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2001年8月25日 小倉高校 第19期 関東同窓会 |
福田先生が、 来てくれました。 |
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講義メモ 大石 司馬遷が、先人達の思想を勉強していたが、(孔子や老子。具体的な内容も 話されていたと思う)どれにも満足できなくて、疑念を抱き、自らは第三の道を 選んだ。彼はその様に表明はしていないが私はそう思う。司馬遷において、 その如く、思想は限界があり、ともすれば危険なこともある。 だから私は、自らの思うところやりたいようにやって良いのではないかと思う。 しかし、何でも良いというのでは困るわけで、やはり志が高くなければいけない。 (性善説に立ち、自分を信じていく前向きな姿に感動します。) 九大を退官して一年間は職が無く、年金生活だった。 毎月の年金では足りない。工夫してその中で生活してゆくことも出来ないわけ ではないが、今までの付き合いをやめてしまうわけにはいかないので、毎月 貯金を下ろしていた。ところが、久留米大学から誘いがあり、今は現役として 講義をしている。 (一週間に何コマか忘れましたが、かなりお忙しそうでした。) 片道2時間かけて通うと、最初のうちはへとへとになった。 (今はもう平気そうですね、お元気なので驚きます。) 最近は、一年に一回は中国に行っている。 バスを乗り継いで何日もかかる旅をする。 (事跡を追った、かなりマニアックなコースの様な印象でした。) その様な旅で、敦煌からゴビ砂漠に行ったことがある。 砂漠を歩いてみて、玄奘三蔵や、法顕の事を思った。 (皇帝の命を受けて、馬を求めて行った人の名前も揚がっていました。) 高齢にも関わらず、何年もかかる旅をした。目的を持っていたんですね。 だから、年を取ってもがんばれる。がんばれがんばれと言うのもなんですが、 がんばろう。 (先生が今、志に燃えてご自分を奮い立たせている。 若い頃からの 信念を貫こうと静かに情熱を燃やし確かなものにしてゆこうと されているのが、その話をされている姿からひしひしと伝わってきました。) 僕は、君たちが卒業するときに言葉を贈った。 「過去を振り返るな、未来だけ見て行け。」と言ったんですね。 だから、34年間呼んでもらえなかったんだと思うんですね。 だけど今は、過去をちょっと振り返っても良いかなと、高校の時の清新な自分に 返り、その心を思い出してまた前進していくのも良いかなと。 そんな風に考えるようになったんですね。 だから私も少し器が大きくなったかなと思うんです。 皆さんもそのように、60才過ぎてからでもがんばれる。是非がんばって下さい。 (先日来メールのやりとりのあった「バスのなかで」の話題に、タイムリーに 繋がりましたね。 恩師とはこの様にありがたい。不思議な”えにし”ですね。) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ゴビ砂漠を歩きながら、頭の中にある様々な文物の事柄に思いを巡らして感慨にふけり、 思索されている先生のお姿が、彷彿としてきました。 そのお姿と、玄奘三蔵や法顕の姿・生き様が重なり、その話を聞かせていただいた自分 をも思い併せてみる時、それぞれの方々との資質の差は致し方ないながら、「がんばろう 」と思い。「高い志」とは自分にとっては何だろう、と考えさせられてしまいます。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ちなみに法顕の事。 AC400年頃の中国の仏教の高僧。 教典の充分でないことを嘆き、64才で長安を後にして、敦煌からゴビ砂漠を渡り6年 かかってインドへ至る。その時には一緒に出発した仲間は自分を含めて二人しか残っ ていなかった。各地で教典を探し求め、帰国したのは77才の時。 船で帰国する途中嵐に会い、荷物を捨てて船を軽くし難を逃れようとする際、命がけ で、捨てられようとした教典を護る。帰国後、釈尊遺言の教典を翻訳。 その旅の様子が「法顕伝」として残っています。 「空には飛ぶ鳥もなく、地には走る獣もいない。見渡すかぎりの広大な砂漠で 行路を求めようとしても拠り所が無く、ただ死人の枯骨を標識とするだけである。」 ゴビ砂漠をあらわした、印象的な文章です。 |
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多彩なジャンルで、活躍する面々。 |