どうも、縄文時代晩期の日本と弥生時代との変化は、定義が曖昧になりそうですね。
縄文時代から稲作の行なわれた証拠は、はっきりしましたし、上記の遺跡の年代が正しいなら、
縄文晩期に日本で金属製の武器を使う集団がいた事になります。
中国からの移住者にしろ、現在の発掘物からすると東北の縄文の影響も大きいようだとするなら
九州と違う先進的集団が、土佐にいた事になりますから。
土佐四国方面に邪馬台国があったなら、下手すると古代版ミレニアムだったりして(笑)。
其の事は置いておくとして、縄文晩期の各地の有り様は、トンでもない事になると思います。
今後の発掘により色々わかってくると思いますが、各地のそう、東北と九州の情勢の違い。
これまでの想定を覆すかもしれませんね。
その他発言: