未知の音色
−民族・民俗楽器のアンビエントへの援用






民族・民俗楽器はアンビエントの有効な表現手段となりうる。その耳になじま
ない度合によって、聴き手にとって「何の音でもない、新しい音」となること
があるから。いわゆるルーツ楽器に特有のどこか原初的な印象とアンビエント
の関係は深いと言えそうだが、そのプリミティヴなイメージすら拭い去ること
も、音楽に加えられるプロセス次第では不可能ではない。アンビエントを鳴ら
すツールという見方からの、わたしたちにはまだ「耳慣れない、未知の響きを
持つ楽器」について。


□ 楽器のイメージ

「ルーツ・ミュージック」そしてかつての「ワールド・ミュージッ
ク」に感じる新鮮さは、音色の点に限って言えば使用楽器の耳新し
さによるところが大きい。聴き慣れない音色による音楽は、経験に
色づけされていない、白紙の音楽として聞こえてくる。アンビエン
トの領域では、かつてブライアン・イーノがアンビエント・シリー
ズ第3作『デイ・オヴ・レイディエンス』(邦題『発光』)として
ガムラン/ダルシマー奏者ララージによる作品を発表したことは、
実に有効なアイディアだったと思わずにいられない。既存の音楽の
形からも、私たちの多くが持っていた音楽体験による特定の音色に
対するイメージからも自由であったガムランとダルシマーの響きは、
イーノがそれまで試みてきたアンビエントの新しさを強調すること
に大きく貢献することになった。

音楽体験は人の数だけあるけれど、本人の嗜好だけでなく一般に常
識的とされる音楽知識・経験によって楽器へのイメージは概ね決定
づけられる。たとえばヴィオラやパイプオルガンは曖昧ながら「ヨー
ロッパ」「古典」の印象。トランペットはどうだろう。ジャズ?こ
の楽器がクラシックでもソロ楽器として協奏曲まで書かれているこ
とは知られていたり、いなかったりだろう。ギターは多くのカテゴ
リで登場するので、ある程度固定観念から自由かもしれないが(個
人の無数の固定観念と言ってもよいだろう)、それでも聴き手の音
楽体験によってセゴビアからパット・メセニー、ジミ・ヘンドリク
スまで大きな振幅を見せ、また今挙げたように特定のミュージシャ
ンの名前が強い印象を残すだろう。ピアノも同様である。一般化し
た西洋音楽の楽器へのイメージというものは、このようにすでに決
定されている。

そう、本来はすべてがルーツ楽器なのであり、問題はどれだけわた
したちの音楽生活に普及しているか、またそれぞれの楽器がどれだ
けわたしたちが音楽教育などによって持たされる至ったひとつの基
準から見て「洗練され」「近代的で」あるかというおおまかなイメー
ジという、実は非常に単純な問題ではある。

□ 未知の楽器+エフェクト

それに対して、民族・民俗楽器にはまだまだわたしたちには知られ
ていないものも多くあるはずで、このジャンルに興味のある聴き手
でなければまったくの未知の響きが残されているということになる。
この「耳になじまない度合」によって、ある聴き手にとっては「何
の音でもない、新しい音」ということになる。ルーツ楽器が単に、
それらに特有のどこか原初的でまっさらな印象として捉えられるこ
とももちろんだが、その扱いによっては、そんな印象すら拭い去る
ことも不可能ではない。こうした創意を援用するものとしてのエフェ
クト、またその楽器によってどのような音楽を演奏するかという変
数により、本来ルーツを持つ楽器による、逆転的「根無し草」な音
楽を創出することができる。たとえばカンテレ、ドゥドゥクといっ
た楽器は、どうだろうか。あなたが、この楽器の音色を今思い浮か
べることができなければ、そして以下に紹介するディスクを聴いて、
そこにアンビエントな響きを見て取るかもしれない。そして、ルー
ツ・楽器による伝承音楽を即座にアンビエントとみなすことの不具
合と、アンビエント「的」に聴ける可能性は別のものと考えなけれ
ばならない。プリミティヴなのは楽器自体ではなく、私たちにとっ
てまっさらな前知識のなさゆえだけの話かもしれないのだから。



New Finnish Kantele
Ritva Koistinen (Kantele) etc.
FINLANDIA,1993


フィンランドの楽器カンテレはツィターの一種。形は日本の琴に似て、音色は
ハンマー・ダルシマーに近い。同国に伝わる叙事詩「カレワラ」にも組み立て
方が書かれているという長い歴史を持つ楽器による現代作品集(そう、伝承音
楽ではなく現代の作曲家によるアンソロジーなのだ)。歴史を知らずに聴けば、
作品の現代性とともに二重の未知である。1曲目はアルヴォ・ペルト『パリ・
インテルヴァロ(断続する平行)』。原曲はパイプオルガンで演奏されるが、
ここではオルガンに匹敵するとさえ思える長い減衰時間を持ち、また撥弦楽器
ならではの艶のあるカンテレの質感がよく合っている。


Djivan Gasparian
I Will Not Be Sad in this World
ALL SAINTS,1992


ドゥドゥクは確かに、乾いた空気の音が素朴である。またアンビエントに特に
よく伴う「自然」との接点が、その楽器がユーラシアの広大な大地という出自
を持つというライナーノーツや音楽雑誌の知識から吸収される時、古いのに新
しい「アンビエント」となるのかもしれない。二重唱をただちに思わせるドロー
ンと旋律。すでに存在する音楽にアンビエント性を見い出すことの典型的なケー
スであるが、音楽自体はそのこととはまったく関係なく、空気を乳白色に震わ
せる。






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