at the shore
海へ行って手を頭の後ろに組んでテトラポットに寝ていたら、いつ
までも止まない海風が渦のように、耳元で鳴りはじめた。背景とな
る波の音のほうがはるかに大きな存在からの響きであるのに、それ
に音量もずっと大きいはずなのに、耳元でなり続けるうずまく風の
ほうがはるかに、耳に迫る。小さな出来事でも、近くにあればそれ
が主体、あるいは焦点となる。
どんなにうるさい周囲の環境にあっても、聴くべき音を聴き取れる
という、人が本来持っている耳のフィルター「カクテルパーティ効
果」。同じパーティ会場の音も、そういった人間の取捨選択を通さ
ない機械であるマイクで拾うと、違った音の風景に感じられる。す
べてが等価の音の共存関係、あるいは交響としての記録が、テープ
に残されることになる。
聴くべき音?
誰かの重要な発言でもなく、音楽のある瞬間や次への展開を聴きた
いのでもない。海岸は、漫然としていればただただ同じような持続
音に聴こえるサウンドスケープに満たされた場所なのだった。どの
響きにもさして興味もない、それだけに等しい音の関係性。
響きが立体的に思えるのは、本当はライヴのオーケストラでもなく、
実はこの退屈な場所の、しかし耳障りではない波と風の音だけなの
かもしれない。何を聴きたいのでもないという、あらゆる音の前に
色づけなく投げ出された聴覚。
それは、対象を選択しないマイクのように。
September 5,1999
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