Title発掘された日本列島2002ですか見てまいりました

投稿者[ 馬頭鬼 ] 発言日時 [6月18日(火)22時50分43秒]

発掘された日本列島展を見てまいりました。
毎年楽しみにしてるイベントですが、今年は去年おととしに比べて少しさびしかったような気がします。

無論、展示は良いものが多く満足できるものでしたが。

其処で感じた事。
1.瀬戸内海の姫島の黒曜石が、大分までかごで運ばれていた事。
縄文時代、この当りに事に寄れば玄海辺りまで、交易があったのではないかと思わせます。

すると、姫島は、縄文時代から瀬戸内海の航路の中継点ではなかったか?
すると、ここは弥生時代に一つの国だある可能性は?
もし、邪馬台国に向かう魏の使者が、瀬戸内を通るとするなら如何言う国が割り当てられるであろうか?

2.キトラ古墳の関係から、北極星の角度から南北の位置を知る方法は、紀元前にあったのではないかと?

3.若しかすると、縄文時代、米作のあったところでは、すでにおにぎりが作られていた可能性。

などなど、いっぱい考えさせられます。

今月から、韓国の方も、参加され良い議論が続いていたのでROMしてましたが、一つ問題を提起したくなり書きこみました。

また、議論上で、神社のことと、現在有るお地蔵様や道祖神、ササエノ神のことで気にナル事を一つ。

いわしろの 浜松が枝を 引き結び またけくあらば またかえりみん

有馬皇子の歌です。

意味は色々と解釈されているのですが、一つに浜の松に宿る神に、無事なる祈願をこめてしるしを結び付け、
再び無事にここを通る事が、出きるなら其の時に贈り物をしましょうと言う呼びかけにも取れると。

岬 これは、元々サキと呼んでいたが、其処は神の宿る場所であると敬称のミがついたとの説を聞いた事があります。
似たような事は、縄文時代から、峠などの神に供え物をするような風習があったとの発掘結果も聞いています。

つまり、其の流れで、お地蔵様なども祭られるようになった来たのではないかとも思えませんでしょうか?



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