元の発言 [ Re:冢と墳 ] お名前 [ EK ] 日付 [ 7月28日(日)12時43分35秒 ]
>> 「墳は大きい、冢は小さい」、という主張に対して、「じゃ境目は何メートルだ」と質問するのは誤りです。
# ならば、そうでない実例を挙げるのがいちばん手っ取りばやいでしょう。
始皇帝陵が「冢」と呼ばれていることは既に述べましたが、出所は史記そのものと異物志にあります。両方の時代に挟まれた魏晋期だけは「冢」は小さいものを指すことになっていたと考えるのは不合理でしょう。
魏晋期の文献でいえば、魏文帝の命で編纂された「皇覽」に
「有蒼頡冢、在利陽亭南、墳高六丈」とあります。
「冢」の「墳」高が約15mなわけです。
同じ墓を指して「冢」と「墳」の両方の言葉を使っています。
それに高さ15mなら十分大きいでしょう。
また、さきに紹介した、中を馬車が通れるほどの大冢は干寶の捜神記の一節です。
「呉孫休時、戍將於廣陵掘諸冢、取版、以治城、所壞甚多。復發一大冢、内有重閣、戸扇皆樞轉可開閉、四周為徼道、通車、其高可以乘馬、又鑄銅人數十、長五尺云々」
相当大きなものであることがわかると思います。
魏晋ころの文献で出てくる冢には15m以上の高さと記録されているものが少なからずあります。底面積のほうも想像できると思います。
ふりかえって「墳」という言葉ですが、どうも墓そのものではなく墓の盛り土のことを指している例が多いように思います。
誰それの「冢」という言い方は多数見かけるのですが、誰それの「墳」という言い方はあまりしない(全く?)ようです。
このように考えていくと「墳は大きい、冢は小さい」という主張はただ単に根拠が無いばかりではなく、全くナンセンスなのではないかと思えてきます。
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