アンビエントという言葉から価値判断を取り除く
(それは思想でも、蔑称でも敬称でもない)






アンビエントを単なるBGMやトランキライザーに終わらせず、美
的な音環境の享受のために、あるいは「聴く」ということの再考の
契機になる音楽体験として聴こうとするリスナーにとっては、まさ
にアンビエントのような静かでやさしい音楽が持つ「癒し」という
情緒的側面に対して、あまり良い印象を持たかったり、その必要も
感じないかもしれない。アンビエントとヒーリングは元来無関係で
ある、と。しかしそれでは何がアンビエントなのか、の問いにはも
うひとつ自信がないという歯がゆさもある。

アンビエントと聞くと安っぽいBGMを思い浮かべる人はこの言葉
を悪口として解釈し、反対に「高尚な哲学」を持ち込もうとするな
ら「本当に」アンビエントと呼び得るものの「少なさ」をありがた
がるという結果に陥る危険と隣り合せである。例えばイーノの何枚
かだけをアンビエントと認めたり、あるいはエイフェクス・ツイン
がそう命名した2枚こそなのだ、などなど。

そんなふうにアンビエントというものを/で「哲学」することへの
拒否感を持ち、チルアウトできればそれでいいという、これはこれ
できわめて妥当な判断を持つ人もいるだろう。「哲学」や「思想」
にはうんざり、という。

蔑称としてのアンビエント
敬称としてのアンビエント
という二項対立は、残念ながらよく見受けられる。

しかしどちらにせよ、「アンビエント」という言葉自体、音楽の響
きとリスナーの関係性をしめすものの一形態ではあっても、高尚か
安易かという価値判断を含む言葉ではないはずだ。

あれはアンビエントだ、いや違うという議論の前に、まず、それが
いい音楽であるか、どうか。当り前だけれど、いい響きなら本当は
カテゴリなどどうでもいい。しかしそれでは肝心のアンビエントと
は何か、の問題に行き着けない。考えるポイントは、ある音楽の持
つ音楽的価値(普遍的だろうが個人的だろうが)を、一旦、忘れる
こと。

アンビエントは作曲や音楽制作全般のなかでのある種のスタイルで
あり、リスナーの立場から見るならそれは「聴取の様式・方法」で
あるに過ぎないと筆者は考えます。
音楽の「水準」「価値」ではなく、音楽が持っているある種の「様
態」とリスナーの「受容する際の聴覚の状態」のみを示すであろう、
アンビエントという言葉。このように捉えることを通して聞こえて
くる音に耳を傾けてみると、これまでとは違った響きを体験できる
かもしれない。価値など気にせず聴くことで発見する、音楽のもう
ひとつの意味。


March 12 2000,shige@S.A.S.




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