伊達 梶乃
ハンニバルは未だ開ききっていない目を無理矢理開いてリビングダイニングに出てきた。午後6時。いささか長め(梶乃判断)の昼寝から起きてきたところだ。 「フェイス、夕飯は何だ?」 キッチンに向かって、そう尋ねる。しかし、返事はない。 彼は頭を一つ掻くと、180度見回した。テーブルの上に書き置きが。 『いないよ。F』 それと10ドル札が2枚。これで夕飯を食べろということらしい。 「……わかってるさ。いつものことだ。」 ちょっと寂しそうにハンニバルは呟き、札をポケットに入れると、ソファに座ってTVを点けた。 それより何時間か前、ハンニバルがしばらくは昼寝から覚めなさそうなのを確認してから、フェイスマンは書き置きをして外に出た。金づるを探しに。 現在のフェイスマンは、金づるを持っていなかった。一昨日の昼下がり、誘ってもらって奢ってもらったランチが不味かったので、「今度、もっと美味しい店に連れてってあげるよ」と言ったら、振られた。なぜだかはよくわからなかったけど、多分、彼女はその店のランチが非常に美味しいと思っていたんだろう。でなかったら、美味しいランチを食べないように心がけているとか。まあ、振られてしまったものは仕方ない。 そうそう新しい金づるのご婦人を見つけることなど難しいから、この際、割のいい仕事でもいいから見つからないかな、なんて。売店で販売員のオジサンと世間話をしながら雑誌や新聞を立ち読みして、仕事チェック。それから、何となく街をぶらぶらと徘徊してみる。何かありそうな予感。そうフェイスマンの勘は言っていた。いいことか悪いことかよくわからないけど、ともかく何かありそうな感じ。それも、女性が絡んでいそうな。 しばらく歩いていると、彼のセンサーははっきりと働き始めた。250メートル前方に、涙する女性あり。まだその姿は見えないけれど、確実にセンサーは感知している。フェイスマンは歩を早めた。センサーの示すままに。 見えた。閉ざされた木製のドアに上半身を凭せかけるようにして店先に横座りになっている姿が。救いの手を必要としていて、多少なりとも金があって、それでいて女性だ。これはフェイスマンの出番でしかない! 彼が行かずして誰が行く! それも、たわわなハニーブロンドに隠されて顔は見えないが、バイオレットのキャミソールドレス(シルク)という服装から察するに、並み以下の容姿ではあるまい。並み以下だったらチョップ食らわす。 半ば駆け寄るように、フェイスマンは彼女に近づいていった。軽く息を弾ませたまま、手を差し伸べつつ、声をかける。 「お嬢さん、どうしま……。」 フェイスマンの息が止まり、言葉が途切れた。なぜなら、今の今まで遠目からは「お嬢さん」だと思っていた人物は、明らかにそれではなかったからである。 ミニスカから伸びた彼女の脚は、それはもう確かに伸びていた。フェイスマンの脚よりだいぶ長い。そして、だいぶゴツい。脛毛こそないものの、大腿筋はステキに切れ上がっていて、ふくら脛では釘が打てそうだ。その腓腹筋とヒラメ筋のおかげでキュッと締まって見える足首の先にはハイヒールのサンダル。ただし、12インチ超の。フェイスマンの靴の1割増し。腕は腕で、何と言うか、ま、簡単に言ってしまえばマッチョい。コングの二の腕よりも太いかもしれない。 「お、嬢……さん?」 「ああーん?」 不機嫌そうな、野太い声がそう答えた。それも、ハニーブロンドの向こう側から。目の前の物体から。フェイスマンはちょっと信じたくなかった。 「お嬢さんってのは俺のことかい?」 ハニーブロンドの髪が揺れ、彼女(?)が振り返った。 フェイスマンは、恐怖に叫んでしまうかと思ったが、想像していたほど恐ろしい顔ではなかった。ただ、アイラインが流れてタヌキになっているだけで。 「……悪い、俺の勘違い。」 「いいってことよ。よく間違われんだ。」 彼(?)は歪んだ笑いを作って、ハタハタと手を振った。 午後11時。Aチームのアジトでは、マードックが遅かった夕食の後片づけをしていた。家事要員として、病院から掻っ攫われてきたのである。Aチームの仕事かと思ってウキウキしていたら、買い物して夕飯作って食べて片づけて、洗濯物は溜まってて……。でも、マードックは文句を言わなかった。夕飯のパスタがとてもいい具合のアルデンテに茹で上がったから。よく熟したサンマルツァーノ種のトマトが手に入ったから。サラダのドレッシングの配合比を間違えなかったから。とにかく、作り手として申し分のない夕飯だったし、コングとハンニバルも喜んで食べてくれたから。主婦夫の歓びに浸りながら、マードックはリビングから聞こえるTVの音(ハンニバルが見ている)とバスルームから聞こえる唸り(コングの鼻歌)を耳に、フライパンを洗っていた。その時。 ピンポーン。 ドアチャイムが鳴り、マードックはキッチンタオルで手を拭きつつ、玄関の覗き穴を覗いた。知らない男の顔が見える。ドアチェーンをかけたまま、ドアを薄っすらと開けて尋ねる。 「どちら様? 何用?」 「夜分畏れ入りますが、ディック・パーカーと申します。フェイスを……連れてきました。」 低く柔らかいイイ声がジェントルにそう言った。 「フェイスを?」 マードックは一瞬考えた。MPかもしれないし。新聞の勧誘ではなさそうだけど。 「たーいさー! フェイス連れてきたって人、来てるぜー!」 リビングに向かってそう叫ぶ。 「フェイスを?」 葉巻を咥えて、ベルトを2段階緩めたハンニバルがのっそりとリビングから出てきた。それでも一応、手に拳銃を握っている。 「モンキー、開けてやって。」 「あいよ。」 マードックがドアを開けた。ドアの前に立つ男は、身長2メートルを軽く超えるマッチョマンだった。整った利発そうな顔立ち、長いハニーブロンドを後ろで結わえて、ぴったりとしたバイオレットのTシャツと、これまたぴっちりしたジーンズ。そんな男に、フェイスマンがお嫁さん抱っこされている。 フェイスマンと来たら、幸せそうな顔でムニャムニャ言ってるし。明らかに飲みすぎとわかる真っ赤な顔だし。 「ベッドルームはどっち?」 マッチョ男ディックは、ポカンとしているハンニバルとマードックにそう聞いた。 「あ、ああ、あっちだ。」 ハンニバルが拳銃を隠し、寝室の方を指差す。 「じゃ、ちょっと失礼。」 と、ディックは寝室に向かっていき、フェイスマンをダブルベッドの上に置いて、すぐに玄関に戻ってきた。 「お邪魔しました。」 ドアを閉めかけて、もう一度顔を出す。 「靴と上着ぐらいは脱がしてやった方がいいぜ。」 意味深な笑みを残して、彼は去っていった。 彼、誤解しちゃったらしい。そして、ハンニバルも誤解しちゃったらしい。それから約2時間、マードックはハンニバルの怒りを聞く羽目に陥るのであった。 翌朝6時。 「こりゃ何でいっ! 本物の牛乳をどこやりやがった!」 コングの怒声が響いたけど、誰もそんなこた気にしちゃいません。彼の手に握られているグラスの中の白い液体、それは今日に限って、牛乳ではなく、豆乳。豆の乳。乳の豆ではなく。誰の仕業かは、誰にでも見当がつくね? 「あーのひょうたくれめ、どこ行きやがった!」 ベッドルームやらバスルームやらを覗いていくが、マードックの姿は見つからない。 「おい、どこだ! ふん捕まえて簀巻きにして窓から吊り下げてやる! …………畜生、いねえや。」 一体マードックはどこに行ったのだろうか? 仕方なくコングはテーブルに着いて、すっかり明るい外の景色を見ながら豆乳を飲……もうとして吹き出した。窓の外では、自ら簀巻きになって階上から吊り下がっているマードック(安眠中)が、風に吹かれてのどかに揺れていた。 コングに叩き起こされたマードックは、眠い目を擦りながらもコングに朝食を作り、コングを仕事(建設工事)に送り出し、洗濯を開始した。 午前9時。洗濯も粗方終わり、ハンニバル用の朝食を作って、そっとハンニバルを起こす。 「大佐、朝だよ。」 「ううむむむむ……もう朝か。」 ハンニバルが大きく伸びをした。 ゴキッ。 ちょっと伸びが大きすぎ、隣のフェイスマンを強かに殴りつける。あくまでも事故。本当に。故意ではなく。 「……いってえ……何すんだよ、ハンニバルゥ……。」 こうしてAチーム全員、無事に目が覚めたわけである。 「あいつは何者なんだ?」 目玉焼きをパクつきながら、ハンニバルは怒っている。 「あいつって誰?」 二日酔いの頭を抱えながら、フェイスマンは昨夜の服装のまま食卓にうつ伏している。麻のスーツは見事なまでにシワくちゃ。靴も履きっ放し。 「はいよ、フェイス。」 マードックが冷たいグラスを手渡した。無色透明の液体に氷が浮いている。 「サンキュ……これ何?」 「俺様特製イオンサプライ飲料。」 「二日酔いの体にはありがたいね、ハハッ。」 フェイスマンは無謀にもそれを一気飲みした。 「……モ〜ンキー? ……これ、何が入ってるの?」 それは、冷たい塩水の味がした。 「水と塩と氷。」 確かにイオンは供給されるね。 「で、あいつは何者なんだ?」 「だから、あいつって誰よ?」 「昨夜、お前のことをお嫁さん抱っこして連れてきた男に決まってるだろう。」 「でっかい金髪のマッチョ?」 「そうだ。」 「俺、お嫁さん抱っこされてた?」 「されてたぞ、完璧にな。」 「マジ? やだなあ、アハハ。」 何だか照れちゃって俯くフェイスマン。だが、ハンニバルにジロリと睨まれたのを上目遣いで見留めて、話を戻す。 「えと、彼はディック。」 「奴のナニがどうしたって?」 「は?」 「まさか、お前……。そんなふしだらな……。」 すごく険悪な朝食の席。 「ち、ちょっと、ハンニバル、何か誤解してる?」 フェイスマンは頭痛を押さえ込んで、顔を上げた。 「俺、泥酔しちゃったからよく覚えてないけどさ、俺と彼、ディックは昨日街で偶然会って、というのも、あいつが女装してたもんだから、女だと思って声かけちゃって。そりゃすぐに男だってわかったさ。それから、あいつが家に戻ってシャワー浴びて着替えるのに何となくつき合って、2人で食事しに行って、その後、飲みに行って、あいつのペースに合わせてたら、あえなく玉砕。」 フェイスマンの発言は、ハンニバルの誤解を深めたいとしか思えません。この弁明のせいで、ハンニバルはとーっても不機嫌な表情。フェイスマンの二日酔いの頭でも、それぐらいはわかった。 「あー、えーと、仕事、そう、あいつ、仕事頼みたいって。」 「仕事? あの筋肉男は俺たちがAチームだって知ってるのか?」 「うん、何てったって俺たち有名だし。それに、彼、俺たちより年下だけど……コングと同じぐらいかな? しばらく軍にいたんだって。それでAチームのこと知ったとか何とか言ってた。」 「仕事の依頼なら仕方ない。」 ハンニバル、そう思っていないことが表情より明らか。 「それで、筋肉男はどんな仕事を依頼してきたんだ?」 「そうそう、それなんだけど、えーっと……その…………記憶にないんだ、アハ、ごめん。」 その日の宵。コングが仕事から戻ってきてから、Aチームはディックと会うこととなった。フェイスマンの記憶が当てにならないがために。 「ただいまー。」 ディックの電話番号を聞いておかなかったフェイスマンは(聞いたかもしれないけど、忘れてる)、彼を家まで迎えに行っていたのである。 フェイスマンの後ろからしゃなりしゃなりと腰を振って入ってきた大オカマ(本日はショッキングピンクのニットドレス)に、ハンニバルは言葉を失った。マードックは来客用にコーヒーを準備中。コングはディックの装いなど気にしていない。ただ気になるのは、彼のマッチョ具合のみ。 「昨日はどうも。」 ハンニバルとマードックの方に向かってそう言い、ディックはコングの方に顔を向けた。 「昨日はいなかったね。」 「あん時、風呂入ってたんでな。」 ディックのでかい手が、コングの肩をぐっと掴んだ。 「いい筋肉だ。」 コングの手も、ディックの二の腕を掴む。 「おめえさんもな。」 そして2人でニッと笑い、胸や腰を叩き合う。どうやら、筋肉を通じて友好関係を結んだようだ。 ハンニバルは心を落ち着けるように葉巻に火を点け、煙を深々と吸い込んだ。そして、ソファに腰を下ろしたディックを葉巻の先で指す。 「1つ確認しておきたいことがある。率直な質問で悪いんだが。」 「ああ。」 前置きだけで、ディックはハンニバルが何を言いたいかわかったようだ。 「その質問の答えはノーです。その次の質問の答えは、誓って彼には何もしていない、です。」 きついスチールブルーの瞳が真摯なコバルトグリーンの瞳を見つめる。 「……それならばよし。」 これにて一件落着。1件は。 「そう言うそちらはどうなんで?」 「こっちもノーだ。」 「……わかりました。ということは、OKなんですね?」 「いや、OKだというわけではない。」 「なるほど。」 2件落着した模様。端からは何のことやらさっぱり。 「……もう1つ質問がある。一体なぜ君は、ノーだというのにそんな格好を?」 「似合うからです。」 こうズビシと言われてしまっては、返す言葉もない。似合わないとも言い切れないものがあるし、かと言って、ストレートに「似合う」と言うのもちょっと。 「さて、仕事の話。」 フェイスマンがパンと手を叩いて、話を促す。 「ディック、悪いけどみんなにもう1回説明してくれないかな?」 フェイスマンが、昨夜のことを覚えていないのに覚えている振りをしていることは、当然ディックにもわかった。くすっと鼻で笑う。 「俺の幼馴染みのリックがあの店で違法行為をしているんです。」 「あの店とは?」 ハンニバルが尋ねる。 「俺がフェイスと出会った場所、だよね?」 と、フェイスマンに笑顔を向けるディック。カチンと来るハンニバル。2件落着したはずなのに。 「違法行為ってのは、具体的に言ってどんなんだ?」 真面目に話を進ませようとしているのは、もちろんコング。 「コーヒーどーぞ。」 今の今までコーヒーを淹れていたマードック。 「フィリピーナ関係?」 フェイスマンの脳味噌、その程度ですか? ですね。 「麻薬?」 これはハンニバル。 「メキシコから人身売買?」 「海賊盤をご奉仕価格で大量販売?」 しかし、いずれにもディックは首を横に振った。さて正解は? 「中国から某Pの毛皮や肉を密輸入して売っているんです。オーダーがあればPそのものも販売するとか。」 白黒のPフローム中国は、明らかに国際的に保護されている野生動物であり、絶滅危惧種でもあり、国家間の承諾なしでの輸出入はワシントン条約に違反する(んじゃないかと思う)。WWFに入会するとPバッヂが貰えるくらいだし。 「Pか……。」 あまり乗り気でないハンニバル。彼は野生動物にはそんなに愛着がない。 「警官やってる友人にこのことを話しても、みんな笑って取り合ってくれなくって……。でも、俺、本当にリックが白黒の毛皮持ってんの見ちまったし。奴なら、それぐらいのことやってのけそうだし。」 ディックがハンニバルに訴える。しかし、訴えるまでもなく、動物好きのコングと変わった動物好きのマードックの瞳には炎がメラメラと燃え上がっている上、フェイスマンは既に見積書を前に電卓を叩いている。 「……フェイス、お前どうする? この話、乗るか?」 「もちろん。」 上の空で答えるフェイスマンの手元を見ると、基本料金が3割増しになっている。この瞬間、ハンニバルは全てを理解した。このディックという男、小金持ちなのである。フェイスマンにとって、彼は単なる金づるでしかないのだ! 妙に安心しきってしまったハンニバル、ソファにふんぞり返って足を組んだ。 「よろしい、お引き受けしましょう! 我らAチームにかかればPの密輸犯なんてちょろいちょろい。コテンパンにやっつけてやろうじゃないの、皆の者。」 ハンニバルに普段の調子が戻ってきた。が、しかし。 「いえ、コテンパンにまではしないでほしいんですが……悪事は働いていても一応幼馴染みですから。証拠を掴んで、ブタ箱にしばらく放り込むぐらいで。」 と、ディックがその腰を折る。 「ややコテンパン、ね。手加減すんの、ちょーっと難しいかもしんないから、料金1割増しでいいかな?」 フェイスマンが電卓のキーを「×1.1」と押した。 ディックの話が本当なら、中国・米国間の国際的密輸犯罪を調査することになる。 田舎の悪徳有力者を懲らしめたり、街の悪徳商人たちを懲らしめたり、MPから逃げたりしているAチームにとっては、なかなかにやり甲斐のある仕事かもしれない。これを機に、中国デビューできるかも。 そんなことを寝つくまでずっと考えていたハンニバルは、次の朝にはすっかりやる気になっていた。 いろいろと手筈を整え、いろいろと調達して、早、夕方。 ディックの幼馴染み、リックの店は、夕方から開店。そんなところもまた怪しい。特に店名を掲げていないところも怪しい。 白いヒゲを蓄えた恰幅のいい紳士がリックの店のドアを開けた。 厚い木製のドアの向こうは、チャイナなワールドだった。それも、欧米諸国での例に漏れず、勘違いも甚だしく。静かに流れている音楽は沖縄音階だし、焚かれている香はインド系。壁面に沿ってバンブーが植わっていて、薄暗い照明は竹と紙のランプシェードのせいでより薄暗くなっている。床は、大体が畳で、所々に飛び石が配してある。どでかい水槽の中にはピラルクがじっとしていて、水槽の上の濾過装置の横にはシシオドシ。 それでも紳士(もちろんハンニバル)にはとても中国らしい感じがしたので、よしとする。 ショーケースの中には、扇子や掛け軸、亀の剥製、中国風風水画(日本画かも)、俳句の朗読テープなどが、胡散臭げに並んでいる。別のショーケースには、木の皮や根や葉やヘビやカエルやわけのわからないものや粉があり、説明書きによれば、それらはどうも薬らしかった。 オリエンタルムード溢れる店内をつらつらと眺めていると、着物姿(ただしミニ)の女性が東洋のティーを勧めてくれた。しかしそれは、セーフウェイの紅茶を10倍に薄めて、西部のゴーストタウンに1週間放置した後、トレーニングルームのロッカーで2、3日寝かせておいたような味と香りがした。そして、お茶を勧めてくれた女性は、顔立ちはいくらか東洋系ではあったが、胸や腰や脚はどう見てもアメリカ人だった。 さてPは、と紳士(ハンニバル)は店内を見回した。……あった、白黒い毛皮が。子Pのものなのだろうか、やけに小さい。だが、プライスカードには確かに明らかに明白に「Pの毛皮」と書いてあり、値段は1枚1000ドルもする。 ハンニバルは、こんな8×12平方インチ程度の白黒い毛皮に1000ドルも払うなんてバカげている、と思ったが、世の中にはこれを買う人もいるのだろう、だから売っているんだろう、などと、珍しくまともに物事を捉えてみたりしている自分が自分らしくなく感じた。 「あー、ちみちみ。」 お茶をくれた女性を呼び、茶碗を返しがてら尋ねる。 「あたしゃ、この白黒い熊が滅法好きでたまらんのですよ。縫いぐるみなんかじゃ物足りなくてねえ。」 意味ありげなウインクを1つ。 「こういったの、もっとないんじゃろか?」 「少々お待ち下さい。」 彼女が奥の間に引っ込み、代わりに出てきたのは、人民服の男。でも、足元は足袋&草履。 「いらっしゃいませ、Pものでございますね。」 メイクで東洋風な顔にしてはいるが、彼がリックだ。リックに間違いない。ディックの見せてくれた写真に写っている男に東洋メイクをしたら、まさしくこの顔になる。 拙い変装だねえ、と、変装の名人は思った。 「えー、ここだけの話ですが……。」 リックがショーケースの上にファイルを開く。 「こちらがPもののカタログになります。」 Pの剥製(本毛皮)小・5000ドル、大・1万5000ドル。Pの剥製(ウサギ毛皮)小・50ドル、大・150ドル。ウサギの毛ならば剥製でないのでは? P干肉100グラム当たり200ドル、P生肉(冷凍)100グラム当たり500ドル。保護動物の割には安い気もする。P(生)小・5万ドル、大・時価。寿司屋じゃないんだから……でもナマ物だからいいのか。 「ほんじゃ、冷凍生肉を200グラム、肩ロースがいいんじゃが。それと、そっちの平べったい毛皮を貰おうかの。」 「ありがとうございます。お持ち帰りのお時間はどれくらいでしょうか?」 「1時間ってとこかの。」 しばらくして、ハンニバルはリックの店から出てきた。Pの肉と毛皮を持って。代わりに盗聴器を取りつけて。 所変わって、ディックの家。 Aチームはアジトを引き払って彼の家に上がり込んでいた。ビバリーヒルズにあるような豪邸ではないが、ロス市内の、それも繁華街の中にある一軒家にしてはなかなかのもので、家の一部は通りに面したブティック、それも男性向け女物の店になっていた。これが案外繁盛している。これならAチームが出入りしても、男ばっかりが集っていても、何も怪しくない。 現在ディックは店に出ていて、リビングルームにはコングがいた。ヘッドホンをはめたコングが、マイクのスイッチをオンにする。 「聞こえるか、ハンニバル。盗聴器、ちゃーんと作動してるぜ。」 『ああ、聞こえてる。フェイスは?』 「俺のバンで、そっから1ブロック先に待機してる。」 『了解。』 補聴器を軽く押さえて、ハンニバルは辺りを見回した。 Aチームのバンの運転席にはマードック。フェイスマンは白衣を着て、名刺の山を漁っている。そこにハンニバルが乗り込んできた。 「ほれ、肉と毛皮だ。」 つけヒゲを外し、小型血圧計のようにも見える腕時計(カメラ内蔵)をマードックに渡す。 「フェイス、場所交代。」 マードックがバンの後部へ行き、暗幕を引く。 「じゃ打ち合わせ通り保健所と鑑識に行くけど、一緒に行く?」 運転席に座ったフェイスマンが、エンジンをかけながらハンニバルに聞く。 「そうだな。」 フェイスマンは保健所に冷凍肉の一部を「食中毒が発生したらしい。この肉が何の肉で、いつ屠殺されたものか、大至急同定してほしい。結果はFAXで知らせてくれ」と検査依頼し、警察の鑑識に「この毛皮が何の毛皮か、大至急調べてほしい。どうも被害者はウサギの毛のアレルギーがあるらしいんだが……。何かわかり次第、順次FAXを流してくれ」と白黒い毛皮を持ち込む役目である。因みに今回使う名刺に印刷されているのは「厚生省、警視庁、防衛庁直属ナショナル・バイオハザード研究所テンプルトン・ペック第1級研究員」、FAXナンバーはディックの家のやつ。 お役所仕事が有無をも言わせず終わる午後5時まであと少し。フェイスマンはアクセルを踏み込んだ。 バン後部で何かが零れる音とマードックの叫び声が聞こえた。 ディックの家でAチームは夕飯を食べていた。ディックはまだ店に出ている。コングがはめっ放しのヘッドホンからは、特に大したことは聞こえてきていない。 本日の夕飯は、アンチョビの効いた冷製トマトスパゲッティ。作ったのはマードック。彼、今回奇行を披露する余裕もないほど忙しい。家事と仕事を両立するのは難しいものだ。 で、食卓の上には、夕飯と、リックの店の中を撮った写真。写真を眺めながらの夕飯。トマト汁が写真にピチピチ飛んでるけど、アメリカ人はそんなこと気にしない。 そんな時、FAXが入ってきた。保健所からだ。フェイスマンが排出された紙を持ってきて、ハンニバルに渡す。 「何々……あの肉は8日前に屠殺されたバッファローの肉だと? 熟成は完了しており、冷凍保存状態も良好、食中毒菌の菌体数も少なく、食中毒事件が起きたとは考え難い……ってのは関係ないな。」 間髪置かずに、FAXがもう1件。鑑識からである。 「何々……あの毛皮は成猫のものであり、ウサギの毛に対してアレルギーを持っていた被害者が所持していたとしてもおかしくはない。」 「バッファローに猫?」 トマトマンのTシャツ姿のマードックが怪訝な顔をする。 「Pのじゃねえのか。」 フォークを握り締めてコングが唸る。 「うむ……こりゃ単なる詐欺か。」 バッファローの肉と猫の毛皮に2000ドルも払ったのが悔しいハンニバル。2000ドルあれば、最高級の葉巻がだいぶ買える。まあ、ディックの払いだからいいんだけど。 「じゃあ、このP(生)っていうのはどうするんだろ?」 フォークの先で写真を指しながら、フェイスマンが問う。 「面白そうじゃない、いっちょ注文してみますか。」 誰もリックの店の電話番号を知らなかった。ゆえに、翌日の夕方、ハンニバルは再び紳士に変装してリックの店に赴いた。 P(生)小を注文し、5万ドルの小切手を支払う。この小切手は、何と、不渡りではない。が、昨晩、フェイスマンとコングが徹夜でチマチマ作った偽造小切手である。Aチームもディックも、5万ドルなんてポンと払えるわけがない。しかし、偽造であるのだから、偽造であることに運よく誰も気づかなければ、リックは5万ドルを手に入れられ、どこかの誰かが5万ドル請求されるであろう。ハンニバルが商品の入荷を知らせてもらうためにリックに伝えた電話番号も、今回の作戦用についさっき引いた電話のものだから、何も心配することはない。 Aチームのバンは今、リックの店の裏に停まっている。注文を終えたハンニバルが車に乗り込んできたのは、マードックが電柱に登って電話線に細工をしている最中のことだった。 「ハンニバル、電話かけてるぜ。」 店内の盗聴を依然として続けているコングが言った。 「モンキー、今の電話番号、わかったか?」 トランシーバーに向かってハンニバルが問う。 『ギリギリセーフ。そっちに電話の音声行ってる?』 「来てる来てる。録音も順調。」 そう答えたのは、ヘッドホンをはめて別の機械に対峙しているフェイスマン。その機械から出ているケーブルは、バンの外、電話線につながっている。 「ねえ、ハンニバル、電話の相手、中国人だ。ウォンとかいう名前。」 電話での会話を聞きながら、フェイスマンが報告。 マードックが小さな機械を持ってバンに戻ってきた。彼の手の中の黒い画面には、デジタルの数字が表示されている。 「はいよ、大佐。これが今の電話番号。」 「これは……サンフランシスコ辺りの電話番号だな。」 そしてハンニバルは葉巻に火を点け、呟いた。 「チャイナタウンか……。」 フェイスマンとマードックは、飛行機でサンフランシスコに向かった。先刻の電話相手、ウォンの電話を盗聴するために。車で行くには、ちょっと遠いから。ウォンの家の正確な場所も、既に電話番号から割り出されている。今回のAチーム、何だかスパイ大作戦みたいだね。 今頃はフェイスマンが電話工事会社の車をくすねて、チャイナタウンでウォンの電話その他を盗聴していることであろう。 一方、ハンニバルとコングは、バンの中でヘッドホンを各自2つずつ持って、機械類に埋もれていた。ハンニバルは右耳で店内の盗聴、コングは左耳で電話の盗聴、ハンニバルの左耳とコングの右耳は先刻のリックとウォンの電話の録音テープを聞いている。 『ニーハオ、ウォン。元気?』 『ああ、リックか。ヘンハオだよ。そっちは?』 『もっちろんフェイチャンヘンハオさあ。』 何だかよくわからないけど、仲がよさそうなのはわかる。とても国際密輸組織のメンバーが交わす会話とは思えない。 『こないだのアレ、売れた?』 『ばっちり売れてる、シェシェ。でさ、P(生)小の注文が入ったんだけど、どんくらいでゲットできる?』 『P(生)小か……1週間ぐらい? 俺の取り分はトゥオシャオチェン? 事と次第と金額によっちゃ、もう少し急げるけど?』 『1週間でOKだよ。お前の取り分は30パだから、1万5000ドルだ。』 『ハオ! じゃ、1週間以内に用意する。』 『よろしくな。ツァイチェン。』 『ツァイチェン。』 コングがテープを止めた。 「あたしゃ、1万5000ドルぽっちでPの密輸入引き受けたかないねえ。」 「俺ぁいくら貰ったって引き受けねえ。」 「だけど、ウォンは喜んでたようだな。30パで文句言わないなんざ、できた男だ。」 ハンニバルはヘッドホンを外してニッカリと笑った。 「1週間後、何が来るか楽しみじゃないですか。」 Aチームがディックの家に居候して5日が過ぎた。 マードックがチャイナタウンで盗聴を続けている一方、ハンニバルとコングとフェイスマンの3人は、誰か1人がリックの店の裏に盗聴に出かけ、残り2人はディックの家で家事をしたり、ディックの手伝いをしたり、リビングでだらだらしたりしている。まあ、居候の典型的な行動を全て網羅していると思えばいい。 「それにしてもよぉ、ハンニバル。」 洗濯物を畳みながら、コングが口を開いた。 「何だ?」 ハンニバルは女装している……と言っても、彼が好んで女装しているわけではない。ディックの店にドレスの注文に来たとある殿方の体型がほぼハンニバルと同等だったので、そのオーダーメイドのドレスの試着をさせられているのである。因みにコングの足元は、ナイキのスニーカーでなくパンプス。きつめのパンプスの革を伸ばす作業中でもあるのだ。 「ほら、ハンニバル、動くなよ。針刺さっちまうぞ。」 すっかりAチームに馴染んだディックが、裾丈を調節している。 「モンキーの話によると、ウォンって奴、ちっとも国際電話かけねえらしいんだがよ、どうなってんだ?」 「それは商品を見てのお楽しみってこと。」 「今度は手挙げて。挙がる? ちょっときつそうだな。」 「ちょっとなんてもんじゃないぞ。ここんとこもっとゆったりさせてくれ。」 と、ハンニバルが腕ぐりを示す。 「OK、すぐ直す。」 Aチームにはこういう使い途もあったのである。昨日は昨日で、ハンニバルがディックに斬新なメイクの仕方を教えていたし。 その時、電話が鳴った。ドレス脱ぎかけのハンニバルが受話器を取る。 『あ、ハンニバル? 俺。』 フェイスマンである。 『今、ウォンからリックの店に電話が入った。取引は明日午前3時、場所はサンタバーバラの海岸だって。』 「3時というと、あと7時間はある。余裕で準備できるな。」 『ちょっと待ってて、別口の電話がかかってるから。』 「別口? どこに? 誰から?」 返事はなかった。受話器の向こうでフェイスマンが何かハキハキと喋っているのが、微かに聞こえる。 『お待たせ。リックの店からだった。P(生)小、明日入荷するから取りに来いって。』 「その前に取りに伺いますよ。……チャイナタウンのモンキーに、盗聴を終了して、ヘリでサンタバーバラに来るよう伝えとけ。サーチライトか何かそういうの積んでな。お前はとっととこっちに戻ってくる。いいな?」 ハンニバルはフェイスマンの返事も聞かずに受話器を置いた。 チャーンチャラッチャーン、チャラッッラーン。〈Aチームの作業曲、かかる。〉 何かを溶接しているコング、足元は依然としてパンプス。鉄板を運んでいるフェイスマン、ハイヒールのせいで転びかける。何かのネジを締めるハンニバル、黒革の手袋と脱げかけドレス。男らしい姿のディック、大きな鏡の前でポージング。サンフランシスコの小規模飛行場で、どのヘリにしようか、あっちへフラフラこっちへフラフラしているマードック。 チャチャーンチャチャーラー、チャーラーチャチャーン、チャン。〈Aチームの作業曲、終わる。〉 サンタバーバラのショアラインパークから東に約500ヤード。ここに来るまでろくに道路もないもんだから普段から人気ない海岸なんだが、その上現在午前3時、著しく人気ない。おまけに、当然のことながら、暗い。 そこに2台の車が滑り込んできた。言わずもがな、リックとウォンである。 「ニーハオ〜。これ、例のものね。」 ウォンが車の後部シートから檻を出して、リックの方に持ってくる。 「ニーハオ〜。これが代金ってーか、お前の取り分。」 リックがポケットから封筒を取り出す。どうやらあの小切手、換金できたらしい。 と、その時。 バラバラバラバラバラバラバラ……と轟音を立てて、ヘリが北西の方角から飛んできた。カッ、とサーチライトで2人を照らす。 「な、何だ?」 うろたえるリックとウォン。 南東からは紺色のバンが全速力でこっちに向かって走ってくるのが見える。このままだと、轢かれてしまう。そう察知したリックとウォンは、車を捨て、2人がかりで檻を持って陸の方へと走った。 しかし、ヘリのサーチライトがしっかりと彼らの姿を捉え、いかついバンが2人に迫り来る。 「うわーっ!」(×2) 彼らの目の前でバンは急停車し、スライドドアがガラッと開いた。 「うぎゃー!」(×1) 降り立ったのがこってりと斬新なメイクをしたディックだったもんだから、ウォンは腰を抜かしてその場にへたり込んだ。 「……ディック?」 リックが恐る恐る尋ねる。 「ああ、俺だ。全くお前って奴は……。」 バキッ! リックの横っ面に怒りの鉄拳をお見舞いする。 「父さんと母さんが今わの際に、悪いことは決してするんじゃない、いい子になれ、と言ったのを覚えてないのか!」 「父さんと母さん?」 オートライフルを構えたハンニバルとフェイスマンが、きょとんとした顔を見合わせる。 「おい、これ見ろよ。」 証拠写真をフィルムに収めていたコングが檻の中を指差した。ハンニバルとフェイスマンがそっちに顔を向けると、そこにはPの子供が……いや、白黒くて丸々してて可愛らしいそれは、一見Pの子供に見えるのだが、二見目には白黒く塗られた、ちょっと変わった犬に見える。そして、そのPの子のような生き物は、明らかに「ワン」と鳴いたのであった。 ちびっちゃっているウォン、ディックに1発で伸されてしまったリック、2人の間に白黒い犬。何となく予想していた結末だけど、ここまでお粗末だとはAチームの誰も思っていなかった。せめて、白熊を部分的に黒く塗るぐらいはしてほしかったよなあ。妥協して、ただの熊を漂白して白黒く。 ところで、Aチームはさっき何を作ってたんだ? 『貸し店舗』の札がかかったリックの店の前で、Aチーム(の一部)とディックはたむろっていた。 「リックとウォンは、詐欺罪で当分ブタ箱暮らしだ。白黒犬の引き取り手もついたし。」 彼らが国際的密輸組織の一員ではなかったので、ハンニバルは残念そう。 「どうもありがとう、Aチーム。」 ディックは悲しそうに微笑んだ。 「ね、リックって幼馴染みじゃなかったっけ?」 そう聞いたのはフェイスマン。 「本当のことを言うと、あいつは実の弟なんだ。だけど、両親が自動車事故で死んだ後、俺たちしばらく孤児院にいて、それから別々の家に引き取られたんで、表向きには幼馴染みってことにしようって2人で決めて……。あいつも、こんな姉貴みたいな兄貴持つの嫌だろうし。」 「いーや、お前さんは男らしいよ、ホントに。」 ディックの肩にポンと手をやるハンニバル。 「是非ともAチームに加わってもらいたいぐらいだ。あのパンチ、お見事でしたよ。」 随分とディックのことが気に入ってしまっているハンニバルであった。 「さて、報酬の方なんだけど、思ったより日数かかっちゃったし、経費もかかったんで……。」 フェイスマンが書類と電卓とペンを懐から取り出したその時! タイヤを軋ませながら角を曲がって、コングのバンがトップスピードで近づいてきた。ハンニバルたちの前に停まるや否や、マードックがドアを開ける。 「早く早く! デッカーがそこまで来てる!」 見ると、バンが来た方向からMPの車が塊になってやって来る。その先頭の車の窓から乗り出しているのは、見紛うことなくデッカーその人。 「ここで会ったが100年目、今度こそ取っ捕まえてやるぞ、スミス〜!」 ハンニバルは、「報酬〜」とディックの方に手を差し伸べているフェイスマンの首根っこを掴んで、バンに飛び乗った。 「コング、行け!」 「おう!」 ドアがバタンと閉まり、紺色のバンは瞬く間に小さくなり見えなくなった。その後をMPが追っていく。 ディックは彼らが走り去っていった方向を見つめて、ニヤリと笑った。
【你好と再見の狭間で or 白黒く塗れ! おしまい】