「自女王國以北、〜、詣女王不得差錯」までを一大率に関する記述と見て、次のように読んでみました。
(1)女王国(邪馬壹国)より以北<の諸国>に、特(臨時)に一大率を置き、検察(閲する。吟味する)せしむ【自女王國以北、特置一大率檢察】。
「特」を<特別に>という意味にとって、一大率という官が邪馬壹国より以北の諸国に限って特別に置かれたと解すると、それが常に伊都国に治すというのも妙な話である。
そこで「特」は「常」との対句とみて<臨時>と解し、「特置」とは<臨時の措置>といった位の意味合いに捉えた。
臨時とは、文書と賜遺の物が女王にもたらされた時である。
すなわち臨時の措置とは、文書と賜遺の物が女王にもたらされた時は、これら諸国を検察するために巡回させたということ。
(2)諸国は之(一大率)を畏憚す【諸國畏憚之】。
諸国が一大率の何を畏れ憚ったというと、特置されたときの検察による賜遺の物の「抜け荷」の発覚などであろう。
(3)常(つねに。いつも)に伊都国に治(地方官の駐在する役所)す【常治伊都國】。
(4)国中(中国中)に於ける刺史の如くあり【於國中有如刺史】。
「有如刺史」を<刺史の如きあり>と読んで、一大率とは別の官がいたと解する向きもある(例えば古田武彦)。
そうであれば「有如刺史官」とでもするところだろうが、そもそも一大率という官名は判っているのに(他に使大倭など)、この官名だけは判らなかったということはないだろう。
「有如」は<まるで〜のようである>という意味であるから、刺史に比喩された対象は既出文中に求めるべきであり、それは一大率でしかあり得ない。
刺史は中国中の十三州に置かれた各州の長官。州内の各郡を巡回し郡太守の職務の監察を主務とする。
ここは漢や魏の時代の刺史ではなく、陳寿の時代(晋)の刺史に比喩している。「特置」されたときの一大率を評してのことだろう。
(5)王の遣使(卑弥呼の遣わした使者)が京都(洛陽)・帯方郡・諸韓国(馬韓・辰韓・弁韓)に詣り<帰参した時や>、郡使の倭国へ及ぶ(詣った時)に、皆(王の遣使と郡使)、臨津(渡し場に至る)す【王遣使詣京都・帶方郡・諸韓國、及郡使倭國、皆臨津】。
王の使節が半島・大陸に「行く」ことと、郡の使節が列島に「来る」ことは、相反する行為である。
これを「或」ではなく、<ならびに>という「及」で接続しているのは、大陸・半島に渡った王の遣使も、郡使と同様に倭国への帰参を示唆しているとみた。
また、「及」は前文の「詣」も承けているから、「郡使の倭国に及ぶ(詣った時)に」と読んだ。「及」は<〜の時>という意もある。
「津」は<渡し場>の意であるが、渡し場は「港・湊」とは限らない。
「津」は文書と賜遺の物を引継ぐ場ということで、邪馬壹国へのルート国である諸国に設けられた津関(要衝に設けて旅人を検査する関)のようなものだろう。
文書と賜遺の物を携えて倭国に到着し、邪馬壹国へ向かう王の遣使や郡使は、一大率の検察を受けるために必ず諸国の津に臨まなければならなかった。
(6)伝送(次々に送る)の文書と賜遺(身分の高い者から物を与えられること)の物を搜(しらべる。かぞえる)し、露(むきだし。あらわす)し、女王に詣るに差錯(いりみだれる。間違う)するを得ず【搜露傳送文書賜遺之物、詣女王不得差錯】。
「伝送」とは諸国の手を経て、文書と賜遺の物が女王のもとへと送り届けるということであるが、文書や賜遺の物が女王以外の者へ間違って届けられるということは考えられない。
従って、「差錯」とは女王のもとへ届けられた賜遺の物が文書(下賜品の品目を記した詔書か?)どおりではなく、双方に入り乱れがあることと解した。
つまり、「不得差錯」とするためには文書どおりに品物の数があるかを照合すれば良い。
「捜露」とはこの照合のことで、品物の装封をとき(露)、その数を点検する(捜)という、諸国の津において実施された一大率の検察の具体的内容である。
その他発言: