シドニーオリンピックをテレビで見て
原田 誠一郎
多くの皆さんが、シドニーオリンピックを見て感動したことと思います。 私もその一人ですが、私達が高校生のときに経験した東京オリンピックとはずいぶん違ったものだと感じます。勿論、宇宙中継のテレビでは生で試合の状況や選手の声が伝えられたり、テレビ画像そのものが臨場感に富んだダイナミックなものになっている違いは歴然としています。なぜか出場している選手が場慣れしていると言うか、国際化(むしろグローバル化)しているような、日本人が変わってきている、あるいは成長してきているとの思いに捕らわれました。私達の子供の世代は、私達が心配するまでもなく大人になり、私達以上に国際人としての素養を身に付けているのかもしれません。
水泳の銀メダルリスト田島選手は、「悔しいー、チョー悔しいー、金メダルがよかったー」と若者世代の言葉でストレートに自分の気持ちを表現していました。聞いている私達には違和感はなく、素直な気持ちで彼女の気持ちを受け取ることができ、更に、彼女との悔しさの共有により、日頃の彼女の努力が言葉に無くても実感できた気がします。 女子マラソンの高橋選手も走る前におどけてみせたり、走り終わった後に「今日は42キロを楽しんで走ることができました」というインタビュー、探し回ってやっと会えた小出監督に「ありがとうございました」そして次に出た言葉が「監督、酒くさ〜い」というように、何か人間味溢れている感がありました。受賞後のテレビ各局のインタビューでも小出監督との二人三脚で視聴者を笑わせる場面が数多くありました.レース中の壮絶な戦いをつぶさに見、またそれに至るまでの練習の厳しさをテレビで見て認識している私達にとっては、厳しさの裏返しにある人間味を感じ、選手との共感が得られたような気にもなりました。
このように、伸び伸びと各選手が自己表現をできたのは何故なのでしょうか。前回のアトランタまではあまりこのような雰囲気は無かったような気がします。従来、オリンピックといえば悲壮感に溢れ、「国のために頑張らなければ」とあたかも出征兵士を送り出すかの感がありました。「最高で金、最低でも金」と言っていた柔道のヤワラちゃんの姿が、従来の日本人選手のような気がします。また、疑問の残る判定の結果敗れた柔道の篠原選手が「弱いから負けた」と言い、一切判定に対し不満を表さなかった姿勢が、従来の日本人選手の姿だったのではないでしょうか。このように、勝っても負けても背中に「悲壮感」を背負っている、それが日本人選手のイメージでした。そして、選手もそのプレッシャーに打ち勝つか、押しつぶされるかで成績が決まってしまった一面があったといっても過言ではないかもしれません。
シドニーは20世紀最後のオリンピックでしたが、このオリンピックは私達に「オリンピックはお茶の間の身近なもの」と感じさせ、同時に「選手の無意識な言葉の中にグローバルな世界観を感じ得た場」だったと思います。 前者は、前述のように各選手が自分自身の気持ちを上手にストレートに表すことができた点ですが、これはテレビの影響が大きいと思います。近年のテレビ番組では視聴者が参加するバラエティーが主流ですが、シドニーオリンピックでも明石家さんまが番組に登場し選手から面白い言葉を引き出し、選手もバラエティー番組に出演しているノリで応対していました。皆にとってオリンピックが身近になり、一方で選手が自分の気持ちを素直にかつ的確に表せたのはこのためだと思います. 後者は、メダルを貰った選手がインタビューで自分を支援してくれた人々への感謝の言葉を最初に述べていた点です。従来でも、選手からは支援者への感謝の言葉が有ったと思いますが、かってのインタビューではマスコミサイドが選手に対し「メダルに至るまでの苦しかった道のり」や、「プレッヤーに対して克服した心境」といった視点に誘導していた所があります。
話は飛びますが、アカデミー賞等海外の種々の授賞式では、表彰された人が自分を支援してくれた人たちの名前を紹介し、感謝の気持ちを表すのが通例です。支援者にとっては何者にも代えがたい充実感を受賞者と共有でき、支援してよかったと感じる一瞬が演出されています。日本人選手の支援者は、名前を挙げてまでとは思わないでしょうが(実際に支援者の名前を挙げた選手もいましたが)、選手の支援者への感謝の言葉を聞くとホットするでしょうし、テレビを見ている聴衆にも好感が伝わってきました。 「国際人にならなければ」と言って、ひたすら英語教育のレベルアップを目指してきた私達の世代ですが、もしかするとグローバル化という視点での日本人の国際化は、このようなごく自然な身近な所にあるのではないでしょうか。英語等外国語の習得は単にコミュニケーション手段の習得であって、真の国際人として求められている姿は自分の気持ちを素直に相手に伝えることができるか否かではないでしょうか。
各選手の周りをテレビで見ていると選手の家族の応援が目立ちました。選手自身は公費で派遣されているのでしょうが、家族も同じ期間シドニーに滞在し応援する、リッチな日本になったと感じました.東京オリンピックの時代には考えられないことです。日本人皆がリッチになったという感慨の一方、家族の献身的な支援がオリンピック選手の活躍の基盤であるとあらためて知らされました。テレビのドキュメント番組では、度々このような家族の献身的な支援が紹介されていますが、前述の「各選手の支援者への感謝言葉」もこのような家庭に育ったからこそ自然に出てくる言葉となっているのでしょう。
長々とシドニーオリンピックのことを述べてきましたが、現実に帰ると私達自身に厳しい世界が待ち構えていて、オリンピックは別世界の出来事のような気がします。しかし、オリンピックは別世界のことではなく、私達に希望抱かせる側面を持っていました。私達の世代は50才を超え、周りは将来へ不安で満ち満ちているように思いがちですが、意外と捨てたものではないということです。 私達の不安はどのようなものでしょうか。この先、年を取り、年金は、介護は、子供の将来は、と考えていくと不安の種は際限なく広がります。しかし、どんなに不安だと考えても不安が解消する訳ではありませんし、悪戯に不安を醸成することは老人性躁鬱性の兆しと注意しなければなりません。明るいことにスポットを当てて、前向きに生きていく意識が今まで以上重要になっていきます。シドニーオリンピックで若い選手達が見せたあっけらかんとした明るさを学んでいくことが重要だと思います。
よく考えると、私達の親達は、戦争に行き死線をくぐり、食うや食わずの時代を生き残ってきた世代です。その親達は、戦争ばかりでなく飢饉の中で子供を売り飛ばさざるを得なかったかもしれない世代です。その前の世代は、更にその前の世代はと遡っていくと享保、天明、天保と歴史で習ったような名の残る大飢饉に行き当たります。これらは、決して教科書の中だけの出来事ではありません。ほんの10世代前後の身近な出来事なのです。現に私達のDNAには「飢饉にそなえた肥満遺伝子」や「保守的で慎重な遺伝子」が存在すると言われていますが、それは私達が大飢饉の生き残りの子孫であるとの証しでもあるのです。 また、現在でも世界のどこかでは戦争状態ですし、飢えで死んでいく多くの人々が存在します。しかし、私達の頭上にいきなり鉄砲の玉やミサイルが飛んでくるわけではありません。また、明日にも食べるものが無く飢えるわけではありません。むしろ、戦争状態ではないことから周りで起こる事件の一つ一つに心が痛み、食べ残して捨てるゴミの多さから処理問題で悩んでいるのが現実なのです。要は悪戯に不安を煽り悩むことはないのです。 ただし、現状が十分に満足し得るものでないことも事実です。常に、未来に向かい目標を持って前進することが大切です。私達が育った戦後の時代について言えば、「もうこれ以上悪くはなりようが無い」、「少しでも現状より良くしたい」、「子供を飢えさせたくない」と言う親達の願望から、奇跡と呼ばれる高度成長は生まれています。
シドニーオリンピックは、20世紀の最後に日本人選手が活躍したオリンピックでした。ある意味では「未来のグローバル化した日本人を生み出した象徴すべきオリンピックだった」と将来は語られるかもしれません。21世紀のオリンピックはシドニー以上に私達にとって身近な、グローバルなオリンピックになると思います。 皆で、元気に次の、そのまた次の、…………できるものなら22世紀のオリンピックまで(私達全員が不可能なはずだが)楽しんでみたいものです。
2000年10月 原田 誠一郎