究極の選択! 食か! 毒か!
フル川 四万
ここは、LA郊外のある住宅地。真夏の抜けるような青空と、手入れの行き届いた街路樹の濃い緑が目に美しい。住民たちはみな、医師や弁護士、カウンセラー、都心に通勤するホワイトカラーで、LAにありながら軽犯罪さえ滅多に起きない高級住宅地である。
その一角に建つ白壁の瀟洒な佇まいのその家は、こともあろうに冷房が故障していた。
屋内では2名の人間が、35度を超える暑さの中で茹だっている。
「……あちい……。」
ソファに引っ繰り返って、言っても仕方のないことを、でも言わずにはいられなかったのはテンプルトン・ペック氏である。もちろんこの家は氏の持ち家などではなく、先月、偶然を装って知り合った不動産屋の女社長から、バカンスの間、家の改装を兼ねて住み込むことを許可されたのだ。しかも、報酬つき。なぜなら、ぺック氏の職業は新進気鋭のインテリア・デザイナー(偽)だから。
「レモネードできたぞ。」
もう1人の茹だり人間、ジョン・スミス氏が、左手に大きなレモネードのピッチャーを持って現れた。白のバスローブにサンダルといった、究極に砕けた服装である。レモネードは、レモンを絞って水で割って氷をぶち込んだ上から山盛りの砂糖を入れたらしく、粒状の白いものが渦を巻いている。氏の職業は新進気鋭の庭師(二重に偽)。
「暑いよ、ハンニバル。燃えそうだ。」
「フェイス、それは言っても始まらん……。電気屋には連絡したんだろう?」
「……したよ。」
「なぜ来ない?」
「……来るよ。9月7日にね……。」
外でセミが鳴いている……。1匹……2匹……ああ、数えるのも億劫だ……。
ハンニバルは、一瞬(本人にとっては限りなく永遠に近く)遠い目になった。
「コングなら直せるかもしれん……。コングには連絡ついたのか……?」
「プールの監視員のバイトが終わってから来るってさ。でも、この故障って多分AIの故障だから、コングには直せないかもよ。」
「AI?」
「うん、ほら。」
フェイスマンがリモコンをエアコンに向けた。
“ピッ。”
エアコンはしっかり反応し……熱風を吹き出し始めた。表示の文字は“H(eater)”。
「文明っちゅうのは不便なものね。………………。」
ハンニバル、遠い目(2nd)。
「モンキーなら直せるかもしれないけどね……。」
言いながら、不意にフェイスマンがソファから立ち上がった。
「ハンニバル、クーラーのことはもういいから、どっか涼しいとこ行こうよ!」
建設的な提案である。
「……涼しいとこって、フェイス、この家の改装の仕事はどうするんだ。今のところ、俺たちに見込まれる収入源はそれだけだぞ?」
「この暑さの中で仕事なんかしてられるかってんだ! ハンニバルが行かないなら、俺1人でプール行ってくるから、あとよろしく!」
フェイスマンはテーブルの上の麦わら帽を引っ掴むと、勢いよくドアを開けて出ていった。
残されたハンニバル(そりゃそうだ、バスローブ姿で一緒に出かけたら捕まる)はピッチャーのレモネード(推定2リットル)を見つめ、少々作りすぎたかと考えていたが、考えても仕方ないので飲むことにし、グラスを取りにキッチンに向かった。
と、その時……。
“バキューン!”
静かな住宅街に銃声が響いた。
「フェイス!?」
ハンニバルは窓の外を見た。歩道に倒れているのは……。
「フェイス!」
彼は自分の服装(バスローブ)も顧みず、道に飛び出していった。
「フェイス!」
駆け寄るハンニバル。
「フェイス、大丈夫か、しっかりしろ!」
ハンニバルは道路の真ん中に倒れていた男を抱き起こした。腕から血を流してぐったりしている金髪の男は……フェイスマンにしてはだいぶ若い。しかし、フェイスマンでなかったからと言って見捨てるわけには行かない状況である。一応、正義の味方だしね……。
「君、しっかりしろ、大丈夫か!」
「……大丈夫です……腕……腕を撃たれただけだから……。」
「誰にやられたんだ?!」
「……マイク。」
「マイク?」
「ええ、クラスメイトのマイク……です。何で撃たれたかわからないけど。」
少年は苦しそうに顔を顰めた。
「しっかりしろ。今、救急車を呼んでやるからな。」
ハンニバルは少年を歩道に抱え上げ、街路樹の下にその体を横たえた。
「ここで静かにしているんだ。気をしっかり持つんだぞ!」
「はい……。」
少年は素直に頷いた。
「ハンニバル!」
フェイスマンが、別の少年を一人引きずるようにして走ってきた。2人共かなり息を切らしており、手や顔に擦り傷を負っている。
「フェイス、怪我人だ。救急車を呼んでくれ。」
「わかってる。今、連絡してきたとこ。」
「手筈がいいな。……誰だ、その坊やは。」
「銃撃犯人だよ。名前は知らない。プール行こうと思って歩いてたら銃声がして、こいつが拳銃持ったまま走ってきたから、足引っかけて転ばして、取り押さえて持ってきた。お前、名前何て言うんだっけ?」
フェイスマンが少年の腕を放した。ドサリ、と少年が尻餅をついた。
金髪、青い目、一見して美少年風だが、カットオフしたリーバイスに黄色のタンクトップ、町中で西瓜柄の浮輪を腰に巻きつけた姿は、美少年と言うより、身近な誰かを思い出させる。そして……。
「ハーイ、ジョゼフ、ハッピ〜? ごきげ〜ん?」
大きい浮輪のせいだろうか、バランスを崩して引っ繰り返りながら少年が言った。
「ハッピーなもんか、マイク。」
怪我人――ジョゼフが苦々しく口を開いた。
「ひどいじゃないか、僕を撃つなんて。」
「ごめんごめえ〜ん、だって君に悪魔が取り憑いてたのらも〜ん。……退治しなきゃ地球が危なかったのら。地球が危ないと大変なのら〜。」
少年の口調は呂律が回っていない。そして目の焦点も合っていない。
「マイク、お前もしかしてアレやってるのか!?」
「こいつがマイクか。」
ハンニバルが言った。
「こりゃ、明らかにドラッグやってるね。」
引っ繰り返ったまま起き上がれないマイクを見て、フェイスマンも言う。
「ああ、ドラッグもやらずにこんな状態な奴も知らないではありませんがね。」
遠くから救急車の音が近づいてくる。
「一緒にマイクも乗っけてもらうか。」
「だ、駄目です。」
ジョゼフが言った。
「今捕まったら、マイクは刑務所に送られてしまいます。……僕は、知らない人に撃たれたって言うから、どうかマイクを匿ってやって下さい。」
「しかしジョゼフ、こいつは君を撃ったんだぞ?」
「ええ、わかってます。でも、今のマイクの状態を見てわかったんです。……これは、ペネロスのせいです……。」
「ペネロス!?」
「ペネロスなのら〜、そーれはそれはー神と悪魔のお告げなのら〜。」
ほざいているマイクの両腕を掴むと、ハンニバルとフェイスマンはその場を離れた。
●
所変わって、ここは市営プール。夏休みの間だけ監視員のバイトに駆り出されているB.A.バラカス氏。監視椅子(正しい名称を知らないので)の上で腕組みをし、いつもの不機嫌な顔でプールを睨みつけるバラカス氏、口元にはホイッスル、胸元には金銀財宝。
8月も半ばとあって、無料の市営プールは、バカンスに行けない低所得者層の子供たちで、プールなんだか銭湯なんだかわからない状態になっている。まさに芋洗い状態。
“ピピーッ!”
「おい、そこの坊主! 飛び込みは禁止だぜ!」
“ピピーッ!”
「そっちのお嬢ちゃん! アヒルもタオルも禁止だっつってんだろーが!」
と、なかなかに忙しい彼である。
「おい、そこのジジイ、プールでバスローブは……ハンニバル!?」
いつの間にかプールサイドに寝椅子を持ち込んでくつろいでいたハンニバルが、サングラスを外してニヤリと笑った。
ハンニバル、フェイスマン、コングの3人は監視員用の更衣室で集合した。先程捕獲した銃撃犯人マイクは、長椅子に括りつけられて虚ろな目を虚空に向けている。
「仕事中悪いんだが、しばらくこいつをここに置いといてくれないか。」
「何でい、このアホみてえな奴は。モンキーの親戚の子か何かか?」
みんな考えることは一緒だね。
「いんや、ただの民間人。コング、ペネロスって知ってるか?」
「ペネロス? ああ、知ってるぜ。最近出てきた新しいドラッグだろ? こいつ、ペネロスやってこんなになっちまったのか?」
「そうらしいんだ。で、ペネロスってのはどんなドラッグなんだ?」
「よくは知らねえが、モンキーの病院が最近、ペネロスの中毒んなった奴で溢れ返ってるらしいぜ。」
●
所変わって、ここはH.M.マードック氏の邸宅(=精神病院)。夏の午後、マードック氏は未だかつてない憂鬱な気分に陥っていた。騒ぎも喚きも暴れずもせずに(更にいけない企みすらなしに!)、ベッドの上に膝を抱えて座り、じっと窓の外を見つめている。それに引き換え、廊下の阿鼻叫喚ときたら……。
「ゴミ袋ー! ごみぶくろをくれー!」
「俺の友達のミスター・ガーターベルトとカマーベルトをどこに連れてくんだよー!?」
「私はインドの修験者であーる。つきましては、ガラムマサラとマンゴチャツネを腹一杯――」
「んもももももお〜。」
「ごみぶくろー!」
理由はわからないが、ここ数日、この病院は創立以来の大繁盛である。それも、“ごみぶくろ”を筆頭に、キリンの精だのさすらいのマンドリン弾きだの岩手の黒毛和牛だの、まるで普段のマードック氏が数十人に分裂したかのような面白い面子が揃い踏みで快進撃中。マードック氏、ちょっとやそっとじゃ目立たないのである。話題の中心にもなれず、ごはんの時だってお誕生日席に座れないのだ。だから、憂鬱なのである。
「ああ、こんな時こそフェイスか誰か、連れに来てくんないかなあ。はあ……。」
マードックは柄にもなく溜息をついた。
“コンコン。”
と、その時、控え目なノックの音がし、薄く開けたドアから担当のドクターが顔を出した。
「……おい、マードック。どうした、元気がないじゃないか。」
「は〜、何だかテンション上げて生きてるのが嫌んなっちゃってねえ……。」
枕を抱えて、ベッドで転がってみせる。
「いい心がけだ。一生そうやっていてくれると私も助かるんだが、生憎お前がおとなしい代わりに変なのが沢山入ってきて、こっちは忙しくって仕方ないんだ。……来い、面会だ。」
「面会?」
「ああ、神父さんだ。」
“フェイスだ! やったー!”
マードックは勢いつけて立ち上がり、ドクターの後について部屋を出た。
しかし、神父、という言葉だけで特定の指名手配犯が想像され得る病院運営については、相当問題があると言えよう。
連れていかれたのは、いつもの面会室ではなく、ミーティング用のホールだった。
「ごみぶくろをくれー!」
「我こそは修験者なり! たあーッ!(ゴミ袋男に鉄拳を食らわせている。)」
「ンモオオオオオオオ。」
岩手黒毛和牛は、鳴き声だけではホルスタインとの見分けは難しい。
――そして阿鼻叫喚はここにも持ち込まれていた。最初は綺麗に並べられていたであろうパイプ椅子も、既に始まる前からぐちゃぐちゃ。ただ1つ真っ直ぐに置かれた椅子の上では、ニヒルなマンドリン弾きが哀愁のかけらもないメロディーを掻き鳴らしている。
「……で、何が始まるの、ドクター。」
呆然とその光景を眺めながら、マードックが言った。
「聖ヨハネ教会のフランクリン神父が、お祓に来てくれたんだ。」
「お祓?」
「ああ、最近のこの発狂者の急増は、恐怖の大王の斥候として悪魔が沢山降りてきて、か弱き人間に取り憑いたんだとさ。」
ドクターはほとほと呆れ返ったように言った。
「この狂乱騒ぎは新種のドラッグのせいだと言っても聞きやしない。ま、偉い神父様に楯突くと教会の寄附が打ち切られてしまうかもしれんから、悪魔を祓うっていうならやってもらおうかと思って来てもらったんだよ。」
「ドラッグって?」
「ああ、最近のドラッグにしちゃ珍しく白人の間でだけ流行している薬でな。症状は見ての通り、@お前のようになる。Aその状態が1週間から10日続く。副作用や害については、今解析中だ。」
「出所は?」
「わからない。警察の話だと、押収したドラッグ――ペネロスって呼ばれているんだが、容器は普通の弁当用ソイソース入れだし、価格は1つ5セントから180ドルと定まっていないし、組織的な動きも見えないし、さっぱりわからんのだそうだ。」
「へえ〜。」
“ゴホン。”
咳払いの音に、ドクターとマードックは振り返った。そこには、聖ヨハネ教会のフランクリン神父……を名乗るフェイスマンが佇んでいた。
●
そしてマードックは奪回され、ここは再びロス郊外の高級住宅。壊れていた冷房はマードックによって修復され(って言うか、暖房モードにすると冷房が入ることに気がついただけ)、快適な環境の下、Aチームの面々と、怪我の治療を終えて帰宅した近所の高校生ジョゼフ、それから“ペネロス”の効果が切れずに家に帰しづらい、これまた近所の高校生マイクが集まっていた。
沈痛の面持ちで顔を突き合わせる5人とは別に、マイク1人が気持ちよさそうにソファで眠っている。もちろん、特製コング用鎮静剤を使用してだが。
「で、ジョゼフ、聞かせてもらおうか。」
ハンニバルが口を開いた。
「君たちはどこでそのドラッグ――ペネロスを手に入れたんだ?」
「クラスの友達がくれました。」
ジョゼフが答えた。
「いくらで?」
フェイスマンが聞いた。
「タダで。」
「タダ? タダってわけはねえだろう。売人だって慈善事業やってるんじゃねえんだからな。」
「ええ、随分気前いいなあと思ったんですけど、その友達にはいろいろ貸しもあったし、そいつもタダで手に入れたって言うから……。」
「その友達は、どこから手に入れたって? この名探偵に白状してみな。」
徐々に調子を取り戻しつつマードックが聞いた。
「バイト先のスーパーマーケットで、マッシュルームの箱の積み下ろしをしている時に、偶然、箱の底に隠してあるのを見つけたって。」
「マッシュルーム?」
「うん、ミシガン産のマッシュルームの箱だったって……。」
「臭えな。」
コングが唸った。
「確かに。これは密輸の最中に紛れ込んだとしか思えない。」
ハンニバルが考え込んだ。
「何考えてるの、ハンニバル。」
フェイスマンが不安そうに問う。
「そんな、ドラッグなんか追いかけたって、ビタ一文にもなりゃしないよ? 俺たちには、ほら、家の改装の仕事だってあるし……。」
会計係としては必死である。何せ依頼人になりそうな人間が高校生と来てる。
「だからって、知っちまった以上、子供たちへのドラッグ汚染を放っておくなんて、俺にはできねえぜ。」
「は〜い、オイラもコングちゃんに賛成。このままじゃ、家(=精神病院)が住みにくくって仕方ないんだ。そのペネ何とか言うドラッグの大本を押さえて、ぶっ潰そうぜ。」
「……僕からもお願いします。ドラッグは嫌いじゃないけど、撃たれたんじゃ洒落になりません。お金もないけど、できることなら何でもしますから。」
「ジョゼフ、君のお父さん、お金持ち?」
「父は医者ですが。」
「マイクのお父さんは?」
「マイクのパパは不動産屋です。」
「よし、乗った!」
フェイスマンが叫んだ。
こうしてAチームの面々は、ペネロス退治に一役買うこととなった。
●
ミシガン州の入口、デトロイト空港の夜景が窓の外に見えてきた。飛行機はゆっくりと右に旋回し、着陸態勢に入った。
「よっこらしょっと……。」
フェイスマンが小振りの注射器を取り出し、薬液を充填した。だが、まだ使用には早すぎる。完全に着陸してからでないと、コング大暴れのために、着陸に支障を来す可能性がある。
その1列前の窓側の席のハンニバルは、手の中にあるマッシュルームの箱の畳んだものに再度目を落とした。ミシガン州、ダコタ。エリー湖の左下に当たるその地区は、工業都市として中途半端なサイズに栄えてはいたが、五大湖の観光ビジネス以外にこれといった産業はない。ましてや、麻薬の生産地、もしくは中継地になっているなど、未だかつて聞いたこともない地区だ。
“とりあえず、このマッシュルームの生産農家でも行ってみるか……。”
間もなくして、飛行機が心持ち機首を上げた。静かなランディングと共に、コングの腕に否応なく注射器が突き立てられた。
「……俺は絶対飛行機なんか乗らねえからな! バスで行くぞバス…………ここはどこだあああ!!」
目を覚まし、雄叫びの途中で事態に気づいたコングが、フェイスマンを殴り倒した。
“ばこーん”という鈍い音がデトロイトの空に響いた。いらっしゃい、Aチーム。
その頃、エリー湖のほとりと言うにはかなり奥まって山側に食い込んでしまった場所に位置する《湖畔の小さなホテル・フィオリタ》の主人、グレッグ・オースティン(41)は、人生始まって以来の窮地に立たされていた。
追手はすぐそこまで来ている。いくら土地勘のある山道とは言え、相手は銃を持っており、複数だ。こちらは、キノコ採り用のバスケットと、キノコを木から剥がすための小型ナイフ1本。人数は、本人ただ1人。
“どうしよう、このままでは殺されてしまう……。”
彼は思い切って懐中電灯を消した。暗闇の中なら、土地勘のある自分の方が有利だ。彼は動物的な勘だけに頼って走った。
山道を外れ、細い獣道から木立の入り組んだ方向へ走り込む。木の枝や茂みの枝葉が、剥き出しの手足に無数の傷をつけていく。追手のサーチライトが時折、頭すれすれの所を掠める。敵はかなり近い。彼は近くの木の根元に身を隠した。
荒い息を肺で何とか押さえ込み、様子を窺う。
「いたか!?」
追手の声。
「いや、まだだ。」
「探せ、とにかく探し出して息の根を止めるんだ。」
“もう駄目か。”
彼は思った。
“……どうして僕が殺されなきゃいけないんだ……? 一体あいつら誰なんだ……? ただのキノコ採りが武装しているはずもないし……ましてや、キノコの採集を見られただけで発砲してくるなんて考えられない……。まさか目的はキノコではなく、どこかで人を殺して、死体でも埋めに来たんだろうか……。”
素人の考えることとは言え、結構恐い考えになってしまった。その時……。
「駄目だ、見失った。」
間近で男の声がした。
「ちっ、逃がしたか……。顔は見たか?」
「いや、この暗がりじゃとても……。」
「……まあいい、向こうもこっちの顔は見ていないはずだ。行くぞ。」
「ああ。」
「キノコを忘れるなよ。」
「わかってる。」
男たちの足音が遠ざかっていく。
完全に気配が消えた後も、オースティンはしばらく動くことができなかった。単なる宿屋の主人には、ちと刺激が強すぎたらしく、情けないことに腰が抜けて立ち上がれなかったのだ。
それにしても奴ら、確かにキノコ採りらしいが……一体何を採りに来たんだ? この季節ならナラタケか? 高級品なら薬用のハナサナギダケかハナヤスリタケだが……。
「ハンニバル、ホテルに連絡ついた?」
電話ボックスから出てきたハンニバルに、マードックが聞いた。エリー湖のほとりまで来てみたものの、既に時刻は夜11時を回り、これから調査を開始するには少し遅い時間である。
「ああ、《ホテル・フィオリタ》、ここから車で30分かかるがね。」
「30分も? 俺もう疲れたよ。もっと近いホテルないの?」
「あることはあるが、予算の都合上《ホテル・フィオリタ》に決定した。1泊朝食つき20ドル。2食つけても35ドル。目玉は各種キノコ料理だと。」
「へえ、キノコか。やっぱりこの辺、名産なんだね。」
「ああ、例のマッシュルーム農家にも近いしな。」
一行がホテルに着いたのは12時近くだった。女将が外で出迎えてくれている。
「やっぱり小さい民宿はいいね。そういうところ心配りがあって。」
フェイスマンはそう言うと、戸口の所に立っている女に手を振った。
女主人は、フェイスマンには応えずにただ立ち尽くしている。と言うより、4人の客人の姿も目に入っていないようだ。ただ一心に裏山の方を見つめているように見える。
「……何か、変じゃない? あの人。」
マードックが言った。
「ああ、何だか心ここにあらずって感じだな。」
「とにかく、行ってみよう。」
4人は歩を進めた。
「こんばんは。さっき電話したスミスってもんですが。」
ハンニバルが声をかけた。女主人は驚いたようにこちらを振り返った。
「……あ、いらっしゃいませ。」
「……泊まりたいんだが。」
「はい……お待ちしておりました。」
言葉とは裏腹の気の入らない態度。
「何か心配事でも?」
女性のトラブルは捨てておけないフェイスマンが単刀直入に聞いた。
「……いえ、ちょっと主人の帰宅が遅いものですから……。」
「ご主人の?」
「ええ……。さ、どうぞ、こんな遅くまでお疲れでしょ?」
一抹の不安を残しながらも、4人は《ホテル・フィオリタ》の門を潜った。
●
「見られただと!」
“がんっ!”
男が葉巻を握ったままの拳で机を叩いた。
机は檜の一枚板で、直径は約3メートル。中央にでかいガラスの灰皿が埋め込んであり、大量のバハマの吸殻と、2本の火の点いたバハマがキャンプファイアーよろしく積み上げられている。そして、手にも火の点いたバハマ。
その机の向こうに座る男はと言えば、推定身長174.5センチ、推定体重174.5キロ。鼻の尖り具合から辛うじて白人種であることが窺われるが、もしかしたらインディアンかもしれない褐色の肌に黒髪のマッシュルーム・カット。ストライプのワイシャツに太いレジメンタル・タイ。ストライプのズボン吊りがお茶目な五十男だが、小さな目の眼光は鋭い。
机の前に並べられたパイプ椅子に座っていた2人の男が、項垂れたまま、怒る男の様子を窺っている。
「しかも、逃げられただと!」
“ガン!”
男は再度机を殴った。バハマの吸殻と火の点いたバハマが飛び散った。
「すいません、ガンピアスさん。まさか、あんな夜遅くに山に入る人間がいるなんて思いもしなかったんす……。」
「言い訳はよさんか、このエノキダケどもめが。で、アローラス、例のキノコには気づかれなかったんだろうな。」
「も、もちろんです。第一、素人にあの新種のペネロスと普通のキノコの区別なんかつくはずがありませんぜ。なあ、ファギ。」
アローラスは同意を求めるように相棒を見た。
「そうですとも、ガンピアスさん。アローラスに散々教えてもらった俺だって、半分は間違ってワライダケ採ってくるんですぜ? 素人なんかに区別がつくはずがありません。」
エノキダケ、というのがどの程度の蔑称かは不明なところであるが、とにかくこのガンピアス、というのが親玉で、あとの2人は下っ端、ということだけは容易に推測される。
「とにかく、これ以上他人があの山に入らないように注意するんだ。栽培方法を確立するまでは、あの山のペネロスを使うしか道はないんだからな。ファギ、お前は山道を張れ。怪しい奴が立ち入ろうとしたら、すぐに追い払うんだ。多少の流血は構わない。」
ガンピアスはゆっくりと椅子から立ち上がった。机は立派だが、椅子は普通のパイプ椅子である。肘かけのある椅子には、彼の巨体は入らないのだ。
「アローラスはとっとと工場に戻れ。1日も早く、ペネロスの人工栽培の方法を見つけ出すんだ。」
「はいっ!」
2人の部下は慌てふためきながら去っていった。
「……まあいい、当分素人にペネロスは見つからないさ……。何せ、この街の奴らはキノコの見分けもつかなければ、新種のキノコを食ってみる勇気も持ち合わせていないんだからな……。ふふ、ははははは……。」
彼は、実に悪人らしく、シーンの変わり目に笑うのであった。
とーこーろーがー、いたんだ、ここに。キノコの同定のスペシャリストが1人。《ホテル・フィオリタ》主人、グレッグ・オースティン(41)。フロリダ大学理学部生物学科卒。罷り間違って宿屋の主人なぞやっているが、彼は『トキイロラッパダケの研究』という論文が学会で紹介されたことがあるほどのキノコ名人であるのだ。
「ええと、だからこれがハラタケ。こっちがキンチャヤマイグチ。珍しいなー、お前、いつの間に生えたんだ?」
追手から逃れ、抜けた腰も何とか復活してみれば、気になるのは先程の刺客の言っていたキノコのこと。
「一体この山に何があるっていうんだろう?
……これはコフキサルノコシカケ。売ると高いから採っておこう。こっちはただのシメジ。」
グレッグは懐中電灯を片手に山中を探り続けた。時間は既に真夜中を回っている。
「この辺には知った顔しかないな。……もうちょっと奥行ってみるか……。」
グレッグは傷だらけの足を引きずって山道を登り始めた。
翌朝、Aチームの面々は《ホテル・フィオリタ》の食堂で朝食を摂りながら本日の作戦を練っていた。女主人は、相変わらず気はそぞろながらも、何とか笑顔で朝食をサーブしてくれている。朝食のメニューは、@名も知らぬキノコの入ったオムレツ、A名も知らぬキノコのスープ、Bベニテングダケを模したケーキ、Cナメコ入りコーヒー、である。
「何だかわかんねえけど、すげえ食いもんだな、どれもこれもがよ。」
コングが言った。
「うーん、でも俺様としては、このケーキ辺りにもう一工夫欲しい感じだねえ、目鼻をつけるとか。……名前は俺がつけてやるとして。君は……グレースだ。」
「……まずは、マッシュルーム農家から当たるか。」
LAから離れて徐々に調子を取り戻しているマードックをあっさり無視してハンニバルが話を進める。
「そうだね、あのマッシュルームの流通ルートのどっかでペネロスが紛れ込んだのは間違いないからね。……俺は街へ出て、この辺りでブツが出回ってるかどうか調べてくるよ。」
「ああ、頼む。……君、ちょっと。」
ハンニバルが女主人を呼んだ。
「この辺にマッシュルーム農家あるよね?」
「ええ、裏の山の向こうに、ガンピアスさんっていうマッシュルーム農家があるけれど……でも、うちは天然物しか使っておりませんので、おつき合いはないんですよ。」
「ふうん。天然物って?」
「裏の山で主人が採ってくるんです。」
「ご主人? 夕べ帰ってきてなかったみたいだけど?」
「ええ、実はまだ帰っていなくて……。」
女主人は目を伏せた。
「一晩帰ってないって、よくあるのかい?」
ハンニバルが聞いた。
「……いつもじゃないんですが……あの人、夢中になると時間を忘れる性質なので……。」
女が言い淀んだ。と、その時……。
「ただいまー!」
朝っぱらからまるで酔っぱらいのように妙に元気な声がし、《ホテル・フィオリタ》主人、グレッグ・オースティンがダイニングに駆け込んできた。
「あなた!」
女は叫び、グレッグに駆け寄った。
「……一体夕べはどこへ行ってたの?! ああ、こんなに泥だらけになって……。」
「心配かけてごめんよ、ミリー。だけど、ほら、こんなに!」
グレッグが差し出したバスケットは、大小様々、形も色も数十種類のキノコで溢れ返っていた。
「……またキノコに夢中になって、時計見るの忘れたの?」
「それもあるけど、今回のはちょっと事情が違うんだ。……お客さんかい?」
この段階になって、やっと存在を認められたAチームである。
「おはよう。君がここの主人か。夕べはどうしたんだ。奥さん心配していたんだぞ。」
ハンニバルが問う。
「実は、皆さんにお出しするキノコを採っていたら、急に暴漢に襲われて……。」
「暴漢?」
「ええ、そうなんです……。」
グレッグは事情を説明した。
「そりゃ災難だったな。」
「で、暴漢が去ったのは夜中くらいでしょ? それから今まで、何してたの?」
「キノコ採ってました。……奴らが採っているキノコって何だろうと思って、山にある、高そうなものと、わからないものを一通り採ってきたんです。」
「それより、警察行く方が先だと思うが。」
冷静な意見を述べるハンニバル。
「でも、気になるでしょ? 人を殺してまで欲しいキノコって何だろうって……。」
結局、ご主人、オタクなのである。健気な女主人=ミリーが、“駄目だこりゃ”とでも言いたげに肩を竦めた。
●
“ガンピアス・マッシュルーム農園”は山を1つ挟んで《ホテル・フィオリタ》のちょうど反対側に位置している。ハンニバルとコングは、グレッグの運転する車でそこを目指していた。山には車の通れる道がないので、山麓をぐるっと半周することになるが、それでも15分程度の道程である。
フェイスマンは、単独でトレド市街へ聞き込みに。マードックは、グレッグが採ってきたキノコの同定を仰せつかり、宿で菌類図鑑にかじりついていた。
「着きました。ここがガンピアス・マッシュルーム農園です。」
グレッグが車を停めたのは、ひっそりとしたプレハブの工場の前である。
「農園?」
車から降りながらハンニバルが聞いた。ハンニバルもコングも、なぜか白衣姿である。
「農園って言うより、何かの工場って感じだぜ。」
コングが言った。
「マッシュルームは今ほとんどハウス栽培だから、こんな感じですよ。行きましょう。」
グレッグが歩き出した。2人も従った。
入口で呼び鈴を鳴らし、用件を告げる。曰く、「保健所の者だが、おたくがLAの大手スーパーに卸しているマッシュルームで食中毒が出たので、立ち入り検査を行いたい。」これは今朝フェイスマンが考えた案。ちゃんと立ち入り検査許可証も捏造してある。いや、フリーフォーマットなんだけどね……。
応対に出たファギは、案の定驚いて奥に飛んでいった。食べ物屋は“保健所”もしくはそれに類似する機関に滅法弱い。これは万国共通である。
「やっぱり騙るならお上だな。」
「おう。」
しばらくして、背広を着た極端な肥満中年が汗を拭き拭きやってきた。ガンピアス、その人である。
ガンピアスは、最初は明らかに不機嫌な顔をしていたが、ハンニバルのパーソナル・ゾーンに入った途端、顔に大きな作り笑顔をばんっと貼りつけて手を差し出した。
「やーあやあやあどうもこれはこれは……。」
「ゴホン! ……えー、私はトレド保健局のスミス研究主任だ。こっちはバラカス研究員。それから、道案内をしてくれたオースティン君。では、ちょっと室内を拝見するよ。」
言いながら施設内にずんずん立ち入るハンニバル。ポケットからご丁寧に鼻眼鏡まで取り出してかけている。
「ちょ、ちょっと待て――いや、待って下さい。うちのキノコで食中毒なんて、そんなことはあり得ない! うちは最新の衛生システムで完全オートメーション化している農園なんですよ!
……ちょっと待って下さいったら。」
ガンピアスが転げるようにしてついてくる。
「食中毒出ちまったんだから仕方ねえだろ。ごちゃごちゃ言わねえでとっとと案内しろ。」
コング、研究員ぽくないです。
「……わかった、案内しよう。」
観念したガンピアスが、3人を先導して歩き始めた。
その頃、《ホテル・フィオリタ》では、キノコの同定に飽きたマードックが、ミリーに教わって、新しいキノコ料理を開発し、今まさに試食しようとしていた……。
「ここがマッシュルームの畑だ。」
ガンピアスが1つの部屋のドアを開けた。
「畑と言っても、土も木もない。特殊なウレタンのベッドに種拇を植え、水と栄養剤を与えて2週間ほどで出荷できる大きさに育てる。完全にオートメーション化され、無人です。仕組みは企業秘密です。次行くぞ。」
ガンピアスの説明は、丁寧なんだか無愛想なんだか今一つわかりにくい。今開けたドアを一瞬で閉め、次の扉に移る。
「次は研究室です。この部屋は、マッシュルームの栽培方法の改良に取り組んでいます。」
ガンピアスがドアを開けた。中で作業をしていた男が顔を上げた。
「うちの優秀な研究員です。順調かね、アローラス君。」
「……ええ、順調です。全て、ばっちりもう。」
アローラスは複雑な表情でそう言った。今までガンピアスに君づけで呼ばれたことなどなかったのだ。
「そりゃ結構。これからも頑張ってくれたまえよ。じゃ、次……。」
ガンピアスが乱暴にドアを閉めた。ハンニバルとコングはすぐさま彼に従った。ただ、グレッグ・オースティン1人だけが、困ったような怒ったような顔でしばらく立ち尽くしていた。
30分ほどで見学は終わり、3人は車に戻った。
「特に変わった所はなさそうだったな。」
車に乗り込みながらコングが言った。
「ああ、まだわからんがね。」
ハンニバルも同意した。
運転席に乗り込んだグレッグが、ふと2人を振り返った。
「いえ、ここです。」
「何がだ?」
「……だと?」
「皆さんが何を探してらっしゃるのかまだ聞いてなかったけど、それ、犯人ここだと思います。」
「ほう、そりゃまたどーしてそう思うんだ?」
グレッグは乱暴にキーを挿し込むと、車を急発進させた。
「僕を殺そうとした男がいたからです。間違いない、あの声は夕べの2人組の片割れです。」
「ガンピアスの野郎か!」
「……いえ、アローラス。研究室にいた人。あの人、ああ見えて、結構柄悪いんだ。」
「戻ったぜ!」
《ホテル・フィオリタ》のドアを開けてコングが叫んだ。が、返事はない。
「誰もいないのか?」
ハンニバルが問うた。
「ミリーなら、この時間は買い出しに行ってると思いますよ。」
「モンキーの野郎も一緒に行きやがったのかな。」
コングが言った。すると、
“とととととととと……。”
廊下を走る音。
“バーン!”
ダイニングに続く扉が開いて、飛び出してきたのはマードックである。
「モンキー、いたのか。フェイスはまだ戻ってないようだな。……して、何だ、その格好は?」
ハンニバルが、マードックの主に下半身を見つめつつ言った。
「うやっほー! 何ってわかんないのー! 遅れてるうー! オイラこそはキノコの帝王、食材のぷりーんす! キクラゲの精、キ・ク・ラ・ゲ・スピリッツさっ!」
マードックがくるくる回りながら喚き、最後にサタデー・ナイト・フィーバーのポーズでピタッと止まった。紐パン一丁の裸体の上に、まるで胸毛と腋毛のようにキクラゲを貼りつけ、股間にはスリコギタケをぶら下げている。頭は、もちろん帽子を脱いでぐちゃぐちゃに掻き回してある。
「おう、また馬鹿なこと抜かしてやがんじゃねえぞ、オタンコナ――」
「いいじゃないか、コング。」
ハンニバルがコングを制した。
「ここんとこ元気がなかったからねえ、彼氏。やっと本調子ってところじゃないですか。」
「そりゃあ、おとなしいよりはこっちの方がいつものモンキーだけどよ、ムカッ腹が立つことにゃ変わりねえぜ。」
「話がわかるねえ、ハンニバル。そうさ、このテンション、このキクラゲがもたらす透き通った黒のエナジーこそが俺様の活力なのさ!」
マードックがまた踊り始めた。
「いい加減落ち着きやがれ!」
「まあまあ。」
「……それで、キノコの同定は終わったんですか?」
「ああ、もうばっちりよ。キノコのことはキノコ同士、心通っちゃったから。」
4人は言い合いながらダイニングルームに向かった。
ダイニングのテーブルの上には、昨夜グレッグが採ってきたキノコが、種類ごとに分けられ、学名と通称を書いた付箋がつけられている。こんなテンションでも、きちんと仕事はしたらしい。
「あれ、この不明ってやつは何ですか?
……ワライタケ……じゃ、ないな。似てるけど、壺の色が違う。」
「だろ? それ、本に載ってなかったんだよ。」
流石のキクラゲも、本を見なければ見分けがつかないらしい。何のための精だろう。
「それで、考えてもわかんないから、どうしようかと思って……。」
「思って? ……どうしたんですか?」
グレッグが不安そうに聞いた。嫌な予感がする。
「うん、考えてもわかんないから、食った。」
「何だって!」
「……だと!」
「……ですと!」
「シロキクラゲの女王よ!」
驚愕する3人の背後から、またもや不吉な声がした。
……シロ……キクラゲは……キクラゲとは別人……だよね……?
「……ミリー……?」
確かにその声は愛妻ミリーのようだったが、グレッグには今振り返る勇気はなかった。
「おかえり、グレッグ、そして下僕共! さあ、ここに来て私の愛のチッスを受け取るがいいわ! 私は森の妖精、シロキクラゲの女王なのよ!」
“ヒュンヒュンヒュン!”
何かが回っている音がする。きっとミリーだ……。そんなに回ってどうするんだろう……。
「……ハンニバルさん……。」
グレッグが呟いた。
「……何だい、グレッグ。」
「……ぼ……僕の代わりに、ちょっと振り返ってみてくれませんか……。」
ハンニバルは大きく溜息をついた。
「……わかった。コング、行くぞ。」
「おう。」
ハンニバルとコングは、そっと後ろを振り返った。
ミリーが回っている。そして、その服装ときたら……いや、もう服装とは言えないのかも……。
「……グレッグ。」
ハンニバルが言った。
「はい?」
「……見ない方がいい……。」
「はい……。」
●
その夜、フェイスマンも帰宅し、ミリーも鎮静剤で眠らせ、Aチーム+グレッグは作戦会議となった(マードックはそのままでも普段とあまり変わらないので放っておかれた)。
マードックとミリーが食べたキノコは、幻覚作用を持つワライダケの変種であろうとの見解がなされた。その症状から見て、これが、グレッグを殺そうとした連中(=ガンピアス・マッシュルーム農園)が人を殺してまでも守ろうとしたキノコであり、即ちLAでマードックの亜流を量産しているドラッグ“ペネロス”の原料である。
「あの工場みてえな農園を爆破するか。」
コングが言った。
「それもいいけどね、農園をぶっ壊したところで、あの山にペネロスが残っている以上、奴らまたやるでしょう。今日トレド行ってきたんだけどさ、まだこっちでは出回ってないみたいだから、ロスに入ってきた分がパイロット版と考えていいんじゃないかな。ここで食い止めておけば、多分汚染は拡がらないよ。」
フェイスマンが言った。
「ガンピアスたちを取っちめて、山の中のペネロスを一掃するのが得策だな。」
ハンニバルが腕組みをして言った。
「キクラゲの精としましては、同類を痛めつけるのは気が進まないんだけどね。」
マードックはだいぶ落ち着いてきているようだ。やはり、“原料”を食ったくらいでは、効果は長続きしないのだろう。
「キクラゲはキクラゲ類、ペネロスはワライダケの亜種だからヒダナシタケ類。類が違うから罰は当たらないよ。僕はちょっと残念だけどね。」
グレッグが笑った。
「少し残しておいて、学会に発表するかい?」
ハンニバルが問う。
「いいよ。ああいうものは存在し続けても人間のオモチャにされるだけだ。……僕の記憶の中だけに生やしておくさ。」
Aチームのテーマ曲流れる。
青い空に向かって仁王立ち、腰に片手を当ててビン牛乳を飲んでいるコング。その斜め後ろで、コングと全く同じポーズで牛乳を飲んでいるキクラゲの精。2人の頬を夕陽が赤く染めている。
キッチンで一心不乱にキノコを刻んでいるミリー。額の汗が美しい。その後ろで、何やら怪しげな煙の立ち上る鍋を掻き混ぜているグレッグ。
ハンニバルは、ダイニングテーブルの上のキノコを眺めて、満足そうに頷いた。服装は、白のバスローブ。
窓辺で両手頬杖をつき、メルヘンチックに空を見上げるフェイスマン。その顔も夕陽で輝いている。
段々と夕陽が空に傾き、静かに夜が訪れた。
よし、準備万端だぞ、Aチーム!
●
ライトも点けずに進んできた車は、ひっそりと停止した。時刻は午後10時。ガンピアス・マッシュルーム農園はしんと静まり返っている。
車から滑るように足を降ろしたのは、Aチームの面々。フェイスマンは黒のタートル・セーター(でも半袖。暑いからね)と黒のスラックス。コングは同様な格好+金銀財宝。ハンニバルは同様な格好の上から、白のバスローブ。こいつら、隠れる気あるのか、ないのか。みんなそう叫んでいるけど。そして、キクラゲの精。
“あっちだ。”
ハンニバルが無言で合図を出した。二手に分かれて、プレハブの建物に近づいていく。
コングが従業員通用口を見つけて、ドアノブを小型のチェーンソウで切り落とした。その跡の穴にマードックが細い鉄棒を差し込む。じきにドアは開いた。コングが手招いた。
建物の反対側から回ってきたハンニバルとフェイスマンが合流した。
忍び込んだ建物は、廊下の常夜灯だけが薄らぼんやりとした光を放っている。
「何これ。何だか農園って言うより工場みたいだね。」
フェイスマンが言った。
「っちゅうか、病院みたいでもあるぜ。」
マードックも言った。
「最近のマッシュルームは土を使わねえんだとよ。俺ぁそんなもん食いたかねえが。」
「同感だ。やっぱりキノコは山に生えてる自然のをいただきたいねえ。」
ハンニバルも同調する。
「急ごう。各部屋を当たって、残ってる、もしくは栽培されているペネロスを探すんだ。」
「うん。」
「おう。」
「わかった。」
4人は各自あちこちに散っていった。
フェイスマンはマッシュルームの栽培室に侵入した。蛍光灯の下で、まだ幼いマッシュルームたちが整然と並び、静かに成長を続けている。
「こりゃ食いもんじゃないね……。」
フェイスマンは呟いた。しかし、見てしまったから“食いもんじゃない”と言えるのであって、普段はそんなもんも平気で食ってるのだ。フェイスも、あなたも、そして私も。
「でも、この部屋にはペネロスはないみたい……。」
フェイスマンはそっと部屋を出た。
ハンニバルは研究室のドアの前に立った。ゆっくりとノブを回し、ドアを薄く開ける。――細い明かりが漏れている。
“誰かいるのか……?”
ハンニバルはそっと中の様子を窺った。研究室の机に突っ伏し、アローラスが眠っている。
“こんな時間まで、若いのに働き者だねえ……。”
ハンニバルは物音を立てないように室内に侵入した。室内には簡単な作業台と、何やらガラス管が連なったような実験装置が一台。ウレタンのベッドに植えられた――ペネロスが数十株。
ハンニバルは手早くペネロスを引き抜くと、持ってきた紙袋に無造作に突っ込んだ。それから実験装置に目を向けると……しばらく考えて、何もせずにその前を離れた。
机に突っ伏しているアローラスは、侵入者の気配に気づく様子もなく眠りこけている。涎が机の上で水溜まりとなっていた。ハンニバルは、注射器と、アンプルを2つ取り出した。慣れない手つきで薬液を注射器に吸い上げる。
「ゆっくりお休み……。」
そう言うと、アローラスの首筋に注射器の針を突き立てた。アローラスはぴくりと体を痙攣させ、一段と深い眠りに落ちていった。
ハンニバルはその様子を見て満足げに頷き、“薬液2”を注射器に吸い上げた。
コングは次々と部屋を開けつつ廊下を進んでいた。
「……これで最後だよな?」
突き当たりの部屋の前で彼は呟いた。この建物で唯一、木(それも檜)でできたそのドアは物々しく両開きで、いかにも“大切なものがあります”“偉い人がいます”と言わんばかりである。それもそのはず、ドアの右上には『PRESIDENT
ROOM』のプレートがかかっている。
「いやがるのか?」
コングはドアノブに手をかけた。と、その時、首筋に冷たいものが触れた。
「静かにしろ! 騒いだら撃つぞ!」
コングの後頭部に改めて銃口が押し当てられた。コングはゆっくりと両手を挙げた。
「お前……昼間来た保健局の奴だな……。何のつもりだ? 抜き打ち検査か! そうか、そうなんだな!?」
幸いなことに、ファギはうっすらと馬鹿だった。
「……ああ、抜き打ち検査だ……。」
コングは呟いた。
「……来い。お前の処分はガンピアス様が決める。」
ファギはコングに拳銃を押し当てたまま、ドアをノックしようと一歩前に出た。と、その時……。
「そんなわけ行かないでしょ。」
マードックの声だ。
「何?!」
ファギが振り向く。振り向いた拍子に、ファギの頬っぺたに注射針が突き刺さった。
「……お前たち……何……者…………?」
言い終えると同時に、ファギは床に倒れ、ぴくりとも動かなくなった。
「済まねえな、モンキー。」
「いーってこと。」
言いながらマードックが、ファギの首筋に“第2液”を注入する。
2人は一仕事終えると、改めて『PRESIDENT
ROOM』に向き直った。
「コング! モンキー!」
すぐにハンニバルとフェイスマンがやってきた。
「ここが最後の砦みたいだな……。」
「ああ。」
「じゃ、やりますか。」
4人は頷き合い、フェイスマンがプレジデント・ルームのドアに手をかけた。
「あ。開かない。」
フェイスマンが言った。
「鍵かかってるよ、どうしよう。」
「任せとけ。」
コングがどこからか“しゅたっ”とチェーンソウを取り出した。
“チュイ〜ン!”
軽快な音を立ててドアが切られていく。こういう時、木のドアは与しやすい。程なく、ドアは人一人入れる程度に切り取られ、部屋の内側にゴロンと転がった。
「ガンピアス!」
ハンニバルが叫んだ。
「ガンピアス、出てこい!」
“バギューン!”
響く銃声。弾はハンニバルとフェイスマンの間を擦り抜けていった。
「来るな!」
部屋の中からガンピアスが叫んだ。
「一歩でも入ってきてみろ、撃ち殺すぞ! お前たちは不法侵入なんだからな。撃ち殺したって正当防衛だ!」
“バギューンバギューン!”
ガンピアスがまたもや発砲した。
「……行かないよ、ガンピアス。」
ハンニバルが言った。
「ただ、お前が作ってる薬――ペネロスだけはやめてもらわにゃいかんのだ。モンキー、あれ、頼む。」
「オッケー。」
マードックはポケットから小さな金属の筒を取り出した。
「こんなこともあろうかと、気体バージョンも用意しておいたんだ。」
マードックが室内に金属片を投げ込んだ。
“ボムッ。”
控え目な音と共にそれは爆発し、白い煙が瞬く間に室内に充満した。ガンピアスは抵抗する間もなく床にくずおれた。
「さ、帰るとするか。」
ハンニバルが言った。
●
翌朝、善良な市民の通報によって、ガンピアス・マッシュルーム農園は麻薬製造・密売の罪で検挙された。農園の建物から精製中のペネロスが押収されたが、経営者のガンピアス、研究員のアローラスと職員のファギは、どういうわけだかひどいペネロス中毒に陥っており、回復の見込みが立たないことから、LAの精神病院に送られることとなった。
ペネロスの原料である山中のキノコたちは、グレッグ・オースティンとミリーの手によって人知れず処分された。
所変わって、ここ、LA郊外の高級住宅地。Aチームの面々は、室内リフォームの真っ最中である。
「あ、そこ、もうちょっと右、そう、それでバランス取れてる。あと1本、右側にマツタケ加えてくれる?
……よし、それで完璧!」
新進気鋭のインテリア・デザイナー、テンプルトン・ペック氏の指示の下、元々ゴージャスだった内装に更に、アグレッシブな改造が加えられつつある。
「フェイス、本当にこんな感じでいいのかよ。寝室の天井から大量のマツタケがぶら下がってるなんて、俺には悪趣味としか思えねえんだが。」
両腕一杯にキノコを抱えたコングが問う。
「いいんだよ。これこそサブリミナル、この寝室に1週間も寝てれば、夫婦円満間違いなしだって。さ、次はバスルームだ……。」
麻薬の製造元を1つぶっ潰すという偉業をなし遂げたAチームではあったが、依頼人は高校生。報酬など望むべくもなく、彼らの手元に残ったのは、《ホテル・フィオリタ》の夫婦から“お土産に”貰った大量のキノコだけ。宿泊費はタダになったとは言え、交通費の分、丸損である。やはり、どー考えても、この夏を乗り切るためにも、働かざるを得んのだ。既に改装用の経費として預かった金すら使い込んでしまっている彼ら、リフォームの元手はキノコしかない。
「しかし、なかなか斬新ですよ、この家……。」
ハンニバル1人が満足げにほくそ笑んでいた。
【おしまい】
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