□ 休止符・アンビエント・パルス についてのノート











§ 休止符の意味と価値

音楽が時間芸術である以上、休止が楽音(音楽に使われる音)と等
しい価値を持つことは疑いがないものということになっている。音
楽は日常の時間からその一部を切り取り、聴き手をそれが響く空間
によって包み込むものである。だからこそ、音楽の鳴る空間に設け
られた時間的・音響的空白には、ノイズが入り込むことは許されて
いないものとされてきた。作曲家が意図して配置した休止符は、そ
の時点でそれは音楽の一部となるからである。西洋音楽とコンサー
ト・ホールの発展の関係が、休止に価値を置いたことの一つの証明
になるだろう。ホールは、良い音響を得ること、そして外部の騒音
から「音楽を守る」機能を持つことは言うまでもないのだから。


§ 休止符と入れ替わりに聴こえる音

音楽家ジョン・ケージは自身の『4分33秒』の初演をそのまさに
コンサートホールで行った。ピアニスト*が楽器の前にたたずみ、
指定された時間ごとにピアノの蓋を開閉することがこの作品の演奏
のすべてである。これ以外にピアノの音が発せられることはない。
その代わりに、蓋の開閉、聴衆の発する音、そしてホール内外のそ
の他さまざまの音を「音楽的に聴く」ことを私たちに提示した作品
なのだった。つまりケージは限りなく完全に近い沈黙を作品として
提示するためにこの作品を書いたのでも、またそのために分厚い扉
を持つホールで演奏したのでもなかった。

それならば、この作品を例えば屋外で演奏すれば、作曲者が提示し
た「環境(音)の芸術化」というアイディアがよりはっきりと聴衆
に示されたはずだけれど、ケージは従来の「芸術音楽」との差別化
のためにか、あるいは彼一流のユーモアか、敢えて、いわゆる「芸
術音楽の演奏会場」であることになっているコンサート・ホールを
選んだ。この作品と会場の選択とはアンビエント音楽を考える上で
象徴的なことがらであると思う。鳴るはずのピアノが鳴らない、そ
こで聴衆は周囲を見回し、これまで「ノイズ」とされてきた環境の
音を発見しようと試みることが、ケージの意図するところだったの
だから。後に70年代、アンビエントのひとつの形を確立すること
になるブライアン・イーノはまさにその言葉「アンビエント」を、
かつてケージの書いた文章から見い出している。

* 初演時のピアノを前にしたパフォーマンスが有名ではあるが、実際にはこの
作品は楽器の種類、演奏家の人数は指定されていない。


§ アンビエントとダンス

『4分33秒』の初演からおよそ30年を経て、ブライアン・イー
ノはケージの発想を引き継いで、自身のアンビエント・ミュージッ
クを作った。「アンビエント」とは「周囲の」「取り囲む」といっ
た意味で、聴き手の置かれた環境を柔らかに包み込む音楽でもあり、
また聴く「対象」としての音楽というよりも、音楽それ自体を越え
た広い環境へと聴き手の視点を移動させるような音楽のありかたが
広く浸透してきた。特にイーノ以来、テクノをはじめとするクラブ・
カルチュアとの接点を持つ音楽がこの言葉を一種の接頭語のように
頻繁に使われ、今ではきわめて一般的な、そして重要なキーワード
となって、一般化したと言っていい。

ところで、ダンスのための音楽に要求される本質的な機能の点から、
もともと均質なビートを持つテクノが、シンセサイザーや自然音、
そして様々な音楽の断片をサンプリングして、それ自体が完結した
音楽であるというよりむしろ、ビートの空間の中に様々な音の断片
を配置し「音楽のある風景」をつくることになったのは、なぜだろ
うか。


§ キャンバスとしてのパルス、埋められる沈黙

きっとテクノは、アンビエントという発想を借りることで、踊れた
りチルアウトできたりする音楽になったのだ。押し付けの、すでに
完成されたものが流されるBGMではなく、パルス(ビート)とい
う素材・キャンバスにDJが新たな音を付加することで空間をデザ
インする。シンプルなトラックに置かれ続けるパルスとパルスとの
間に一瞬訪れる休止符は、他の音、音楽素材に埋め尽くされるべく、
休止なのである。ある種のテクノが一つの完結した音楽作品である
ことをやめた理由のひとつが、ここにある。

沈黙ならざる「無音の音楽」を提示して環境音を芸術へと拡張させ
たケージ。ケージ以来、それを聞くことを意識しはじめた環境音と
の間に存在するアンビエントを響かせたイーノ。そして、DJは、
パルスによって均等に分割される休止符を縫うように、音楽を響か
せていく。


1996,2001 shige@S.A.S.

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