがあって、遠くに漁港が見えて、漁船があって、カニと貝類とフナムシがいる。人の気配は、なし。
「この日差しからすると、かなり赤道に近いんじゃないでしょうかね。」
 上着を絞ってバサッと広げ、頭に被りながらハンニバルが言う。紫外線が肌にチクチク痛いほどの日差しなのだ、ここは。
「でも、風があっから涼しいや。ベトナムより北っぽいよね。ムシムシしねえもん。」
 マードックがそう言うが、ベトナムは南北に長い上に、それより北で海岸があって暑いという概念が存在する国と言ったら中国か日本くらいだ。
「太平洋のどっかの島っていう可能性もあるね。でもハワイじゃない気がするな。タヒチとかグアムなんてどう? サイパンでもいいや。」
 希望を述べてどうするつもりか、フェイスマン。
「さっき、子供と恐らくその親がいたぜ。逃げちまったけどな。そいつらの顔と体つきからして、多分、アジア系だ。」
 唯一の目撃者コングは語った。
「俺たちの姿を見られたからにゃ、人が集まってくるだろうな。早いとこ動こう。」
 ハンニバルが真面目に言った。人称代名詞から、その本気さが伝わってくる。
「動くって言っても、もう泳ぐのは嫌だからね。」
 フェイスマンが立ち上がり、ワカメを払い除け、ポケットの中をチェックする。幸い、多少の現金とクレジットカードは流されずに残っていた。紙幣はびちょびちょだが、乾かせば使えるだろう。
「何? じゃあ今度はマラソン? 俺っちできれば自転車の方がいいな。」
 マードックが革ジャンのショルダーストリップに挟んであった帽子を開いて被る。
「トライアスロンやってるわけじゃねんだぞ、俺たちゃあ。」
 既にコングは、道路に上がるコンクリートの階段の方へと歩き始めていた。



 太陽が照りつける車道で、4人はヒッチハイクを試みていた。遠くに見えた漁船は、ここがどこだかわからないにせよ、ロサンゼルスまで旅するには強度不足に見えたので。たとえここがメキシコだったとしても、ロサンゼルスに到着する前に自然に大破しそうな気がしてならない。
 車道に立っている間に練った作戦としては、ヒッチハイクでどこかもっと拓けた場所へ移動しつつ、ここがどこなのか見極め、ドルを現地通貨に換金するかカード支払いOKの店を探して食事をし、あとは車を無断で拝借して国際空路か国際航路のある場所へ行き、ロサンゼルスに戻る、ということになったのだが、一番最初の“ヒッチハイクで”の段階で既に挫折しそうなAチーム。なぜなら、車が通らないから。
 アスファルトの車道を作る文明はある。道に沿ってヤシの木を植え、その他にも道沿いに花を植える余裕もある。砂浜から車道にコンクリートの階段を作る心遣いもある。それほどの国なのに、人も車も見かけない。
「ジャングルとか砂漠とか荒野だったらわかるんだけど、何でこんなにひっそりしてるんだろ?」
「俺たち見つけて、警戒してやがんじゃねえか?」
「波の音と木が風に吹かれる音しかしねえってのも落ち着かねえなあ。こう、もっと何か欲しいよね、雄叫びとかさ。」
 キェーッ!
「モンキー、雄叫ばなくていいぞ。」
「俺じゃねって。それにこれ、雄叫びってよりむしろ奇声っしょ。」
 キェーッ!
 マードックが言い終わらないうちに、再び雄叫び、もとい奇声が聞こえた。その声? 音? は上空から聞こえた。目の上に手を翳し、空を見上げる4人。
「……コンドル? ハゲタカ?」
「それよりゃ小せえだろ。でも猛禽類だよな、あの脚。」
「うん、ジャージ穿いてスソ捲ってるみたいな。」
 コングの言うように、小振りの猛禽類がくるりくるりと輪を描いて飛んでいる。
「あの下に何かありそうだな。」
 猛禽類が飛んでいる下には、何やら水っぽい畑があった。(Aチームの面々はご存知ないかもしれないが、その水っぽい畑は“田んぼ”と言うのである。)無論、人気はない。いや、言い直そう、生存している人の気配はない。しかし、その場所には青々とした草が整然と植わっていた。かなり几帳面な民族が植えたのだろう。
 と、その時、道路の向こうの方からトラックが走ってきた。すかさず親指を立てて腕を伸ばし、存在をアッピールするマードック。目的地を書いたボードを持ちたいところだが、ペンはフェイスマンの懐にあるものの、書かれる紙がない。(シャツに書く案は却下された。)
 期待に満ちた目の4人の前に、トラックは何てことなく停まってくれた。運転席と助手席に男性が1名ずつ合計2名。いずれも肌は日焼けして褐色ビン色だが、明らかにアジア系の顔立ちだ。
「あやんども、おめーがそったったやんどもかい?」(この人たちが、君が言っていた人たちですか?)【方言はいい加減です。】
「おっさ、めー。」(そうですよ、君。)
 という会話がトラックに駆け寄った4人に聞こえ、揃って眉を顰めて首を傾げた。
「何語だ?」
「さあ。」
「メってフランス語だよね?」
「オッサってのもフランスっぽくね? H発音しねえでさ。」
 運転席の男が4人の方に顔を向ける。
「いーやんべえだーねえ。わんだー、どーんもんだ?」(こんにちは。あなたたちはどこの人ですか?)
「今、ワンダーとかドーンって言ったな。英語か?」
 ハンニバルがフェイスマンに尋ねる。そんなの、尋ねられたってわかんないよねえ。
「おんねっぺやで。いきなしそったってわかるわけねーやで。」(ダメですよ。いきなり言ってもわかるわけがないでしょう。)
 助手席の男が運転席の男に言う。
「でえ、あじょしっかい?」(それでは、どうしますか?)
 運転席の男が助手席の男に問うた。
「ぼんじゅーがせなぁ、げーこくごうんみゃーっぺ?」(ぼんじゅーの長男は外国語が上手ですよね?)
「やっぱりフランス語なんじゃない? ボンジュールって言ってるしさ。」
 フェイスマンがハンニバルに言う。ボンジュールがどういうシチュエーションで言われるのか、わかっているんだろうか。
「わすれとったっぺえや、はろーけえ。」(忘れていました、はろーですね。)
「今、ハローってった? 英語?」
 マードックがコングに尋ねる。ハローがどういうシチュエーションで(以下略)。
「わすれとったってえ、おいねーのー。」(忘れていたなんて、ダメですね。)
「あいさ、あんにゃろ、げーこくごたっしゃだっぺえおー。」(そうです、あの人は外国語が達者ですよ。)
「でえ、はや、ぼんじゅーがいっぺさ。」(それじゃあ、早くぼんじゅーの家に行きましょう。)
「またボンジュールって言ってるぜ。」
 コングがマードックに困惑の眼差しを向ける。
「おめんだら! こーにのらっしぇー!」(あなたたち、ここに乗って下さい。)
 運転席の男が荷台を指差す。
「乗れって言ってんのか?」
「んじゃ乗ってみっか。違ったら降りろってポーズするよ、きっと。」
 Aチームはぞろぞろと荷台に乗り込んだ。因みに、本当は荷台に人間を乗せてはいけません。そして、ここがどこなのか知りたければナンバープレートを見ればいいのに、それに全く気づいていないAチームであった。
 4人が乗り込むや否や、トラックは発進し、Uターンをして元来た道を引き返していった。



<3>

 相変わらず照りつける日差しの中、トラックの荷台に乗ったAチームは、野菜や果物に囲まれて体育座りしていた。
「今んとこ、英語かフランス語のどっちかって感じ? 英語だったらハワイ、フランス語だったらタヒチ。でも砂浜は黒。うーん。」
 考え込むフェイスマン。依然として希望が混じってる。
「道路にさ、こっち行くと何マイルでどこ、って標識あんじゃん。あれ見ればよくね?」
 マードックが提案した。道路標識を見れば、何語か見当がつくだろうし、そこに書いてある地名から何かわかるかもしれない。だがしかし、残念ながらそういった標識は、この地方には稀にしかない。
「野菜や果物の種類で国がわかるかと思ったけどよ、余計わからなくなったぜ。」
 荷台に積んであるのは、ジャガイモ、タマネギ、カボチャ、各種葉菜、メロン、ドラゴンフルーツ、ブルーベリー、それと、一際高級そうな扱いの、箱に並んだ薄オレンジ色の果実。
「こりゃ何だ? 見たことねえぞ。」
 コングがその薄オレンジ色の果実を指差す。
「あ、それ、ビワだ。甘くて美味しいよ。ほとんど種だけど。確か、中国のだった気が。」
 フェイスマンがそう説明する。きっと彼は、中国系女性の家でビワをご馳走になったのだろう。
「美味いってわかったって、勝手に食っちゃ悪ィだろ。」
 常識人コングがそう言わなかったら、きっとフェイスマンもマードックもハンニバルさえも荷台の上にあるものを勝手に食べ始めていただろう。そんな腹のグーグー具合。
「金払やいいっしょ?」
「あのお兄さんたちがドル札で納得してくれると思う?」
 運転席の方を顎で示してフェイスマンが問い、マードックが首を横に振る。
「早いとこ、ここがどこなのか突き止めて、換金せんとな。外貨換金できる銀行があって、英語が通じる職員がいればいいんだが。」
 きっとそんな銀行、この辺にない。銀行があったとしても、そんな職員、この辺にいない。そうハンニバルは思いつつ、遠くを見やった。その目の先には、緑もっさりの山。水っぽい畑(以下では“田んぼ”と称する)の上には、今度はカモメが飛んでいる。
「山や畑(?)にカモメっていうのも珍しいね。」
 ハンニバルの視線を追って、フェイスマンが言う。
「ついさっきまで海だったのにな。」
 トラックは海沿いの道から直角に曲がり、内陸部に向かっている。
「海と山が近いっての、ロスっぽいよねー。」
「間に市街地がありゃあな。」
 確かに、この辺りには市街地なんてものはなさそうだ。コンクリート造りの低い建物は、たまにある。木造の民家も、案外ある。しかし、高い建物は全くない。
「オキナワかな?」
「オキナワじゃねえんじゃねえかな? あれ何てったっけ、犬みたいなの。」
「ああ、シーサーか。」
「そうそう、コングちゃん正解。あれがいないから、オキナワじゃねえよ。」
 米軍基地があり以前はアメリカ領だったオキナワには、ちょっと詳しいAチーム。
 トラックが再びグイーンと曲がり、妙に直線の道を走っていく。
「ここ、滑走路にできそうじゃん。」
「飛ばす飛行機がないでしょ。」
 マードックとフェイスマンがそう話している間に、コングが鼻をヒクヒクとさせた。
「何っか、このニオイ、記憶にあんだよな。」
 道路沿いにポツリポツリと建つ掘っ立て小屋に目を向ける。田畑の間に点在するその小屋は、明らかに民家ではない。その時、トタンでできた小屋の壁の隙間から、白黒いものが見えた。
「牛だ! 乳牛だぜ!」
 牛乳マニアのコングは、天を仰いで十字を切りたい気分だった。遭難(?)して金のネックレスを捨てられ流れ着いた先は、言葉は通じないけれど、牛乳、それも新鮮な牛乳のある天国だったのだから。念のため、コングは自分の頬を抓ってみたが、ちゃんと痛かった。
 そうこうするうちに、トラックは一軒の家の横に停まった。平屋建てで牛小屋もある。ヘイキューブもある。もちろん、その周囲には呆れるほどに広がった田畑が。
 トラックから降りた男が、畑仕事をしている人影に声をかけた。
「おーい、ぼんじゅー!」(おーい、ぼんじゅー!)←訳、必要なかったね。
「ほら、ボンジュールって挨拶してる。」
 フェイスマンはタヒチ案を採用したいらしい。
「おー、はにゅーばる。あじょしただかい?」(おお、はにゅーばる。どうしましたか?)
「ハンニバル? って言った?」
「はろー、いんか?」(はろーはいますか?)
「ハローって言ったぜ、また。で、インカ? インカ帝国か?」
「そーにいんだんねお。」(そこにいるじゃないですか。)
 そう言った農村スタイルの男は、辺りを見回して、「あれ?」という表情をし、トウモロコシが生い茂る向こう側を指し示した。そちらの方に歩いていくトラックの男。
 荷台の上で膝を抱えたまま、じっと聞き耳を立てるAチーム一同。
「ホントに何語なんだかわかんないよね。見た感じアジア系だけど、みんな色が黒くて……インドネシアかな?」
「あたしの勘じゃ、ここは日本だ、って気がするんですけどねえ。車や風景からして。」
「いや、だって、あれ日本語じゃないでしょ。俺、日本人の女の子からちょっとだけ日本語習ったことあるし。」
「そうさ、大佐。マウント・フジだって見えねえし、サモライやゲイシャだっていねえじゃん。ニンジャは姿見せねえもんだから判断材料になんねっけどよ。」
「てめェのその判断からすっと、メキシコ人は全員ソンブレロ被ってラクカラチャ歌ってることになるぜ。」
 と、その時。
「こんにちは、始めまして。英語でよろしいですか?」
 比較的色の白い青年(でも小麦色)がトラックの荷台に近づいてきて、流暢な英語で言った。それも、西海岸の米語だ。
「あーよかったー。やっと話が通じる。」
 フェイスマンがホッと胸を撫で下ろした。安心したので、4人、荷台から降りる。
「僕はハルオ・オオラ(邑楽治郎)と言います。」
「ハローな上にオーラ?」
 マードックが目を丸くする。なぜなら、オーラ(Hola)はスペイン語のハローだから。
「それが僕の名前です。覚えやすいでしょう? ハルオもしくはハローとお呼び下さい。」
「俺はジョン・スミス。ハンニバルと呼んでくれ。」
「象将ですか。勇ましいニックネームですね。」
 と握手。元ネタを知っていてくれて、ハンニバル、ご機嫌。
「俺はテンプルトン・ペック。通称フェイスマン。」
「俺っち、ハウリング・マッド・マードック。通称クレイジーモンキー。」
「俺ァB.A.バラカス。通称コングだ。よろしくな。」
 握手×3。治郎はこれらの奇妙な通称や変な本名が少し気になったが、どうでもいいことにした。名前なんて不可抗力だし。
「向こうで畑仕事をしているのが、父のボンジュー(梵十)。それと、父の友人のミスター・ハニュウバル(羽入原)。」
「ボンジュールって名前だったんだ。」
「ハンニバルじゃなくてハニューバルか。」
「トラックの助手席で暇そうにしているのが、アイバラカズ(相原和)。」
「俺もだぜ。」
 ユーはバラカズじゃなくてバラカスでしょうに。
「じゃなくて、ミスター・カズ・アイバラでした。カズとヤスの双子な上に、他にもカズやヤスがいるんで、いつもフルネームで呼んでいて、それで間違えました。」
 それはいらん情報です。
「羽入原さんの聞いた話では、皆さん、浜辺に倒れてらしたとか。」
 つまり、羽入原さんの知り合いの子供がコングの頭を熊手で叩いたわけだ。
「飛行機が落ちちまって、ここまで泳いできたんよ。」
 パイロットがざっくばらんに説明する。
「飛行機が? マジで?」
 上品な英語で喋っていた治郎だったが、驚きでうっかり言葉が乱れた。それでも英語なところが偉い。
「じゃあ早く警察に事情を話して、領事館? 大使館? その辺りに行かなきゃなりませんね。」
 しかし、そんなことをされては困るAチーム。たちどころにストックウェルに居場所がバレてしまう。
 その時、ちょうどよくコングの腹が盛大に鳴った。
「その前に、まずは腹拵えさせてもらえないでしょうかねえ。」
 ナチュラルにハンニバルが話題を変えた。
「牛乳もな!」
「あと、お風呂も貸して。」
「俺っち、服洗いたいや。」
「わかりました。」
 治郎はくすっと笑って、頭に被った手拭いで汗を拭った。



 邑楽家の狭い台所の狭いテーブルをみっしりと囲んだAチーム。まるで家族麻雀でもするようだが、テーブルの上に並んでいるのは「今、邑楽家にある食べ物」。具体的に言えば、丸ごとのトマト、キュウリ、キャベツ、昨日買った少し乾いている食パン、室温のバターとジャム、冷蔵庫から出した漬物、ヨーグルト、チーズ、カピカピになった握り飯、冷凍庫に入っていたアイスクリーム、それに湿気たポテトチップス(治郎の食べかけ)。飲み物は、ハンニバルは缶ビール、フェイスマンは缶コーヒー、マードックは缶コーラ、そしてコングは当然、牛乳。
 順番にシャワーを浴び、順番に洗濯をしたAチームは、梵十氏の服や治郎の服を着て、今ここにいる。窓の外では、4人の服(帽子や革ジャンや靴も含む)が物干し竿に干されて、強い風に吹かれている。
「済みません、大して何もなくて。」
 茹で上がったジャガイモをテーブルに置いて治郎はそう言ったが、腹ヘリAチームの面々は、文句も言わずに必死に食べている。(そして、ここがどこなのか、という疑問はすっかり忘れている。)
 肉好きのハンニバルでさえ、バターてんこ盛りのパンを食べた後、熱々のジャガイモにバターをたっぷり乗せてモリモリ食べている。オシャレなフェイスマンは、パンにバターを塗ってからチーズを乗せて、おかずは野菜、合間にヨーグルト。マードックはパンにアイスクリームとポテトチップスを乗せて食べてから、今度はジャガイモにアイスクリームとジャムを乗せて食べている。コングは握り飯と漬物を平らげ、牛乳をたっぷり飲んだ。さらに今も飲んでいる。
「この牛乳、搾り立てじゃねえよな?」
 コングが治郎に尋ねた。
「ええ、この界隈で搾った生乳を工場に集めて、ホモジナイズしてから低温殺菌してあります。」
「けど、搾り立てのニオイがするぜ、牛のニオイってえか。」
「低温殺菌だからです。アイスクリームもヨーグルトもバターもチーズも、この村で作ったものですよ。」
「野菜も?」
 と訊いたのはフェイスマン。
「そうです、野菜も米もパンの原料の小麦もジャムの元の果物も、この村で無農薬で育てたものです。」
「農薬なしで?!」
 フェイスマンが驚くのも無理はない。この時代、アメリカにさえエコやロハスなんて概念はほんのごく一部の人々の間にしかなく、オートメーションによる大量生産&農薬と化学肥料使い放題、というのが普通だったから。
「農薬なしで。手間はかかるし、形も悪いし、収量も少ないけど、味はいいはずです。それぞれの植物本来の味が出ている、と言いますか。乳牛のエサも無農薬を心がけています。この村の産品は、それが売りなんですよ。でも……それだけなんです……。」
 治郎が声を落とした。大概の野菜や果物は無農薬や減農薬で少しずつ作っている。でも、明らかな“この村ならでは”という特産品がない。ゆえに、他の地域からこの村に産品を買いに来る者もおらず、外部からこの村を訪れる者さえいない。
“無農薬”で“本来の味”というところに惹かれて野菜にも手を出したコングが、そんな治郎を見てキャベツにガブッと噛みつく。
「ほら見ろよ、無農薬だから安心して噛みつけるぜ。……てか、ホントに美味えな。味のあるキャベツって初めて食った気がするぜ。」
 ボーリボーリゴーリゴーリと噛みながらコングが言い、さらにムシャリとキャベツを頬張る。
「あ、気をつけて下さい。無農薬だから虫がいるかもしれません。」
 言われた瞬間、コングの口の動きが止まった。



<4>

「ただいま!」
 玄関の方から女性の声がした。かと思うと、その声の主がすぐに台所に顔を出す。
「ハロー、フォリナーズ。ナイストゥミーチュー。」
 英国の英語っぽい発音で女性は言い、手にしていた袋をテーブルの上にどさっと置くと、治郎の方を見た。
「あんたが電話なんかしてくるから、これ作ってもらって早退してきたわ。」
 そう言いながらも、袋から中身を取り出してはテーブルの上に置いていく。
「ごめん、姉さん。」
 そして治郎はAチームに向かって英語で説明した。
「彼女は僕の姉で、アミコ(亜美子)と言います。」
 オーラ、アミーゴ。英語で言えば、ハロー、フレンド。日本語で言えば、よう、ダチ公。
 もちろん亜美子も方言で話しているし、治郎も亜美子と方言で話している。でも面倒なので標準語とさせていただきます。
「道の駅で働いているんですが、今日は早退してもらいました。僕と父だけでは、皆さんをお持てなしできないので。」
「お母さんは?」
 訊いちゃいけなそうなことを遠慮なく訊いてしまうマードック。
「母はちょっと前に、いろいろあってチェンマイに帰りました。」
「チェンマイ? タイの?」
「そうです。」
 それ以上のことは、マードックでさえも訊くに訊けなかった。「ここはタイなの?」とか「お父さんとお母さんはどうやって知り合ったの?」とか「夫婦喧嘩?」とか。
「あんたの留学、無駄にならないで済んでよかったわね。」
 テーブルの上に山積みにされた包みの1つを開き、中のハンバーガーをAチームに見せ、食べるように身振りで勧めてから、姉が弟にそう言う。
「お姉さん、何だって?」
 既にハンバーガーを片手に持ち、フェイスマンが尋ねる。
「僕がUCLAに語学留学していたのが無駄にならなくてよかった、と言ったんです。」
「UCLAにいたのか。俺たちもロスから来たんだ。」
 ハンバーガーを頬張ってハムスターのようになっているコング。
「英語を勉強して、各国の農業を学んで回り、自分の村の農業に役立てるつもりか。偉いな。」
 ハンニバルも、もちろん、ハンバーガーを食べている。「こりゃあ美味いな」、「この肉の香りは!」、「やっぱり肉ですよ」などと控えめに呟きつつ。
「いえ、そういうつもりは全くなくて。高校で英語だけはできたんで、学費の安い国立の外国語専門の大学で英語を学んで、大学を出た後、仕事が見つからなくて、でも農業はやりたくなくて、留学してたんです。今は、留学期間も終わってしまって、嫌々ながら仕方なく父の手伝いをしていたところだったんです。」
 治郎の英語のおかげで助かっているAチームだが、彼の父・梵十のことを考えると、軽々しく「じゃあ俺たちと一緒にアメリカに行こう」とも言えないのであった。向こうで安泰な職業を斡旋できるわけでもなし。
「アミーコ、このハンバーガー、とっても美味しいね。ありがとう。」
 ちょっと静かになってしまった場で、フェイスマンが亜美子に向かって簡単な英語で言う。
「どういたしまして。ほら、治郎、通訳して。ええと、私たちもそのハンバーガーに自信があります。美味しいと評判のハンバーガーです。」
 姉の言葉を英語に訳す弟。その間に、亜美子は手際よくコーヒーを淹れていた。4人にコーヒーを配った後、冷蔵庫と冷凍庫の中を覗く。
「見事に空っぽね! 買い物に行ってくるわ。」
「パンもない。」
「見りゃわかるわよ。もしかしたら町まで出なきゃならないかも。そうそう。」
 と、亜美子が真面目な顔をした。一瞬にしてその場の雰囲気が変わる。Aチームの4人も談笑をやめた。
「この前、話した地区対抗のアレだけど、結果によって県からの助成金が変わるって噂なの。」
「助成金が? 何で?」
「美味しければ他の県から人を呼べるから。そういう地区に手をかけた方が、県としても有利だからよ。ダメな地区は切り捨てるつもりらしいわ。」
「出ないつもりだったこの村はどうなんだよ?」
「助成金なしってことじゃない? やる気がないって思われて。だから道の駅のメンバーは、形だけでも参加した方がいいんじゃないかって気になってるわ。」
 それだけ伝えると、亜美子は「じゃ行ってくるわ」と小走りで玄関に向かった。すぐに小型車のエンジン音が聞こえ、それが遠ざかっていく。
「お姉さん、何の話だったの? かなり深刻そうだったけど。」
 コーヒーを飲み干して、フェイスマンが治郎に問う。
「実はですね、ここ、県の南部なんですけど、なめろうとさんが焼きが名物料理なんです。」
 いきなり、わからない単語に出くわした。まあ追々わかるだろう、と口を出さずにおくAチーム。
「なめろうは作ってすぐに食べなければいけないので、さんが焼きの方でコンテストをすることになったんです。地区対抗で。この村はそのコンテストに出ないつもりでいたのに、結果によって県からの助成金が変わるという噂なんだそうです。」
「何でコンテストに出ねえんだ? 出りゃいいだろが。」
「この村には、なめろうやさんが焼きを出す店がないんです。他の地区には、その対抗戦の前にそれぞれ予選をやって出場者を決めなきゃならないくらい、沢山あるんですけどね。」
「何でその何とかってのを出す店がねえの? 人がいねえから?」
 マードックの質問に、治郎は苦笑した。
「確かにこの村は県で一番人口が少なくて店も少ないんですが、理由はそれだけじゃありません。……実際になめろうとさんが焼きを食べてもらえれば、わかると思います。」
 そんなわけで、買い物に行った亜美子が帰ってくるのを待つこととなった。治郎も梵十も大して料理なんてできないので。
 食休みの後、農作業を手伝うAチーム。



〈Aチームの作業テーマ曲、始まる。〉
 ぱっつんぱっつんの作業着姿で乳牛にエサをやるコング。ぱっつんぱっつんのジャージ上下に麦藁帽子を被って軍手を嵌め、野菜の葉から虫を除去したり畑の雑草を抜いたりするハンニバル。くたびれたスウェット上下でスソを捲り上げ、田んぼのザリガニを獲るフェイスマン。丈の足りないジャージ上下に鼻と口を手拭いで覆い、牛小屋の掃除をするマードック。客人用の布団を干す治郎。言葉が通じないけど身振り手振りで作業の指導をする梵十。
 彼らが打ち上げられた砂浜の方角に夕陽が沈もうとする頃、小型車が戻ってきた。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



「なめろうとさんが焼きを作れって? 無理よ、材料がないもの。」
 きっぱりと亜美子が却下した。
「作ってほしいなら、買い物行く前に言ってくれないと。」
 話しながら、買ってきたものを所定の位置に片づける。
「じゃあ、お父さんのバン借りて、あんたとあの人たちとで食べに行ってきなさいな。でも、なめろうとさんが焼きを味見するだけよ。ちゃんと食事してきちゃダメ、高いから。夕飯は作っとくわ。」
 そう言って、亜美子は治郎に札を2枚だけ渡した。
 それから約1時間後、Aチームは治郎と共に飲食店にいた。海鮮居酒屋とでも言おうか。しかし、この店を英語で何と表現していいのか、治郎にはわからなかった。ダイニングバーと言うにはオシャレさがないし、ダイナーでもない。
 程なくして供されたなめろうとさんが焼きを前に、Aチームの4人は無言になるしかなかった。これらが何なのか、どういう味なのか、見当がつかない。チョップスティックスを手に、ええい、ままよ、と口に入れる。
 なめろうは、生魚(それも青魚)と生姜等の香味野菜を叩いて叩いて叩いて叩いて、味つけしたものだった。一般的アメリカ人の口に合わないことこの上ない。さんが焼きは、なめろうを焼いたものだった。焼いてあるから大丈夫、と思った4人も、1枚のさんが焼きを1/4に切ったものを1つずつ食べて、無言で斜め下を見るしかなかった。変なもの大好きなマードックも、マトモな反応を見せている。
「やっぱり皆さんのお口には合いませんでしたね。僕は結構好きなんですけど。ご飯にも合うし、ビールにも合うし。」
 と、治郎が残ったなめろうとさんが焼きを美味そうに平らげる。
「……これが名物料理なの?」
 信じられない、といった顔のフェイスマン。名物に美味いものなし、というフレーズもあるけれど。
「そうです。観光客は大概これらを食べていきますよ。と言っても、この辺りに観光に来るのは国内からだけなんですけどね。それも比較的近くから。」
「で、コンテストに出ねえ理由ってのは何なんでい? 食ったけど、わかんねえぞ。」
 生ものを食べさせられて不機嫌なコング。
「僕らの村、海がないんです。他の地区は、漁港から発展したところが多いんで、大概は海に面しているんです。」
「なるほど、海がないから材料となる魚が獲れない、ってわけか。それで、これらの料理を出す店がない、と。」
 ハンニバルが正解に行き着いた。
「その通り。それも、なめろうとさんが焼きにはイワシ、アジ、サバ、トビウオといった青魚が使われるので、新鮮なものでないと、この辺りの者でもちょっと食べたくありません。」
 特にサバは生き腐れるし。イワシは自己崩壊してくるし。
「そんじゃあコンテストの出場を辞退すんのも仕方ねっかもなー。」
「せめてこれ、焼いてある方だけでもいいんだけど、もう少し何とかならないのかな。臭みを消す工夫とか、口当たりをよくする工夫とかさ。」
 高級レストランで出されるような、れっきとした料理に詳しいフェイスマンが言った。欧米諸国でも加熱調理した青魚は普通に食される。サバのソテーにグーズベリーのソースをかけたものとか、イワシに香草入りのパン粉をかけてオーブンで焼いたものとか。そういったものは何てことなく、むしろ美味しくいただける。
「元々が漁師の料理ですから、改良の余地は沢山あると思いますよ。ただ、あまり違うものになってしまうと、それはもうなめろうとかさんが焼きと呼べませんからね。」
 なめろうとさんが焼き1皿ずつだけしか注文せずに長居するのも悪いので、5人は早々に店を出た。英語で話しているから、店員には話の内容がわからないとは思うものの、こういった話を店でするのも気が引けて。



 帰宅し、5人は亜美子が用意しておいてくれた夕飯を食べた。梵十と亜美子は、既に入浴を済ませ、自室にいる。
「魚の臭みを消すのはタイムだっけか。口当たりよくするには、卵とコーンスターチ入れりゃいいし。」
 ヒジキとさつま揚げの煮物をスプーンで食べながら、マードックが先刻のフェイスマンの発言に答えた。
「そっか、フィッシュダンプリングみたいにすればいいんだ。」
 そう言うフェイスマンは、白菜と柚子の漬物が気に入って、さっきからシャクシャク食べている。
「そ。焼いたフィッシュダンプリングだと思やいい。」
 フィッシュダンプリング、それは“つみれ”。
「フィッシュダンプリングは、それはそれでこの国にもありますから、そうならない程度にしないと。」
 治郎はきんぴらごぼうをおかずに、白飯を掻き込んでいる。この米がまた、甘くてプリッとしていて美味いんだ。
「それ以前によ、新鮮な魚が手に入らなきゃ、どうしようもねえだろ。」
 冷め切った豚の生姜焼きと白飯を交互に食べつつ、コングが発言。
「まさかコンテストの日に、敵さんに魚を分けてもらうってわけには行かんでしょうなあ。」
 ハンニバルはナスとピーマンの鍋しぎを野菜だと気づかずに食べながらビールを飲んでいる。
「コンテストと関係ない振りをしていれば、買って買えないこともないと思いますが、本当に新鮮で美味しそうな魚は、当日はコンテストに使われると思います。」
「……干物じゃ作れねえかな?」
「干物で?」
 突拍子もないマードックの意見に、治郎は声を引っ繰り返した。
「なめろうは生魚じゃねえと作れねっけど、どうせコンテストやんのはさんが焼きだけなんしょ? 干物にしときゃ新鮮かどうかなんて大して関係ねえしさ。他んとこで釣った魚でも、こっちの村で干せば、こっちのもんだって言えるんじゃねえかな。」
 それを聞いて、ハンニバルは楽しそうにニッカリと笑った。
「よし、大尉、それでやってみよう。ハロー、コンテストに出場するぞ。手続きを頼む。」
 こっくりと頷く治郎と、敬礼するマードック。
「コング、お前は会場の偵察だ。フェイス、敵さんの動きを探って、かつ、我々の所持金を換金。」
「それ、もちろん、明日になってからだよね?」
「そうだ。」
「ハンニバルはどうすんの?」
「あたしは試食係。」
 リーダーに生温かい視線を向ける部下たちであった。



〈Aチームの作業テーマ曲、再びかかる。〉
 村に朝日が昇り、起き出す梵十と亜美子。庭で体操をする梵十、朝食の支度をしつつ昨晩の食器を洗う亜美子。畑仕事に出る梵十、牛にエサをやる亜美子。その後、亜美子は道の駅へと出勤。
 それから起き出す治郎とコング。テレビを見ながら朝食を食べ、治郎はコンテスト出場の手続きをするために主催者に電話をかける。コングはジョギングに出かける。テーブルの上に書き置きをして、自転車に乗って役所へ向かう治郎。
 さらにその後になってから起きてくるハンニバル、フェイスマン、マードック。テーブルの上の書き置きを見て、指示通りに朝食を摂る。
 戻ってきた治郎が、ハンニバルに報告。手続き終了。コンテストの細かい段取りを説明する。
 梵十のバンを借りて、治郎とフェイスマンとマードックが町に出る。銀行の前でフェイスマンを降ろし、しばし待つ2人。フェイスマンが現金を得た後、3人揃ってお買い物。
 暇を持て余し、畑仕事をしているハンニバル。ジョギングから戻ってきたコングと共に。
 帰りに道の駅に寄り、亜美子を含めた道の駅の人たちに事態を話す治郎。ソフトクリーム(バニラ)を食べているマードック。おばちゃんたちにちやほやされているフェイスマン。昼食に蕎麦をご馳走になる3人。
 ハンバーガーを買って帰宅した3人。治郎は畑仕事の手伝いに出て、入れ替わりに梵十とハンニバルとコングが昼休みを取り、ハンバーガーを食べる。マードックは買ってきた干物を使って、台所でさんが焼きニューバージョンの研究。フェイスマンは治郎の自転車を借りて他地区の偵察へ。昼食後、コングは走って会場の偵察へ。
 マードックの試作品を食べてみるハンニバルと梵十。首を横に振る2人。干物がまとまらず、ボロボロと零れてしまう。レシピを書いた紙に結果をメモし、新しくレシピを書いて試作するマードック。何度もそれを繰り返す。
 日が落ちる前に帰ってきたフェイスマンとコングが、ハンニバルに報告する。フェイスマンはその辺から取ってきたようなチラシの裏にイラストまで描いて(貝殻に詰められたさんが焼きと、大葉で巻いたさんが焼きの図)。畑から戻ってきた治郎も交え、4人で真剣に討論する。
 ヘトヘトになったマードックが、討論中の4人にさんが焼きが乗った皿を差し出す。味見をして、親指を立てる4人。汗を拭いながら戻ってきた梵十も、味見をして目を大きく見開く。ちょうど帰宅した亜美子も味見。驚いたように口を押さえて放心状態になる。
 次の朝、マードック考案のさんが焼きを道の駅に持っていく亜美子。それについて行く治郎とマードック。残りの人員は畑仕事と牛の世話。新さんが焼きを食べて、言葉を失う道の駅の人々。彼らに何やら説明して説得する治郎。頷く人々。ソフトクリーム(チョコ)を食べるマードック。レシピを清書したものを掲げて、人々に何やら訴える亜美子。それに応えて、挙手したり電話をかけたりする人々。レシピの材料の欄にチェック印をつけていく亜美子。ソフトクリーム(ミックス)を食べるマードック、ヨーグルトソフトクリームを食べる治郎。次々と道の駅に届けられる新さんが焼きの材料――手作りの干物、紫タマネギ、生姜、ジャガイモ、大葉、卵、味噌、酒。
 清々しい笑顔で額の汗を拭うハンニバル、コング、フェイスマン。歯がキラリと光る。
〈Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。〉



<5>

 明るい空に無意味に花火が上がり、邑楽家から車で15分ほど南に行った、この半島の南端で、地区対抗さんが焼き勝負が始まった。
 すぐそこは海というオーシャンビューだが、水際は岩場で、海水浴客など皆無。そんなだだっ広い空き地に、この地方の人々(の一部)が集まっていた。正面は、校長先生が話をするようなお立ち台と、ゲスト審査員席および主賓席。もちろん、これらの席はテントの中にある。日除けがなければ、この地方ではじっと座ってなんていられない。会場の左右には各地区ごとのテントがあり、そこで参加者が調理をする。観客と応援団は、左右のテントと正面のテントと海に囲まれた場所に陣取ることになる。ただし、この部分にはテントがないため、各自がビーチパラソルか何かを用意しなければならない。事前に会場の下見をした用意周到な治郎の村は、村で最も大きいテントをそこに据えつけて、応援団全員がその陰に入っていた。
 審査員は、他の地域からの料理評論家や料理研究家、料理人など20名のゲスト審査員と、会場の中からランダムに選ばれた80人。合計100人分のさんが焼きをこの場で作るルールだ。
 治郎は前もって主催者側に「加工食品も原料の段階からその場で作らなければいけないのか」と訊いていた。答えは「ノー」。つまり、干物は前もって作ってあって構わない。主催者側は味噌や醤油のことをイメージしたのだと思うが。何せ、さんが焼きは味噌で味をつけるものなのだから。
 治郎の村以外のテントでは、いかにも海の男といった風情の者や、いかにも調理人といった服装の者が、いずれも角刈りで捩じり鉢巻を締めて腕組みをしてスタンバっている。一方、治郎の村のテントにいるのは、外国人と村のおばちゃんたち。農家に休日はないのだから、おじちゃん連は現在、田畑で仕事中。
 この地方の長らしき日焼けしたおじさんがお立ち台に立ち、挨拶をし、このイベントの趣旨を説明した。けど、Aチームにはわかってない。それから、司会進行役らしき人物がゲスト審査員と主賓を紹介。けど、Aチームにはこれもまたよくわかってない。おばちゃんたちが「あらー、あの人、テレビで見たことあるわ」とか言ってるけど、それすらもわかってない。そして、司会進行役はルールを説明。会場の観客および応援団から審査員を80人選ばなければいけないのだが、80人に満たなかったので、参加者(調理係)以外の全員が審査員となる、と告げられた。もちろん、Aチームにはそれもわからなかった。まあ、後で治郎が教えてくれるでしょう。教えてくれなくても問題ないでしょう。
 ピーッ!
 と、ホイッスルが鳴り、調理時間に入った。制限時間30分。魚を捌いて骨を抜いて叩きまくるのだから、30分で100枚作るのは結構大忙しだ。目にも止まらぬスピードでイワシやアジを捌いていく屈強な男たち。その中で、1つのテントだけ、紫タマネギを刻んだり、生姜を刻んだり、生姜を摩り下ろしたり、ジャガイモを摩り下ろしたりしている。それも、おばちゃんたちがお喋りをしながら和気藹々と。シェフ・マードックは何をしているのかと言うと、既にきれいに身だけになった干物をフードプロセッサーに入れ、グイーンとプロセスしている。干物は前もって作ってあってもいい、それなら、治郎の村の誰かが釣ってきたイワシを、その誰かか家の者が丁寧に内臓と骨と皮を除去してから干した干物を使ってもいいはずだ。さらに言えば、骨と皮つきの干物の骨と皮を事前に除去しても問題ないはずだ。骨と皮をいつ除去したか判断するのは、さんが焼きになってしまってからでは難しいことだし。そんなズルい(でもルール違反ではない)手により、調理時間を大幅削減。細かいそぼろ状になった干物を、大きなボウルに移し、さらに次の干物をグイーンとプロセス。その間に、下ろしたジャガイモを漉して沈殿させて作った澱粉(コーンスターチと同じもの)をボウルに量り入れ、溶き卵を加え、2種類の生姜と、刻みタマネギを加える。味噌と酒も加える。粉々な干物を追加。どんどんグイーンとやって、追加。全部の材料がボウルに入ったら、力一杯捏ねる、捏ねる、捏ねる。まとまったタネを成形して、大葉で包んで、油を引かない鉄板で焼く。おばちゃんたちの手際のよさとAチームのズルさによって、100枚のさんが焼きはちょうど30分で焼き上がった。
 ピーッ!
 再びホイッスルが鳴り、調理人は調理器具から手を引いた。100枚、焼き上がっていないテントもあり、それはペナルティとなる。
 そして、試食タイム。テントに押し寄せる審査員。さんが焼きで有名な地区に審査員が集中したが、一遍に全員に対処できるわけがなく、あぶれた審査員が他の地区のテントに向かう。
「このさんが焼き……味が濃い!」
 治郎の村のさんが焼きを食べた審査員が、思わずそう言った。干物を使ったのだから、魚の味が凝縮されていて当然である。
「生姜醤油につけなくても、魚臭いのが気にならないな。」
「滑らかで、ゴソゴソしてない。」
「味がキリッとしてる。」
「大葉がいい匂い。」
 口々に感想を述べていく。それがまたいい意見ばかりなので、さんが焼きを作ったおばちゃんたちもニコニコ顔だ。マードックは何を言われているかわからないので、きょとんとしている。
 遂に、ゲスト審査員、つまり料理のプロたちも、治郎の村のさんが焼きを口にした。
「これは……他のところのと全然違って、すごく食べやすい。うちの店でも出したいな。」
「伝統的な手法じゃないかもしれないが、よく考えてある。」
「この味、干物を使ったんだな。小骨も全く残っていない。それにしても、干物をよくこの形にまとめたもんだ。一歩間違うとつみれになりそうなものを。」
「加熱すると甘くなるネギをやめて、甘くならない紫タマネギを使ったんだな。エシャロットだと……辛くなりすぎるのか。よくぞ選んだ。」
「刻んだ生姜と下ろした生姜の両方で、味にアクセントをつけたのか。生姜の刻み具合も量も絶妙だ。」
「もしや、市販のコーンスターチじゃなくて、生のジャガイモを使ったのか。ドイツ料理の手法だぞ、よく知ってたな。」
「つなぎに卵を使っているようだが、卵の生臭さが一切ない。それでいて卵のコクも感じられる。何だ、この卵は?」
「味噌も普通じゃないぞ。これだけ風味が残っているのに、しょっぱすぎない。」
「焼いているのに香りがしっかり残っている大葉もすごい。生で食べたら、どれだけ香り高いんだろう? かと言って、葉が厚くて筋張ってるわけでもない。虫食いはあるけど……虫食い? 無農薬か!」
 ゲスト審査員同士が発見を互いに解説し合っている。一番前に立っているマードックに、その中の1人が質問をする。しかし、言葉が通じない。
「ほら、あんたの出番よ。」
 それに気がついた亜美子が、他の地区のさんが焼きをモリモリと食べていた治郎を引っ張ってくる。
「うちのシェフに話がある方、僕が通訳しますー。」
 人だかりの中に割り込んでいく治郎。
「何で干物を使ったんだ?」
 質問を英語に訳してマードックに伝え、その返事を訳して質問者に答える。
「海がないんで、新鮮な魚が手に入らないため。加えて、生の魚よりも味が濃く、栄養が高まるため。だそうです。」
 ほほーう、と感心するゲスト審査員。
「もしかして、使った材料は全部、君たちの地区で作ったものなのか?」
「干物の元の魚を釣ったの以外は、全部、我々の村で作ったものだ。と言っていますし、その通りです。」
「ひょっとすると、全部、無農薬?」
「はい、そうです。魚はどうだか知りませんけど。味噌も村の手作りで、原料は無農薬。酒も、村の無農薬米から作ったものです。卵も、親鳥に無農薬の飼料しか与えていません。」
 直接、治郎が答えてるし。
「なぜ紫タマネギを使うことにしたんだ?」
「よそのさんが焼きを食べてみて、野菜の甘い味が気になったから。カレーを作る時には甘くなりすぎないように紫タマネギを使うから。だそうです。」
「エシャロットを使わなかった理由は?」
「村で作ってないから。ノビルやラッキョウも試してみたけど、何か違った。とのことです。」
「なぜ市販のコーンスターチを使わなかったんだ?」
「コーンスターチくらい家にあるかと思ったのに、家になかったから。」
 と訳した後、治郎はマードックに英語で言った。
「えー、そんな理由だったんですか? 材料全部、村のものを使うっていう意図なのかと思ってましたよ。」
「じゃ、それにしといて。」
「ええと、今のは冗談で、材料全部、村でできたものを使いたかったから、だそうです。」
「刻んだのと摩り下ろしたのの2種類の生姜を使ったのはなぜ?」
「摩り下ろしたのだけだと食感がつまらなかったし、刻んだのだけだとまとまりにくかったから。」
「だいぶ試行錯誤したんだねえ。」
「嫌になるほどしました。夢にまでさんが焼きが出てきてうなされました。」
「かなり料理の知識をお持ちのようですが、海外の有名料理店かどこかでシェフをなさっていらっしゃるんでしょうか?」
「アメリカの精神病院で患者をやってましたけど、解放されて、今は無職です。その前には軍でパイロットをやっていました。」
 ピーッ!
 ホイッスルが鳴り、試食タイム終了。ゲスト審査員はマードックへのインタビューにほとんどの時間を費やしていたけれど。
 1人1枚渡された紙片に、最も美味しいと思ったさんが焼きを作ったテントの番号(テントの上部中央に数字が書いてある)を書き、お立ち台の上の投票箱に入れる。約100人の審査員全員が投票したところで、箱を開けて集計。ものの5分程度で集計が終わった。
「では、結果を発表します。」
 最初に挨拶をしていたおじさんが再度お立ち台に立ち、恭しく封筒を開けた。
「上位5地区だけを発表します。第5位、トムウラ、3票。」(※実在する似たような地名とは関係ありません。)
 拍手。5位の3票は、喜んでいいのか悲しむべきか、ちょっと微妙なところ。身内の応援団もいるのに。
「第4位、シロバマ、6票。」
 拍手と、ほんの少しの喜びの声。
「第3位、タチヤマ、17票。」
 拍手と、少しの喜びの声。
「さて、何と、2地区が34票ずつで同点1位でした。」
 えー、という声が上がりまくる。
「第1位……チグラとミツヨシ!」
 喜びの声とブーイングが半々。喜んでいるのは治郎の村、即ちミツヨシ村の人々。ブーイングを飛ばしているのは、チグラの人々。Aチームも、村のおばちゃんたちが喜んでいるのを見て、何となく事態を理解することができた。
 それらが治まった後、お立ち台のおじさんが説明を加える。
「チグラとミツヨシは両地区とも34票ずつだったのですが、驚いたことに、ゲスト審査員20名全員がミツヨシに投票したのです。ここで、料理研究家のツチイ・マサル先生から一言。」
 ゲスト審査員の1人である老年の男性がお立ち台に上がり、マイクを受け取る。
「ただいまご紹介に与りましたツチイです。皆さんの心の篭もったさんが焼きを食べ、それぞれに引き継がれてきた伝統があるのだと感じさせられました。先代の味を守ること、それは料理人の使命の1つであると思います。料理人でなくとも、家庭の味を自然に引き継いでいきますね。それも同じです。そういった意味では、チグラ地区のさんが焼きはさすがと言わざるを得ないものでした。ですが、それとは真逆の考え方もあります。固定概念に囚われず、新しい味を作ることもまた大切です。全く新しい味を作るのは難しいことですが、今ある料理を改善する、より美味しいものを作ろうと努力する。その向上心を失ってはならないと、私は考えるのです。その点で、さんが焼きの伝統を持たないミツヨシ地区は素晴らしかった。この界隈で生まれ育った方々は、あれはさんが焼きでない、と思うのではないでしょうか。まず、なめろうがあり、それを焼いたものがさんが焼きである、ということは、私も存じております。もしこの対決がなめろう対決だったなら、ミツヨシ地区は参加することさえできなかったでしょう。ですが、加熱調理するさんが焼きだから参加した。それも、さんが焼きを作るのに大変な苦労をされた。自分たちの村の無農薬の野菜や調味料を使って作った。手に入るものだけで何とか美味しく健康に食べてもらおう、という気持ちがひしひしと伝わってきました。長くなりましたが、私はこういった理由で、チグラ地区と甲乙つけ難くはありましたが、ミツヨシ地区のさんが焼きに票を入れたわけでございます。ご清聴ありがとうございました。」
 淡々とした話が終わり、拍手。料理研究家は一礼をして、マイクを司会者に渡した。
「えー、それでは表彰です。」
 司会者がそう言った時、ガシャンと何かが叩きつけられる音がした。
「納得行かねえ!」
 誰かが、少なくとも治郎の村の者ではない男が叫んだ。
「そうだ! 何で俺たちのさんが焼きが1位じゃねえんだ!」
 これは3位以下のどこかの地区の者の叫び。
 荒っぽい海の男たちが、ゲスト審査員席とマードックのいるテントに押し寄せてきた。村のおばちゃんに殴りかかろうとする男を押し留めるマードック。でもまだ殴れない。テントの裏でこっそりと成り行きを見守っていたAチームの残る3名(さんが焼きを食べないで済むように隠れていた)のうち、コングはおばちゃんガードに入り、フェイスマンはゲスト審査員席の方へ走った。ハンニバルは、あわあわしている治郎を捕まえた。
「主催者に、この騒乱を鎮めたいか、多少手荒なことをしてもいいか、すぐに訊いてこい。」
「わかりました!」
 前の方に走っていく治郎。ハンニバルもゲスト審査員席の方へと走る……走ってるの? うん、走ってるとしてあげよう。
 おばちゃんたちをガードしながら、既に何発か殴られているマードックとコング。ハンニバルとフェイスマンも、ゲスト審査員をガードしながら何発か食らった。
「ハンニバルさん! 許可出ました! オッケーです!」
 治郎が手で大きく丸を作って叫んだ。
「皆の者、やったんさい!」
 ニッカリと笑って、ハンニバルが宣言した。



〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 コングがおばちゃんたちを背に、殴りまくり、投げまくる。楽しいくらいにバタバタと一発で倒されていく海の男たち。
 刃物以外の調理器具を手に戦うマードック。それを真似て、おばちゃんたちも参戦。まな板を振るって、迫り来る暴漢をバッコンバッコンと叩きのめす。まな板の側面が効果的であることを発見。
 ゲスト審査員に掴みかかった男を引き剥がしつつパンチをお見舞いするフェイスマン。比較的若くて美人のゲスト審査員がこちらを見ているのに気づき、乱れた髪を掻き上げてウインク。その隙に、投げ飛ばされる。
 かかってくる男の拳を避け、懐に潜り込み、肩でタックルするハンニバル。後ろにバイーンと吹き飛んだ男が、これから襲いかかろうとしていた男たちをなぎ倒し、押し潰す。
 応援団として来ていた治郎の村の者たちも、攻撃の対象になっていた。なぜかまともに戦えている治郎(実は空手経験者)。なぜか治郎より強い亜美子(実は合気道有段者)。他の村民たち(主におばさん)も、思い思いの戦闘スタイルでむくつけき男どもを撃退している。
 騒乱が鎮まった時、自らの足で立っていたのは、治郎の村の人々とAチームだけだった。ゲスト審査員と主賓と何とか長のおっさんは、全員無傷で席に座っている。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



 腰を抜かして地べたに座り込んでいる司会者に近づき、治郎がマイクを手に取った。
「表彰は省略させていただきます。では、地区対抗さんが焼き勝負、これにてお開きにいたします。皆様、お疲れさまでした。……でいいのかな?」
 と正面席の面々を見る。全員が固まった表情でコクコクと頷いている。
 治郎の村の人々は、そんな治郎に拍手を贈った。
 ハンニバルは胸ポケットから葉巻を出そうとして、葉巻をすべて海に落としてしまったことを思い出した。愕然とするハンニバル。そこにフェイスマンが近寄ってきて、ジャーン、と葉巻を1本差し出す。
「どうしたんだ、これ?」
「主賓席の人のポケットに入ってたんで、1本拝借してきた。」
 それを受け取り、つるっと包装を剥いて口に銜えるハンニバル。これまた拝借してきたライターで火を点けてやるフェイスマン。
 ハンニバルは煙をゆっくりと吸い込んで、ゆっくりと吐き出し、ニカッと笑った。
「これにて一件落着。」



<6>

「結局、助成金の件は単なる噂話だったらしいわ。」
 さんが焼き対決の後、道の駅で仕事をして、夜になって戻ってきた亜美子が報告した。
「1位になっても、賞品も賞金もなし。ただ、新聞には載るらしいし、市や郡の広報紙や観光ガイドにも載るって。」
 亜美子の言葉をAチームに向かって訳した後、治郎は亜美子に尋ねた。
「チグラやタチヤマだったら居酒屋や寿司屋でさんが焼きを出してるから、広報紙や新聞に載ったら売り上げが上がるかもしれないけど、うちの村はあのさんが焼きを出してる店があるわけじゃないから、何の利点もなくない?」
「それがそうでもないのよ。」
 むふふふーん、と亜美子が笑う。その笑いは、かつてAチームに協力していた新聞記者を彷彿とさせた。
「ゲスト審査員が揃いも揃って、うちの村の産品を使いたいって言ってきたの。それで道の駅は大忙しだったのよー。農協を通して下さいとは言ったんだけど、うちの村と直接取引したいって聞かなくって。その上、道の駅の在庫も空っぽになるくらい買っていってくれて。乳製品も味見した上でばんばん買ってくれちゃって。これでこの村も安泰だわー。都会の方で使ってもらえれば、どんどんとお得意さんも増えるだろうし。」
 自分の発した質問から、上機嫌に話す亜美子の話まで、全部訳して伝える。
「どうもありがとう。あなたたちのおかげよ。」
 亜美子がAチームににっこりと笑って礼を言う。それを治郎が訳す。
「いやいや、どういたしまして。よかったじゃないですか、村が潤って。」
「無理して参加した甲斐があったよね。」
「俺っちの苦労も報われるってもんだぜ。」
「俺ァ何もしてねえけどな。……ああ、そうだ、ハンニバル。会場の下見に行った時、道間違えちまったんだけどよ、軍の施設みてえのがあったぜ。ありゃあ空軍基地かな。」
 飛行機だけは勘弁な、のコングが、非常に嫌そうな顔をした。鼻に皺が寄っている。
「ほう。ハロー、この近くに空軍基地があるのか?」
 それを聞いたハンニバルは、地元民に尋ねた。
「この国は軍隊を持っていないので“空軍”とは言わないんですけど、航空基地はあります。」
「ふむ。忍び込むことは可能だと思うか?」
「難しいんじゃないですかね。基地から飛行機を拝借してアメリカに帰るとか?」
「ま、できればその線で。」
「そんなことしなくても、電車で3時間半ほど北上すれば、国際空港に行けますよ。」
「それがあたしたち、パスポートも何もないんですわ。」
「そう言えば、飛行機が落ちて流れ着いたんでしたっけね。その後、警察にも行ってないし。それじゃあパスポート紛失を証明するものもないから、再発行してもらえないでしょうね。」
「でしょうなあ……。」
 さも残念そうにハンニバルは言ったが、元々パスポートなんざ持っちゃいない。偽造パスポートを持っていたことはあったにせよ。
「そこで、ですよ。ハロー、双眼鏡か何かある?」
「ありません。虫眼鏡ならありますけど。」
「虫眼鏡は必要ないな。じゃあ、双眼鏡が売ってそうな店までの地図を。それと、その基地周辺の地図を。」
「手描きでいいですか?」
「正確であれば。」
 治郎は少し困った顔で、それでも頷いた。



〈Aチームの作業テーマ曲、三たび始まる。〉
 チラシの裏に地図を描く治郎、横から口出しする亜美子と梵十。その地図を手に、梵十のバンに乗って深夜の資材調達に出かけるフェイスマン、ホームセンター等に侵入して、必要なものを揃える。戻りがけ、病院に侵入して睡眠薬をかっぱらう。資材が整ってから、4人揃って偵察に向かう。邑楽家の人々は既に就寝。
 偵察中のAチーム。酔っ払いの振りをして、酒ビン片手に基地のゲートの前をうろうろするハンニバル。精神病患者の振り(?)をして、ハンニバルとはだいぶ離れた場所でスキップしたりジャンプしたり側転したりするマードック。深夜のジョギング中の振りをして走り回るコング。少し離れた高台から双眼鏡と望遠鏡を駆使して基地内を観察するフェイスマン。
 梵十のバンの中で、報告と討論。ハンニバルがニッカリする。
 竹林から竹を切り出してきたコング、それを割ったり麻縄で縛ったり針金を通したりして何かを作っている。小さな檻から何かを麻袋に移すフェイスマン、その何かは動いている。片手に麻袋、もう片手に竹の棒の加工品を持ったマードックが、草むらに分け入り、何かを捕まえる。台所で工作をしていたハンニバル、マードックから袋を受け取って、アタッチメント風なものを振って見せる。
 台所のテーブルに“SEE YOU!”と書き置きを残し、邑楽家を後にするAチーム。邑楽家の庭には、竹製の流し素麺の樋が据えつけられている(滞在させてもらったお礼のつもり)。
〈Aチームの作業テーマ曲、三たび終わる。〉



 未明の航空基地に人影が近づいてきた。見張りの死角になっている場所に陣取り、フェンスをニッパーで切り、10インチ角程度の穴をいくつも開ける。ここのフェンスに触れると感電するようなピクトグラムが掲示してあるが、電流が流れていないのは確認済み。袋の口を基地のフェンスに向け、縛っていた口を解放する。その途端、袋の中から沢山のネズミが走り出てきた。興奮状態で基地の敷地内に駆け込むネズミたち。後ろの藪から野生のテンやキツネがぞろぞろと現れ、フェンスの穴を通ってネズミを追いかけていく。どさくさに紛れて、野良猫やタヌキやハクビシンも基地内に駆け込む。
 基地の反対側では、別の人影がもう1つの袋の口を敷地内に向けて解放。沢山のヘビがうにょろうにょろと這い出して、基地内に潜入。ハブ、コブラ、ガラガラヘビ、そんなルックスをしているヘビたちだ(ただし、アタッチメントとカラーリングを除去すれば、いずれもアオダイショウ)。
 自然が一杯のこの地でも、これだけ多数の毒ヘビや小型哺乳類を一遍には見かけない。パニックに陥る隊員たち。とにかく逃げ回る者、銃で撃つ者、網を持ってきて捕獲しようとする者。遂にはサイレンが鳴り出した。この時間帯、今まで起きていた者は頭がぼんやりしているし、寝ていたものは寝起きで頭がはっきりしない。
 そんな中、Aチームの4人は颯爽とフェンスを乗り越えた。フェンス上部の有刺鉄線に毛布もゴムシートも何もかけずにフェンス越えできるのが、彼らのツワモノたる所以。ハンニバル曰く「有刺鉄線も、棘のないところは痛くない」。まさにその通りだ。
 さしたる邪魔も入らず(入ってきた邪魔は殴った)、目的の長距離輸送機に乗り込むAチーム。整備済みで燃料は満タン。フェイスマンが整備状況と給油状況を確認して決めた機だ。キーが必要な機種でないこともマードックに確認済み。エンジンをかけるマードック。コングは自ら睡眠薬を飲んだ。小動物を踏まないように滑走し、マードックによる搭乗アナウンスの後、奇声と共に離陸。
 海の方へ機首を向けた輸送機の背後から、ちょうど朝日が差してきた。
「大佐! ここ、やっぱし日本だったぜ!」
 前方を見据えながら、マードックが大声を上げる。コクピットにやって来たハンニバルも前を見る。
「おお、マウント・フジだ。」
 まだだいぶ遠くなのだが、あの独特のシルエットはマウント・フジ以外にない。頂上にわずかに雪を被っている。
「何、日本だったの、ここ? タヒチじゃなくって?」
 フェイスマンもコクピットにやって来た。
「ほら、フェイス、見てみろ、マウント・フジだ。綺麗だろう。」
「うん、そうだね。写真やテレビで見たのと同じだ。」
 無感情にハンニバルに返すと、フェイスマンはコ・パイ席によよよと寄りかかった。
「日本だったんなら、もっと長居すればよかったー。デネンチョフ(田園調布の意)のマダムやアザブジュヴァーン(麻布十番)のマダムを引っかけるの、目標の1つなのに。」
 夢ではなくて目標なのか。
「で、引っかけて、お金貰って、ギロッポーン(六本木)で豪遊すんの。しっとりと、サカサカ(赤坂)の料亭でもいいなあ。」
「フェイス、お前さんねえ……。」
 呆れて溜息をつくしかないハンニバル。
「ね、モンキー、あの辺、トーキョーでしょ。降りてみない? そうだ、マウント・フジの麓のとこって、洞窟みたいなのが沢山あって探検できるって『世界ふしぎ発見』で言ってたよ。日本のどっかにミイラがあるって話も聞いたし。」
「オイラ、干物はもう懲り懲り。」
 マードックが、肩を竦めて、ぶるっと身を震わせる。
「フェイスの意見は却下することにしましてー、大佐、行き先はどこ? このまんまだとソ連行っちまうぜ。」
「とりあえず、ロスに戻りますか。」
「ラジャー。」
 リーダーの指示に従い、マードックは輸送機を急旋回させたのであった。



※今回の「ビバ!」は自粛させていただきました。
【おしまい】
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