Re: 布留(畿内は倭人の国ではない)

投稿者[ 牛頭 ] 発言日時 [10月26日(土)21時35分57秒]

元の発言 [ Re: 布留(畿内は倭人の国ではない) ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 10月26日(土)12時42分35秒 ]


>> >> たまたま「布留」をネット検索して見つかったのが下記のサイト
>> >> http://yujiwatanabe.hp.infoseek.co.jp/h-ny1.htm
>> >> に「フツとはスサノウの父親の名前。」「フルとは出雲出身・奈良を征服したニギハヤヒの蒙古名。」
>> >> と書いてありましたので私の持論に結びつかないかと。

>>
>> このサイトには箸墓の欄に「箸墓は饒速日尊の墓だ」と書いてありますよね。
>> ですから,そういう趣旨または趣味のサイトでしょう。

>> 初めに,まず,次の辺りを読んでおくとよいでしょう。

>> 磐船研究所へようこそ
>> http://www.threeweb.ad.jp/~iw082125/resarch.html

>> 石上神宮
>> http://www1.kcn.ne.jp/~rascals/shikinokuni/isokami.html


>> >> また源氏物語の「末摘花」にある
>> >> 「表着〔うはぎ〕には黒貂〔ふるき〕の皮衣〔かわごろも〕いときよらに香ばしきを着給へり。」
>> >> の〔ふるき〕というのも蒙古語であるらしい。

>>
>> と,某古典のサイトにありますが,
>> それだけでは何のことか分かりません。


>> >> 「フル」御霊(ニギハヤヒ)は黒貂の化身であったか?

>> とは?

「ふるき」と「フル」の関連があるかも知れないと。

>> 初めに,まず,次の辺りを読んでおくとよいでしょう。

>> ---------------------------------------------------------------------------
>> ALEXの書斎/和漢籍の書棚/先代舊事本紀
>> http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/kuji.html

>> 天神御祖教詔曰、「若有痛處者、令茲十寶謂『一二三四五六七八九十』
>> 而布瑠部。由良由良止布瑠部 。如此爲之者、死人反生矣。」

>> 是則所謂布瑠之言本矣。
>>
>> ----------------------------------------------------------------------------

>>
>> 鏡,剣,玉,領布などが,振る所作にかかわるであろうことは,推理可能です。

http://members.aol.com/reimei92/H14-7.htm
「素佐之男の父の名はフツ(布都)といった。当然古事記に書かれているイザナギ、イザナミ両神の子供というのはデタラメである。フツというのは蒙古、満州系の名前で、素佐之男の蒙古名はフツシ(布都斯)であった。」

http://www1.kcn.ne.jp/~kikujo/12.html
「素戔鳴は西暦一二二年頃、出雲国沼田(ぬた)郷で生まれました、現在の島根県平田市平田町。出雲国風土記では爾多(ぬた)と出ていて『爾多の水で乾飯を作った』とあります。父の名は布都(ふつ)、この布都は蒙古、満州系民族の固有の名で、素戔鳴の本名は布都斯(ふつし)、素戔鳴は通称だったようです。石上神宮の祭神の名前と同じなのに気づきます。この蒙古名はこの家系にずっと長く伝えられたようで、素戔鳴の五男、大歳(饒速度日)は布留(ふる)、六男の宇迦御魂は宇迦(うか)、養子の大国主は美具久留(みくくる)、後世、欽明天皇の頃、大神神社の宮司になったのは身狭(むさ)、その子三人の内、長男は特牛(ことひ)、次男は比義(ひぎ)、三男は布須(ふす)、この長男の特牛が宮司を継いでいます。布須の子の白堤(はくて)は率川神社の創祀者です。この蒙古名はずいぶん後世まで持ち続けたようです」

http://www1.kcn.ne.jp/~kikujo/17-2.html
「素戔鳴一家は蒙古系渡来族ですが、素戔鳴の蒙古名を『ふつし』、その父を『ふつ』、その子饒速日を『ふる』と言い、『ふつのみたま』は素戔鳴の父の劒であったことを示しています。 」

http://petronius.hp.infoseek.co.jp/dasoku/2002_10a.html
「フツ フツシ フル」
「出雲系の天孫三代。この名前は蒙古名だとか、扶餘からフツとフツシの親子が来日したとか言はれるが、真偽の程は慥かではない。」

http://members.tripod.co.jp/Accord/VOL6/kodai.htm
「布都の御霊の剱大和国山辺郡布留の高庭の石上神社 布都の御霊の剱というのは、スサノオがヤマタノオロチを退治した時に用いた父の形見である。そして、布都とはスサノオの父のモンゴル名であり、布都斯は布都の息子である。つまり、布都斯とはスサノオの本名ということである。(古代) [97-08-19] 」

など。「布留」「蒙古」で検索したら途中ですがこのくらい引っかかりました。

何かあるのでは?


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