女房も子供もいない私の場合、教育問題に対する関心が希薄なのも仕方が無い。でも、この本「学力崩壊」に関する日本経済新聞の記事を読んだとき、「是非読まなくては」と感じた。
本書によると、最近の若い人の傾向として「シゾフレ人間」が増えていて、それが学力崩壊の一因になっているとのこと。シゾフレ(シゾフレニア=分裂症)人間に対比されるのが「メランコ人間」で、両者の特徴をまとめると下記のとおり。
ちなみにシゾフレ(=分裂気質)とメランコ(=操鬱気質)という分類は中学校でも習う(学力が崩壊している人はたぶん覚えていないとは思うが)、精神分析学上の伝統的な分類のしかたで、決して新しいものではない。
最近、どうも自分が他の多くの人と明らかに違う、と強く感じる。上記のような説明で、「どういう風に違うのか」を非常に解りやすく解説してもらったような気がする。
いうまでもなく、私は少数派で、気難しいメランコ人間、ほとんどの人がシゾフレ人間、ということだ。
例えば、「雑文サイト」などは他の人がどういうことを考えて過ごしているか、を知るのに非常に良い研究材料となる。シゾフレ人間の書く文章とはだいたい次のようなものである。(無断で引用された方ごめんなさい。)
<例1>
おっと、ようやく思い出したぞ。ああ、すっきりした。今日は朝からどうも落ち着かなかったのだ。なぜかって? な〜んか忘れているような気がしていたんだよなあ。それもかなり重大な事柄を。そのせいで今日の仕事はちっとも手につかなかった。くそお、あの厚化粧め。二十二歳であれじゃあ、年増になったら顔にパテでも塗りかねんなあ。いいじゃねえか、ハンコを上下逆にうっても。わしは今日、それどころじゃなかったんだよ。
<例2>
飲み放題である。四季の季語、飲み放題に他ならない。なんと麗しい響きであろう。思わず心ときめいてしまうことであろう。血圧は上がり動悸なども生じることもあるかもしれない。白目なども剥いてしまうのも、むべなるかなといったところである。
「どうだ面白いだろう?面白いだろう?」とでもいわれているような印象さえ受ける。特に<例2>など、うまい文章、と言えないこともない。リズムカルで、読んでいると心地よい。しかし、特に意味はない。
これがいわゆる「雑文」よばれるものなのだろう。書くほうもさることながら、読んでいるほうもシゾフレなのだからどうしようもない。
シゾフレに当サイトのような文章を読んでもらおうと考えるのがそもそも間違いなのだろう。
そもそもサイトが持つコンセプトが違う。「愛に不審」の場合、読んでいる人に媚びるのが目的ではないのだから。
というわけで、このサイトをブックマークしてくれているような人は、間違いなくメランコ人間だと思う。