ミニの誕生 〜自動車工学の奇跡〜
*ADO15というコードナンバーを付けられたミニが*BMCからデビューしたのは1959年8月26日だった。1956年9月に起こったスエズ危機(エジプトのナセル大佐がスエズ運河を封鎖。石油供給がストップした)のオイルショックが原因となり、イギリスにはガソリン配給制度が導入され、ドイツから輸入されたバブルカーと呼ばれる小型車がイギリスを占領。その巻き返しを図るために作られたのがADO15と呼ばれる小型車開発プロジェクトである。BMCの会長レオナード・ロードは天才的エンジニアの*アレック・イシゴニスにこの計画を一任した。
ADO15に要求されたコンセプトは「大人4人が無理なく乗れてスピードも出る。経済性にも優れ、高度な走行性能と快適な乗り心地も両立。BMCの既存するエンジンを使って、これまでのどんなサルーンよりも小さなサルーンを作る」というものだった。
ところが、BMCで使えるエンジンは、モーリスマイナーやオースチンA35と呼ばれる車のエンジンで、その大きさは92cm。到底そのまま搭載出来るものではなかった。そこで考え出したのが、エンジンを横置きにして、トランスミッションをクランクシャフトの真下に置き、その間を何枚かのギアで連結するという画期的な発想だった。簡単に言うとエンジンとトランスミッションの2階建て構造である。このようにして作られた、エンジンを始めとする駆動系は、モノコックボディのサブフレームに見事に収まったのである。
その結果、ADO15は全長わずか3050mmというコンパクトなボディサイズに、イシゴニスの最初の構想通り、80%の乗客+トランク用スペースと20%の動力用スペースを持つ小型サルーンとなった。
当初、2階建て構造のエンジンは848ccの水冷直列OHV。ボアストロークは62.94×62.28mm。SU*キャブレーター1基で34馬力。最大トルクは6.08kg-m/2900rpm。トランスミッションは4速。
この横置きエンジンによるFWD(Front Wheel Drive:前輪駆動のこと。FFは和製英語)は、後輪駆動というそれまで最も合理的と思われていた小型車のデザインを根底から覆し、後の小型車に多大な影響を及ぼした。今では小型車はFWDが当たり前になっているが、それはほとんどミニによって一般化されたと言ってもいいほどである。
ミニが革新の小型車と言われている理由はこれだけではない。タイヤをボディの4隅ギリギリに設置するレイアウトや4輪独立懸架サスペンション。10インチホイールのタイヤを開発・採用することによる重心の低下と安定性。足回りは、ゴムの反力を利用したラバーコーン式。このような、今まで誰もなし得なかった新しい試みが、自動車工学の奇跡とまで呼ばれるミニを生み出したのである。
ちなみに、ミニによって10インチホイールタイヤが一般化したことにより、日本で進められていた小排気量の「軽自動車」規格の発展がスムーズに進んだという。
ミニの製作に携わったのは、イシゴニスと2人の設計者と4人の製図員と2人の学生アルバイトのたった9人。イシゴニスは、少数精鋭で仕事をするやり方を好んだ。
ミニは「四角くて丸い」とイギリス人が表現するように、直線と曲線がうまく混ざりあったユニークなデザインだったが、各面がラウンドしているのは、単にデザインのためだけではなく、剛性の向上と内側の容量確保という重要な要素が含まれている。
特にボディの特徴となっているのは、その溶接しろ。普通なら裏側にしまい込むところをミニの場合は作業工程上の簡易性を考慮してあえて外側に出された。各パネルが、損傷を受けたり錆びて腐ってしまっても、そのパネルだけを交換すれば簡単に修復できるというのがパネル構成の理由である。
ミニは1959年9月2日、100を超えるショールームで一斉に発表された。
それより1週間前の8月26日付けの新聞には、プレス発表を受けて「こんな小さな車は今まで見たことがない。しかも前輪駆動、4輪独立サスペンション。燃費はわずか50mpg(1ガロンのガソリンで50マイル走れる)。最高速度は70mph(換算すると約110km/h)。全長わずか10フィートなのに、800ポンド以上のサルーンよりも広い室内を持つ。それでいて、そのオースチン・セブンは税込みで500ポンドもしないのである。走りはまるで滑るが如き。4輪に与えられたラバーサスペンションは、絹のような乗り心地のよさ。しかも、そのサスペンションはコンパクトで、室内スペースを全く犠牲にしていない。前輪駆動のおかげで軽量に仕上げられ、コーナーをあたかもスポーツカーのように走り抜けることができる!」という記事が載ったという。
ミニは今で言うところのバッジエンジニアリングという方法(いわゆる双子車)で英国の小型車として広い販売網を持つふたつのブランド、オースチンとモーリスから販売された。オースチンのミニは、戦前の大ヒット作の名前をそのまま受け継いで、オースチン・セブンと名付けられた。一方のモーリスのミニも、当時人気の高かった小型車、モーリス・マイナーの名にあやかってモーリス・ミニ・マイナーと名付けられた。車名に「ミニ」という名が使われ出したのは1962年になってからである。
グレードは、デビュー当初はベーシックサルーンとデラックスの2種類だった。
ボディカラーには、タータンレッド、サーフブルー、スモークグレー、オールド・イングリッシュ・ホワイト、アーモンドグリーン、アイランドブルー、ツイードグレー、マルーンなどが用意された。
*BMCはブリティッシュ・モーター・コーポレーションの略で、当時のヨーロッパ最大の自動車会社。1939年に数社が結集してナッフィールドグループが誕生。モーリス社を中心としたこの会社は、1952年にオースチン社を加え、BMCへと拡大していった。合併した各社のモデルは、それまでの社名を残したまま巨大組織の中でブランドとして生き残り、新会社設立後もほぼそれ以前のままで販売された。1966年にはジャガー、デイムラーも吸収し、大衆車から高級車までのブランドを持っていた。ちなみにモーリス社とオースチン社は、日本ではトヨタと日産に似た対立関係にあった。
*ADOとは、オースチン・ドローイング・オフィスの頭文字をとったもので、そのナンバー15がミニである。元からオースチン社で使われていたコードナンバーだったが、ナッフィールドグループと合併した後も新車の設計に関してはADOが用いられた。
*アレック・イシゴニスは、ミニ開発の功績が認められ、後に英国王室から「サー(爵)」の称号を授かる。
*キャブレーター(気化器):エンジン内の、シリンダーの中のピストンの上下運動で生じた負圧によって吸い込まれた空気に、燃料のガソリンを吹いて混合気を作る機械。霧化されたガソリンはシリンダーの中で圧縮、点火され燃焼する。
ミニクーパーとミニクーパーSの登場 〜ミニシリーズMk.1の時代〜
発売が開始されたミニは、多くのカーマニアの予想通り、すぐにモータースポーツシーンに投入された。1960年4月に開催されたジュネーブラリーでは、早くも1リットルクラスの1位と2位を独占するという快挙を成し遂げた。そして、より強力なエンジンを搭載するスポーツモデルを望む声が徐々に高まりを見せていった。
この声に応えるべくして完成したのがミニクーパーである。
当時F1のトップコンテンダーで名エンジニアでもあるジョン・ニュートン・クーパーは、レースを通じて知り合ったイシゴニスと仲が良く、ミニの試作車が出来ると早速それを借りて運転し、これに手を加えると相当速くなると早くから気付いていた。そこでミニを作っていたBMCを説得し、高性能版のミニ=ミニクーパーを作り上げたのだ。
クーパーシリーズはADO50と呼ばれ、ベーシックミニとは分けて考えらた。
クーパーの名を冠したモデルがBMCのラインアップに加えられたのは、ミニがデビューした2年後、1961年10月のことであった。外観こそそれまでと変わりはないが、オリジナルモデルに搭載されていた848ccのエンジンをストローク・アップした997ccエンジンを搭載、SUの1-1/4のツインキャブレーターでチューニングされ、ノーマルの34馬力から55馬力にパワーアップ、クロスミッションで、さらに7インチのディスクブレーキまで装備されていた。
ミニクーパーはデビュー翌年の1962年、全世界で153もの勝利をマーク。特にラリーでの成績は目覚ましく、ミニクーパーの登場は当時のモータースポーツシーンに大きな衝撃を巻き起こした。
より速くなったミニクーパーは街のチューニングショップが腕をふるうための最高のアイテムとなり、中でも特に目立ったのが、ダニエル・リッチモンド率いるダウントン・エンジニアリング社のチューンド・ミニ・クーパーだった。優に160km/hを出せるチューニング技術は、ミニクーパーの売れ行きに気をよくしていたBMC設計部を注目させ、やがて次期ミニクーパーの生産を決定させるのである。これがミニクーパーSである。
ミニクーパーとミニクーパーSの違いは、ミニクーパーが純粋なカタログモデルだったのに対し、ミニクーパーSはレース対応モデルとして設計されたところにある。1963年に発売されたクーパーSは、発表当初1071ccモデルだけであったが、翌年の1964年に970ccと1275ccのクーパーSが追加された。めまぐるしい排気量変更はレースでのクラス分けによるもので、各クラスに合うモデルを、参戦するドライバーのためにメーカー自ら用意したというわけだ。
ミニクーパーがノーマルミニのブロックを流用したチューニングであったのに対し、ミニクーパーSは、ジョン・クーパーがブロックから新たに設計したエンジンを使うなど、全くの別物。このミニクーパーSのエンジンは、その生い立ちを裏付けるかのように、サーモカバーの後部にひし形のマークが刻印されているなど、専門家が見れば一目でMk1クーパーS用エンジンであることがわかる特徴がある。クランクが鍛造であることも、Mk1クーパーSだけの特徴。ヘッドのスタッドボルトの数まで異なっている。パワーは970ccが65馬力、1071ccが67馬力、1275ccは75馬力。ブレーキも強化され7.5インチディスクが採用されている。キャブレーターは3種とも共通のSU1-1/2ツインであった。最高速は、970ccが148m/h、1071ccが152m/h。特に1275ccは最高速160Km/hという空前絶後のスーパーミニで、1965年以降も生産が続けられたのは1275ccだけである。(細かく言うと、970ccは1965年1月までの生産)
ミニクーパーSの活躍 〜伝説のモンテカルロラリー4連覇〜
ミニクーパーS Mk1は、ミニシリーズがMk2にバトンタッチする1967年まで生産され、数多くのモータースポーツ・シーンで活躍したことはよく知られている。その最たるものはモンテカルロラリーでの活躍だろう。その圧倒的な強さは今でも伝説となっている。デビューした年である1964年に、ミニ使いの神様と呼ばれているパディ・ホプカークのドライビングで優勝したのを皮きりに1965年にはT・マキネン、1967年にはA・アルトーネンが制している。1966年も灯火系のレギュレーション違反(ヘッドランプが減光できないタイプであったという言いがかり)ということで失格にされたが、実質的にはクーパーSの勝利であった。
ライバル車が、ランチア・フルビアHFやコルティナ・ロータス、フォードファルコン、ポルシェ911を始めとする、よりパワーに勝るマシンであったにも関わらず、クーパーSが勝利を収めたということは、クーパーSの完成度がいかに高かったかを如実に証明するものである。当時モンテカルロラリーで優勝することは、今パリダカールラリーで優勝することより名誉ある事だった。
日本で普通のミニを見てミニクーパーと呼んでしまう人が多かったのは、その活躍によるミニクーパーの人気の高さと、当時のミニシリーズ輸入台数に占めるミニクーパーの割合の高さが一因であろう。
ノーマルのミニと同様、当初からモーリスとオースチンの2つのブランドが存在したミニクーパーSだが、エンブレムだけでなくグリルのデザインも異なるのはMk1だけの特徴。もちろんブランドが異なるだけで基本的には同じモデル。性能に差があるわけではない。イギリス人はブランドを変えないことを誇りとする民族なのだ。
しかし、徐々に工業不振が英国全体を襲い始め、BMCは再び合併吸収の道をとらざるを得なくなる。ミニがMk2となった67年、BMCはレイランドグループと34年創業のローバーを加え、ブリティッシュ・レイランドという新会社を設立。当初はBMCとよく似たBLMCと呼ばれていた。
Mk.2の時代
1967年10月、ミニシリーズはマイナーチェンジを受けてMk2となる。同時にミニクーパーとミニクーパーSもMk2へと発展したのだが、これを機にMk1のクーパーSでは半ばオーバークオリィティー気味だった材質を通常のものに変えている。目に見えないところであるが、クーパーSに限って言えば、これがMk1とMk2の最大の相違点と言えるだろう。外観上の特徴は、ラジエーターグリルがMk1のまろやかな末広がりのもの(ヒゲグリルなどと呼ばれている)からやや角張ったものに変更されたこと、大型のテールレンズが採用され、リアのウィンドウ面積が拡大されたことなど。
また、Mk2に発展すると同時に、オースチンとモーリスのグリルが同一のものとなり、両者の相違点がエンブレムだけになったことも大きな特徴である。
ノーマルのサルーン系ミニには1000ccのモデルが登場した。(850ccはベーシック、1000ccはスーパーデラックスと、エンジンによってグレード分けが行われた。1000ccモデルはマイナーチェンジを繰り返しながらも1992年5月まで製造が続けられる)
インテリアもかなり変更を受けている。シートは骨組みから異なり、より肉厚のあるものへと改められ、ステアリングやウインカーも異なっていた。また、1速がノンシンクロだったトランスミッションが、4速フルシンクロ化されたのもMk2の特徴。
ミニシリーズ、Mk.3へ
1969年のMk3への発展で、ミニクーパーは消滅してミニクーパーSのみ(1970年のBLミニクーパーMk3)になる。エンブレムなどもサルーン系のミニと共用化されたため、クーパーとしての個性は薄くなり、かつてのクーパーやクーパーSモデルの持っていた華やかさや特殊性は非常に低いものになってしまった。形式もADO20に変更。ホイールベースが10mm延長され車重も若干重くなった。その後はオイルショックやライバル車の高性能化に伴って、ついには1971年7月にクーパー系モデルの生産が中止されてしまうのであった。
Mk3時代のミニは俗にBLミニと呼ばれ、オースチンとモーリスのブランドも消滅した。
ミニのMk3は1980年までのモデルをさしていうという説が一番強力。実際にメーカーが正式にMk3の表記を与えたのはクーパーSのみなので、1971年のクーパーS生産終了時までがMk3の時代であるとか、テールランプが2色から3色に変わった1975年までがMk3であるとか、説はいろいろあるが、メーカーがMk4を出すことはなかったのでその区別はあいまいである。
本当のミニはMk3の時代まで、と声を大にしていうマニアも少なくない。
日本では、オースチン系ミニをキャピタル企業が(後のヤナセ)、モーリス系ミニを日英自動車が輸入販売していたのだが、排出ガス規制をクリア出来ないなどの理由から1976年にミニの正規輸入がストップしてしまう。しかし、ミニ人気は衰えず、約5年のブランクを経て1981年にはミニ1000が日英自動車から再び輸入されるようになる。この時のモデルはミニ1000HL(ハイライン)と呼ばれる仕様。
ローバーミニ
1982年、ミニにとっては懐かしい名称「Austin Rover」が再び社名となって復活した。日本でも1983年5月「オースチン・ローバー・ジャパン」が設立され、1985年には日英自動車もARJの一員となる。
その1982年10月にミニに「メイフェア」のモデルが追加された。このメイフェアは、フェンダーにビス止めの樹脂製オーバーフェンダーが装備されるなど、いかにも現代風のミニな仕上がり。以後、メイフェアがミニのメイン車種となる。メイフェアという名前はロンドンのハイドパークの東に位置するハイクラスの住宅街の名前であり、ロンドンの社交界を意味する単語でもある。
1984年から、タイヤのホイールサイズも拡大。(10インチから12インチに。フロントブレーキに大径のディスクブレーキを装備するため)
実はその年は、カタログモデルではないがクーパーが復活した年でもある。発端はジョン・クーパー自身がローバーにクーパー復活を打診した事に始まる。しかし当時のローバーはその計画を実行に移す体制にはなく、あえなく拒絶されるという憂き目に合う。そこに現れたのが日本のスペシャルショップ「ミニマルヤマ」だった。ミニマルヤマは、当時のディーラー車を懐古調のクーパーに仕立て、ジョン・クーパーの元へ持ち込んだ。その車に対し、ジョン・クーパーは感銘を受けたものの、現代版クーパーとするにはチューンレベルが高すぎるのではないか、現代のクーパーモデルはもっと洗練されたものでなければばらない、という回答をした。しかしその仕上げは採用され、エンジンはジョン・クーパー自身の、内外装はミニマルヤマの担当で、プロジェクトは独自に進められた。そして完成したのが「ミニ・ジョン・クーパー」である。
このミニ・ジョン・クーパーは世界的に反響を呼び、当のローバーも絶賛するほどであった。この新たなクーパーモデルは1000ccで62馬力の設定だったが、1987年にローバーはこの62馬力の設定に注目し、1300ccのクーパーモデルの開発に乗り出す事になった。
ミニクーパー復活
1989年、ローバーグループは航空宇宙産業などを行うブリティッシュ・エアロスペース社に売却され、乗用車部門の「オースチンローバーグループ」と4輪駆動車部門の「ランドローバーグループ」に分かれていた二つの会社を「ローバー・カーズ」という一つの会社に統合した。そのローバー・カーズで89年からミニは販売されることになった。これを機に、日本の「オースチン・ローバー・ジャパン」も「ローバー・ジャパン」に社名変更。
そして1990年、ミニクーパーはローバーから復活する。最初は2000台の限定モデル(日本への割り当ては600台)として登場したが、世界中で瞬く間に売り切れてしまい、ローバーは翌1991年にカタログモデルとしてクーパーの発売を開始した。
現在に復活したローバーミニクーパー1.3は、簡単に言うとメイフェアに上位車種メトロ1.3のエンジンを搭載して、ボディのルーフをホワイトにし、フロントグリルをMk2タイプのメッキグリルに付け替えただけのもの。シャシー、サスペンションは1000cc版と大差なく、かつてのミニクーパーSとは一線を画したモデルと言える。いわば、クーパーSの雰囲気だけを今に再現したモデルなのである。当然のことながら、クーパーSのようなFWD車特有の運転の難しさを始めとした個性はない。あくまで実用性能を第一に考えられた味付けになっている。
1992年、ミニシリーズは永きに渡って使われてきたSUキャブレーターを廃し、コンピューターを用いてガスコントロールを行う電子インジェクション化がなされる。
クーパー1.3もクーパー1.3iに発展。iはインジェクションのiである。インジェクションによってエンジンが電子制御されるミニ&ミニクーパーは、昔のミニに比べれば格段に扱いやすくなった。なにしろ、セル一発でエンジンがかかるのである(現代の車では当然であるが…。それまでのキャブレーター仕様車のミニは、エンジンをかける時に「チョーク」を引っ張ってアクセル開度を調節する必要があった)
しかし、アナログの良さこそミニの良さだと考える向きにはインジェクションは敬遠されがちだ。クーパーと名乗る以上、キャブレーターはふたつなければならない、という頑固なファンは確実に存在する。
新型ミニ?
1994年2月、BMWがローバーグループを買収。BMWの社長のバーンド・ピシェットシュライダーは、かのアレック・イシゴニスの遠縁で、ミニの筋金入りのサポーターでもあるらしい。
1997年9月8日、フランクフルトで新型のミニが発表された。噂によると、この新型ミニは2000年の終わりから発売が開始されるらしい。なぜ3年も前に突如発表が行われたかは謎のままである。
同じローバーグループであるランドローバーが、レンジローバーの25年ぶりのフルモデルチェンジの際に、旧型を「クラシックモデル」と称して並売していた例もあるので、ミニの現行モデルが作りつづけられる可能性はある?
2000年1月31日、英国ローバー社は、ミニクラシック(現行ミニ)の生産を2000年9月をもって打ち切る事を正式に発表。
ミニのドレスアップ
ドレスアップは、古いタイプに仕立てる、あるいは戻すのがミニのお洒落とされている。大量生産化によって各部のコストダウンが図られた現行ミニのディティールより、'60年代ミニのほうが優雅でキレイで粋だった。以下、Mk1時代のミニの特徴を列記する。
■Mk1の特徴
●フロントグリル:ボンネットに一切干渉しないラウンドモール付き。ごく初期のタイプには白くペイントされているものもあった。クーパー系のモデルは、モーリスは分厚い7本のバーで構成されている。このサイドバーの一番下のバーエンドが、年式によって逆三角形だったり丸かったりするらしい。オースチンのクーパー系グリルは細いサイドバー11本。
●バッジ:オースチンは英国らしい紋章をあしらい、モーリスは牛をモチーフにした。トランクリッドには文字だけが入る。オースチンは筆記体、モーリスは活字体。クーパーSでは、ボンネットバッジの上にSの字が追加された。
●テールランプ:ウィンカーとブレーキが分かれたテールランプ。リバースランプは組み込まれていない。
●ドア:ドアハンドルを下方に回転させて開ける方式。内側からのロック解除は、ケーブルを引っ張ることによって行われるケーブルリリース方式のものもある。アウターのドアヒンジは意外に細い。
●ドアハンドル:ドアロック用のキーホールは運転席側だけ。助手席側は内側からのみロック可能。1966年1月のモデルからハンドル先端が曲がり、ドアパネル側にセイフティボスという円板が取り付けられた。
●トランクハンドル:船のアンカーのような形状(Mk2も同様)。
●フェンダーミラー:ミラーは標準装備ではなく、オプション。
●スライド式のサイドウィンドウ:それを収めていたレールにもいくつか種類があった。ストッパーの金具の形状、穴の位置も年式によって若干の違いが。
●クォーターウィンドウ:棒状のヒンジでウィンドウ周りにメッキモールがついている。Mk2、Mk3へと進むにしたがって、モールはだんだん細くなる。
●ワイパー取りつけ位置:中央寄り。輸出する時に左ハンドル仕様に容易に対応できるように、左右どちらからも取りつけられるようになっていた。(Mk2まで)
●リモートコントロールハウジング:当初のMk1はシフトレバーが異様に長いダイレクト式だったが、61年から登場したクーパーからはリモート式のユニットが使われた。
●ローギア(1速):ノンシンクロ。
●タイヤ:10インチホイールのタイヤ(クーパーには、ロッキード社との共同開発によって完成した10インチホイールに収まる7インチのディスクブレーキが装備された。さらにクーパーSには10インチホイールの限界といわれる7.5インチのディスクブレーキが。クーリング機構やブレーキサーボまで組み込まれた)。
●ハイドロラスティックサスペンション:ミニのサスペンションはゴムを使ったラバーコーンサスペンションが一般的だが、1964年9月からの一部のミニにはラバーコーンの代わりに、加圧した特殊な液体によってショックを吸収するサスペンションが使われた。これはF1でおなじみのアクティブサスの元祖のようなもの。しかし価格とスペースの問題からMk3以降再びラバーコーンに戻される。
●ガソリンタンク:ツインのフューエルタンク(25リットル+25リットル)は当初クーパーSにオプションで用意されていたものだが、1965年11月からクーパー1275Sに標準装備された。
●ヘッドライト:ルーカス・スリーポイント・ヘッドライト。(今では一個8万円以上)
●ライセンスランプ:'60年代に日本に正規輸入されていたミニは、ライセンスランプのベース高を上げるブラケットが付けられていた。
●インテリア:ドアの内張りがないので、現在のミニに比べるとかなり広々としている。輸出を考慮して、ハンドルの位置に関係なく使えるセンターメーターやセンターキーが採用されている。センターメーターはMk3まで続く。
●3連センターメーター:正式名称は、オーバル・インストゥルメント・ナセル。サルーン系では最上級モデルにだけ装備されていたが、クーパー系には標準装備されていた。3連メーターは左から水温、速度、油温計の組み合わせ。(79年からのミニには角型のメーターが。当初はタコメーターがない2連タイプで、現在のような角型3連となったのは'80年代末期から)
●ステアリング:ファクトリーオリジナルは、直径40cmの大径ハンドル。このタイプはMk3まで。ラック&ピニオン方式で重い。バスのように寝た角度で取りつけられている。ステアリングコラムには、ウィンカーを作動させるレバーのみが付けられている。レバー先端には、ウィンカーと連動するランプがつく。
●スターター:ごく初期のMk1はイグニッションキーを回してエンジンをかけるのではなく、運転席と助手席の間にある、床から飛び出したボタンを押してエンジンを始動させる。従ってキーは、単なる電流のオン・オフスイッチでしかない。
●ディッパースイッチ:ヘッドライトのハイ・ロービームの切り替えはヒーター下のフロアにあるスイッチを足で押して行う。Mk2からはウィンカーレバーと共用。
●シート:クーパー系のシートはブローシードという金または銀の浮き彫り加工が施される。これはブルー系とレッド系とのコンビシートのみの設定。ツートーンカラー。リクライニング機構はなし。ヘッドレストもなし。
●灰皿:センターメーターの真上に位置する灰皿は、煙草の吸殻5本までしか入らない。
●AT車は64年9月に登場。しかしクーパー系はマニュアル車のみ。
Mk2以降の主だった外観的変更点
■Mk2での変更点
●フロントグリルのデザイン(それまでのラウンド状から角のついた外枠となり、モール上部はボンネット側につけられた)
●バッジ類のデザイン(ブランドによる差が小さくなり、バッジ内の色使いやブランド名の表記程度の区別)
●テールランプの形状(長方形の大型タイプに)
●ドアハンドル(Mk1時代のアウタードアハンドルは、先が細く尖っていて指を痛める心配があった)
●リアウィンドウの拡大
●ライセンスランプの位置と形状
●インテリア(クーパー系はそれまでのツートーンカラーからブラックの内装に。ホーン、ディッパーのスイッチを兼用するウィンカーレバーも備えられた)
■Mk3での変更点
●フロントグリルのデザイン(Mk2の角型モールを流用し、バー本数の多いグリルを採用。全てのモデルでデザインが統一される。基本的に現行ミニもMk3グリルを採用。クーパー系はMk2グリルに近い)
●バッジ類のデザイン(ブランドがなくなったことで、バッジも全てのモデルで統一。同じ形状が1992年のミニ1000まで使われる)
●ドアハンドル(回転によるロック解除からボタン式になる。室内からのドア開閉はドア前方によって行う方式に)
●スライド式から巻き上げ式になったサイドウィンドウ(ウィンドウを収納するために、ドア内側は内張りによって塞がれた)
●アウトサイドドアヒンジの廃止(インナーヒンジに。これもドアの厚みを増す要因)
●ドアの形状(ヒンジ側の下側のラインが、丸みをおびたものから角張ったものに)
●トランクリッドの形状
●トランクハンドル(太いハンドルに移行)
●ライセンスランプ(ライセンスプレートの上に平板なランプが装着される)
●サイドマーカーの装着(日本の法規ではフロントフェンダーにもウィンカーと連動するランプが必要なため1986年頃の輸入車には標準装備となる)
●テールランプ(1977年からリバースランプも組み込まれたトリオタイプに)
●ワイパー取り付け位置
■その後のミニの変更点
●1980年、エンジンが「A+」タイプになり細部が改良。
●'80年代初頭、コラムレバーが2本に増える(ウィンカー&ワイパー)。初期のものは、右ハンドルには右に、左ハンドルには左にウィンカーがついていたのだが、左ハンドル車の生産数が多かったためか、パーツの統一からいつしか右ハンドル車にも(現行車のよう)にウィンカーレバーが左ハンドル車仕様と同じ左につくようになった。
●ガソリンタンクが25リットルから34リットルに。
●ホイールの12インチ化以降のモデルは、センターメーター装着車は消え、すべてオフセットインパネメーターとなった。
●'80年代後半から、パークランプもガラス製から樹脂製に。形状も円柱で平板なものに。メッキのリムもなくなる。
●1992年インジェクション化。すべてのモデルの1300cc化。
●1997年には、ドアの強度を高めるためドア内部にサイドインパクトドアビームが装備されたり、運転席エアバックが採用されるなど、ミニは現代の安全基準にマッチした車となった。
■ミニクーパー1.3iのカタログ・データ
全長 | 3075mm |
全高 | 1330mm |
全幅 | 1440mm |
ホイールベース | 2035mm |
フロントトレッド | 1235mm |
リアトレッド | 1200mm |
ホイール | 4.5×12inch |
車両重量 | 720kg |
| |
エンジンタイプ | XN12A |
排気量 | 1271cc |
ボア | 70.60mm |
ストローク | 81.20mm |
圧縮比 | 10.10 |
最高出力 | 62PS/5700rpm |
最大トルク | 9.60kg-m/3900rpm |
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