|||「実験音楽」を聴く


「実験音楽」と呼ばれる作品を聴くには、それがどのような意図の

もとに、どんなプロセスを持つものとして作曲されたのか、これを

知ることが他のカテゴリの音楽よりも大きな意味を持つのかもしれ

ない。つまりそれが「何の実験なのか」ということである。知って

おくこと、とは「音楽鑑賞には知識が必要である」とか「能書きが

なければただの音」という意味では全くない。


そうではなくて、例えばジョン・ケージは作品を、作曲・演奏行為

を通して私たちが音をどのように聴いてきたのか、そのあまりにも

多様な形を作品を通して示したのだった。作品のプロセスを追体験

することで、聴き手はそれぞれによって異なるだろう印象を、各自

ひとつのヴァージョンとして、持つことになる。


響きの結果、つまり聴き手にとっての作品の感触を得るのは、どの

ような形であれ事後であっても遅くはない。これをマイケル・ナイ

マンはすっきりと説明する。

「実験音楽は、結果を予測できない音楽を実践するもの」


その結果が面白いこともあれば、そうではないこともある。実験の

過程に参加することでなにが聞こえてくるだろうか。


無意識に済まされてきた、

知覚の連続的状態、「聞こえる」こと (hearing)

音を「聴く」という行為 (listening to)

とを再確認できればもちろん面白いだろう。しかし時に、さして面

白くもないランダムな響きの運動にとどまって聞こえることもある

かもしれない。


そもそも、聴き手にはいかなる義務も生じない。難しいこともなに
もない。


それに実は、


何の実験か分からないながら結果は美しい・・・

ということも、よくある。




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