Re: Title上野原以降の南九州。

投稿者[ オヤジッチ ] 発言日時 [10月14日(月)12時07分49秒]

元の発言 [ Re: Title上野原以降の南九州。 ] お名前 [ 馬頭鬼 ] 日付 [ 10月9日(水)22時18分27秒 ]

>> >> >> 土器なんかも余り先進的と言う証拠はないようです。
>> >> 免田式土器は最も洗練された弥生土器だと思いますヨ。
>> >> 独自のものだし。
>> それは、弥生に入ってからでしょう?
はい、卑弥呼の時代です。突然ふって湧いたとでも?
火山灰によって水田耕作は出来なかったかもしれませんが、畑作や貝製品、素材の交易は行われていたでしょう。

>> 一応、縄文時代からの其れも古い時代に、陸稲とはいえ稲作、
>> いえ、農業と文化が発達した同じような環境で同じような形の土器が出てきていないのは、何故か?
>> 壷型土器のような、物を生み出すのには、何か他の
条件が必要なのか?と言う疑問には、如何お考えですか?

育ったのが圃場整備がされる以前の田圃が身近にある環境じゃなかった人(今はほとんどがそうでしょうが)には「陸稲とはいえ稲だ」と言うことでしょうが、私から見ると「稲とはいえ陸稲で畑作」、他の雑穀や堅果類と同様(おそらく粉食でしょう)「(灌漑)水田耕作」ではありません。

壷型土器は夜臼式以前から成立していませんか。
東北地方ではありますが、大洞土器(縄文晩期)などは壷型土器を普通に持っているそうです。

製作技術が大きく影響するでが、
基本的には何を入れるか、どう使うかでその形態が決まるものと思います。



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