齋藤助産院

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助産院のふつうの日々

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電話:0467-54-8841

住所:神奈川県茅ヶ崎市

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  メールアドレス:

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齋藤助産院のふつうの日々

2009年12月24日(木)

 《 12月はやっぱりあわただしい。 》

☆12月の4日(金)、スタッフ及び家族及び知り合いの人達も含め、47人(内、中学生以上の「大人」は26人)で、年に1度の旅行に行きました。めざすは根府川の星ヶ山コテージ。仕事は午前中に切り上げ、「ホシガヤマ〜」とウキウキしていたところ、当直を頼んでおいた助産婦さんから「子どもが熱(新型インフルエンザかも)で行けません」と電話。心当たりに電話かけるも皆ルス。「誰が残る?」で頭がグルグル。あきらめかけていた所、ルス電を聞いたヤマシタさんから「行ってもいいよ」というありがた〜いお返事。その後、カワイさんからも電話があり。全員で出発することが出来ました。星ヶ山は貸し切りにしてもらったので、バスタオル1枚で(大人も子供も)お風呂を渡り歩いたり、子供がいっぱいなので本当ににぎやかに楽しませてもらいました。クリスマスのイルミネーションもきれいで、星ヶ山のコテージが童話の世界のように見えました。

☆翌日は近くでミカン狩り。青い海、みかん畑、時々行き来する東海道線と新幹線。「野バラ」のチャイム、ミカンでお腹も重くなりました。留守中、入院のお客さまは1名、お産はありませんでした

☆旅行があったので前半はお産を入れていなかったので、クリスマス近辺に予定日が集中してしまいましたが、ありがたいことに皆、38,39週くらいで生まれてくれて、気がつくと、今年はあと2人残すだけになりました。初産が4人いましたが、1人はやや小さめということで湘南鎌倉総合病院で産むことになりました。もう1人は久しぶりのゆっくりお産で、自宅出産希望だったのですがスタッフのリレーもちょっと続かなくなり、2晩目は助産院の方に泊まっていただいて、自分で納得しながら陣痛とつきあえて、30時間以上かかったけれど最後までよくしゃべり、元気なすごいパワーだと思われました。あとは、34週近くになっても骨盤位が治らない人が数人おり、ちょっと心配です。年を越す前にまわってくれないカナーと神だのみ、赤ちゃんだのみをしています。

(齋藤弓子)

2009年11月17日(火)

 《 お産カーニバル、さんばテント、そして...お産。 》

☆11月8日(日)は江ノ島の女性センターで「いいお産の日in湘南-お産カーニバル2009」でした。ちょうど、湘南マラソンの日で、江ノ島入り口付近は折り返し地点。国道134は終日大磯から通行止め。何人の人が来てくれるのか、とても心配でした。前日スタッフは「今年は何か忘れものをしてる気がする...」と家路につきました。8日の0時過ぎ、自宅出産初産のNさんから「陣痛かな?」と一報があり、3時過ぎ訪問依頼があって、龍瀧さんと訪問したが、マダマダという感じで一度帰宅(6時)。7時30分、カーニバルの準備をするスタッフや家族を送り出し、入院の3名のお客さんのお世話をはじめる。10時過ぎ、頼んでおいた日直の助産婦の河合さんが到着、入れ代わりにNさんの様子を見に行く。それが大変!もう過呼吸状態(ハーハー)で、体が棒のように硬くなって、夫に抱きかかえられるようにカタマってソファーに倒れている。そのトタンに堀内先生の講演も井上先生のおハナシも参加の人達との楽しいおしゃべりもどこかへブッ飛んだ!午後2時頃、カタマったまま子宮口も開いてきたので熊谷さんに来てもらい、カーニバルが終わってから金子さんと交替。また助産院に帰り、ゴハンの仕度をして休む。翌日3時、「心音が180位」と金子さんからTelがある。陣痛は弱く、停滞している感じらしい。「助産院に連れて行きます」とのことで、3時半くらいに来る。心音は130-170位、案外しっかりしている。もう赤ちゃんはすぐそこ。「おみこししてダメなら病院!」と言うと、本人は「(病院は)イヤだ!」と目を開け、ようやくおみこしの体勢を取ろうとする。ご主人、お母さん、金子さん、熊ちゃんでおみこしを組む。最初に私が誘導、前向きで3回、ちょっと違う。うしろ向き5-6回陣痛を超えた所で本人の体が動き出した。それから4-5回、ぬらりぬらりと頭が見えてきて、そのまま布団に倒れこみ、スムーズに赤ちゃん誕生。みんなの汗と涙と本人の放心したような表情。この時4時。赤ちゃんを抱かせて、ホッと一息。ところが5時、もう一人の自宅の経産婦さんからTel.「陣痛です」。家が近い伊能さんと宮内さんに行ってもらい、午前中に生まれる。その翌日も助産院で2人生まれてとてもにぎやかです。やっぱり「カーニバル」ですねー。江ノ島のカーニバルの方は、人数は150人位で、去年(200人)より少なかったけれど、講演などとても参考になる内容で、じっくり聞けて楽しく良かったということでした。

☆今度は、その次の日曜日、15日にリサイクル&軽食の「さんばテント」をやりました。茅ヶ崎里山公園のレインボーフェスティバルのくじにはずれて、助産院でやったのでテントではありませんでしたが、お庭にリサイクル物を並べたり、ドラム缶でピザを焼いたり、コーヒーを沸かしたり......、私はカレーと豚汁とおにぎりを作りました。50人分位づつ、お米は4升焚きました。スタッフはまたまたクッキー作りで夜なべでした。金曜日の夜はその間に赤ちゃんが2人生まれて、甘い匂いに包まれていました。

☆当日は晴天で大盛況。朝のうち「きれいどころ」が里山に行ってチラシくばりをしましたが、だいたいは助産院のお客さまでした。なつかしそうに挨拶をしている人達もいれば、本当に久しぶりの方もいて、「助産院はこども連れには安心」とゆっくりしていかれました。かなり儲かって、来年のお産カーニバルの資金集めのその第1弾としては良かったです。でも、いろんな人に出会えるレインボーフェスティバルのような場所でやることも、会(助産婦会)としては大事なのかナーと思います。

(齋藤弓子)

2009年10月28日(水)

 《 収穫の秋、食欲の秋。 》

☆10月18日:「たねの森」へ稲刈りの手伝いに行って来ました。

☆10月23日:出来上がったばかりの「ドラム缶ピザ窯」でピザを焼きました。焼き立てをその場で食べました。オイシかったです!

☆朝夕、富士山がきれいに見える季節になりました。朝、台所の窓から見る富士山「アーッ、今日ははっきり見える、すごーい」と言うと「どれどれ」と誰かがのぞきに来ます。芹沢の雑木林や畑の向こう、窓一面に大山をはじめとする丹沢の山々が連なり、左端に雪をかぶった富士山、そして青い空、毎日変わる雲の絵....。旅行とかは一大決心しないと出かけられない仕事ですが、日々の楽しみになっています。(日々の楽しみのもうひとつが「チャングム」。吉本ジイジが録画してくれたビデオテープを、宮内家からもらったテレビデオで毎日3〜4回放送分をまとめて見ています。すごく面白いです。)

☆10月から安藤さんという助産婦さんが加わり、13時まで働いてくれることになりました。すごくまじめな人という印象ですが、慣れてきたらいろいろ人間性が見えてきて面白いことになるのではないでしょうか。4人いた子供達が一人ずついなくなっていく生活にも慣れたように、ウッチー(内村さん)のいない時間にも慣れ、まだ過去のこととして振り返る余裕はありませんが、クマちゃん(熊谷さん)も助産院に馴染んで来たようで、週2日の昼は看護学生の臨床指導で出かけますが、確実に助産院を支える力になってきているようです。

☆10月のお産から出産育児一時金の「直接支払い制度」が始まりました。お産する方が大きな現金を支払わなくてもすむように、健康保険組合から分娩施設の方に直接お金が振り込まれる制度です。少子化が進み、国を支える将来の力が先細りになってきた為の対策の一つですが、施設側から見ると、10月のお産の支払いが12月になるということで、ウチのように沢山のスタッフをかかえ、多額のローンを払いながら仕事をしている所は2ヶ月のブランクは死活問題です。でも今までも「受取代理制度」で支払われる方も多かったし(支払いまで1ヶ月半くらいかかる)、現金で退院の時にお支払いをしていただく方法も続けていいということなので、出来る人にはお願いして、何とか軟着陸しなければ.....という所です。

☆11月のイベント(8日の「お産カーニバル」や15日の「さんばテント」)に向けて何かと本業以外に忙しい助産院ですが、10月のお産は今の所12件、初産経産婦さんともに「早い御安産」が多かったです。また、赤ちゃんがおっぱいを吸ってくれないという電話や外来のお客さまが数件ありました。赤ちゃんに吸う力がないのか、乳首の形や硬さが気に入らない、ミルクの方が良くなった...等いろんな原因があります。いろんな赤ちゃんの個性があり、また状況によっては急を要することもあります。対応を細やかにしていきたいと思います。

(齋藤弓子)

2009年 9月 30日(水)

 《 ウッチーの助産院結婚式。 》

☆9月は初産婦さんが骨盤位と前置胎盤の疑いで病院で産むことになり、経産婦さんも二人、赤ちゃんが小さかったり、GBS陽性で病院出産に変わったりで、予定では19人!という大変な人数でしたが、14人位で終わりそうです。全員経産婦さんで丁度良くバラけての出産だったので、お部屋の心配もなく良かったです。

☆ウッチー(内村尚美)が結婚して東京へ行くので、助産院で皆でお祝いしようということになり、9月27日(日)に助産院結婚式をしました。丁度そのころお産の予定がいっぱいだったので「お庭でやろう」ということでガーデンウェディングとしゃれてみました。私も1週間前くらいから少しずつお庭をそれらしくしたり(お父さんは今、頚の神経を病めて療養中)、スタッフはキッチンや待ち合い室を折り紙で飾り、ダンスや歌の練習をしたり....。1週前の土曜日の夜中、目を醒ますとキッチンで6〜7人の人がケーキにかざるマジパン作りをしていて、寝る前はいなかった人がいたりしてびっくり。すごいケッサクが出来ました。式の前日も夜中、クッキー作りで信じられないほど大量のクッキーを作り、夜な夜な大騒ぎでした。ウッチーも子ども達にあげるアンパンマンの全部のキャラのお菓子の袋作りで当日の朝までかかり仕上げました。助産院のスタッフのご主人達、そして子ども達、スタッフと賑やかで楽しい会でした。ウッチーのパートナーのヒコちゃんもとても楽しんでくれたようで良かったです。(本当の結婚式は11月末、二人の実家の鹿児島で盛大にやるそうです。) 翌月曜日、新たな気持ちで皆出勤して来ましたが、中にはまだ「ヨイ」の醒め切らない人もいたようです。

(齋藤弓子)

2009年 8月 23日(日)

 《 8月のこと。 》

☆7月の末が予定日だった助産婦の新開さんが、8月7日、3468gの男の子を出産しました。前駆陣痛が2日間くらいあり、その後いつも行っているゲルマ温浴に夕方、歩いてウッチー(内村助産婦)と行ったのですが、午後7時過ぎて暗くなっても帰ってきません。「クルマを出そうか」と思っていたところに「お腹が痛くなって休み休み帰ってきた」ともどりましたが、それから長い長い時間。一晩目は家でご主人とすごし、翌日の午後に助産院へ、二晩目の明け方に子宮口が全開。陣痛は一晩目は差し込むような痛みで陣痛が来るとどんな体位も苦痛で、2,3分間欠の時は大分苦戦したようですが、二晩目はだいぶ落ちついて陣痛以外は椅子に座ったまま、ウトウト「まだ寝れる」が口ぐせ、陣痛も5-6分間欠ですごしました。お風呂に何度も入り、大好きな「白のパピコ(レアモノ)」を食べ、眠りました。出産の日の午前中、陣痛を強くしようということで、ウッチーの運転、新入りのクマちゃん(熊谷助産婦)が腰さすりで、1時間ドライブ(かなり揺らし、クマちゃん車酔いでゲーゲー)に出かけました。その後に破水。確実に陣痛がすすみ、仕事から帰ったご主人、スタッフ全員、子供達の大応援団、大親友の伊能さんの介助のもと、13:50、櫂斗(かいと)くんが誕生しました。やっぱりいつも通りの大カンセイでした。これ以上ない長産の教科書のような向き合い方だったと思います。伊能さんも陣痛の前からスタンバッていたので疲れたことでしょう。思えば2004年、新開さんがはじめて助産院に来た夏も、「長産」の夏でした。搬送もありました。それから長いお産にいっぱいつき合って、こんなに「いいお産」が出来たのかな......と思いました。

☆私の子供達を育てる時にとてもお世話になったMさんのご主人が、19日に亡くなりました。去年の晩秋に悪性リンパ腫を発病。化学療法が効いて一度は退院したものの、ほんの数カ月で再発。今度はなかなか治療が難しく、7月の末に帰宅して療養していました。3週間あまりの間、3人の子供とMさんと、セミ時雨の中、静かな時をすごしました。人は限りあるものとはいえ、私と同い年。はかないものだと寂しくなりました。

☆8月21日の夕食ごろ、お祭りに気をとられていた方が陣痛の進行に気付かず、家で産まれてしまったとご主人から電話が入り、急きょ住所付近の地図を見て当直の伊能さんとクマちゃんが出動!元気な赤ちゃんとママをゲットして助産院に帰ってきました。落ちついたころ、2方向から花火があがりました。華やかではかない花火の美しさ。そういえばカルテに「イベント好き」と書いてありました。

(齋藤弓子)

2009年 7月 20日(月)

 《 7月は浜降祭。 》

☆7月20日は茅ヶ崎・寒川の一番大きなお祭り、浜降祭でした。うちも当番で、夫は0時半に神社に行き、帰って来たのは夕方19時過ぎでした。暑い中、具合悪くならないかと心配しましたが、お祭りパワーをもらって元気でした。私も助産院の前がおみこしの通り道なので、草をむしったりおみこしを迎えたり(次の休憩所までおみこしについて行く人達でにぎやか)、当直の内村さんは太鼓の音に誘われて、夜中に里山公園の所までおみこしを見に行きました。数年前までは峠道を行くおみこしの明かりが見えていましたが、木が繁ったせいか今年はあまり見えずに残念。19日に生まれた赤ちゃんとお母さんにもお祭りの音は聞こえていたことでしょう。

☆6月から持ち越しだった2人の初産婦さんも、大きな赤ちゃんをわりとスムーズに産み(1人は当院の初産婦さんで一番のビッグベビー)、今月5人いる初産婦さんも3人無事に助産院で生まれ、あと2人残っています。そのうち1人は新開(白水)さんです。暑い中、大汗をかいて歩いて出勤したりして頑張っています。マタニティヨガの教室も休まず続けています。もう1人の初産婦さんは予定日を過ぎてしまい、遠い所から来ているのに何度も通わなくてはいけないので(刺激をする)気の毒です。でも本人はとても元気な人で「何回でも通いま〜す」と言って張り切っています。そうです!お産はイキオイですよね。

(齋藤弓子)

2009年 7月 2日(木)

 《 終わらない 6月。 》

☆7月に入りました。7月はお産の予定がいっぱい!お部屋が間に合うかドキドキ。もう2人生まれました。少しずつ生まれてくると助かります。6月は予定が10人でしたが、1日に4人生まれる日(その次の朝も生まれたので、24時間で5人。今までで最高記録)があり、その他の日はわりとゆっくりでした。あと2人初産婦さんが残っています。この2人は赤ちゃんも大きそうで(本人達も大きいですが)早く生まれて来るとイイナと思っていたのですが、ナカナカ...。もう41週です。2人ともお母さんは43週で誘発したそうです。頑張っていろいろ運動しているようですが、しぶといです。1人は自宅なので、夜は私も入れて3人体制で待っていますが、お呼びがかかりません。本人達もご家族も気がもめることでしょう。いろんな個人差があると思いますが、最近は42週には病院に行ってもらうようにしています。

☆6月の19日、お産カーニバルの実行委員会が今年はじめて旧助産院(今は子供の家)で開かれました。今年は実行委員の人数が多く、にぎやかそうです。駐車場もいっぱいで、あわててひかりの子幼稚園の方も借りてしまいました。実行委員が少ないと、いろいろ自分達の希望も入れて作ったのに当日は仕事が多くて全然参加できなかったという年もあるので、人が多いと分担できて助かります。講演は誰を呼ぶかでいろいろ夢があるようですが、予算のことを考えると.......です。

☆梅雨の最中のぽっかりあいた快晴の日(気温30度?)、「プール開き」をしました。ブランコや砂場、畑などでお庭が手狭になり、去年より小さめのプール(小学生はのびのび泳げない)ですが、子供達は大よろこび。夏はプールが一番!仕事の最中から台所は準備に大わらわ。仕事も早く切り上げて(?)、焼そば、鉄板焼(あるもので)をしながら、子供達とプールを楽しみました。キウリも大きくなり、トマトも色づいてきて、楽しみな夏です。

(齋藤弓子)

2009年 5月31日(日)

 《 のんび〜り 5月。 》

☆5月は連休の頃、パタパタッと生まれたけれど、あとはお産もポツンポツンで「どっか行きたいナー」と思う程、のんび〜りした月でした。お庭のどんぐりの木も元気に葉っぱをしげらせ、連日の大風にもめげず、もとからあったかのような落ちつきぶりです。夫はお庭に子供達用のブランコやキッズガゼボ(小屋のようなもの)のキットをネットで購入し、浜松から帰ってきた息子と一緒にけっこう上手に仕上げ、連日、子供達を誘っては喜んでもらってはヨロコンでいます。でも砂場もブランコも小屋も、フツーに遊んでくれればいいのですが、砂は1ヶ月に1回は砂を入れないといけない程、砂がどろダンゴやどろゴハンになって消えてしまい、小屋の戸はぶらさがったらしく開閉がしにくくなって、1週間でもう修理が必要です。元気な子は大変ですね。ヤル気といっしょにモノを大事に使う気持ちも育って欲しいものです。(これは私のグチ)

(齋藤弓子)

2009年 4月28日(火)

 《 つらい体験。 》

☆長い間楽しませてもらった桜も散り、木々の葉の芽吹きの緑が美しい4月10日の朝3時30分、出血と陣痛で入院してきた初産婦さんの赤ちゃんの心音が落ちていました。あわてて救急車を呼び、湘南鎌倉総合病院へ。4時37分に帝王切開(常位胎盤早期剥離)で赤ちゃんは生まれましたが、状態が悪く、茅ヶ崎市立病院NICUに搬送され、手術後間もないお母さん、お父さんおばあちゃんおじいちゃんに泊まり込みで見守られ、必死の治療に耐えましたが6日後、昇天しました。私にとって、開業して以来はじめての新生児の死亡です。先日、ご家族でお礼ということで赤ちゃんの写真を見せにいらして下さいましたが、時間を超えた親子の時間を過ごされた様子を話してくれました。こんなつらい時に私たちのことを考えて来て下さって本当にありがたかったです。

☆その3日後、私の長女に男の赤ちゃんが生まれました。安産でした。とても大きな赤ちゃんでしたが、おっぱいがうまく飲めず、かといって頑張る気もなく眠ってしまうので、生まれた時の体重にもどるのに2週間位もかかってしまいました。このごろようやく目を開けている時間が多くなりました。いつもいっぱい赤ちゃんや小さい子たちがいるせいか、いろんなことがあって緊張しているせいか、初孫だから特別可愛いとかいう気持ちはありませんが、笑ったりおしゃべりしたりしてくれるようになると楽しみです。

☆4月は自宅出産が3人いるので、スタッフは西に東に大忙しです。そしていろんな経験をつんでいるようです。

(齋藤弓子)

2009年 3月30日(月)

 《 助産院の3月。 》

☆助産院の3月はインフルエンザや風邪やらで大変でした。すごい感染力で総だおれです。しかも、1度熱が下がっても、又上がったり、1週間くらいフラフラです。いろんなタイプの風邪があるらしく、咳込みが1ヶ月位ひどい人や副鼻腔炎になった人もおり、スタッフ全員そろって仕事した日はあったかなー...というくらいでした。私もやられて「植物人間」状態で、お客さまのご飯が作れず、スタッフやお産で帰っている娘に作ってもらったりしました。治っても、ものすごく体が重く、思うように動かずちょっと落ち込んでしまいました。

☆そんな中、3月15日。新開さんの助産院結婚式をしました。新開さんの病院時代の同期やそのパートナー、妹さん夫婦、そして助産院スタッフ(パートナーも含めて)ほぼ全員、大人と同じ位の数の子ども達。私はダウンしていましたが、お食事はあらかじめ頼んでおいたので、とてもいっぱい届いて盛大!上のおっぱい部屋で結婚式、下の待合室とキッチンでお食事会、お昼過ぎに始まって、夜まで...。すごく楽しい会でした。皆の前で結婚戸届にサインして「センセイショ」を読み上げるというものでしたが、賛美歌も歌い、ムードも満点。新開さんはとってもきれいで、パートナーの白水くんとのイキもバッチリ。お腹の赤ちゃんも喜んでくれたと思います。

☆3月のお産は、37週で骨盤位になって、湘南鎌倉で自然分娩が出来るか診てもらったり、逆子棒(ツボの刺激)や体操等がんばって、なんとか38週で頭位になり、39週で普通に生まれた赤ちゃんがいました。10年位前も、出産ギリギリで逆子になり、1週間くらいでもどった赤ちゃんがいましたが、何か気にいらないことでもあったのでしょうか、胎児の考えることは分かりません。助産院でのんびり産もうと思っていたのに、病院出産に変わり、帝王切開も視野に入れておかなくてはなりませんから、お母さんは一時大変な思いをしました。一方、経産婦さんでなかなか赤ちゃんが下りてこなくて、プッシュがかからず、時間がかかるタイプの人が数人いましたが「潮が動いていないからね」(長潮とか小潮の時でした)と待っていて、陣痛が自然に強くなって24時間くらいで生まれる子や、やっぱり皆でおみこしをして生まれる子もいました。お腹の筋肉がゆるくなって、下腹が前に出過ぎて、陣痛が有効に働かないというタイプのようです。破水してグッと進むタイプもあるけれど、なかなか思うようにいきません。早めにトコちゃんベルトを巻いておくといいようです。

☆初産婦さんの搬送がひとりありました。湘南鎌倉の36週の健診で羊水過多、筋腫、胎児の低体重を指摘され、病院での出産をすすめられていたのですが、茅ヶ崎徳州会の方が近いし、お勤めもしているので良いということで(看護婦さん)様子を診てもらっていましたが、41週も過ぎて、弱い痛みで赤ちゃんの羊水の袋(胎胞)だけで子宮口が開いてきました。胎胞が水フーセンのようになり、ほぼ全開に近くまで開きましたが、赤ちゃんの頭は全然おりて来ません。この時点で徳州会受診し入院。その後、破水しましたが、なかなかお産が進まず、2日後に帝王切開になりました。赤ちゃんは2700gあったそうです。今はもう赤ちゃんもお母さんも元気のようです。3月はあと3人残っているけれど、生まれる気配がありません。多分、3月には生まれたくないのでしょう。でも4月の赤ちゃんが2人生まれました。今、入院の方はひとりもいません。急に又、寒くなったりしていますが、庭のチューリップはあと一息で咲きそうです。

(齋藤弓子)

2009年 2月14日(土)

 《 助産院は12歳。 》

☆私は36歳の時、助産婦としての開業届けを出し、それから12年くらいは病院に勤めたりしながら(フルタイムだったり、夜勤だけだったり)細々と自宅出産や母乳相談をしておりました(無床助産院)。12年前、住んでいたマンションを売って、芹沢に中古の家を買い、齋藤助産院を開業しました。芹沢は今も田舎ですが、当時は里山公園もなく(工事中)、入りこむと「ここはどこ??」状態でした。子供達も小さい子は小6でしたので引っ越しを嫌がり、「犬を飼ってあげるから」とだまして納得させました。高校、大学と行っていた子供達も通学は大変だったと思います。しかし上の子達は、私のオーボーには慣れているので誰も反対意見を言わず、夫も「本当に引っ越すの〜?」とひと事みたいに言っていましたが、「ホラ、自然がいっぱい、好きでしょ」とかなんとかだまされて......。

☆もうそれから12年、今日は「バレンタインデー」。そうです、山の上に引っ越して初めての助産院の誕生日!朝3時に陣発した初産婦さんが、5時半に入院してきました。子宮口が開くまでは陣痛もパワフルで、4〜5時間で全開したようですが、それからは何か間が5分〜4分〜10分と空き、産婦さんも「疲れた〜」「眠い〜」とパッとしない陣痛で、なかなかヤル気が出てきません。それでも2回お風呂に入り、トイレに座らせ、「動きたくない、吐き気がある」という産婦さんを「人力自動車」(ススまない時はよく車に乗せる)でブルブルゆすり、なんとか肛門がゆるんできて、赤ちゃんの頭がのぞける位になりました。そして最後は8人体制で「おみこし」!これは実は新バージョン。ご夫婦の体格が同じくらいでしたので上の方をパパだけで支えるのは無理がありそう。パパがママの体を支え、両うでを身長のある助産婦が支え、体は小さいけど力のある助産婦2人が両足をもちあげ、私が誘導し、介助の助産婦が待機し、妊娠中の助産婦がカメラ係りでした。産婦がヘロヘロでしたので「短期決戦!」を合い言葉に、スタッフも「うまいうまい、きたきた。大丈夫大丈夫」と必死。3回位の陣痛で産婦も方向が分かってきたらしく、顔色も良く目も開いてきた。前むきである程度陣痛に合わせて誘導し、後ろむきは重力だけで5回、16時27分、横むきで前頭部に産瘤のある2700gの赤ちゃんが出てきました。最後は超スピードで生まれて「オギャー」パパママ大泣き、スタッフもバンザイ。せまい部屋は熱気と汗くささでムンムン。入院していた3人のお母さん達も耳をすませていたことでしょう。それから皆で助産院のハッピーバースデーをしました。とても美味しいケーキでした。

(齋藤弓子)

2009年 1月20日(火)

 《 いのち....。 》

☆かなり遅ればせながら、新年おめでとうございます。今年は、ゆっくりと新年をむかえることが出来ました。入院さんはひとりおりましたが、夜勤者を含めて3人で、元旦、午前0時、腰掛神社におまいり。モチロン、パッと行ってパッと帰って来ましたが、なんとヤキイモを数本ゲット。(ウッチーと龍瀧さんのアタックは見事です。)お産の波は、9日からの大潮でした。4日間で6人生まれました。整体部屋も急きょ入院部屋に。(案外快適だったそうです。)連日、その家族、特に子ども達が大にぎわいでした。お正月用に特に買い込んだ冷凍のマグロやエビやカニ、イクラ等も、この波できれいになくなりました。何やかやと連日20人近くのお食事の仕度で、民宿のおばちゃんからちょっとした旅館のおかみに昇格した気分(?)でした。今日は入院さんはひとりだけ。夜中もよく眠って、よく飲んでくれて、とても静かです。予定日を過ぎた方がひとりいますので、デンワ待ちの状態です。

 

☆去年の31日に肺炎で入院した伊能ジイジが11日、亡くなりました。助産院の新築の時、プレゼントしてくれた玄関の寄せ植えを正月用に植え替えに来てくれたのは、30日の午後でした。ここ1年余り、急激に体重が減り、去年の晩秋、筋肉が弱る予後不良の病気と診断され、12月まで何とか仕事を続け、あとはゆっくり病気とつきあいながら、孫たちの見守りを....という生活かな....と他からも見ていましたが、ほんとにあっという間にあっけなく終わってしまいました。私とはあまり年も違わず、自分のことのように突然の死が悲しくて、その話をすると涙が出てきます。入院して4〜5日は呼吸が出来ず、とてもつらくて、その後は生と死の境を過ごし、家族にいろいろの準備をさせたと思います。突然だったのに、臨終の時は、肉親や友人やら20人以上の人が見守っていたそうです。何もない所から、命は生まれ、そして消えて行きます。生まれてくる赤ちゃんのゼッタイの存在は、うれしく、力強く希望に満ちています。そして、いつかくる終わりの日までの間、この美しい自然や、人々とのふれあい、それは時に苦しい時もあるでしょうが、生きることを充分に味わってもらいたいナーと思います。私にも約束の日は来ます。それはいつかは分からない。けれども、生きているのが好き。大事に生きていきましょう!

(齋藤弓子)

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