複数の焦点、見渡す響き
アンビエントとプルラリズム(多元的共存)






リスニング・ポイントから捉えるアンビエント

「取り囲む」「周囲の」という意味を持つ 'ambient'という言葉。
アンビエント・ミュージックは一般には名詞'ambience'を作り出す
音楽、つまり人をとりまく空間を現出させる音楽だという解釈が妥
当なもののひとつだろう。ところでこれはその音楽自体が持つアン
ビエント/アンビエンス性について言っているのであるが、リスナー
サイドからの視点でこの言葉を考えることもできるのではないだろ
うか。音源と、人の聴き方の状態がひとつになり、アンビエント
(音楽とリスナーのアンビエント的関係)は生まれるのではないだ
ろうか。


音楽の焦点

旋律を担当するヴォーカル・独奏楽器など、普通音楽には聴かせど
ころ、つまり中心・焦点が存在する。例えばピアノ+ヴァイオリン
の室内楽曲なら、中央のヴァイオリンがメロディを歌い、それを見
つめることが音楽鑑賞の文字どおり中心的行為である* 。時折伴奏
のピアノが主旋律をなぞったり引き継いだりすることにもなるが、
旋律楽器の交替が起こったとしても、聴き手の視点がその新たな焦
点を追い続ける。このことはジャズでもロックでもメロディー楽器
あるいはヴォーカルから「ソロ」への交替という現象で起こること
であって、それらも依然として特定の焦点が存在する音楽であるこ
とをやめない。つまり、音楽の「主体」が交替しながらも一本の線
のように連なるフォーカスである。

*
ハーモニーやアンサンブルから紡ぎ出される音色の融合など音楽鑑賞の各要素
をここでは除いて考えていることは言うまでもない。複数の旋律が交錯するポ
リフォニー音楽についても、後に述べるアンビエントのプルラリズムとの関連
がなくはないが、明らかに別種の音楽なのでここでは扱わない。



見渡す響き

さて、アンビエントというのは、例えば両スピーカの間にきっちり
と定位する音像を凝視する音楽などとは、聴き方が違うと思える。
一点を見つめる音楽ではなく、周囲を見渡す音楽というべき、響き
とリスナーとの関係性が特異ではないだろうか。これを一般には
「包み込む響き」と呼んだりする。この「見渡す」というありかた
が、アンビエントの重要なファクターだろう。「聴く」というより
その空間に「身を置く」という響きとの関係性。


ある種のミニマル・ミュージックでも同様の関係性を見て取ること
が可能だろう。2本のスピーカの中央に座り作曲者と演奏者の心情
をつかもうとするのではない別の形。聴き手を取り巻くような緩や
かな変化と日常を離れた時間感覚を持ったミニマル・ミュージック
の音の連なりを感じ取るときにも、わたしたちは中心となる一点を
見るのではなく、音楽が響く空間全体に溶け込みはしないだろうか。

音楽のこうした響きのありかたとリスナーの耳の状態との関係を、
「アンビエント的」の他に何と呼んだら適切なのか、現在のところ
筆者は他には思いついていない。


プルラリズム

聴き手のいろいろな関心のレベルに対応できるのは、彼* がアンビエン
ト・ミュージックに音のヒエラルキーや焦点を設定しないことによる。
*(引用者註:ブライアン・イーノのこと)

細川周平「弱い聴取」より引用
『レコードの美学』(勁草書房、1990)所収 p.331

ヒエラルキーつまり音楽の各素材間の階層がないとは、音楽にとっ
て必要な中心、例えば歌われていないカラオケのような意味での主
体の一時的不在ではない。複数の音楽要素のどれもが中心となるこ
とを控え、同時発生する響きの(拡散したままの)総体として存在
する音楽という意味である。リスナーはそして、それぞれをその時々
に自由に見て回り、あるいはそのうちのいくつかを無視する。

イーノをはじめアンビエント・ミュージックの多くがそうするよう
に、並べられた音素材からひとつの音楽を作るという点では従来の
「作品」概念とはそう遠くないところにいる。したがって「自由に
見て回る」とは言っても、それはジョン・ケージの提唱した「ミュー
ジック・サーカス」とは区別できる。重要なことは、それ自体完結
したひとつの音楽作品でありながら、その内にはどれもが焦点とさ
れることを望まない複数の響きが等しい位置付けによって設定され、
リスナーに選択肢が提示されるという様態が、アンビエントの特質
のひとつをなしていることなのだ。

これは音楽における、プルラリズムである。


この小文をまとめるにあたって、次の各氏からヒントを得ています。感謝。
seno
W.S.
ZN3


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